「あそこ見てみろ。なんか変なの立ってるだろ?」

 フローリックの指差した方向へ目を向けると、その崖の上には、彼の言う通り、何者かが立っている。

 吹雪でその姿は鮮明には確認出来ないが、辛うじて4本程度の細い脚で小さなその体を支えている姿は確認出来る。

「うん、見えるよ。でも、なんだろ、あれ」

「お前にとっちゃあまさに夢の存在って奴かもしんねぇが、こっちも呑気にぼ〜っとしてる暇ねぇと思うぜ。」

「どう言う事?」

 再び太刀を持って構えだすフローリックを横目で見ながらのんびりした感じでフローリックに尋ねる。

 既に目的の柔白竜を狩猟した後だから気が抜けているのかもしれない。



「あいつも一応モンスターだ。こっち見てるからにゃあぜってぇこっち向ってくっぞ。降りてきたしな。」

 その白い体の生物は4階建ての建築物程度の高さは確実に下らないであろう、その高さから平然と飛び降り、そして着地の際の反動もものともせず、そしてアビスとフローリックを目で捉えたまま立ち止まる。

 同時にその生命体の身体的特徴がハッキリと2人の目の前に映し出される。

 哺乳類のように4本の脚でその小型な体を支え、そしてその他の哺乳類とは一線を画すかのような風貌をまき散らす神々しい白銀の胴体、そして天に向かって生えた小さいながらも同じく神々しい角を頭部に構えている。

「ねぇ、フローリック、何だよ、あのモンスター。知ってる?」

「あいつかぁ、一角獣ってんだ。幻の聖獣みてぇな事言われてんだがなぁ」

「まあ……兎に角あいつ一角獣って言うんだね。んで、結局戦うの?」

 白い聖獣の名称を知り、そして、目の前にモンスターが立っている以上、いくら柔白竜を狩猟して疲れている後とは言え、この突然現れた幻獣との戦いの為に得物を抜かなければいけないのは明確な事だろう。証拠にフローリックも既に太刀を構えている。

 だが、フローリックの返答は、意外にもアビスの思っていたものとは全く正反対のものだった。



「いや、わりぃが、今のオレらじゃああの野郎に勝つなんて無理だ。逃げるぞ!」

 フローリックにしては珍しく、逃げ腰を思わせる言葉を放つ。同時に背後に見える雪山の洞窟へと駆けていく。アビスを残して。

 元々柔白竜と激闘を繰り広げて既に体力は限界、とまでは行かないものの、さらに強大な相手に立ち向かえるだけの量は残っていないのかもしれない。

 しかし、今フローリックが問題にしているのは体力の話では無く、その圧倒的とも言える実力の差である。

 元はその存在の確認自体極めて稀である種族である。その為に一角獣に関する資料は極めて少なく、その攻撃手段や弱点等に不明な部分が極めて多い。

 その為に殆どのハンターは一角獣に対して予めの対策を取れず、突然の予想外の反撃によって凄惨な目に遭わされていく。

 とは言え、あの極端に他者に弱みを見せる事を嫌うフローリックが初めて出会ったモンスターとは言え、真っ先に逃げ出すなんてとても考え難い事である。しかし、アビスから見ればただ疲労で戦う気が無く、尚且つ目の前の幻獣に恐れているとしか見えない。



「待ってよ! 結局疲れてちゃもうどうしようもないって事なの!?」

 自分の後に同じく駆け足で着いてくるアビスが訪ねてくる。流石に怖がっているかどうかを聞くと後で何されるか分からないと言う事でそれについては敢えて触れる事は無かった。

「事情は後ではな……っておい! 危ねぇぞ! 後ろ見ろ!」

 フローリックは背後にいるアビスに顔だけ向けて返事するが、その時、更にアビスの背後にいた一角獣の異変に気付き、アビスに伝える。

 突然走り出した2人に興奮したのか、それとも元々モンスターの本能か、2人を追いかけるが、角が怪しく火花を立てている所がフローリックの目に入り、咄嗟にアビスにその様子を見せようとする。



「後ろ!? あの一角獣追っかけてくっけど…うわぁ!!」

 アビスにも一角獣が角に火花を立たせている様子は見えたが、あくまでも今彼が思っていた事は一角獣が自分を追いかけてくる事だけだった。

 その後の一撃等は予想もしていなかっただろう。

 偶然当たらなかったのか、それとも意図的に情けで外してくれたのか、先ほど一撃で柔白竜を葬り去った地獄の制裁とも言えるかもしれないあの雷撃がアビスの真横に落とされ、その耳へ伝わる轟音、全身に降りかかる風圧、そして視覚的な迫力によってアビスはそのまま雪の積もる地面へとその体を強制的に倒される。

 アビスの傍らには、やや大きな円形の焦げ跡がクッキリと残っており、その制裁の恐ろしさを物語る。

 初めてその白銀の姿を見た時は神々しい外見とは対照的に、青鳥竜せいちょうりゅう程度の威圧感の殆ど感じられない小柄な体格に対し、完全に油断しきっていたアビスであったが、先ほどの地獄の制裁を目の当たりにし、その小柄な生物の本性を知り、ただの白いモンスターでは無い事を改めて知らされる事となった。

