アビス達一行は、コルベイン山に続き、次なる町へと軍用トラックで向かっていた。
太陽がまだ沈まぬ間に無事に到着し、その町並みを拝める事が出来るのだ。

ハンターにとって芸術品を見る事は何を感じる光景なのだろう。
それとも、飛竜から手に入れたその素材こそが、究極の芸術品だったりするのだろうか?
人によって感じ方はそれぞれであるが、ハンターにとってはやはり、飛竜こそが自然界の芸術品だったりするのだろうか?

だが、時には粘土と色彩の絶妙なコンビネーションで形取られた作品を目にするのも悪くは無いかもしれない。







スイシーダタウン/Suicide Brook

≪飛竜の生息地域から外れた町で、その光景は長閑のどかそのものだ。
豪華な建物は並んでいないが、その質素な民家がゆったりとした雰囲気を漂わせている。

きっと町民同士の交流も盛んな事であろう。
規模の巨大な街ならば、その街自体が持つ技術や生産品で勝負している事だろう。
しかし、ここのような町ならば、その交流から生み出される絆が大きな象徴点となってくれるはずだ。

地下水路には魚人と言う亜人の一種も生息しており、人間と共存している所がまた独特な空気を漂わせている。
この世界全体ではいくらか亜人の存在がうっすらと確認されているが、きっとこの町の自慢の1つだ。

飛竜も近くにいないのだから、安全、平和、長閑のどか、この3つを受け渡すのに実に都合が良い。
気性の荒い人間の姿も無さそうだから、ハンター達の世界で考えるとある意味では理想郷なのだろうか。≫






 軍用トラックから降りたアビス達一行は、宿屋に向かう為に、色取り取りの美しい花の添えられた花壇の脇に敷かれている煉瓦造りの道を進み、目的の施設へと辿り着く。。

 雰囲気だけでは無く、外観も非常になごやかであり、そして自然の温かさと気持ち良さが存分に伝わってくる。



――そして、その日過ごす部屋の中では……――



「なんかここすっげぇ涼しいとこじゃねえ? この前まで俺ら火山んとこいたからかなり感じ違うよなぁ」

 木の壁、床、天井で囲まれた室内で、スキッドは一番最初にソファーに腰をかけながら、この町の丁度良い気温について喋り出す。茶色のジャケットを着たままでも過剰な暑さを感じなかったから、きっと皆にこの気候の良さを教えようとでも思ったのだろう。

「確かに結構涼しいけど、逆に寒かったりもしない?」

 アビスは窓の外を眺めながら、その涼しさの中に含まれるもう1つの意味を出した。それでも、外から見える太陽の光がこの町の澄んだ空気を明るく照らしているのである。



「アビスってお前寒いの駄目だっけ? おれは寒いの全然平気なんだけどなぁ」

 スキッドはそれを聞いてアビスが寒さに弱いと思ったのか、窓の外を見続けているアビスの横顔を見ながら自分の耐性を伝えた。スキッドにとっても、身体が寒さで微小であっても震える事は無かった。

「俺? いや俺別に暑いのも寒いのも大体は大丈夫だと、思うけど」

 今まで窓の奥ばかりを眺めていたアビスだが、スキッドに顔を向けて気温の変化には強いと説明する。しかし、案外自分の体質をよく分かっていないかのような返答である。



「どっちだよお前……。ってかさあ、ネーデルとジェイソンって見た感じメッチャ寒そうなんだけど2人ってそんな格好で大丈夫なの?」

 今一ハッキリとしない返答であった為、スキッドは帽子を右手で取ってその濃い茶色の髪をあらわにしながら背凭せもたれに強く背中を預けた。

 そしてふと寒さの話題の中で、特に外部からの空気が直接身体に触れるような格好をした男女が緑色の目の中に入り、その2人に訊ねた。

「おれは元々熱帯地でフロームしてるから、ヒートには耐性持ってるし、コールドにだって心配ねえよ。おれはそんなにウィークじゃねえからなあ」

 円形状のテーブルの上で立ちながら地図を広げていたジェイソンは、いきなり質問をされても尚、いつものノリの良さそうな態度で答えた。その男性として考えればあまりにも露出度の高いその龍をデザインされた黄色のジャケットは、着る者に暑さへの対策を提供すると同時に、寒さに対する我慢強さすら提供していたのだろう。

