残されたのは後二人である。少年達の精神世界は元より、少女二人の精神世界は一体どのようなものだったのだろうか。
アビスとスキッドが二人の世界を知る事は不可能であるし、それに少女達がアビス達の世界を知る事も不可能だ。しかし、変わらない事は、ただ一つである。精神世界は残酷な現実をこれでもかと言うくらいに、偽り無く映してくれるある意味で途轍もなく嫌らしいものなのである。
【ミレイの往時】
(あれ……? ここって、裏路地?)
ミレイの精神世界で映し出されたのは、裏路地と思われる場所である。大きな建物と建物の間にある薄暗く、人が殆ど立ち寄らないような雰囲気の悪い場所。ゴミ等も殆ど放置状態であり、とても環境的には良い空間とは言い難い。
その路地の奥には、男女それぞれ三人の姿があり、よく見てみると、三人の男達は厳つい顔やタンクトップ等の柄の悪さをアピールするような外見、服に傷や汚れを作りながら、同じく柄の悪そうな服を着込んだ女三人に、袋小路で追い詰められているのが見えた。
「すいませんでした……許して下さい……」
壁に寄りかかりながら震える男の内の一人が、ポケットに手を突っ込みながら睨んでくる女三人に、両手を合わせながら、許しを乞う。
「どうするこいつら? ガスバーナーでイカしたヘアースタイルでも作ってやっか?」
三人の女の内の中央に立っている細身で緑色のショートカットの髪、真っ黒な革製のジャケットが目立つ黒尽くめの服装、両耳に付けられた金色の
(やっぱ、これって……)
精神世界のミレイはその非常におぞましい光景にまるで何かを思い出したかのように震え上がり、それ以上の声を出せなかった。
「服でも奪ってフルチンでそこら辺走らせんのも面白れぇんじゃね? まあ男だから誰も見ねぇと思うし、ってかキモいし」
サングラスの女の左側に立つやや太った印象、それもまた威圧感を漂わせるが、そんな体格を持つ
「そんな……勘弁して下さい……お願いします……」
もう一人の男が、その服装から放たれる威圧感を
「勘弁してとか意味分かんねぇし。あ、そうだ、それともこいつらの顔面にションベンぶっかけるってのはどう? 勿論こいつらの使ってな!」
サングラスの少女の右側にいるその少女と同じような細身の体型にまるでビキニのような肌の露出を意識した服装の少女が非常に汚い提案を持ちかける。勿論その材料は全て目の前の男達三人から採取したものになる訳だが。
「そうだなぁ、どうせわりぃのこいつらだし。でもやっぱメンバー来てからゆっくり考えるって事にしね? 因みにあたしとしちゃあ水責めとかもいいと思うけどなぁ。丁度近くに公園もあるし、池の水意外と美味かったりしてな。いや、やっぱこいつら同士でセックスのシュミレ……ははははは!!!」
再びサングラスの女が口を開いた。制裁の提案は三人でも考えられるものなのかもしれないが、やはり数が多い方が面白い意見も出てくる事だろう。だが、サングラスの少女のそのとても人前で公開出来るような内容では無い提案を口にした瞬間、突然腹を押さえて大笑いを始め出したのだ。無意識の内に手を離して地面へと落下した木刀等気にも当てずに。
(なんでそんな事平気で言えんのよ……)
とても今ミレイの立っている世界では考えられないような連中である。いくら制裁とは言え、その内容は肉体的な面は勿論、精神的な面でも非常に大きな打撃を与える事になるであろう。それをまるで遊戯のように提案し、そして演芸でも見ているかのように笑い出す。
この光景はとてつもない毒を持っているに違いない。
「ちょ……あんた何ウケる事……ははははは!!! やっぱしこらせたりとかディープキスとか……ははは!!! させたり、はははは!!! とかすんのか!? はははは!!」
太った外見の少女もサングラスの少女に釣られたのだろうか、その制裁の様子を思い浮かべて大爆笑しながら、その内容を敢えて聞こうとする。あまりにも可笑しすぎるのだろうか、所々で笑い、声を詰まらせる。
「いや……はははは!!! やっぱフェラとか……はははははは!!! させんのも……はははははは!!! いいんじゃね? はははは!!! はははは!!! きめぇ!!! 超ナイスアイディア!! はははは!!! っつうかそこら中
ビキニのような姿の少女も同じように笑い出し、サングラスの少女の肩を乱暴に叩きながら、褒め称える。
「だろ!? はははは!! つうかマジそれゲイだし!! はははは!!! チョ〜きめぇ!! ははははは!!!」
サングラスの少女も自分が肩を叩かれた事にまるで気付いていないかのように、腹を押さえて腰を丸めて大笑いを続行させていた。その様子は爆笑と言う悪魔が少女達を苦しめているようにも見える。
(もうやめて……! こんなのあたしに対する苛めじゃん……!)