「おい! さっさと立て! またやられっぞ!」

 おぞましい光景を見ながらゆっくりと立ち上がるアビスを見てフローリックはアビスを置いていくまいと、その足を止め、声を荒げる。



「分かってるよ……」

 それだけ言うと再びその足を走らせるが、ただ走って逃げるだけではあの一角獣から逃げ延びるのは確実に不可能である。

 外見だけを見れば軟弱な印象を受け取る者も多いかもしれない。ただ、神々しい白い鬣や小さいながらも立派な角はそれなりの迫力を備えるが。

 だが、その小ささこそが一角獣にとっては最大の武器なのかもしれない。その極めて細い体は非常に俊敏性に優れており、真後ろに敵につかれても恐るべき瞬発力で振り向き、そして、尖ったその角を使い、愚か者を黙らせる。

 しかし、尖った角とは言え、小柄、即ち質量の低いその体で突進した所で相手の身につける防具の強度に対抗出来るとは言い難い。場合によっては防具の強度に跳ね返される事も十分考えられる。その為の対策の知恵か、角には常に雷撃の力を纏わせており、単純な打撃だけで相手を仕留めるのでは無く、雷撃も合わせて内側から襲う方法を取っているのである。

 また、その俊敏性は自身に危機が迫り、その場から緊急脱出する時にも効果が発揮されるのである。

「とりあえず洞窟に逃げるぞ。そこ入りゃ奴はもう追って来ねぇからな!」

 再び足を走らせるフローリックは先ほど自分達が出てきた洞窟に指を差してアビスに言う。



「なんで追って来なくなるのさ!?」

「いいから来い!」

 いくら洞窟に入った所で、完全にその身を隠せる所等ありはしない。当然のように一角獣も洞窟内部に入り込んで目の前の愚か者に死の制裁を下すであろう。だが、なぜそんな所が安全地帯になるのかは、アビスには理解出来なかったが、今の状態ではフローリックは説明している余裕等無いに等しい。



「それと一応言っとくが、ぜってぇ奴から目離して逃げんじゃねぇぞ!奴の動きちゃんと見て逃げんだからな!」

 一角獣の武器はその俊敏力である。一角獣に限られた事では無いが、モンスターから逃げる時は素直に真っ直ぐ走っていては背後から走ってくるモンスターに確実に追いつかれる。いくら飛竜相手に喧嘩を売る事を生業としているハンターとは言え、モンスターの脚力に敵うはずが無い。

 通常逃げる場合はモンスターの攻撃をよく見てその都度回避手段を取り、そして少しずつ安全地帯へと近づいていくものである。

 いくら恐ろしいからと言って何も考えずに平然と背中を向けて走り去るハンターは、当たり前のように背後から迫る飛竜によって、その人生に終止符ピリオドを打たれる。

 今回逃げるべき相手が恐るべき素早さを持った一角獣だ。少し目を離せば突然風を切る突進が迫り、そしていくつもの雷が落とされる。

 アビスはその絶体絶命の状況で最早返事する余裕が無いのか、或いはハンターとして当たり前の事なのだからそれぐらい当然だろ、と心で思っていたのか、無言で一角獣の突進や雷撃を何とか的確に回避し、徐々に洞窟へと近づいていく。



「よし! よく頑張った! これで安心だぜ!」

「褒めてんの? それ。」

「なんだ? 文句でもあんのか?」

「いやいや、そうじゃないけど…ちょっと珍しいなぁって思ってさぁ。」

「珍しいって…おい。」

 フローリックにしては珍しい光景だったのかもしれない。無事に洞窟まで辿り着いたアビスに嗟嘆するその姿はひょっとしたら二度と見られない様子かもしれない。

 洞窟の奥を走り去るその2人をただ一角獣は洞窟の入口の前で眺めているだけであり、内部まで襲ってくる事は無かった。



「良かった、なんかあの一角獣ずっと止まってるみたいだけど、なんでここまで追って来ないんだろう?」

 飛竜であればその巨体が洞窟の入口に引っかかり、入れないと言う理由が納得出来るかもしれない。だが、一角獣の場合、高さは殆ど一般的な男性の身長とほぼ同じ程度であり、横幅も同じく一般的な人間と同じようなものである。通常ならば洞窟に入る事くらい容易い事であろう。

 しかし、一角獣は洞窟を前にした途端にまるで目の前から地面が無くなり、全く進めなくなったかのようにその動きを止め、ただアビス達を眺めているだけとなる。

 一角獣の瞬発力ならば今からでも走れば確実に2人に追いつくと思われるが、半ば諦めたような心境もかいま見える。

「ここまで来りゃもうあいつもやってこねぇ。オレもよく分かんねぇんだけど……確か雪山に住む一角獣ってのはぜってぇに洞窟にゃあ入らんって聞いた事があってな、まあ、あんま分かんねえけどなんか呪いがどったらこうたらって聞いた事あってな」

「洞窟入れないってんのはその呪いが一角獣に何かするみたいな?」

「でもあくまでもそれは想像みてぇなもんだ。でも今まで洞窟ん中入ってきたって事今まで1回も無かったらしいからただそれにのっとっただけだ」

「でもさあ、その呪いってどんな……あれなの? いきなり呪いって言われても困るんだけどなぁ……」

 アビスはまるで詰らない書物でも読んで飽きたかのように溜息をついて両手を後頭部に廻しだす。



「んなもん知らねぇよ。そんなもん知りてぇんだったら学者とかそう言う奴に直接聞いてくりゃあいいじゃねえかよ。オレだって別にそんな細けぇ事興味ねぇし」

 アビスの態度に腹を立てたのか、またいつものような人相の悪さを映し出すような悪い目つきに戻る。

「なんだよ……それ」

 彼の性格を考えてこれ以上しつこくせがめばまた色々と面倒になるだろうと思ったアビスは諦めるように目線を下に落とし、しばらく黙りこむ。

 一角獣が雪山の洞窟に入れない事情は詳しくは公表されてはいないが、一応今は柔白竜と同じ雷の属性を伴う凶器を持ち、尚且つ恐ろしいほどの素早さを持つ幻獣から唯一の逃亡手段を見つけた今だ。論理的な理由は2人にとっては今はどうでもいい事かもしれない。