 男性ながら非常に長いその深紅の髪を揺らしながら、再びテーブルの上の地図に紺色の目を戻した。



「わたしは、大丈夫です。特に周囲の気温を意識した服装を選んでる訳じゃないですが、極端な気温じゃない限りは心配いりません」

 ネーデルはスキッドの向かいの場所に設置されていた木造の質素な椅子に、女の子らしく両脚を閉じながら少しだけ寂しそうに鉄製の短剣ダガーを見詰めていたが、スキッドに名前を呼ばれた為、すぐにその顔を持ち上げた。

 尚、ネーデルの左にはミレイが座っており、今は黙って本を読んでいる所である。

 その寂しげな赤い瞳をスキッドへと合わせながら、自分の水色の服装が環境の都合に合わせた作りでは無い事を教えた。ジェイソンと比べればそこまで露出度は多いとは言えないものの、腕と胴体の間に位置する肩口の部分だけ上手い具合に出ている服の構造が少年の精神として寒そうに思えたのだろう。

 後は、スカートから伸びた白い両脚の影響だろうか。

「けどさあ、そう言う寒いのとか暑いのに強いとか弱いとかって多分育ったとこによって色々違うんじゃないの? あたしは谷で育ったから暑くて乾いたあの空気ちょっときつかったけど、おかげで暑いのは慣れてるからさあ」

 ネーデルの隣に座りながら小型サイズの本を読んでいたミレイだが、ミレイは話題に加わる為に、本にしおりを挟んで閉じながら出身地が関係しているだろうと話し始める。

 それでも、ミレイはその出身地の環境に反して、体内に熱を篭らせるような暗くて赤いジャケットの格好をしているが、或いは逆に暑さに適応しているから長い袖の服装でも平気なのかもしれない。



「谷ぃ? お前意外とそんなゴツいとこに住んでたんだぁ。おれは港だから涼しくて良かったわぁマジで。まあ結構魚臭かったけどなぁ!」

 スキッドは初めてミレイの出身地の見た目上な環境を知った訳であるが、少女の出身地として考えると岩や砂を強くイメージされるその場所にある種のギャップを感じ取ったからか、思わずそんな事を口に出してしまう。

 そんなスキッドは、潮風しおかぜが連想される所で産まれたようである。彼の性格を考えればその場所は出身地として相応しいものだったのだろう。

「スキッド……、お前それ涼しいから喜んでんのかそれとも自分の生まれたとこの悪口言ってんのかどっちだよ……」

 窓の下で寄りかかった体勢を作っているアビスは、スキッドのその言い方が清涼な環境に対する褒め言葉か、それとも漁業の匂いに対するけなし言葉か、疑問を感じ始める。出来ればどちらかに統一すべきだと考えているのだろうが、悪い方向にかたよったイメージはするべきでは無いだろう。



「ああそれか? 気にすんなって! なんとなくだなんとなく!」

 スキッドは深く考えて発言していなかったからか、言われてから気付いたかのように利き腕では無い左手を差し出しながら笑って誤魔化している。言った後で少し言い過ぎてしまったかと自分の生まれ故郷に向かって非常に小さく謝罪する。

「んでミレイちゃんよぉ、今言ってた谷って、まっさか……エコー谷、じゃねえよなぁ?」

 座りながらテーブルの上で自動式オートマチックの拳銃を解体していたテンブラーは、そのミレイの出身地の景色からとある地域を思い浮かべるが、どうしてその地で産まれていてはいけなかったのだろうか。まるでその地域を否定するような言い方ではあるが、そこまで詳しくテンブラーから話される事は無かった。



「いえ、あたしんとこはシャトリー谷ってとこですけど……」

 多少戸惑いながら、ミレイは自分の出身地の正式な名称を言った。出身地を答える事に対しては何も違和感は無いのだろうが、やはりミレイも多少はテンブラーの態度が気になっているのだ。

