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ある者は機関車の内部で、そしてある者は街の裏世界で、それぞれの災難に出くわし、
肉体的、精神的に打撃を負われ、飛竜を相手にするその駆け引きとはまた別の意味で
非常に恐ろしい目に遭わされたのだ。
だが、彼らは無事に窮地を抜け出したのである。
仲間の力を信じ、そして自分の力を信じ、最大限の力を振り絞り、今はここ、
アーカサスの街の国立病院にいるのである。
少年少女四人は今、一室に座っている所だ。緑色の髪をした少女の眠るベッドを囲うように。
因みに、青年の二人は助からなかった訳では無いが、ここにはいない。もっと別の事情があるのだろう。
「こいつさあ、俺の為にたった一人で闘ってくれてたんだよ……。こんなになるまで」
アビスは、黄色い病衣を着用し、そして未だベッドで眠ったままのミレイの頭のすぐ横に置いた椅子に座りながら、暗い表情を浮かべて向かい側に座っているスキッドとクリスに説明を施した。
――結局の所、ミレイはあの肥満の男に勝利したのだ――
だが、ミレイに蓄積された打撃量はほぼ限界の域に達しており、
闘うべき敵がいると言う緊張感が辛うじて崩れそうな身体を支えていたのだ。
その対戦相手が完全に動かなくなった瞬間、ミレイは一気に足の力を失い、
そのまま機関車内の床に崩れ落ちたのだ。
公共施設だと言う言葉も、ミレイの限界を超えた疲労には敵わず、
周囲の人達は皆ミレイの為に手を貸してくれたのだ。
そして居合わせた医師免許持ちの女性には軽い手当をしてもらい、
ビートン鉄道から降りてそのまま馬車でアーカサスの国立病院まで直行したのである。
そこで様々な治療を受けた後、ミレイはそのまま熟睡し始めたのである。
「すげぇなぁ、その男ってデブで背ぇ高くてしかも馬鹿力っぽい感じの奴だろ? おれだったら見ただけで逃げそ……」
スキッドは純粋にそのミレイの戦闘能力の高さに驚いた。闘っていた相手のその身体的特徴は、ただその特徴だけで周囲に強いと言うオーラを見せつけるようなものである。スキッドも一応はハンターと言う肩書を持っているのだから、並の人間よりは度胸があるだろうが、流石に拳と拳で互いにボロボロになるまで殴り合う消耗戦に入り込むだけの度胸はきっとスキッドは持ち合わせていないだろう。
恐らくそれはスキッドに限られた事では無いとは思うが。
「そうなんだぁ……。ミレイもそんな大変な目に遭わされて……、でも良かった。アビス君もちゃんと無事に帰って来れて」
クリスは包帯の巻かれたミレイを見ながら、下手をすれば怪我だけでは済ましてもらえなかったであろう男と対峙して、そして共にいたアビスも同じく無事に帰って来れた事に対して気持ちを安心させる。
「うん、俺も実はさあ、って多分言わなくても大体分かると思うけど、俺もその男にやられたんだよね……。いきなり名前聞かれたから普通に答えたんだけど、そしたらいきなり殴り飛ばされて、後蹴られたり投げ飛ばされたりして……。気付いたらなんかミレイんとこに投げ飛ばされて、まあ一応ミレイが俺の事キャッチしてくれたんだけど、マジ死ぬかと思ったもん……」
アビスもその肥満の男から攻撃を受けた被害者の一人である。とは言え、ミレイが受けた量に比べれば殆ど何もされていないようなものに等しいが、やはりあの一撃の重さはアビスを脅えさせるには充分過ぎる威力だった事だろう。
僅か数発でボロボロになり、動けなくなり、尚且つミレイの元へ投げ飛ばされ、受け止めてもらった身だ。いかにミレイが非常に凄まじい場所で頑張っていたのかが分かるだろう。
「そうだよなぁ、そんな怪物みてぇな奴に殴られたら普通一巻の終わりだもんなぁ。おれ最初お前とミレイ見た時てっきり喧嘩でもしたかと思ったぜ」