精神世界のミレイは目を強く瞑り、そして両耳を塞ぐ。一体何なのだろうか、このおぞましい光景は。
――辛酸な表情を浮かべながら、ミレイの精神世界は終わりを告げた。証拠に、目の前が真っ白に変貌する……――
【クリスの
(あ、そうだ! 皆どうなっちゃったんだろう!? 皆大丈夫かなぁ? 早く何とかしないと!)
クリスは薄れる意識の中でも、常に仲間の事を思っていた。あれだけ仲間全員に絶叫をあげさせた驚異的な力を持った
だが、目の前は真白。地面があるのかも、
徐々に白い世界は晴れていき、そして、目の前に映ったのは……
――路地の奥にある、人目に付きにくい建設途中の建造物の工事現場……――
そこは、その当時の時間帯では、既に作業員達は労働時間を終え、それぞれが帰路を歩いている頃である。既に太陽は沈みかけており、橙色の光が、地上の世界を照らしつける。
だが、そこには人がいた。
(誰かいる……だれだろう? あ、なんか懐かしいような……)
精神世界のクリスは、その工事現場の光景に、一瞬だけクリスの頭の中に眠っていた記憶が蘇ったような気を覚え、そして、その『誰か』の姿もやがて映される。
いつの間にか精神世界のクリスの視点は、二人いる『誰か』の真横へと移動しており、それは十代半ばくらいの男女だった。身長は二人とも同じくらいではあるが、僅かに男側の方が高い。
確実に現場の作業とは何の関わりも持たない連中であるのは確かだろうが、それよりも、注目する点は、その二人の様子、及び、少女につけられた傷であった。
今、少年は恐ろしい事に、目の前にいる涙を沢山流している明るい茶髪の少女の胸倉を掴み、
それよりも、追い詰められている少女は、ただ泣いているだけでは無く、橙色のトレーナーには、地面と擦れたような汚れや、靴の跡がつけられており、そして少女の左頬には大きな痣があり、そして口の端から血を流している。
その傷や汚れは非常に真新しく、今つけられたものとしか見られない。そして少年の胸倉を掴むと言う暴力的な行為から、少女を泣かした犯人は紛れも無くこの茶髪、少女に比べると暗い色の髪の少年であろう。未だ精神世界のクリスは何も聞き取れないが、未だ胸倉を掴んだまま、少年と少女の顔がぶつかるくらいまで近づきながら怒鳴っている様子だけははっきりと確認出来る。
少女の方は、泣きながら首をゆっくりと振ったり、頷いたりしているが、いずれにしても非常に怯えているのが外から見てもよく分かる。苛めでも受けているのだろうか。
(あれって……リージェ君……!?)