「あ、そうだ、逃げ切れたのはいいけどさぁ、柔白竜はどうすんの? 太刀強くする為に電気袋とか言うのが必要なんじゃなかったの?」

 さっきまでは一角獣から逃げる事で必死になっていた為に元々の狩猟目的であった柔白竜を忘れていたのだが、突然それを思い出したアビスによってそれが呼び戻される。

「そうだよなぁ……折角目の前に電気袋置いてあるってのに、今のあの状況じゃあゆっくり剥ぎ取ってられんだろう。メッチャがっかりだけどとりあえず今日は帰って、後は回収班に何とかしてもらって、明日ぐらいにそいつらから貰っとく事にするわ。どうせ時間経ちゃあ一角獣も消えんだろうし」

 双角竜装備の特徴である双角竜の恐ろしい顔立ちをそのまま表現したヘルムを外しながらアビスの方を見ずに前方だけを見てキッパリと諦めたような態度を出した。



「強引に一角獣倒して柔白竜から剥ぎ取るってのは出来ないのかなぁ? こっちはえっと、片手剣と太刀? かな。どうだろ?」

「それが出来りゃあ誰も苦労しねぇよ。さっきのあいつの暴れっぷり見たろ? 自分の周りに好き放題雷落とすわ好き放題走り回るわで適当に追っかけてもこっちが攻撃する暇あるかどうかってぐれぇだぞ。それにオレの太刀、まあ、オレのだからって訳じゃねぇけどよ、太刀じゃああいつの動きには対応出来ねぇ」

 太刀はリーチの長さと刀身の分厚さが持つ威力が最大の武器であるが、どうしてもそのやや大振りとなるその時間のロスが一角獣に攻撃のチャンスを素直に渡してしまう事になる。

 また、一角獣の皮はその小柄な胴体に似合わず、恐るべき強度を秘めており、太刀のパワーを持ってしてもその小柄ながらも強靭な盾の前にあっけなく弾かれてしまう。

 逆にその長いリーチとは対照的な刀身の質量の低さが強靭な盾に打ち負けてしまう原因となっている。

 一角獣の角周辺は肉質が脆く、そこならば太刀の持つパワーを最大限にぶつける事が可能であるが、常に走り回っている一角獣相手に頭部に狙いを定める事は並大抵の実力では不可能に近く、また、動きを止めたとしてもそれは雷を呼び起こす為に力を蓄えている前触れである為、狙っている最中に雷撃の餌食になる事も決して珍しい事では無い。

 流石にフローリックも実際に頭部を狙った事は無いが、太刀を今まで使いこなしてきた彼ならばそれぐらいは容易に想像出来る。太刀のスピードが一角獣にはまるで敵わない事を。



「でもあいつがこんなとこにいるなんてちょっと変なんだけどなぁ……」

「あれ? どういう事? それじゃあ一角獣がここ雪山にいるってのがおかしいって事なの?」

 妙に難しい顔をし出したフローリックをアビスの目が捉える。



「雪山根城んしてるってのはいんだけどよぉ、ほんとはあいつ他の飛竜とかがいる時ゃぜってぇ姿見せねぇってどっかの本に書いてあったんだけどなぁ」

「へぇ……そうなんだぁ……」

「随分関心無さそうな返事じゃねえかよ。まあいいや、一角獣ってのは元々見た目と違ってかなり凶暴な野郎だけど、他の飛竜とかみてぇに縄張り争いとか、他のモンスター襲って食ったり、所謂捕食ってやつか、そう言う事は一切しねぇで静かなとこでひっそり暮らしてるって聞いてたんだけどなぁ」

「流石幻だけあって結構凝ってんだね、一角獣って」

 あまりにも簡潔且つ単純に説明され、アビスはただ、気の無い返事を送るだけだった。

 その後、その関心の薄さに少し苛立ったのか、さらに細かく一角獣の生態を説明すると、僅かながらもアビスに関心の色が灯ったのである。

 元々一角獣は通称幻の聖獣と呼ばれているだけあってその個体数は極めて少なく、目撃例も極端に少ない。

 ハンターに対しては一切の容赦を拒む一角獣であるが、それは一角獣自身が纏っている皮や鬣、そして角等が武器や防具の精製を担当する業者達の間で恐ろしいほど高価格で取引される為に次々と狩猟されていった事に対する復讐のようなものである。

 飛竜の降り立つ大地には大抵物欲なハンター達が現れ、そして飛竜は餌食になるか、逆に餌食にするかのどちらかであるが、一角獣はそれに決して介入する事も、邪魔をする事もしない。

 小柄ながらもその絶対的な戦闘能力には万全なる自信を添えており、決して弱者となる飛竜を襲うような事はしない。一角獣達にとっては、大柄でかつ力強い印象をハンターに焼き付ける恐ろしい飛竜達も、力関係の中では下の部類に入っているのかもしれない。

