女子高生の死体を
コンクリートに詰めた
少年達が東京にいた

一九九〇年、三月二九日、少年Aが殺人の容疑で逮捕された。彼には仲間の少年B、C、Dがおり、その四人中心に県立八潮南高校3年生の少女を暴行、殺害したのだった。自転車で帰宅中の少女をCが蹴り倒し、Aが善人に成りすまして助けるフリをして拉致。そして、仲間と共にレイプ、暴行を繰り返した。更に暴行はエスカレートし、やがてライターで炙ったり、裸で踊らされたり、少女本人の尿を自ら飲ませられたり、膣や肛門に異物を入れられ、両方が繋がるほどに破壊されたりと、人道を外れた暴行が41日間に渡って繰り返されたと言う。また、殴打や火傷によって出来た傷は化膿し、酷い異臭を放っていたと言い、これが悪化する事によって食事も等閑になっていった。そして、少女の最期の日であった一九八九年一月四日、賭け麻雀で負けた少年Aは気晴らしに少女を思いっきり殴打、鉄亜鈴を腹部に落とし、既に鼻の高さまで腫れ上がっている少女の顔に蝋燭を垂らし、パックに容器にさせた尿を飲ませたりもした。そして、この2時間に及ぶ暴行の末、少女は死亡。死因は外傷性ショック、或いは胃の内容物を吐く事による窒息死である。少女の死後、四人は死体をドラム缶に放り込み、内部にコンクリートを詰めて遺棄したと言うものである。

※少年ら四人にも辛い経験を持っていたと言う。家族崩壊、先輩や教師からの度の過ぎた体罰等、こう言った過去がこの事件を生み出したと言う料簡も出来ない訳では無い。

※Aの最終判決は猥褻誘拐、略奪、監禁、強姦、殺人、死体遺棄、傷害、窃盗。

※被害者の少女の母がこの事件を聞いた後、精神科に通院治療を受ける事になったと言う。

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