精神世界のクリスは目を大きく見開き、今怒鳴り散らしているであろう少年の名前を思い出す。それと同時に、さっきまでは無音の世界と化していた目の前の空間から、徐々に音が動き始めた。
その少年は、どこかスキッドに似ている。髪の色、そして緑色の瞳、そしてやや尖ったような髪型。ほぼスキッドと共通点が一致し、まるでスキッドの分身のような印象さえ受け取れる。
「……からな! 分かったかこの野郎!」
音を聞き取れるようになった時にはもう既に少年の言葉は終わりに近付いていたが、何やら少女に対して何かきつい忠告でもしているかのような様子が映る。その口調の荒さを見ればそれが分かるだろう。
そのようやく聞こえ始めた少年の声色はスキッドのそれとは異なり、やや高く、僅かながら子供のような面影を残したものだった。そこだけがスキッドと大きく異なる点だろう。
「……うん……」
少女の方は、嗚咽交じりに、目を震わせながら、ゆっくりと頷いた。
(……あの時は……ごめんね……リージェ君……)
精神世界のクリスは、何故か目の前にいる暴行を繰り広げたであろう少年に対し、謝罪を投げかける。一体何があったのだろうか。
「っつうかおれさあ、お前がいてくれたおかげでここまで楽しくやってけたってんのに、自殺するとかお前……」
突然ここでリージェらしき少年の態度が一変し、さっきまで暴力剥き出しだった表情や言動とは非常に対照的に、暗い表情を作り上げ、胸倉を掴んでいた両手をゆっくりと離しながら、俯く。
「えっ?」
リージェの変貌ぶりに驚いたのだろうか、胸倉を離されて僅かに安心を覚えた少女は、少しだけ流れ続ける涙が止まったような気を覚えるも、リージェは再び口を開くが、その時の様子は非常に悲しげな印象を放つものだった。
「お前に死なれたらなあ……おれまた一人ぼっちになっちまうだろう……。だから……これからだって……ずっと……」
突然リージェの声が詰まり始め、そして体まで震わせ始める。
(……)
精神世界のクリスは、その様子を見るなり、何も言う言葉が無くなってしまい、目を細め、表情も暗くする。
「ずっとおれと……一緒にいてくれよぉ!!!」
態度を一変させたリージェに驚く余裕も与えられなかった少女は、突然リージェに抱き付かれる。同時にさっきまで怒りに満たされていた少年の目から、少女にも勝るとも劣らない量の涙があふれ出る。
この年頃ならば、異性に抱き付く行為に対しては非常に強い羞恥心を覚えるはずであるが、今は涙による緊張がその恥じらいの心を遮っているのだろう。
「どうした……の?」
ある程度は落ち着いたのだろうか、少女は僅かに声を詰まらせるだけで済む程度の嗚咽の中、突然のリージェの行動及び台詞に対し、抱きつかれた事等まるで気にも止めず、その少年の涙を発動させる一番の原因となったであろう今の言葉に戸惑いを見せる。
「折角……おれ初めて……友達出来たってんのに……お前……またおれの事一人だけに……すんのか……? やめろよ……あんな事……」
リージェは目の前の少女に抱き付いたまま、先ほどの少女のように嗚咽を交らせながら、少女との離別を激しく拒んだ。一体少女は何を考えて自分自身の命を絶つ行為をしようとしていたのだろうか。クリスの精神世界からはそれを窺い知る事は出来ないが、少女の傷だらけの状態や、少年の泣き様を見るに、相当過激な
「友達……? そんな風に……思ってくれてたの?」
少女はまるで今初めて『友達』だと言う事に気づいたかのように、涙で濡れた目を大きくさせる。
「当たり前……だろ……。おれ……お前がおれと……喋ってくれて……めちゃ嬉しかった……のに……」
リージェは咽び泣きながら、今まで溜めていたものなのだろうか、その気持ちをすぐ間近にいる少女に解き放つ。何故少女が少年に対して友達だと言う意識が無かったのかは分からないが、少年側も、友達として振舞ってくれていたであろう少女が嬉しくてしょうがなかったのだろう。
(リージェ君……あの時は、ごめんね……。後、ありがとう……。ホントは皆にも……紹介したかったのに……)
――あそこに映されていた少女は間違い無く自分だと沈思しながら、嘗ての友人に別れを告げた……。両目を静かに閉じながら……。
一瞬、精神世界のクリスの水色に透き通る瞳に涙が映った……――
やがて、四人の精神世界は終わりを告げ、そして、現実世界へと戻っていく……。
【
風による凶悪な打撃を受け、過去の精神世界へと飛ばされた四人は、どうなったのだろうか。
四人それぞれの過去を目の前に映し出させるほどの威力、一体、
やがて、四人全員の意識が、過去の世界から、現世へと戻される。しかし、あの地獄の空間はどうなったのだろうか。
(……あれ……ここって……)
一番最初に目を開いたのは、クリスだった。目の前に映ったのは、見覚えのある、木造のやや古びた印象を与える屋根の裏側、天井。さっきまではその見覚えのある天井を持った何かには乗っていたが、今はその持ち主には、遠距離へと逃げてもらうように頼んでいたはず。
なのに、なぜそこにいるのだろうか。それが不思議でしょうがない。自力で戻ったとは思いがたいし、四人は全員吹き飛ばされ、とても他人を助けている余裕等無いはずである。
(やっぱり……ここって……馬車?)
