(あ、もうそろかな……結構経ったわね……)

 ミレイに読まれていたその本は、大体人間の指の太さ程度の厚さを誇っていたが、今はもうその内の半分程度の量がミレイによって吸収されてしまっていた。

 ミレイとしてはのんびりと読んだつもりであったが、そのやや遅いペースと同時に、アビスの面倒もあった為、読むのが遅くなるのは尚更だったかもしれない。

 既に外は夕日によって橙色に軽く染め上げられており、もう到着は近い。数時間前まではまだ空は青かったのに、本に集中していたせいで窓のすぐ隣にいたミレイは気付かなかったのだろう。だが、近づいていると言う事実に変わりは無い。

 ミレイの役目は、アビスに頼まれた通り、目的地に近づいたら起こす事である。そして、そのアビスは現在は……



――ミレイの膝の上に頭を乗っけてミレイと同じ方向を向きながら、気持ち良さそうに寝息を立てている……――



 先ほどまではミレイの肩に寄りかかる形で寝ていたアビスであったが、寝返りの過程でミレイの肩から頭がずり落ち、それによって何度か、勢い良くミレイの太腿に落ちかけ、いくら太腿がクッション代わりになるとしても衝撃が走ったらアビスに悪いであろうと、寝ている事をどこか嫌々尊重しながら、体勢を一番崩し難い状態をミレイは選択したのだ。

 多少異性と言う都合から来る違和感はあるが、膝枕状態ならば、寝ている間に寝返りによる事故は少ない。仮にそうなろうとしても、すぐに押さえられる。

 それにアビスは寝ているのだから、膝枕と言う僥倖ぎょうこう等のある意味淫らな感情は感じていないであろう。異性に膝枕は多少ミレイとしても嫌ではあったが、別にアビスは妙な性欲は持ち合わせていないし、それにアビスぐらいの男なら、膝枕をしてやっても特に違和感は感じない。友達であると言う事情もあるのだろうが。



――さて、そろそろ起こさなければいけないが、ミレイから距離を取らなければ、アビスは驚くだろう……――



「さて、んじゃ起こすかな……よっと」

 ミレイは読んでいた本にしおりを挟んで閉じ、そして腰と背凭れに軽く圧縮されたポシェットに何とかしまいこんだ後、未だ睡眠状態のアビスを両腕で抱えるように慎重に持ち上げていく。

 下手に衝撃や振動を与えれば、膝枕状態で起こしてしまう。何とか椅子に止しかかった状態に戻さなければいけない。

 上半身の重さに多少ばかり面倒な思いはしたが、何とか目的の状態にする事が出来たミレイは改めてアビスを起こそうと、軽く肩を揺すりながら声をかける。

「アビス、ちょっとアビス、もうそろ着くから起きて」

 すると、アビスはゆっくりを目を開き、欠伸をしながらミレイを見る。

「あ〜……あ? もう降りる? 着いたの?」

 起きたばかりで頭の回転がやや悪くなっているのか、僅かに変とも言えるかもしれない喋り方でミレイに訊ねる。

「いや、着くのは後少しだけど、もう準備はしといて」

 寝ぼけたアビスに冷静に対応しながら、ミレイは先ほどの膝枕を何も気にしていなかったような真顔で準備を促す。無論アビスは膝枕等知る由も無いのだが。

「りょうか〜い……あ〜結構寝たな〜」

 まだ眠気が取れないのか、ややオーバーな対応を見せ付けたアビスは、縮こまって疲れていた筋肉を伸ばそうと、天井に向かってその両腕を力強く伸ばす。

 それまでは良かったが、アビスはその伸ばした腕をどうやって下ろすかまでは深く考えていなかった為、やや厄介な事に発展してしまう。



――両腕をそれぞれ円を描くように重量に任せて落とした為、左腕は当然アビスの左にいるミレイの頭部に命中し……――



「痛っ……」

 正面を向いて完全にアビスに油断していたミレイは頭部に軽く走った痛みに両目を強く閉じ、左手でその命中された箇所を押さえる。

「あ! やべ! すまん! すまん! ごめんな、どうしよ……」

 左腕に衝撃が走ったアビスは、咄嗟にその衝撃の原因を理解し、気付かずにミレイに攻撃をしてしまっていた事で眠気を吹き飛ばしながら、まるで何か反撃でもされると言う事を周囲に見せ付けるような、両手を差し出してそれを役に立たないであろう盾のような役割を持たせながら、焦りながら謝罪する。