「あぁ良かった。あぁそこなら俺も知ってるぜ。子供に将来地元でガンガン働いてもらう為に親達ったらじゃんじゃん子供作って、養育費も街から貰えるってとこだろ?」

 テンブラーは安心したような表情をサングラスの裏で浮かべ、そしてその街事情を喋り始める。テンブラーは意外と地理に詳しいのかもしれない。テンブラーも『父親』と言う立場でもある以上はその街の特殊な事情には興味を持っていたのだろう。



「あ、はい、そうですけど……」

 やけに詳しいテンブラーに何故か疑問までも抱きながら、ミレイは椅子に座ったまま、ゆっくりと肯定の言葉を渡した。

「テンブラーやけに食いついてるけど、なんかそこに、なんかあったの?」

 アビスは一度直接ミレイの実家に行った事があったから、ミレイの内面的な事情を多少理解しているが、どうしてテンブラーがそこについて話を続けたがっているのか気になった。

 彼の話し方のやや下手な部分が見えているが、相手には伝わっているはずだ。



「ああ、実はなあ、あそこ俺結構昔なんだけどな、ちょっと旅行気分で行った事あったんだよ。そん時しか行った事ねえけど、その街の掟なのっつうのかなあ、それが気になって頭ん中染み付いてたんだよ」

 重大な任務とかで赴いた訳では無く、極めて軽い理由だったらしい。

 紫のスーツを纏っているテンブラーは、その街の規程がどうしても頭から離れてくれなかったようであり、その為に今回ここでそれを改めて表へ出す機会となったのだ。

「そう言えばテンブラーさんって、子供さんいらっしゃるって言ってましたよね?」

 きっとテンブラーの家庭事情がその話を継続させる理由になったと判断したミレイは、テンブラーの家庭で今過ごしているであろう子供を想像したからか、多少の笑顔を浮かべながら訊ねた。



「ああそうなんだよ。俺も子供、っつうか3姉妹いるから、俺もそこに住んでたらもっとガキ塗れになってたんじゃねえのか? って思ってたとこなんだよ。所で、ミレイちゃんもやっぱ兄弟多かったりすんのか? ついでにクリスちゃんも兄弟いたりすんのか?」

 テンブラー自身には子供がいるから、少しだけその家庭関係について自慢気に話し出すが、ミレイの出身地を考えれば、ミレイ自身にも多くの兄弟姉妹がいるのでは無いかと気付き、それを聞く。

「あ……、あたしは、まあ……いちお〜、いんですけど……」

 実際、ミレイには兄弟姉妹がいるものの、今までテンブラーには明かしていなかったから、テンブラーにとってはそれは真新しい話となる。

 しかし、ミレイ側にも家庭での様々な事情が入り混じっている為か、本当は明かしたくなかったような感情も読み取れる。青い瞳をテンブラーから反らしながら、苦しそうに答えているのが分かる。分かる者ならば分かるかもしれないが、分からない者ならまず分からない事情である。



「私は兄弟は、いないです」

 そして、鏡台の前で明るい茶色の髪を整えていたクリスも、テンブラーに呼ばれた為、振り向いた。

 白いパーカーがチャームポイントのクリスは、左手で後ろに伸びた細いツインテールの内の左部分のそれをピンと伸ばすように引っ張りながら、テンブラーに対する返答をした。

「へぇクリスって一人っ子なんだぁ。ってかミレイなんでお前言いたがらねえんだよ? 別にいいだろ言っちまっても」

 ただ一人ソファーでダラダラと足を組みながら背中を大きく背凭れに預けているスキッドは、クリスの家族関係にやや意外そうな表情でそんな反応を見せ、そしてすぐに緑色の髪を持ったミレイへと、同じ色をした目を向けた。

 スキッドにとっては家族を紹介する事くらいどうと言う事は無いらしい。ある意味で強い精神力の持ち主である。



「いや、あたしってちょっと……」

 スキッドと違い、ミレイはあまり兄弟姉妹の話をしたがらず、実際にいる事を思わせるような返事をしてしまった事に加え、そしてその兄弟姉妹が多く存在する事が当たり前のような扱いをされている出身地を明かしてしまった事を後悔するかのように軽く下を向いてしまう。