 逆に飛竜から攻撃を受けるような事も無い。それは常に飛竜の眼につかない場所で生きている為である。

 決して飛竜達の眼につかない場所で暮らしている一角獣も、人間を前にすれば相手が弱者だろうが強者だろうがその眼は最早狂える猛獣のそれとなる。

 欲望の為に何頭もの仲間を殺された一角獣の復讐が人間を前にした時点で発動されるのである。



「やっぱりモンスター同士で争ったりってもあるんだね。ちょっと怖いんじゃない?」

「お前そんぐれぇ普通だろうがよ。人間同士で争うぐれぇなんだからモンスター同士が争うってのも普通なんじゃねえのか? でもやっぱ一角獣があそこで出て来るなんてぜってぇ有り得ねぇ事なんだけどなぁ。最近ここんとこモンスターどもの様子おかしいってドンドルマの方の仲間からこの前手紙貰った訳だし。」

「おかしいって……どう言う事?」

「いや、今言った通りん事しか書いてなかったんだよ。『様子がおかしい』ってな。あいつちゃんと詳しく書いてくんねぇからよぉ、もっと詳しく書けって返事送ったってのにまだ帰って来ねぇんだぜ。」

「そう……なの?」

あまり状況が読めず、再び気の無い反応を見せるアビス。



「ドルンの周辺じゃああんまそう言う実感ねぇんだけど、奥の世界じゃあそう言うのが日常茶飯事らしいぜ。あ、そうだ、一応言っとくが、オレ何日かしたらもうあの村出てくから」

「出てくって……そっちもなの? 一応こっちもおんなじ事考えてたんだけど……」

 唐突に村から離れると言われたアビスは僅かな驚きを見せた後、自分自身も同じく村を出る事を伝える。



「ああ、お前昨日ぐらいに村長からなんか言われたんだっけな。ってかお前決めんの早くね? 昨日言われて即行出るって、おい、オレなんかほんとに村出るかどうか決めんのに1ヶ月ぐらい考えたってんのによぉ。」

 村を出る事はフローリックの言う通り、そう簡単に決められる事では無い。村を出れば当然のようにまた自分の住処となる家を見つけなければならず、仮にその家を見つけた所ですぐに住めると言う訳でも無い。

 その家の持ち主である大家との契約や、礼金や敷金の支払い等、住処として部屋を借りる場合も何かと手間が多い。

 契約や金銭的な事情以前に、昔から色々とお世話になった村人達が村から離れる事により、当たり前のように頼る者が完全にいなくなり、新しい土地で誰にも頼る事無く自分だけで解決していかなければならなくなる。

 知り合いの多い村であれば何か分からない事、困った事があれば、昔から顔の合わせている人達へ気軽に相談だって出来るであろう。しかし、新しい土地へと行けば誰もが知らない人ばかり。まだ未成年であるアビスに始めて顔を合わせるような人に気軽に話し掛ける勇気等恐らく無いかもしれない。

 新しい土地で暮らしていくプレッシャー、そして、部屋そのものを借りるのに絶対に必要な金銭。まだまだ子供に近いアビスにはジャンボ村を出るのは早いのかもしれない。



「1ヶ月も考え込むの? そんなに考えてたら時間勿体無いよ」

「お前がなんも分かってねぇだけじゃねぇか。村の人達とかと離れるって事はなぁ、これから先何でも自分でやらんきゃいけねぇって事だし、まあオレなら自分の世話ぐれぇどおってこたぁねぇけどよぉ、後家借りるんだから大家と契約したり、後礼金とか敷金とかそう言う金の問題だってあるんだし。お前そう言うのほんとに大丈夫なんだろうなぁ?」

「れえきん…とかしき……きんとか、って何?」

「やっぱ来たぜ、これ。帰ってから村長にでもゆっくり聞けや。まあ、一応お前もハンター確かなんだっけかな…あ、そうだ、ハンターローンってやつ組めば幾らかは金無くても何とかなるだろ」

 期待通りの返答を溜息で流すフローリック。ハンターとしての知識はある程度知っているアビスでも、この世界を生きていく為の社会の仕組み等についての知識は相当乏しいのである。



「なんだ、じゃあ多分何とかなるんだぁ。あ、そうそう! そう言えば雪山の天辺に向かう途中さあ、俺も女のハンターと会った……みたいなそんな話してたじゃん!」

「なんだお前!? いきなり騒ぎやがって」

 突然思い出した全く別の話題を極めて高いテンションでアビスはフローリックに雪山を登る途中に話していた女性ハンターとの出会いの話を再会させようとした。ハンターローンと言うものの話も詳しく聞こうとせず。

 だが、いきなりテンションの高い口調になり、フローリックは戸惑いと呆れを覚える。



「お前、女の話だからってちょっと心ん中でワクワクしてんのか?」

「いや……別にそう言う訳じゃないんだけどさあ……そう……見えた?」



「誰だって見えんだろ。普通今みてぇに……」

フローリックは少し目の色を変え……

「そうそう! さっきさあ……!」

 と、アビスの少年の声を真似するように普段の低めな声を少し無理矢理高ぶらせてさっきのアビスの様子を表現する。

「って感じで喋られたら……」

 再びいつもの低めなやる気の無い声に戻る。

「うわぁこいつメッチャウキウキしてんじゃねえか、って思うだろ? 普通」



「いや〜だってさあ、俺ハンターやってる女の子と会うって始めてだったしさあ。」

 男同士だからなのか、男として少し恥ずかしいかもしれないような事を平気で喋るアビスの表情は僅かながらニヤニヤしているが、羞恥心的なものは一切見えない。

「よりによって『子』かよ。でも意外とその話、面白そうじゃねえか。こっちも電気袋剥ぎ取れなくてすっげぇ腹立ってたとこだったから、ちょい聞かせてみろよ、その話。」

(あれ? 今まで腹立ててたのか? 気付かなかった〜。)