「ちょっ……何すんのよあんた」

 ミレイは僅かではあるが、機嫌を悪くし、軽く眉間に皺を寄せながらアビスを睨み付けている。数時間前のあの狩猟の話の時に見せてきた瞳とは別の意味での恐怖を覚えてしまう。

「いやいや悪い! ごめん! 仕返しとかは……しない……でね?」

 アビスはミレイがやられたらやり返すと言う精神を持っていると勝手に思い込み、その反撃を恐れながら、懇願するが、するとミレイは顔から力を抜いたような表情を見せだす。

「別にしないわよ……。ちゃんと周り見てよ。まいいや、兎に角さっさと準備して」

 ミレイは特に気にしてはいなかったようだ。アビスの不意の行為である。対した痛みでは無いし、アビスも悪気があった訳では無いし、開き直っている訳でも無かった為、必要以上に追求する事はしなかった。一瞬、ドンドルマの街へ向かう途中の竜車内部で食らった、スキッドの頭突きと押し倒しを思い出してしまったが、それは口には出さなかった。



*** ***



【シャトリー谷/Shuttle Gully】

≪荒れた台地に並べられた住宅街。規則的に並べられた建物の間を、常に鉱物の運搬に汗水を流す仕事人が歩き回っている。

周辺は炭鉱や鉱山に恵まれており、豊富な鉱物資源を掘り出せる。それが、この街の一番の財産である。だからこそ、この街の住人はそれに携わった職業に就く事が多く、殆どの家庭では子供に職を継がせるべく、多くの子供を出産し、兄弟姉妹の割合が非常に高い。

周辺は意外にもモンスターの数が少なく、飛竜の目撃情報も無い為、ハンターを夢見る者は殆どいない。逆に、それを夢見ると、親から不思議な顔をされる場合が多いと言われる。

ただ、本当に一部を除いて……≫



 アビスとミレイは今、機関車を降りて駅から離れ、そして遂にミレイの故郷を歩いている所だ。

 荒れた地面の上を、風が運ぶ砂が走り去り、時折空からは乾いた熱を帯びた空気が襲いかかる。そんな道の両端には、立派な住宅が建てられており、この街の特色である、多くの子供を産むと言う都合からか、外から見ただけでその内部の広さ、大きさを窺える。

 まるで西部を思わせるような風景であるが、建物はその古さを殆ど感じさせてはくれない。

「へぇ〜、なかなかゴツい感じの街だなぁ」

 アビスはややドンドルマの街に似たような賑わいぶり、そして建物の密集率をその茶色い目で感じながら、ドンドルマの街とは対照的な地面、ドンドルマの場合、石を上手く並べてそして道と言うものを作り上げている人工的なものに対し、この街、シャトリー谷の地面はありのままの姿、その荒れたままの地面をそのまま使っており、褒めて言えば自然の恵みをそのままにした存在、悪く言えば整備もロクにしていない手抜きな存在として感じ取れる。

「そう? まあ確かにそうかもね。ってかシャトリー谷とか、変な名前よね」

 ミレイは一応は自分の生まれ故郷だと言うのに、その故郷につけられた名前に軽い悪口を飛ばしながら、アビスに目を向けて軽く笑う。

「おいそう言う事言うなよ。お前の故郷だろ?」
「あ、ま、まあそうだけど……」

 アビスに注意のようなものを受け、ミレイは軽い反省を覚え、戸惑いながら頷く。

「あ、それよりさあ、お前って兄弟とかっての、いるんだっけ?」

 咄嗟に何を思ったのだろうか、アビスは突然ミレイに兄弟姉妹の有無を確認しようとする。どうして聞こうと思ったのかは誰にも分からないが、ミレイは特に反発する様子を見せなかった。