「上にブラザーが多いから、ガールとしての立場がデンジャーだったりするとかか?」

 立った状態でテーブルの横にいるジェイソンは、まさかと考え、ミレイに聞き質そうとしてみる。

 異性で尚且つ年上の者がいるせいで、女として立場が弱くなっている事を悟られたくないから渋っていたのかとジェイソンは窺ったのだろう。同性の姉妹であれば、上が姉でも問題は無いのかもしれないが、女として考えれば、あまり兄と言う存在は心地良くないものなのだろうか。いや、その考え方は大袈裟なのかもしれないが。



「あぁマジかぁ? 確かにお前の場合兄貴いそうな雰囲気だよなぁ! ってかお前もう妹キャラにでもなれば?」

 ミレイの表情は暗さと険しさを混ぜたようなものになっていると言うのに、スキッドは楽しそうにミレイに明るい言葉をぶつける。

 スキッドから見れば、ミレイの普段から嫌でも見せてくる少年にも負けない強気な性格は、兄から授かった力では無いかと一瞬悟った。男の兄弟に囲まれた家族ならば、自然とそのような性格になると考えたのだ。それが事実だとしてもまだミレイには充分に女の子らしさが残っているからそれがマイナスポイントと言う訳では無いはずである。

「なんであんたはそうやって無理矢理押し付けて来んのよ……。それと、あたしはえっと……、あんたの考えてるのと完全逆だと思うんだけど……、あ、ごめん、アビス、代わりに言ってくれる?」

 知っている者であれば、スキッドの予測は間違っているものとして理解出来るはずだ。

 しかし、ミレイとしては勝手に構成を決め付けられ、尚且つ性格が出来上がる経緯いきさつまで決定されてしまうのだからやや迷惑な話だろう。しかし、事実を自分で言う気力、或いは勇気が無いからか、アビスにその役目を譲り渡した。

 言いたくない事でも、他人の口を使わせると僅かだが気分が軽くなるものである。



「あ、俺? 別にいいけど……」

 窓に寄りかかっていたアビスは一度首を傾げた後にその要求を呑んだ。ミレイの家族構成を知っているのはアビスぐらいではあるが、アビスは何か違和感を覚えたりしていないのだろうか。

「はぁ? ミレイお前なんで自分で言わねんだよお前」

 自分で構成を言わない所を変だと思ったスキッドは、頬杖ほおづえを右手で付きながらミレイをじっと見詰め続けた。スキッドだったらキッパリと言える様子であるが、特別怒っている訳では無いから深刻と言う程でも無い。



「スキッド君……、ちょっとミレイにも色々あって……」

 クリスもそこの所の事情は女友達として分かっているのか、ミレイの気持ちを分かってもらうようにとスキッドにやや弱めに声をかけているが、あまり通用していないようにも見える。

「ミレイってねぇ、確か姉さん1人いて、それと下に3人弟いんだって」

 アビスはとうとうミレイの家族事情を皆の前で話した。恐らく男性陣ならば、確実に苦笑や気まずさを浮かべてしまう可能性のある話である。



――しばらくの間、沈黙が支配したが……――



「なんか、すげぇな、それ」

 スキッドも咄嗟に言葉が思い浮かばなかったようであるが、上に女だけが並んでしまっているから、男として考えると少しだけ恐ろしくもなってくるらしい。

「ちゃんと整理すると上が女2人で、下が男3人で随分男にとって都合悪い兄弟構成じゃねえかよ。こっちなんて女だけで3人だってのによぉ」

 テンブラーは分析程度なら出来るようであり、とりあえず、その結論で纏められた。男が3人もいると言うのに、誰1人どちらの女の上にも君臨出来ていない所が少し悲しいのかもしれない。

 因みにテンブラーの方は1人も息子がいないから、3人とも同姓である意味娘達にとっては最も理想的な構成なのかもしれない。



「う……うんまあ……そうなんだけど……」

 ミレイは一応上から2番目に位置する存在でありながら、その立ち位置を自慢する所か、逆にその位置に何か罪悪感でも覚えているかのように、床の方に目をやりながら弱々しく口を動かしている。

「そんじゃあお前って家にいる時ってもうふんずり返ってたりしてたんじゃねえのかぁ? 弟支配する姉貴、みたいな感じで」

 スキッドは一般的に連想される姉の姿がもう頭の中で固定されてしまっているからか、そんな事を楽しそうに喋り出す。その様子を見るとスキッドはそのミレイの家庭に於ける家族構成に当て嵌まっていないから、少し調子に乗っているのかもしれない。