 普段からフローリックはどうもやる気の無い口調や態度が特徴的である。まるでいつも腹を立ててるような雰囲気を漂わせている為、本当に苛々しているのかどうかを見極めるのは本人の口から聞かなければ恐らくは判別が難しいだろう。

 それより、フローリックはアビスの異性との接触に関する話に相当な期待を寄せている。まさかこんなグダグダしてる奴にもそう言う経験あったのか、と心で呟きながらその話をさせようとする。

 電気袋を撮り損ねたフローリックにとって、その話はある意味でストレスを癒す効果を持っているのかもしれない。



「うん、いいよ。深緑竜狩り終わってさあ帰ろうって感じで歩いてたらさあ、なんかその例の女の子追い掛け回してる変なハンターがいてさあ、えっと、その変なハンターってのはまた後で話すけど、兎に角その様子がヤバイ状態だって思ったから、とりあえずけむり玉でその変なハンターの目をくらましてさあ……」

「ハンターがハンター襲うってかぁ。ってかお前、よくけむり玉なんて偶然持ってたよなぁ。あんなの使う機会普通あっか?」

 けむり玉はその名の通り、周囲に煙を発生させ、視界を悪くする為の道具である。飛竜に気付かれないよう、予め投げておく使い方があるが、気付かれている場合はもう役立たずとなる。投げたとしても飛竜の眼は完全にハンターを捉えている為、たかが煙程度ではその邪眼から逃れる事は出来ないのである。

 だが、大抵のハンターならばそのけむり玉はあまり使う事は無い。元々飛竜討伐が目的でその地に足を踏み入れていると言うのにいざ出会ってその身を隠そうとする臆病者はそうそういるものでは無い。

 採取だけが目的の一般人や職人ならば突然の飛竜の襲撃に備えて幾つかは携帯しておく事もあるかもしれないが、ハンターならばいちいち隠れている暇があるならさっさと討伐してしまうのがオチである。

 少なくとも、フローリックは1回も使用した経験は無く、アビスはその時以外に使った事は無い。



「いや、多分そんなの使おうってあんま思わないよね。でも偶然ポーチに入っててさあ、良かったよ。」

「もしお前、そん時けむり玉無かったらどうしてたんだ? 直接そのハンター狙うハンターとやりあったか、それとも無視してたかのどっちかか?」

「あん時は結構俺だって焦ってたし、そんな事考えてる余裕なんて無かったよ。でももし無かったら……ホントどうなってたんだろう……」

 確かにあの時はけむり玉で少女を襲うハンターの目をくらました事で何とか救出に成功したのである。目の前で逃げていてもやがては逃げ場所を見られ、そのまま2人揃って殺されていたのかもしれない。

 それを今更のように思い出して僅かながら恐怖が体を走った。



「まあいいや、もう終わった事でもしああだったらとか言ってたらアホみてぇだからな、続けろ」

「分かったよ。とりあえずその子の救出は上手くいってとりあえずちょっと離れたとこにあった洞窟んとこまでなんとか引っ張ってさあ…でもその後大変だったんだよ……ほんとに」

 突然アビスはまるで一日中鉱山で働いてようやく仕事が終わった作業員のような疲れ果てたような顔をし出す。



「大変って、一体何あったんだよ。まさか例の変な奴に見つかったってか?」

「いやいやその後はもうそいつに会う事は無かったんだけど、あの子、あ、一応名前は聞いてて、ミレイって言うんだけどさあ、折角こっちは助けてやったってんのにさあ、もう怒鳴り散らしながら離せ離せって……」

「ミレイかぁ。聞いた事ねえ名前だなあ。どんな奴だ?」

 流石にフローリックは長い間ジャンボ村に住んでいた男である。あの規模の小さい村であれば、もう知らない名前、知らない顔等無いはずである。だが、その名前だけはどうしても頭に思い浮かばず、思わずアビスに尋ねる。



「もう酷いんだよ。その後結局思いっきり殴られてさあ……なんで助けたのにこっちが殴られなきゃ……」
「そうじゃねえよ。そいつの見た目って言うか、顔って言うか、教えろよ。多分それで分かっからよ」

フローリックは外見的特徴を聞こうとしてたが、アビスはそのまま話を続けようとする。フローリックの聞きたい事と明らかに違うその内容である為、フローリックは自分が何を聞きたいかを具体的に、アビスでも分かるように説明する。

「多分歳は俺とおんなじか、そんぐらいで、後顔だけど…えっと…ヘルムから緑色の髪がはみ出てて、して青っぽい目してた…かな。」

 顔はある意味その人間の外見的な特徴の最大のシンボルとも言える。よりによって異性についての説明をするのだから少しアビスは今更ながら照れ臭い気持ちになったのかもしれない。



「緑の髪に青い目、かぁ……。い〜やっ、そんな奴見た事ねぇなあ。ってかあそこの村にいる女のハンターって大抵オレぐれぇの歳の奴しかいねぇじゃんかよ。ガキで、しかも女のハンターなんて見た事ねぇからなぁ、多分よそん村の奴じゃねえのか?」