「兄弟? ああ、いるわよ。んと、そうね、アビスに言ったらちょっと妙な気分されっかもしれないけど、じゃあとりあえず何人家族かは言っとくわね」

「ん? 妙な気分って何だよ?」

 ミレイはすぐにはその兄弟姉妹の正体を明かそうとはせず、アビスをどこか気遣うかのように、やや回りくどく喋り出す。同時にミレイの表情も難しい色を映し出す。

 アビスもその様子に軽く笑いながら首を傾げるが、その理由は後に理解する事となる。

「まあそれは……後で、ちょっとね……。まあそれより、一応あたしんとこは七人家族なのよ、勿論あたしもいれて」

 アビスの質問を左手を差し出しながらやや強引に、そして気まずそうに受け流し、大抵の者ならもう少し後に言う部分であろう人数を、一番最初に伝えた。

「七人!? メッチャ多いじゃん? すげぇな」

 アビスはもう皆他界してしまってはいるが、両親、そして兄と自分自身の四人家族だった。ミレイの場合は約二倍であり、その規模の大きさにただ素直に驚くしか出来なかった。

「七人って、ここじゃあ結構普通な事よ? 少なくても三人は子供持つようなとこだし、あ、そうそう、それで一番肝心なとこなんだけど……」

 ミレイの言う通り、この街では親の職を継ぐと言う都合上、多くの子供を築く必要があるのだ。





――何故なら、今この街は年老い始めた者が増え始めているからだ……――



ここ数年、この街では老いた人材が多くの割合を占めており、そのままではやがて人材が不足してしまう。
それを読んだおさは、人民に法令を出したのだ。
数年前から、出来るだけ多くの子供を産むように、と。

子供が増えれば養育費が負担となるが、それは長が親に対し、借金と言う形でその費用を貸し与えるのである。
そして、その長から負担した分は、将来この街の鉱山で働く事になるであろうその子供達が長い年月をかけて返済する。

男は主に発掘作業の力仕事、女は加工等の頭を使う仕事に就く。

ミレイの家族も今はその規律にのっとっているのだ。





「肝心なとこ? ああ、どんな風な兄弟かってのだな」

 アビスはようやく話してくれるであろう、最も知りたいその部分に期待を膨らませ、はっきりと分かる笑顔をミレイに向ける。

「分かったわよ……、じゃあ言うわね、上から言うと、女女男男男、よ」

「へっ?」

 決心したかのように、ミレイは真実を伝えた。『おんな』、そして、『おとこ』と言う言葉が連続で流れてきた為、アビスは一瞬聞き間違えそうにもなるが、とりあえず女と言う存在が上に二つ並んでいるのを聞くなり、気の抜けたような短い言葉を発する。

「えっと、だからね、ってかもうちょっと詳しく言うと、姉さんがいて、その次があたしで、んで一番問題の場所なんだけど……弟が3人ってとこね……あぁ……なんかね……」

 意外な内容だった。ミレイは凄く言い辛そうに言葉を詰まらせていたのは、兄弟姉妹と言う血縁関係の世界での力関係が男に集中していたからでは無かった。その全くの、逆だったのだ。女の立場であるミレイがどうして女二人が優位な立場に立っていると言うのに、苦しそうな顔をする必要があるのだろうか。

「マジ? お前って弟いたのか? ちょっと意外だな……」

 アビスは男と言う立場にいるが、その性別を持つ家族の上に立っているミレイが少しだけ意表な事実だと思えた。だが、そんな姉としての立場を持っているからこそ、異性との付き合いも苦労無く出来ているのだろうか。

「え? そう?」

 ミレイは特に癖のあるとは言えないような、普通な対応を見せるだけだった。

「いや、だってさあ、一応お前姉貴、なんだろ? だったらなんか弟達が変な事やらかしたりしたらバンバン怒ったりとか……」
「ああいやいや! そんな事無いわよ! あたしこう見えてもそんな威張り散ら……じゃないや、別にでかい態度取るとかそんな事しなかったわよ。ってかあたしの出番は無かったんだけどね。いっつも姉さんがやってたからね……はぁ……」