「してないっつの……。ってかそこんとこに食い付くのやめてくれる? 姉さんの事思い出しちゃうからさあ……」

 寧ろ、こう言う事を言われるからミレイは嫌だったのかもしれない。

 悲しさも混ぜながら弱々しく言い返した後は、恐らくはミレイが最も思い出したくない人物の姿を思い浮かべてしまい、今度はその表情に映っている悲しさがどこか苦しさに変わって行っているようにも見えてきた。

「ああまさかお前もある意味妹だからいじられてたとかかぁ?」

 スキッドは落ち込み始めるミレイを回りくどく励ましてやろうと妙に明るい態度で、言葉だけでミレイをつついてみせる。

 一応ミレイも姉だけ・・・から見れば妹扱いされている訳だから、確かに妹ではあるのは確かだ。その関係上の中で多少溜息でもいてしまいたいような過去でも持ち合わせているのかもしれない。



「スキッドお前ちょっとやめろよ。お前が考えてるような笑える関係じゃねえんだって。俺1回見た事あったんだけど最悪だったもん……」

 楽しそうに喋っているスキッドを見て、アビスは事情が分かっているからこそ出せる難しい表情を浮かべながらそのテンションを沈めようとする。

 アビスはあの時・・・は見ている側ではあったものの、もしあの暴行を自分が受けていたらと想像すると今でもゾッとしてしまう。自分がいなければどう状況が変わっていたかとか妙に考えてしまうが、何とか記憶の奥に隠し続けていたいと、その茶色い目を細めた。

 正直、絶対に『微笑ましい家族関係』と言う言葉を与えてはいけない。

「アビス、別にそこ言わなくていいわよ。あたしもその話凄いやだからさあ……」

 ミレイは、あの時・・・直接被害者となってしまった訳だから、最も思い出したくない話である事は確実である。手は動かさず、青い瞳だけをアビスへと向けながらミレイはまるで気持ち悪い物体でも見たかのように頬を軽く吊り上げた。



「だけどな、実際そう言う兄弟構成っての、多いんだぜ?」

 ミレイのやや暗い雰囲気を与える表情を救おうと思ったのか、テンブラーはアビスとミレイの間に割って入るものの、結局兄弟姉妹の話なっているから本当に救う意志があったかはよく分からないだろう。

「ん? 多いって、テンブラーそれどう言う事?」

 今までミレイをほぼ意識し続けていたアビスであるが、今度はテンブラーの方に意識が集中され、暗然に支配されそうになっていた精神がリセットされる。

 きっと、ミレイのような兄弟姉妹の構成がどうして多くの割合を占めているのかについての疑問点も生まれたはずだ。



「最初に女で、後から男を産むっつう順序だよ。そう言うの慣用句で『一姫二太郎』っつんだよ。最初に女で後に男産んだ方が子育てしやすいって意味なんだけどな」

 意味を説明した後、テンブラーはその呼び名も明かし、最後にどうしてそれを親から求められているのかを話した。手短てみじかではあるが、とりあえず聞いた者が解釈すると女の方が男より手がかからないのだろうと、意識する事が出来るはずだ。

 テンブラーは皆に理解してもらう為に、さっきまではテーブルに向けていた胴体を皆の方へと向け、それに伴って椅子も横に向けていた。

「それって結局姉と弟の関係が一番って言ってるような事だよなぁ? ってかなんでその方が育てやすいの? 別にどっちでも変わんないと俺思うんだけど」

 アビスはその構成には当て嵌まらない存在ではあるが、実際に求められているものがそれであると知っても、アビスはそこまでどこか追い詰められたような気にはならなかった。それでも、女が優遇される理由は知りたいようである。



「それが大有りみたいなのよ。女の子って小さい時もあんまり手ぇかかんないみたいだし、それに次の子供が産まれた時も一緒に面倒も見てくれるって理由があるのよ。逆に男の場合は結構手ぇかかるらしいし、あんまり手伝ってもくれないみたいよ。なんかそう言うのを込めてそんな言葉生まれたって感じなのかな」

