ミレイの年齢から生まれた軽いもめ事をしながら砂地とも呼べる道を歩き続けて数十分、ようやく目的地に辿り着いたようである。それを知らせてくれたのは、勿論この街で生まれ育った過去を持つ、ミレイである。
「あ、そろそろね、あそこがあたしの家よ」
両端に住居が並んだ道を歩いていた二人であったが、突然ミレイは少女と言う立場に対し、ボーイッシュな印象を与える焦げ茶のズボンに包まれた足を止め、今立っている位置からやや離れた前方の左側に右人差し指を差し、目的地がもう目の前である事をアビスに伝えた。
「あそこって、どれだ?」
アビスも既に近くにミレイの実家があると言うのは理解出来たが、何せ住宅を差している指と、並んでいる住宅の角度がきつ過ぎる。その為、アビスにはどの住宅がミレイの実家か、正確には分からなかったのだろう。
「ああ、ちょっと分かり辛かったか……、んとね、ここよ、この黄色、っつうかベージュねこれ、まいいや、んと、この家よ」
アビスに伝わらなかったのは、自分の指の差し方、及び差すべき対象が一直線に並んでおり、その似たような姿をした対象のただ一つだけを指し示すと言う行為に含まれる難易度のせいだ。
ミレイはもう少し進み、そして自分のほぼ真横に自分が指し示したい対象物が来ると同時に足を止め、一度アビスを一瞥した後に改めて指を差した。黄色にしてはやや薄く、そして茶色いペンキで塗られたその民家を、ミレイは『黄色』でも充分伝わる事を分かっていながらも、無理矢理訂正を加え、そしてやや会話に詰まりを生じらせてしまうも、自分で自分を認めさせるように言い切り、そして自分の家を見た。
「あ、ここかぁ、お前ん
アビスは何気無くミレイの指の先へと続く建物に目をやるが、それを見るなり、アビスはのんびりとさせていた表情を一気に強張らせる。その理由は、その建物の規模にあったからである。
アビスがまだ村にいた頃に住んでいた民家はせいぜい二人だけで暮らすのに適した作りだけあって、大体リオレイアより少し大きいかそれくらいの大きさである。
だが、ミレイの実家は、アビスのその民家をもう一つ、上に積み上げたような高さを誇り、もし屋根の上から飛び下りれば、アビスの方なら地形の状況によっては軽い衝撃程度で済むかもしれないが、ミレイの方は降りれば確実にただでは済まないような高さを誇っている。
無論、横幅もアビスの方とはまるで比べられない。流石は七人がその一つの空間に住み着くだけの事はあるだろう。
そして、外見もアビスの方は簡素に木材で造り上げたものであるのに対し、ミレイの方は見事に四角く整えられており、それの為に使われている材料も、アビスの方とは違って木材とは他の物も使っているような印象を受けてしまう。やや鈍い光沢や質感が、その外観で感じ取れるのだ。
とは言え、この街ではそれだけの住宅は当然とも言えるのだが、アビスは歩いている間は特に気に定めていなかったようである。しかし、ようやくここで凝視し、初めて関心を覚えたのだろう。
「別に驚かなくたって……。まいいや、えっと、行こ……」
アビスの関心ぶりに僅かに笑みを浮かべるミレイであるが、住宅の前に立ちはだかっている石造りの塀に開けられた入口用の箇所を通りながら、一気に笑みも消し飛ばし、アビスを見ながら家の方へと指を差す。
「ああ、でもどうしたんだよ? いきなり暗くなったような気ぃしたんだけど」
ミレイのその態度の豹変はアビスにはしっかりと読み取れた。まるで怖い何かと対面するかのように、怖がった様子も見て取れる。
「いや……別に……、じゃ、行こ……」
俯きながら、ミレイはドアに近づき、恐る恐るドアノブに手を伸ばした。
*** ***
まるで決心するかのように、ドアを開き、そして、潜めたような声でミレイは家に戻った事を示す挨拶を出した。
「ただいま〜……」
帰ってくると言う行為そのものに罪が乗せられているかのような、非常に元気の感じられない声だ。アビスはその様子を見て今までのミレイの態度と比較してしまう。アーカサスの街にいた時は非常にはっきりとした雰囲気を漂わせており、スキッドの煩い対応にも敏感に対応し、そしてフローリックやテンブラー等の大人の人間達にも難なく敬語を使いながら話している少女だと言うのに、ここに来て一気にそれが疑わしくなる。
しかし、返事が返ってこない。それでも玄関の奥からは、人の声がしっかりと聞こえてくる。どうやらその声がミレイの返ってきた挨拶の音量に