クリスは、口は一切動かさないで、心の中で、今いる場所がどこなのかを、考え直し、最終的な答えがそれだった。だが、誰がここまで運んでくれたのか、その答えは全く思いつかない。
それよりも、まず一番最初の喜ぶ事があるはずである。逃げ切れたとか、馬車に乗せてもらったとか、以前に、考える事があるだろう。
仮にも四人は飛竜の力を軽々と上回る古龍の攻撃を受けたのだ。それを受けても、精神世界に飛ばされるだけで済んだのだから、まず思う事は……
「ってか私達生き延びたの!?」
――そう、まずは殺されなかった事に対する喜びであろう――
クリスは倒れていた体の内の上半身を勢いよく持ち上げ、そして自分の体全体を念入りにチェックするかのように見渡し、その最中に視界の脇から入ってきた他の横になっている三人の仲間の姿にも気を配り、それぞれにも声をかけようと、痛みの残る体を動かし始める。
「ねぇ皆! 起きて! 私達助かったみたい! ねぇ起きて!」
立ち上がり、クリスは仰向けに寝ている状態の三人の横へと動きまわり、揺すりながら声をかける。
「……れ? あれ!? あたし達、助かったの?」
体を揺さぶられたミレイは、まるで寝ぼけているかのように瞼を重たそうに開き、そして仰向けの状態のミレイのすぐ目の前にいるクリスを見るなり、先ほどの打撃による痛みも忘れて上半身を持ち上げる。
「うん、私も何だかよく分かんないんだけど、目覚めたら皆ここにいたの!」
クリスは起きてくれたミレイに軽い経緯を、馬車内部全体を指差しながら話した。クリスもどうしてここにいるかは分からないが、今は仲間と共に無事を喜ぶのが先である。
「あ、ああ、なるほど。でも誰が運んでくれたんだろ? ってかクリスは体とか、痛くないの? こっちは、ちょっと痛い……かな……?」
一番最初に目覚めて、そして横になっている皆を起こそうと試みたクリスの様子を見たミレイは、
「私? んと、痛いって言えば、ちょっと痛いけど、あ、ひょっとしたら馬主さんに聞いたらなんか分かるかもしれないから、ちょっと行ってくるね!」
クリスにも多少、体に走る痛みが残っていたが、それでも全く動けなくなるほどでも無く、時間の経過と共に多少痛みは引いていたのだろうか、クリスは馬車の後部へと歩いていく。
「あ、うん、分かったわ。ってかそれより、あんた達もさっさと起きてよ……」
ミレイは半ば自分の意思だけで馬車を出ていくクリスの背中を見つめ、その行動ぶりに多少の戸惑いを見せながら頷く。そして、未だに目を開けない少年二人にも、早く体を起こしてもらうように、軽く溜息を吐きながら体を揺すった。
少年二人も、まだ目を開けないとは言え、少女二人が助かったのだから、少年達もきっと命は助かっているだろう。少なくとも、ミレイはそれを信じたい。