スキッドはその大柄で肥満の男の一撃を想像してみたのだが、やはり直接食らった事を思い浮かべるのは少し怖いものがあったのだろう。彼もミレイの忍耐力に関心を覚えるが、その後に普通はありえないようではあるが、案外考えられるような事件を思い浮かべ始める。
――帰ってきて初めてアビスとミレイを見た時の話だ……――
一応アビスに呼ばれて病院へと足を運んだスキッドとクリスであるが、
アビスも、ミレイも、身体の至る所に包帯を巻いていた為に、
スキッドは妙な解釈をしていたのだ。
アビスとミレイによる殴り合いの喧嘩の末、見事にアビスがミレイを打ち負かすも、
流石に友達を放置しておく訳にも行かず、結局自分で病院まで運んだ。
と言った内容だ。
だが、人によっては笑えてしまうような勘違いだろう。
――とは言え、実際に少しだけ喧嘩になりそうな流れに進んだのは間違い無いのだが……
しかし、少年が少女相手に全身に傷を与え、立てなくなるまで攻撃を仕掛けるのもどうかと考えさせられてしまう。
「はぁ? お前何言ってんだよ。喧嘩なんてする訳無いだろ。ただ一緒に実家行っただけだってのに」
友達同士ではあまり見たくない光景であろう、その醜い争いを口走ってきたスキッドに対してアビスはそのほぼ間違いな疑いに呆れたような笑みを浮かべる。
「い〜や分かんねぇぞ〜。あっちじゃあお前二人っきりだったんだから、ミレイが寝てるとこにこ〜っそり忍び込んで、んでばれてそこで大喧嘩のスタ〜ト〜、みたいな?」
スキッドはまるでアビスをからかうかのように、言葉の所々を馬鹿にするかのように伸ばし、あくまでもこれは想像ではあるが、争いの発端を思い浮かべ、椅子に座っている身体を前へ倒し、両手で顎を支える。
「お前なぁ……、それで喧嘩って……。もしそうだったら俺が悪いんだから喧嘩まではいかないだろ……。怒られるとか、そんぐらいじゃないか?」
アビスの言っている事は大体正しいものだろう。アビスが異性の寝室に忍び込む等半道徳的な行為なのだから、相手が怒るのは無理も無い話だ。もしそこでアビスも怒り出して本当に喧嘩になるのだとしたら、アビスはやや可笑しい判断を下したと言えるはずだ。
「いいや、喧嘩になんだろうよ〜。キレられてお前、なんか逆ギレとか起こして仕舞いにゃあ殴り合いの喧嘩になってうっかりミレイの事昏倒させちまう、とかしそうだよなぁお前よぉ」
スキッドはいつまで続ける気なのだろうか。このような実際とは完全に異なる半ば妄想のような戦記を話していた所で事実は何も変わらないと言うのに。そもそもアビスがそこまでの度胸を持っているのかすら分からない。
「やんねぇよ……。ってかもうやめにしないかその話。それに、なんか……あんまミレイとはやり合いたくないんだけど……」
流石にもうこれ以上スキッドに喋らせ続けるのは良くないだろうと判断したのだろうか、アビスは右手で払い除けながら話を停止させるが、やはりその話の内容にはアビスを不安にさせるものが一つだけあったようだ。
――アビスは、ミレイに勝てるのだろうか?――
アビスでは手も足も出なかった肥満の男を、ミレイは単独で倒したのだ。現在のミレイの状態を見れば倒した側も非常に重たい被害を背負った訳ではあるが、それでも男に勝ったと言う事実に変わりは無い。そんな強靭な精神力を誇るミレイ相手にアビスは張り合えるかどうかは分からない。
「そっかそっか〜、お前ミレイが怖いんだなぁ? 臆病だなぁ」
妄想染みた話を未だにやめようとしないスキッドである。いや、やめようとしているのかどうかは分からないが、今度はその話題を放置し、アビスをからかう方向へと移り始めたのである。
「いや、別にそう言う事じゃなくてだよ。別にこいつとそこまで行く理由なんて普通ありえないだろうし、ってか喧嘩って俺あんま好きじゃねえから」