 フローリックは20代中盤である。ハンターと言う生業は常に死と隣り合わせであると言う都合上、まだ歳若い内から命をかけた生業に手を出そうとは思わないだろう。特に少女であれば、その恐怖心からハンター自体拒む者も多いであろう。少なくとも、ジャンボ村ではそのような勇気ある少女はいないのである。

「多分よその村だと思うよ。やっぱり。」

「所でお前、さっきその、ミレイだっけ? そいつに殴られたとか言ってたよな? 随分手荒な事すんじゃねえか、そいつ」

フローリックはその殴られた様子を想像すると、みるみるその痛々しい光景が目の前に浮かび、いつものように眉に皺を寄せる。



「そうなんだよ、いきなり殴られてさあ、して今度は俺もその子の集めてた素材とか奪おうとしたんだろうって勝手に思われてさあ、あ、そうそう、さっきの変なハンターもその子の素材奪い取ろうとしてたから多分俺も変なハンターとおんなじ扱い受けたんだと思うんだけど…」

「でもお前、結局はその変なハンターって奴から逃してもらったんだろ? その女。普通真っ先に『ありがとう』ぐれぇ言うもんだろ…。誤解とか焦ってたとかそう言うのも分かんねぇってこたぁねぇけどよ、殴るなんてもうバイオレンスレディ、あ、一応ガキだからバイオレンスガールか? 始めて会った女がいきなりそれかよ。お前も大変な奴だなぁ。不運って言うか、面倒って言うか……」

「いややややや……確かに殴られた時はちょっとムカッて来たけど……」

 確かに恩を暴力で返されるなんて恐ろしく、尚且つ腹立たしい事かもしれない。だが、アビスはきちんと誤解を解いてもらった身であり、決して本当にミレイから対して悪い印象だけを残された訳では無い。アビスなりに何とか彼女に対する否定を取り消そうと、焦りながらもフローリックに言い返す。

「でもちゃんと事情話して誤解も解けた事だし、俺も1回その変なハンターに襲われた事あったんだよ。そん時は自力で逃げきったけどさあ…。まあ、とりあえず誤解解けた時はその子凄い必死で頭下げて『ごめんなさい』って謝ってくれたし。なんかさあ、女の子って謝る時って凄い真面目な感じになるんだよね。そう言うのって結構いい感じしない?」

 突然最後の方で変な方向に走り出すアビスを見てフローリックは相変わらずの悪い目つきで、そして呆れた表情を浮かべた。

「何が『結構いい感じしない?』だ。謝って済むんだったらなぁ、法律とか処罰とかなんていらねぇっつうの。多分あん時のお前がオレだったら殴り返してたかもしんねぇな。或いは慰謝料としてそいつがそん時持ってた素材全部売っ払わせてその金全部払わせるとかしてたかもしんねえぞ。」

 フローリックの言ったその女の子だからと言って全くの容赦をしないその想像上の報復に、アビスは再びフローリックに対して恐怖を覚える。そして同時にあの時ミレイと居合わせたのがフローリックじゃなくて自分で本当に良かったと、アビスは安心の気持ちを心中で出した。



「駄目だよ! そんな、男が女の子殴るなんて! だからさあ、あん時はミレイも凄く怖かったんだよ! きっと! だから俺も悪もんかなんかだって思っちゃったんだよ! ほんとに!」

 容赦無い発言に、アビスは声を荒げて何とか今この場にいないミレイを庇おうとする。洞窟内にその騒ぎ声が木霊し、何度か跳ね返る度にその声は小さくなっていく。

「はいはい分かったよぉ! うぜぇからちょっと黙ってねぇ!」

 普段のフローリックからは想像の出来ない、まるで幼児を宥める父親のような、やや温厚な態度でアビスを黙らせる。



「でもお前、なぁ〜にが女の『子』だ。随分女に対して差別的な目してんじゃねえかよ。」

 フローリックはその『子』の部分を非常に強く強調してアビスを責めるかのように追い詰める。

「別にさべつーとかしてる訳じゃないけどさあ、そんな、殴り返すとか…ってさあ…。でもね、それよりなんか俺の名前聞いた途端にさあ、いきなり兄さんの話持ち出してきたんだよ。」

「ゼノンの事か?」

「やっぱフローリックも知ってるんだぁ。」

「当たりめぇだ。あの村でその名前知らねぇ奴ったら赤ん坊ぐれぇだろ? 赤ん坊なら何喋っても名前事態覚えねぇだろうし」

 ドルンの村の亡き英雄の名を知らない者はまずいない。知らないのは、まだ言葉すら理解出来ない乳児ぐらいであろう。物心ついたばかりの子供でさえそれくらい知っている事である。

「して、ゼノンの話になってどうなったんだ?」

「兄さんが鋼風龍こうふうりゅうと勇敢に戦った戦士だってのはいいとしてその後さあ……」

 突然いやに笑顔になり出すアビス。その様子をフローリックは少し異様に思う。



「俺が兄さんの弟って理由でさあ、俺は皆から期待されてるって言われてさあ、なんか一瞬戸惑ったんだけど俺って結構そう言う素質あんだなぁ〜って思ってさあ……」

「はぁ?」

「これから最強になんないと皆の期待裏切る事になるってミレイも言ってたしさあ、なんかこう、これからももっと頑張ろうってそう言う気持ちになったんだよねぇ。いいよねぇ、誉めてもらえるってちょっといいよねぇ?」