 アビスは一瞬、上に立つ立場である以上、親に代わって叱る役割を今までミレイは負っていたのだろうかと、弟達に向かって怒る様子を思い浮かべるが、ミレイはアビスのその言葉を強引に遮った。

 そして、やや嫌みを混ぜたような言葉を言いかけ、咄嗟に訂正しながら、家庭での生活の様子をやや力の抜けたような口調で説明した。だが、それよりも、ミレイの姉の方が厄介な印象を受けるのは、ミレイの溜息のせいであろう。

 溜息を吐く際に、アビスに向けていた目を離し、正面を向きながら軽く俯く。

「ホントなのか? でもちょっと安心したかも……」

 アビスはまさか自分もまるでミレイの弟であるかのように接されては嫌だと、ある種の恐怖を覚えてしまっていたが、ミレイの、本当に信用しても良いのかどうかは分からないが、その言い分に多少の疑いを持ちながらも、納得し、台詞の通りに安心を覚える。

「でもね、こっちも姉側だからって気楽かっつうとそうじゃないのよ。姉さん見てたらもうホントにこんなんでいいのかな〜って思ったりする事もあるしさあ」

 兄弟姉妹の関係で言うならば、上にいる側の人間は何かと気分的には落ち着くのかもしれない。何か失敗事をやらかしてもその歳が上である事を理由に見逃してもらったり、何かと都合をつけて自分だけを正当化したり等、ある意味の特典が重宝な存在となるだろう。

 だが、ミレイはそれを認めなかった。年齢的な力関係が上だからと言って大きな態度を見せるのは嫌であるらしい。しかし、ミレイの姉はどうなのだろうか。やや意味深な言葉を残すミレイである。

「あ、お前姉さんいたんだよな。なんかあったのか? それと、姉さんって、何歳なの?」

 一応歩きながら兄弟姉妹の話をしていたのだが、アビスは弟の方ばかりに気が行っていた為に、姉の方を一時的に忘れてしまっていたらしい。ミレイのそのまるで自分の姉が厄介者であるかのような言い方に対するその理由、そして、ややどうでもいいと言えば、どうでもいいような、年齢もついでと言った感じで聞こうとする。

「ああ、それ? 悪いけど……あんまり話したくない……。どうせこれからあの人に好き放題言われんだから……。あの人の話し方見てたらどんな奴か一発で分かるわよ。あ、それと、歳は18歳であたしより……」
「三つ上、だろ?」

 ミレイの内側では、直接自分自身の口には出したくは無いが、それでも事実である、その何かが途轍とてつもない闇として、ミレイを蝕んでいるようにも見える。後にそれは自動的に理解出来てしまうらしいが、それがどこか恐ろしい雰囲気を漂わせる。

 そして、それはとりあえず置いとかれ、ミレイは実の姉の年齢を明かそうと、落ちていたテンションをある程度は回復させるも、突然アビスに、本来ならばミレイが言うべきであろうその部分を、横取りされてしまう。

「え? 違うわよ、2つ上よ?」

 あっさりと間違いを宣告され、そして、同じくしてあっさりと訂正を食らう。ミレイは勝手な想像をし、そして簡単に間違ったアビスの腹部を右の手の甲で軽く叩いた。

「あれ? 2つ? だってお前、姉さんって18だろ? だったら三つじゃんかよ〜」
「え? ちょちょ待ってよ、なんでそうなんのよ? なんか意味分かんないんだけど……」

 アビスのそのまるで意味の理解が出来ない理屈をミレイは右手だけで押さえながら、アビスに対抗する。

「だって、お前15だろ? その顔だったらどうせ俺と同い年だろ? じゃあ三つじゃん」
「ちょっと待ってよ……。あたし16なんだけど……」
「はい?」

 ミレイは呆れながら、事実を暴露した。やや呆然とした顔で。

「ってかなんで顔だけで勝手に歳決めつけるのよ……」

 再びミレイはアビスの今の台詞を思い出し、アビスの返答も待たずに口を開く。確かにミレイの容姿はまだ多少幼さは残しているが、それだけを理由に年齢を決められるのはやや違和感を覚えるだろう。