懲りないスキッドに対してアビスは軽く笑いながら左腕を振り、そこまでの騒ぎに発展する事はこれからも無い事を祈るように言った。
*** In the train ***
ほぼ全身に傷を負っているミレイは長髪の賊の
「次ぃ、はぁ……はぁ……誰よ、あたしに向かってくる……はぁ……馬鹿は……はぁ……はぁ……」
そしてミレイは床にうつ伏せに倒れた長髪の賊を無視し、そして構え直し、左手を自分の方向へと扇ぐように次に相手をするであろう賊を呼び込もうとする。だが、呼吸は荒く、相当無理をしてるようにも見えてしまう。
「てめぇ調子こいでんじゃねぇぞコラ!!」
坊主頭の賊が、強がるミレイに対して目をぎらつかせ、一直線に走り向かい、その走る勢いに力を乗せるかのように、拳をミレイの傷や血で多少荒れた顔目掛けて突き放つ。
――だが、賊の拳がミレイに到着する前に、ミレイの拳が賊の顔を捉える……――
「弱いわね……」
真っ直ぐと顔面を捉えた右拳が坊主頭の賊も黙らせる。残りはこれで賊は後二人である。
ミレイのその小さい呟きも待たず、残された髪を立たせた賊と太った賊が同時に襲い掛かってくる。
「いい加減死ね!!」
最初に近づいてきたのが髪を立たせた賊であり、その賊もミレイを殴り倒そうと、拳を握っていたが、それをミレイは左右の席の背凭れを上手く使い、回避する。
――飛び上がり、背凭れに両足をそれぞれ乗せ、そして髪を立たせた賊の上へと移ったのだ――
――そして……――
「うっさいわねぇ!!」
そのままミレイは空中にいる状態で曲げていた両足を一気に伸ばし、賊を踏み付けるように、顔面を捉える。死亡命令に対して反発しながらのその真上からの一撃は、賊を
一応ミレイはズボンである為、男側が真下に移った所で下らない欲望を見る事は出来ないが、そんな光景を軽々と破壊するような見事なあ技量である。
そしてそのまま賊の顔面から小さく飛ぶように降り、そしてすぐ間近にまで迫っていた太った賊のすぐ脇を通り過ぎ、そして背中からなかなか膨らんだ腹部を両腕で力強く掴む。
「てめっ! 何すんだよ!」
突然背中から掴みかかってきたミレイに怒鳴りつけるも、太った賊の言葉は無視される。
――
「うあぁあああああ!!!」
極限にまで達しているであろう疲労を忘れたかのような気合と共に太った賊は軽々と持ち上げられ、そして首から床へと落とされる。
床と賊の首がぶつかる鈍い音を確認すると、ミレイはそのまま腕を解放し、上体を戻す。
――ミレイは再び賊達四人を
倒れる太った賊の脇を通り、まるで賊達と少女との闘いを見物客のように眺めながらじっと立っていた肥満の男の目の前に移動し、そして一言浴びせる。
「あんたの……はぁ……子分は……はぁ……結局……なんの役に――」
強がりながら構えの体勢になろうとも、ミレイの体力は非常に危うい状態である。やはり呼吸だけは恐ろしい程素直であるが、男はその素直な動作に対して情けをかけない。
――無言で、そして構えも出来てない体勢で、右の拳を飛ばす……――
「!!」
正常な体力ならば、身を捩って躱す事が出来ただろう。だが、今のミレイにそれを実行する事は不可能だった。左腕を盾にするかのように防ぐも、男の腕力により、体勢が大きく傾くも、何とか足を後方へと開き、持ち応える。
肥満の男の顔にもいくらかの痣や血が映っているが、それでも呼吸は殆ど乱していないのだ。
「お前ももう辛いだろ? 一気に終わらせてやるぜぇ!!」
――そして、更なる追撃を嗾ける!――
流石に連続で受けてしまっては身体が持たないと本能で感じ取ったミレイは重たくなった身体を強引にしゃがませ、左の拳を回避し、自分の細くも、腕力には充分な自信のある右腕を振るわせ、男の腹部に深く食い込ませる。