玄関の右手には二階へと続くであろう階段が設置されており、そしてその左側の通路の左側には居間へ続くであろうドアが設置されている。その奥にも一つ、ドアが設置されているが、そこはもっと別の何かだろう。その証拠に、決してボロと言う訳では無いが、左側に設置されているドアに比べれば、どこか質素に見える。
「お前どうした? 声小さくね?」
いつものミレイならいつものあのトーンの高い声を響かせてくれるであろうが、家に入った途端にその面影が失われる。アビスは純粋に訊ねるが、ミレイは再び決心したかのように、通路に一歩を踏み出した。
「いや……ちょっとね……」
それだけの短い言葉を返しながら、ミレイはそのまま居間へと続くであろうドアのノブに手をかける。だが、すぐに開こうとはしない。まるでただそのドアを開く行為が恐ろしい程に勇気と根性を使うものに見えてしまうのがある意味で凄いと言える。
「お前大丈夫か?」
アビスはいつものような、テンションが高いとまでは言えないが、普通のテンションを保ちながら、ドアのノブに手をかけたまま硬直しているミレイを心配する。
「う……ん、多分……ね……」
――その時、階段から人が降りてくる音が小さく響いていたが、ミレイは気付かなかった――
――逆にアビスは気付いてはいたのだが――
階段から誰かが降りてくる様子をアビスは直接目で確認していたが、ミレイはドアノブの事に精神が集中されているのか、気付く様子は無い。
「なあ、ミレイ」
「はい?」
突然アビスに呼びかけられたミレイはドアノブに伸ばしていた手の力を軽く緩めながらアビスの方へ顔を向けるが、その後、アビスでは無い男の声がミレイにかけられる。
「あれ? 帰ってたのお姉ちゃん」
「うわぁ!!」
今ここにいる男はアビスだけだとミレイの中では思っており、その枠外の人間が現れた事に対し、ミレイは肩を勢いよく竦めながら驚いた。
「お、おい、ちょ、お前……」
そこまで驚く必要は無いであろう、ミレイのその動作を見ながらアビスはどう反応すれば分からないが、それでも何か喋りかけようと、言葉にならない言葉をミレイにかける。
「ちょっと……脅かさないでよ」
ミレイは突然背後からやってきた弟に向かって小さい力の籠っていない声で対応する。
「あれ? もしかしてお前の弟か?」
アビスは後ろからやってきた少年を見て、それが明らかにミレイの弟の一人である事を理解する。この家には兄的な立場にいる人間はいないと既に聞いている。もし上に立つ人間がいるとすれば、それは父親だけである。だとすれば、やってきた少年の地位はそれだけだ。
アビスはその薄い黒をした髪の少年を指差しながら、ミレイに訊ねる。
「あ、うん……。そうよ、名前はシンタってんだけどね」
ミレイは何故か自信無さ気な声で名前の紹介を済ませる。
――その後、すぐにドアの奥から中年の女の声が聞こえる――
「誰? そこに誰かいるの?」
ドアからは結構な距離が開けられているのだろうか、やや距離間を感じてしまうが、その声ははっきりとアビス達のいる通路の世界へと届いている。
「あ、今ので……、えっと、とりあえ……」
「多分帰ってきたんじゃないの?」
恐らくミレイが驚いた際にドアの向こうの世界に聞こえてしまったのだろう。それを確認したミレイはアビスに「とりあえず行くわ」とでも言おうとしたのだが、もう一つの、最初の中年の声に比べれば若さの伝わるそれが、やや嫌みを含めたような口調で通路の世界に響かせた。
「じゃ……とりあえず……」
ミレイは諦めるようにアビスに向かって一言言った後、その居間へ続くドアのノブに手を伸ばし、ゆっくりと開く。
「ただいま……」
――どれだけの勇気が必要だっただろうか。まるで飛竜の巣に飛び込むかのような、そんな気持ちがミレイには降りかかっている――
声を低くしながら、まるで何か悪い事でもして帰ってきたかのように、表情を押し殺してミレイは居間にそう言った。
「ああ、おかえり」
「やっぱり帰ってたんじゃん。何してたの、そこで、ってその人は?」
ドアの奥に映ったのは、居間ではあるが、流石普段七人でそこで生活するだけあって、それなりの広さを携えていた。中央には巨大な木造のテーブルが置いてあり、今はそこで若い女、恐らくはミレイの姉であろう人物が座っており、そして奥の台所では中年の歳の過程でなのか、やや小太りな印象を受ける女が立っている。