「いや……、なんか、やじゃん。年上だってのが……さあ」

 アビスは力関係が下になってしまうのが嫌だったのだろうか。自分の中ではその関係が上下してしまわないよう、とは言え、男であるアビスは多少なりとも女の子より上に立ちたいと言う本能はあったのだが、心中だけで上下関係の変化が無い事を祈っていても、現実は非常に残酷なのだ。



――結果的に、ミレイは、アビスよりも年上と言う、何とも厄介な状況に……――



「嫌ったってホントなんだからさあ……。それと、あんたちょっと歳違うからって、なんかあたしに見下されるとか、上目線で見られるとか、そんな事思ってない?」

 ミレイはそのアビスのまるで変えようの無い状況に戸惑い、恐れているような様子を見ると、まるで自分がアビスを追い詰めてしまったのだろうかと、無駄な罪悪感を覚えながら、勝手にこれから力関係に何か支障をきたされると思いながら確認を取る。

「しない……よね?」

 まるで少しの態度の間違いでも怒り狂ってくる厳格な目上の人間に対するような、非常に恐れたような表情を浮かべながら、アビスは小声を発しながら顔を完全には左側を歩いている緑色の髪をした少女の方へは向けず、目だけをゆったりと向ける。

「いやいや別にそんな事しないわよ……、ったく。別に今まで通りでいいから、そんなビクビクしたような感じになんないでよね。今までだってずっとタメって感じでやってたんだから別に今頃になって敬語とか、そんなのいいから」

 ミレイとしては、アビスの態度は今まで通り、友達同士に相応しいような、特に相手を気遣うような雰囲気を感じさせない気楽なスタンスのままの方が良いと考えている。多少歳の差はあるけれども、突然ここで敬意を払われた方が余計な違和感を感じてしまう。だとしたら、今まで通りのままの方が気持ちとしても落ち着くであろう。

 ミレイは落ち込む紫色の髪を持った少年の左肩に右手を置き、一変してしまう恐れのあったその態度を、今の状態のままで何とか保たせるべく、苦笑を浮かべながらアビスに言った。

「あ、良かった、そうだよなぁ、いきなしこんなとこでお前なんかに『さん』付けとかしたら気持ち悪いもんなぁ!」

 一体どれだけの開き直りぶりを見せつけてくれるのだろうか。アビスはまるで全身を拘束していた桎梏しっこくから完全開放されたかのように、両手を力強く橙色に染まり始めている天に向かって伸ばし、同時に顔も上を向きながら、先ほどまで衰えていた声の高さを一気に復活させる。

 腕を伸ばした事により、乗せられていたミレイの右手が勢い良く弾き飛ばされる。

「あんた随分元気になったわね……。ってか『お前』だなん……あ、いや、別にいいや……」

 アビスのその良い意味での豹変した態度を見てミレイは、今思えばアビスが仲間に対して敬語を使った様子を見た事が無かった。とは言え、敬意だけは本人なりに払っているようではあったが、敬語の様子はまず見れなかった。

 それが最も顕著に表れていた相手が、テンブラーやフローリック、ジェイソンである。彼らは年齢的には既に成人を達しているのだが、アビスはそんな彼らにすら敬語らしい敬語は使っていなかった。なのだから、一つ歳が違うだけのミレイ相手に敬語を心がけるとはとても思えない。

 ミレイはアビスの台詞に含まれていた『お前』と言う単語、それは相手を見下す、或いは同じ立ち位置にいると言う象徴を示しており、それを聞くなり、結局見上げられる事は無いのだな、と、まるで顔の力が抜けたかのように、目を細めながら前を向いて軽く笑った。



――だが、この後の展開は、そんな一応ではあるが笑えるだけの時を軽々と消し飛ばしてくれるのだ……――



*** ***

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