さらに、同じくやや細くも脚力に溢れた左足を遥か高所にある男の顔の側面目掛けて
恐らくは男もそろそろ痛みに苦しみ始めている頃なのだろうか、その足の一撃により、表情に歪みが生じる。だが、ミレイの方はもっと酷い状態であるが、ミレイの方はやや痛覚に麻痺が生じているようにも見えてしまう。
極限の地帯によって身体全体がその環境に適応し始めているのだろうか。
「うぜぇ奴だ」
男の声には力が込められてはいなかったものの、ミレイを狙った左足の一撃は充分な重量を兼ね備えたものだ。
――蹴りに耐えられず、ミレイは思わず尻餅をつく……――
「いっ……たいわね……」
疲労が苦痛の声すらも遮ってくれる。大きく呼吸をしながらミレイは何とか立ち上がろうとするが、男は既に下卑た笑みを浮かべていた。
「いい加減諦めろ!!」
――男は余裕気に怒鳴り散らし、足元にいる
上体を僅かながら持ち上げているミレイの腹部目掛けて男の太く、重たいであろう足を何度も振り下ろす。踏みつけるようなその攻撃に、ミレイは継続的に腹部を攻撃され続けないようにと、両膝を曲げ、男の足を
焦げ茶色をしたズボンを通り越して脛にはまるで擦れるような痛みが襲い掛かって来る。
「やよ……」
まるで八つ当たりでもするかのように踏み続けてくる男に向かってミレイは呟くが、男の耳に直接聞こえていたかは分からない程、小さい。
男の足が持ち上がった隙をついてミレイは素早く身体を、両手を使って後方へと押しやるが、片膝を立てた所で男の攻撃方法に変化が訪れる。
――今度はミレイの腹部目掛けて蹴り飛ばす……――
「うぐっ!」
立てていた右足の横を通り、男の足がミレイの腹に命中し、踏ん張る余裕も与えられず、背中から床に倒される。
体力の都合により、ミレイにとっては回避する事に辛さを覚えない程度のものでも避けきれず、否応無しに全てを直接受けながらも流さなければいけない為、非常に苦しい状態である。
徐々に身体全体に
その合図として、男の足音がミレイの耳に入ってくるのである。床を通じて。
男は苦しそうに呼吸を荒げているミレイの細い腰を
「いつまで寝てんだよ? あぁ!?」
わざとミレイに威圧感を与えるかのように、対した必要性も無い声を荒げる。男の目の前に映るのは、髪を引っ張られながらも、呼吸に苦しむ少女の姿だ。髪を引っ張られ、頭部に痛みが走るも、呼吸の事で精一杯でロクに髪に気を配っている余裕が無いようにも見える。
最初は突然立たされ、両腕をぶらぶらさせてはいたが、すぐにこの深刻な状況を読み取り、ミレイは疲れによって弱りきった瞳に力を入れ、そして両手にも力を
「悪かったわねぇ!! 寝てて!!」
――力を振り絞り、両足を持ち上げ、そして両足の裏を使い、男の顔面を蹴り飛ばす!――
ミレイは両手でしっかりと自分の髪を掴んでいる男の腕にぶら下がるような体勢のまま、両足を閉じながら曲げ、そして足の裏を男の顔面に照準を合わせ、そして勢い良く伸ばす。
足を曲げた時の反動で男の腕が一瞬だけ下がるも、それでミレイの命中率が変わる事は無かった。
「ぶふっ!!」
相変わらず男は下卑た悲鳴をあげる。だが、打撃を与えた側に立ったミレイも無事では済まなかった。
攻撃を受けた男の腕は勿論力を失うだろう。
――そして、攻撃直後のミレイの体勢を考えれば……――
床と水平になっていたミレイの身体は男の右腕の束縛から解放される代償として、そのまま床へと落とされる。勿論ミレイも男の腕を離していた訳では無いのだが、握る力と同時に角度までもが失われたのだからミレイの両手がその異変に耐え切れず、離れてしまったのだ。
背中からそのまま床へと落下する。
「うっ!!」
元々全身に傷を負った身体である。初期の状態であればただ背中に一瞬だけ鈍痛が走り、すぐに抜け落ちてくれるだろうが、今は違う。背中以外の箇所にも振動が行き渡り、その部分全てが痛みを再発させる。