 今度はミレイの説明が入ってきた。

 テンブラーの言っていた内容をより詳しく説明してくれているミレイであるが、女として聞けば少し勝ち誇ったような態度が取れそうであるし、逆に男として聞いた場合、少し気分を悪くしてしまうような内容だ。

「後ついでに言うとだ、男が生まれないと後継者にならんから、女が産まれちまった時の慰めにも使われてたんだぜ。それ言うとかなり女側の悪口言ってるようでなんか違和感覚えっけどな。因みにもう1個言っとくけど、女が1人と男が2人の兄弟構成っつう意味じゃねえからな」

 再度、テンブラーの説明も入ってくるが、実際に後継者を作るには男がどうしても必要になる以上、場合によっては女が先に生まれる事によって後継の希望が失われてしまう事があったのかもしれない。

 だからこそ、いちいちそんな言葉が用意されたように聞こえてくるが、実際に言葉そのものが誕生するその道筋は色々と事情があるものだ。



「へぇ〜、知らなかったわそんなのあったなんて。テンブラーが知ってんのはいいとしてなんでミレイお前もそんな詳しいんだよ?」

 いつの間にかその言葉の誕生の秘密にきつけられていたアビスは、未だに窓の下の部分の壁に寄りかかっていたが、そろそろ座りたい欲求に駆られ、軽く周囲を見渡したが、座れる物は見つからなかった。

 だからか、気持ちだけでも座っている事にしようと思ったのか、ミレイの隣に進み、その横にある壁に寄りかかった。しかし、実際には座っていないし、しゃがみ込んでもいない。

「あたしが知ってちゃ駄目なの?」

 近寄ってきたアビスを横目と上目遣いを足したような視線で見ながら、ミレイは自分が説明してはいけなかったのかと、やや差別的な態度を取ってきたアビスに問い質した。



「あぁいやいや別にそんな事ねえけど……」

 ミレイの喋り方及び、声色からはそこまで怒っている様子を感じる事は無かったものの、アビスは少し気に障るような言い方をしてしまったと、隣にやって来た事に多少後悔すらも覚えながら、首を横に振りながら何とか否定した。

 多少何歩か非常に小さく後退したが、何気なく元の場所へと戻り、再び背中を壁に預けた。

「まいいや、あたしは姉さんから聞かされたのよ。って言うと普通に教えてもらって、『はい、おしま〜い』……的な感じするだろうけど、あの人凄い楽しそうに喋っててさぁ……。まあアビスだったら理由言わないでも分かるでしょ?」

 いくらか大らかな性格も持ち合わせているミレイは、自分がその言葉を知っている理由を説明しながら、ゆっくりとその持ち上げていた視線をアビスから皆の方へと向けていった。

 だが、相変わらずミレイは自分の姉の事を話す時にその表情から明るい色を消してしまっている。まるでその姉の中では『明るさ』と言うものが遮断されているかのようである。



「あ……あぁ……大体、な……」

 アビスは何気なくそのミレイの気持ちが直接分かってしまうような光景を一度見て、そして、聞いた事のある数少ない存在であるから、ミレイの気持ちが嫌でも伝わってくる気分を覚える。

 あの光景・・・・を思い出す度に、ミレイ及びその弟達には非常に無礼ではありながらも、あのミレイの姉が自分の姉では無くて本当に良かったと思ってしまう。



――可愛げも微笑ましさも皆無な、言葉責め……――

――険悪な空気へと導くあの口の使い方……――

――あの性格は、アビスにとってはどうしても好きになれない……――

――これならば、怒った時だけ非常に怖いミレイの方がずっと良いと思ってしまう……――



「ミレイ、お前ファミリーの仲、バッドなのか?」

 今までアビスと同じように立ちっぱなしであったジェイソンは、元々テーブルの隣にいたと言う事で、すぐ隣に設置されていた椅子に座り込みながら、いくらかミレイの為に力になれないかと考えてみる。