 一瞬フローリックの眉が下方向に動いた。最も、これはいつもの事であるが。

 自信ありげに延々と喋り続けるアビスを見てフローリックは苦笑いを浮かべながらアビスに言う。



「お前、すっげぇ奴だな。」

「そうだよねぇ。俺だってこう見えても期待のなんちゃらみたいな…」

「ちょ……待てよ。そうじゃねぇし。大体なぁ、よく考えてみろよ。お前あいつの前で飛竜とか殺った訳じゃねぇのに、ただゼノンの弟ってだけで勝手に未来の最強戦士呼ばわりされてなぁんか変だなぁ〜とか思わねぇのか?」

「確かにそうかもしんないけどさあ、でもあんまミレイの悪口言うのちょっとやめて……くんないかなぁ? 別にミレイだってそう言うつもりで言った訳じゃないと思うし。ただ、なんっつうか……助けてくれた礼の一環としての褒め言葉って言うか……」

 何故か腹が立ったような気分になったアビスはここで初めて眉に僅かに皺を寄せ、そしてフローリックを睨みつける。



「別にあいつの悪口言ってる訳じゃねぇけどよお、今のお前見てたらなぁ、なんかあいつの言った事全部鵜呑みにしてこれから先調子こいだ事して簡単に飛竜にブチ殺されるような気ぃしてよぉ、ちょっと心配になっただけだ。」

 常に命をかけて戦うハンターの世界では下手に誉めて調子付けてしまう事は非常に危険な行為かもしれない。

 下手に誉められればその時の空気をはっきり読めないハンターはそのまま自信過剰となり、自分の実力以上のモンスターに調子に乗って挑み、そのまま帰らぬ者となる場合も決して珍しい事では無い。

「そう……なのかなぁ……なんか……こう……やな感じになるよ」

 さっきまでのテンションが一気に下がり、まるで柔白竜との激戦の際のこやし玉の件のように一気に落胆する。

 いくら自分の兄があの強大な能力を誇る古龍と対等に戦えるほどの実力を誇る屈強なハンターだからと言ってその弟も同じだけの素質を持っているとは思えない。ましてや、将来、兄と同じだけの素質を手に入れられるとも限らない。前日の同じくらいの歳の少女からかけられた希望の言葉が今、極めて現実的な主義を持つ男によってあっけなくかき消される。



「お前にとっちゃあきつい話かもしんねぇが、ハッキリ言っとくぞ。あれはなぁ、過剰評価ってんだよ。オレの仲間の一部もそうやって何人か死んでったからなぁ」

 何時の間にか物凄く真剣な顔になっているフローリックにアビスはやや戸惑いを覚える。

「兎に角一番大事な事ったら、ぜってぇ自分は最強だって思わねぇ事だ。お前何日かしたらアーカサスん方行くんだろ?だったらそりゃ尚更ん話だ」

「あ……あぁ」

 何も言い返せず、ただ小さく頷くアビス。真面目な話を聞かされ、さっきまでのやや気楽なテンションが突然崩される事によってどう振舞えばいいか分からず、そのような短く、単純な返事しか送れない。



「例えばだ、今のオレらの実力じゃあ怪鳥ぐれぇ超楽勝にぶちのめせるんだろうが、これからアーカサス行くって意識あんならなぁ、怪鳥相手でもぜってぇ自分の方がザコだって思え。もし簡単に殺せたら、それは自分が無礼られてるって思え。飛竜相手に勝ったからって、ぜってぇこれから先も余裕で勝てるなんて、思うな。どんな時でも自分は他のハンターどもよりザコで、んで飛竜に常に無礼なめられてるって、そう言う精神ぜってぇに忘れんなよ。そんぐれぇの覚悟ねぇと、とてもアーカサスん方じゃあやってけねぇぞ」

「……分かったよ。俺、絶対それ、忘れないよ。常に自分は弱い奴だって事……」

 まるで本当の現実を見せ付けられたような、絶望的な心境に陥るアビス。今まで自分は飛竜に情けをかけられていたようなものだったのか。

 飛竜は元々力関係で考えれば人間よりもずっと上の階級である。いくら強固な武器があるからと言って貧弱な人間が強靭な飛竜に勝てる事自体が自然界としてはおかしい事である。

 その自然界に逆らい、人間が時として飛竜より力関係が上になるのは明らかに何かの間違いとして捉えられるかもしれない。フローリックのそのやる気の無さそうな目の裏には、非常に堅実な魂を備えた立派な志があるのだ。



「よぉし、丁度って感じでふもとに着いたぜ。帰ったら、とりあえず後は回収班に電気袋任して、オレの斬波刀強化して、そんであの村出る準備でもしねぇとな」

 さっきまでの重たい空気を一気に払い除けたのか、フローリックは軽い口調で明日行くであろう、アーカサスを頭に浮かべた。

「やっぱりそのさっき言ってたモンスターの異変ってやつの為に村出ちゃうの?」

 フローリックが重たい空気を払い除けて気分が楽になったのか、アビスも何時の間にか下がっていたテンションが回復し、思わずフローリックに問うた。



「そうだなぁ、あの村じゃあちっとも手ごたえねぇってのもあるけど、一番の理由はそれかもしんねぇなぁ」

「手ごたえ無いって……さっき飛竜に無礼なめられてるって思えって言ってなかったっけ?」

 アビスにとってさっきの話と、今のフローリックの言ってた発言は明らかに矛盾していると思い、思わず聞いてしまう。



「そこまで単純じゃねぇよオレは。お前と一緒にすんな」

「あ……あぁ」

「まぁいいや、兎に角お前もしばらくめんどくせぇだろうが、頑張れよ。ドンドルマ周辺はもう洒落になんねぇくれぇ恐ろしい奴らが揃ってる。ハンターも飛竜も。お前がさっき言ってた小説みてぇに何でも都合のいいように行くって思ったら、それはすっげぇ間違いだかんなぁ」