それに先ほどのミレイの気合の入れた声も実は無理して出したものだった。喉の奥が焼けるような痛みに襲われていると言うのに無理をした結果、無駄な体力を使ってしまった。
男が顔面を両手で押さえて痛がっている隙をついて、ミレイは両手を床についてゆっくりと立ち上がる。それは厳密に言えば隙をついたとは言えないかもしれないが、男の痛がっている様子を見れば、充分な時間の余裕だと言えるだろう。
「何……痛がってんのよ……はぁ……はぁ……、あんたも……はぁ……もう終わ……り? はぁ……はぁ……」
立ち上がり、先ほどの男の腕のせいで乱れた髪を軽く正しながら、構え直すが、やはり力がまともに入らないのだろうか、あまり腕は上がらず、身体もやや前のめりになっている。
体勢も、呼吸も、本当に危うい状態である。
「んな訳ねぇだろ、ふふふ」
男は実際の所、ただ痛かっただけであり、体力が尽き始めた訳では無かった。まさか、男にとってはその気になればいつでも目の前のやや小柄ながらもここまで闘えていた少女に勝てるのであろう、そんな様子の見えたわざとらしい笑い声を発する。
「やっぱね……」
もう男に対してコメントをしている余裕も残されていないのだろう。ミレイは最小限の言葉だけを吐き、その弱々しい声には似合わない強烈な右足の蹴りを浴びせつける。
――垂直に上がった足は男の顎を突き上げる!――
男の視界をミレイから離し、その隙を意図的な計画のものだったのか、それとも偶然なのかは分からないが、そこを狙い、無防備な腹部に今度は膝を食い込ませる。同じく右足を使った攻撃である。
――だが、攻撃中はどうしても注意力が散漫になってしまうものである……――
頭上からの気配に全く気付かないミレイは、膝蹴りの次に渡す攻撃をどうするか、咄嗟の判断を下す所だったのだが、その気配がやがて、襲い掛かる。
――ミレイの脳天に非常に重たい何かがぶつかった……――
「がはっ!!」
その突然の攻撃に咳き込むような悲鳴を飛ばすミレイだが、視界の外からの攻撃だった為に、どのように手を下されたかは分からない。
男は両手を合わせ、そしてその二つ重なった手を力強くミレイの頭部へと落としたのだ。
上にあげられた顔を素早く元の状態に戻し、蹴りを仕掛けてきたミレイに仕返しをしたのである。男もそろそろ痛みを感じ始めた頃なのだろうか。
「さっきから諦め悪りぃんだよてめぇはぁ!!」
――顔を下に向けたミレイの胸倉を両手で掴み始め、持ち上げる……――
両腕の力は、ミレイを軽々と持ち上げる。男の目の前に映るのは、擦り傷や痣、そして賊の一人によって大きく切られてしまった左頬の切り傷の見えるミレイの顔であり、その右頬の傷は僅かながらに止血し始めていたのに、男の攻撃の反動により、再び流れ始めている。
「や……め……」
ミレイの、静止を求めるような非常に弱々しく、苦しそうな声を完全に無視し、男はミレイを振り回し始める。
「こうしてやらぁ!!」
――最初のミレイとぶつかった物は、席の背凭れであった……――
「あ゛ぁ゛!!」
背中に走る鈍痛にミレイは両目を非常に強い力で
――男の
男はミレイを左右に乱暴に振り続ける。ミレイが気付いているのかどうかは分からないが、男としては背凭れだけを狙っているつもりであるが、男の狙いが甘い為か、乗客にも当たっているのである。
通路側の乗客から見れば非常にとばっちりなものではあるが、恐らくはミレイを怨んだりはしないだろう。寧ろ、怨まれるべき相手は言うまでも無く、肥満の男だ。乗客達は皆、ミレイに託しているのだから、決してミレイを怨みはしない。
振り回され続けているミレイも背中に連続的に走る鈍痛にただ顔を歪めながら耐える事しか出来なかった。