 その褐色の肌を持つ独特な雰囲気を出しているジェイソンがこう言う話をしている空間にいると、何故か険悪な雰囲気が多少紛らわされるような気持ちを感じられる。



「はいそうなんですよ……。でも……あんまりそこん所は関わんないで、もらえますか?」

 事実、非常に悪い訳であるが、ミレイにとっては苦笑すら出来ない単純に、そして単刀直入に不快な気持ちにしかならない『思い出』ばかりである為、集団で行われる歓談のようには勧める事は出来ない様子である。

 特定の条件化でなければ、その詳しい事情は聞けないのだろう。アビスは唯一、その特別な条件化に置かれた存在であるが。

「けどよぉ、その一姫二太郎ってのも男にとっちゃあ迷惑な話だと思わね?」

 テンブラーはある程度はミレイの心情を読み取る事が出来たのか、それとも何も考えず、今のような話題を出してきたのか。

 その言葉の意味合いを深く考え始めたテンブラーは、そこでとある違和感を覚えたようである。まるで常に男が家庭内では下の位置にいなければいけないような響きが彼の心を動かしたのかもしれない。



「まあ別にそれって狙って産めるってもんでも無いから単にそう言うのがいいって言う基準みたいなもんなんじゃないの?」

 アビスはどのようにして子供が誕生するのか、今一その仕組みメカニズムを理解していない為に男か女かどちらかを狙う事は出来ないだろうとアビスにしては妙に纏まったような意見をテンブラーへと渡した。

 ただ、逆に仕組みを知っていて、それについて言及したら他の少女達からは嫌な目で見られた可能性があっただろう。しかし、すぐ右にいるミレイの表情に険しいものは映っていないから、安心しても良いだろう。

「そうだぜ、狙って産むなんてきっと無理だぜ。男か女かなんて確率的には2分の1だからなあ。でも狙って産む方法も実はあるらしんだけど、言ったら俺怒られそうだから敢えて言わねえわ」

 誕生する時に決まる性別は、やはりある意味では運も関わってくるようである。テンブラーは椅子に座ったまま脚を組みながら、あまりにも単純な確率を出した。だが、それ以上の事は言わなかったものの、いちいちそのしない事・・・・に対して説明を入れるのは相当余計だっただろう。



―ギィイ……

――別室へと続くドアが室内に向かって開くと同時に、1人の男が現れた――



「じゃあ始めっからんじゃねえよお前は」

 皆が喋っていた空間の中に今までいなかった金の短髪男こと、フローリックが赤いズボンの左ポケットにのみ手を入れながら苛々した口調でテンブラーに言い飛ばした。彼のような正式な大人の年齢であれば、テンブラーが敢えて言わないようにしていた意味を理解するのに苦労する事は無いはずだ。

「あれ? フローリックお前今までどこいたんだよ?」

 あの会話の中で、一時的にフローリックの事が頭から離れていたであろうテンブラーは、突然やって来たフローリックに向かってそう訊ねた。きっと、テンブラーももっと人数の多い中で喋りたかった事だろう。



「『どこいたんだよ?』じゃねえだろ。こっちゃあこれから買出し行くから準備してたんだぞ。とりあえずだ、お前らん中でアレルギー持ってる奴いねえだろうなぁ? いたら言えよ?」

 フローリックはどうやら別の事で忙しかったようである。テンブラー達が喋っていた空間にあのベージュのアイルーこと、エルシオの姿も無かった事から、きっとエルシオと話し合っていたのだろう。

 因みに、ディアメルもテンブラー達の空間にはいなかった。

「別に俺ら大丈夫だろうよぉ。お前らも大丈夫だろ? 今時アレルギーだなんてなぁ?」

 そのフローリックの健康上の質問に対し、まるで代表にでもなったかのようにテンブラーは全員を見渡しながら、何度も訊ねる事をせず、1つの言葉で全員へと伝える。

 時代の基準はよく分からないものの、テンブラーにとっては現在に於いて、食品の拒否反応が身体に出る事は無いと考えられているらしい。



――皆、それぞれ返事をし……――



「じゃ、特に問題はねえって訳だな。ディアメル、行くぞ」

 この町の涼しい環境に適応したかのような水色の半袖シャツを着た胴体を横に向けた状態で全員の了解を聞き入れたフローリックは、先程自分が出てきた別室に向かってこれから共に外に出るであろう者の名前を呼んだ。