ミレイの姉らしき人物、ミレイより多少薄い色の緑を持った髪の女はミレイの後ろにいる少年を見るなり、そう言った。
「あ、えっと、アビス……よ」
話す行為を酷く抑えたかのように、ミレイはすぐ後ろに立っているアビスの姿が向こうからよく見えるようにと、体の位置を避ける。そしてそれ以上は全く口を開かなかった。いつもなら、もう少し何か付け足すと言うのに。
「あ、アビスです。お邪魔します」
アビスにとって、ミレイの家族とは初対面の存在だ。まずは、家に入った事に対する挨拶である。アビスは軽く笑顔になりながら、頭を下げる。
「ふうん、アビス君ね」
母親の方はやや興味が無さそうに、少年を確認した後、再び台所の方へ、目を戻した。
「ってかなんで連れてきたの。あんた一人で来るんじゃなかったの?」
「あ……いや……」
まるで追い詰めるかのように、ミレイの姉はミレイに向かって詰らなさそうな顔を浮かべながら、堂々と言い飛ばす。
言われた方のミレイは返す言葉を探し出すも、まるで浮かぶ様子を見せず、生きた感情を感じられない言葉をただ発するだけである。その様子にもまるで容赦をせずに、姉は再び口を動かした。
「どうせ誰かと一緒にいたらなんも言われないって思ってんじゃないの?」
「いや……」
「どうせそうじゃん。なんも言ってこないんだし」
「ああ、いやいや違うんですよ! 俺が行きたいって言ったんですよ! 俺が無理矢理頼んだんです!」
容赦の無い言葉を無抵抗とも言えるミレイに浴びせる姉を見たアビスは、機転を聞かせ、ミレイに対する言葉での攻撃を止めさせる。
「あ、そうなの? ねえミレイ聞いてる?」
「……うん……そう……」
「そうですよ! 俺が無理矢理頼み込んで連れてきてもらったんです。ちょっと挨拶したいなぁって思って……」
姉はアビスのその咄嗟の対応に軽く返答するが、その返答にはミレイに対する質問と言う意味も含まれていたようである。しかし、ミレイにそれは伝わっていなかった。
突然名前を呼ばれたミレイは自分の本性を外に出さないように、と言ったかのように小さく返事するが、それを見たアビスはミレイに覆い被さるように、姉に思いを告げた。
「ホントなの?」
姉はミレイに嫌みが籠ったような目を向け、さらに疑ってくる。
「ホントですよ? なぁ?」
「うん……」
アビスのフォローを受けながら、ミレイは生気が抜けたような返事をアビス、そして姉に渡す。
「あのさぁミレイ、あんたちょっとこっち来なさい」
ミレイの母親は台所から離れ、未だドアを開けっ放しで立っているミレイからもよく見える位置、テーブルに近づき、座りながら、テーブルを指差しながら招いてくる。
「あ……」
気の抜けたような言葉をミレイは呟くが、一瞬、アビスはどうすればいいのか、多少なり悩むが、それの為の声は出せなかった。
「お母さん、アビス君どうすんの? ちょっと部屋にでもいてもらう?」
姉の方は取り残されるであろうアビスが気になったのだろう、母親にそう聞くと、
「いや、この際だから一緒に話してみよう」
母親の方はアビスからも何か話を聞きたいと思ったのだろうか、アビスも話に参加させようと、手でテーブルの方へと招いてくる。
「あぁ……はい」
アビスは多少戸惑いながらも、納得し、ゆっくりと歩き出すミレイに続いてアビスも居間へと入っていく。
「ごめん……ね……。アビス……」
ミレイはアビスを付き合わせてしまった事に、軽い謝罪、それを耳を澄ませなければ到底聞き取れないような小声でかけた。
「あのさあ、なんであんたってちゃんと喋んないの? きっと彼も凄い変だって思ってるよ、ねぇ?」
途切れ途切れにはっきりとさせないで喋りながら、ミレイはゆっくりと椅子に、まるでその椅子に罠が仕掛けられている事を予測するように、座るが、ミレイの喋り方に反応したのは、ミレイの姉であった。
既に座っている姉はミレイを馬鹿にするかのように、全く笑顔を浮かべず、どこかその表情の裏では怒っているかのような顔をしながら、指を差しながら、最終的にはアビスに訊ねようとする。
「へ? いや、そんな事無いですけど……」
ミレイの隣に座ったアビスは突然のその質問に戸惑いを覚えながら、首を振って否定をするも、それが伝わったかどうか。いつものミレイからはとても考えられない様子ではあるが、何やら家族との関係に何かがあるようにも見える。