「分かったよ……」

 少しお節介に近いかもしれないその助言に少し煩いと思いながらも嫌々と頷くアビス。



「そんじゃ、帰っか」

「あぁ」

 自分の村に帰れると言うその気持ちがフローリックの気を楽にしたのかその緩くなった態度に乗るようにアビスも一言放ち、そして小舟に乗り込み、極寒地獄を後にする。

「あ、そうそう、所でさあ…」

 アビスが小舟に乗った時だった。突然何かを思い出したのは。

「あぁ?」

 フローリックはいつものような気の無い一言を放ちながらアビスに続いて小舟に乗り込む。」

「なんで柔白竜って尻尾地面にくっ付けるの? それとさあ、ハンターローンって…何?」






*** ***






「よし、一角獣。お前の仕事は終わりだ。さあ、こっちに来るんだ」

 3人の火竜の赤い装備をした男の内の1人が一角獣に命令しながら男の傍らに置いてある男より少し高いサイズを誇る檻に手を送る。

 一角獣は驚く事に、目の前には復讐すべき人間がいるのにも関わらず、まるで操られるかのように大人しく檻へと入っていく。

 完全に入ったのを確認した後、残りの2人が入口上部に持ち上げられていた入口を塞ぐ為の金網を下ろし、錠前じょうまえを施す。

 この檻に入れられた一角獣こそが、さっきの柔白竜を一撃で沈めた聖獣である。

「さて、今度はあそこの柔白竜の運搬だ。よし、お前達、これを掴め。」

 一角獣を檻に入るように命令した男は今度は少し離れた所で大人しく待機していた火竜6頭の内の2頭を口だけで命令すると、これもまた驚く事に、全く逆らおうとせず、元々話せない口を全く開かないまま、柔白竜を固定した鎖を左右それぞれ、火竜2頭は足の爪で掴み、その肥大化した巨体を持ち上げる。



「確か柔白竜が後1頭いればあれが完成するってサンドマン将軍が仰ってたよな?」

 徐々に持ち上げられる柔白竜を見ながら、金網を下ろした男の内の1人が火竜に命令を下した男に話し掛けた。

「ああ、あの電撃のメカニズムを詳しく解明するには、どうしても後1頭が必要だった。だが、これできっと成功するだろう。」

 すると、今度は金網を閉めた2人目の方の男も入ってきた。



「だけど俺達今日はついてるよなぁ。まさか別のハンターがあの柔白竜を弱らせてくれていたなんて。おかげで一角獣の雷撃の一撃で簡単にくたばってくれたんだぜ。あの2人には感謝しないとなぁ。」

 やはり万全な状態の柔白竜ならば一角獣の雷撃には耐えられたのかもしれない。元々柔白竜も雷の属性を備える飛竜だ。耐えられると考える方が妥当だろう。

「呑気に感謝状送っている場合か? これから我々は無の世界を築くんだ。そんな奴らの手助けに喜んでいる場合か?」

 火竜達に命令を下した男に迫られ、檻を閉めた2人目の男が焦るように一言だけで言い返す。



「冗談だよ」

「ならいいのだが。さあ、もうこんな所に長居する理由は無くなった。そこのお前、この檻を運ぶのだ。」

 再び命令が走る。4頭の火竜の内の1頭が一角獣の入った檻の出っ張りに足の爪を引っ掛け、簡単に持ち上げる。

 そして、残された3頭の火竜にはそれぞれ1人ずつ火竜の装備をした男が跨り、まるで調教された馬のように手綱の動作に従い、徐々に大空へその大きく、そしてしなやかな胴体が宙へ浮かんでいく。

 誰もいないその極寒地獄を、6頭のリオレウスはそれぞれ研究材料の柔白竜、材料の調達の為に利用された一角獣、そして一角獣と火竜を仕切る3人の男達を乗せ、冷気に満ちる空間から姿を消していく。



「ところでさぁ、なんで洞窟に逃げ込んだあの2人、一角獣使ってやっちゃわなかったんだ? とことん追い詰めて始末しちまうのも面白かったんじゃないか?」

 先ほどリオレウス達に命令を下した男から叱責を受けた男が檻を閉めたもう1人の男に尋ねる。

「知らないのか? あの雪山には鋼風龍こうふうりゅうの抜け殻が捨てられているだろ? あの錆の成分は一角獣には有毒なんだ。あの成分は洞窟の内部で気体となっていて、人間や他のモンスターには無害だが、一角獣がその気体を浴びればたちまち弱って、最終的には死に至る。決してあの洞窟にはきリンは入れるなよ。一角獣もこっちにとっては大切な財産だ。無駄遣いは許されん」

「へぇ、なるほど。雪山にそんな裏側があったなんてちょっと驚きだなぁ」

「呑気な事言っている場合か? 我々の仕事は遊びじゃないんだ。気を抜くな」

再び叱責を受ける火竜装備の男。彼らにとってはこの仕事は遊戯や道楽と言う文字は存在しないのかもしれない。

「はいはい」

 とても緊張した仕事を終えた後とは思えないほどの引き締まっていない返事をしながらも、その3人を乗せた火竜、そして他の材料や財産を運ぶリオレウス達は誰も見ていないその極寒の大空に姿を消していく。

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