 呼ばれた方の少女はすぐに室内から現れた。

「はい!」

 元気の良い返事をしながら、長袖の白いチェックシャツの上に黒に近い灰色のニットベストを着た少女が現れた。淡い赤色のツインテールの髪が色彩的な明るさを表現してくれているのが分かる。



「っておいおいフローリック、お前ちゃっかしデートのつもりかよぉ? やっぱお前もロリコン――」
「んな訳ねぇだろお前アホか!? 買いもん行くから選ぶの手伝わせっだけだって。お前なんでそう言う事いちいち言ってくんだよ」

 そこでテンブラー特有の大人気おとなげの無い性格がまた出てきてしまったようだ。金髪の男と、赤髪の少女の年齢差が同行に対するからかいをテンブラーに要求させてしまったのだ。

 いつもある意味で機嫌の悪そうな顔立ちをしているフローリックが可愛さと幼さと明るさを見せたディアメルと共に歩くと言うのだから、テンブラーは黙っていられなかったらしい。

 当然、フローリックはほぼ真顔の状態でテンブラーに怒鳴りつけている。ただ仕事だから付き合わせているだけだと言うのに、そこまで言われる必要性は無いのである。

「まあ怒んなって。偶然そう見えただけだって」

 熱心に怒りを治めようと考えていないような感じではあるが、とりあえずテンブラーは右手を振り払いながら笑顔を作った。サングラスの奥ではどうしてもそのように見えていたようだ。この2人の仲が良いのか、悪いのかは現時点ではまだハッキリとしていないだろう。



「お前が言うとムカつくんだって」

 その暴言をチラつかせるようなフローリックの喋り方を見ると、まだテンブラーを仲間としては一応見ていても、友達として付き合うまではいかない様子だ。それでもこの2人が合わされば非常に相性の良いコンビになりそうなのが不思議ではあるが。

「分ぁかったっつの。ごめんなさいねぇ〜」

 まるでやや上品な夫人のような口調でテンブラーは自分の行為を詫びるが、どう考えてもふざけているだろう。当然、テンブラーは男であるから、少し気持ち悪いようにも聞こえる。



「そん謝り方も何とかなんねぇのか?」

 出来れば普通に謝罪をして欲しかったとフローリックは望んでいたが、どうせテンブラーの事だから分かっていてやっているのだとその表情も怒りから徐々に呆れへと変化していった。

「分かったってごめんっつの。あ、それと、1個大事な事言っとくんだが……」

 ようやくほぼ普通な謝罪をしたテンブラーは、とある要求を思い出した。



「あぁ? 大事な事って何だよ? 下んねえ事だったらいい加減にせぇよ」

 言ってくる内容に期待は全くせず、フローリックは舌打ちをしながら相手の要求を黙って待った。

「下んねえ訳ねえだろう。デザートも頼むぜって言おうとしたとこなんだよ」

 相変わらず関わりにくいような表情でいるフローリックとは対照的に、テンブラーは気楽過ぎる表情であっさりと自分の要求を出した訳であるが、内容はそこまで重要なものとは考え難いものだった。



「……やっぱ下んねえだろ。ってかよくお前この流れで要求なんか出来たな」

 まるで子供がするような要求を聞き、フローリックは再度舌打ちをしながらこの状況の中でそんな事を言えるテンブラーの精神力を悪い意味で褒め称えてやった。

「ああそうかい? お前はやだってかぁ? じゃあディアメルちゃん、頼むぜ!」

 買出しに行くのはその金髪のがらの悪そうな男だけでは無いのだから、別の人間に頼み込めば望みが叶うだろうとテンブラーは考え、ディアメルに右の親指を立てながら要求した。



「え? あ、はい……」

 流石にディアメルには男のように険しい態度で反論する力は無いのかもしれない。雰囲気や状況等の環境に押されると言った感じで、ディアメルは右手に持っていた真っ赤なニット帽を被りながら、小さく頷いた。

「あのなぁ、いちお今日金管理すんのオレなんだけどな」

 テンブラーはきっとディアメルの方へ逃げようとしていたのだろう。

 しかし、フローリックのその現実を見せ付けるようなあ発言が、逃亡を許す事はしなかった。

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