再びジュリーは無言のミレイ相手に、最早ここまで来ると楽しげな印象を見せるかのように平然と言い捨てる。

「んでちゃんと理解出来てんの? 話の内容。もう何回も言ってんだけどね」

 母親はジュリーに続いて黙り込んでいるミレイに訊ねてくるが、最後の付け足しには、結局は嫌みの色が見えてしまっている。

「……」

 一応ミレイとしても、質問をされている立場にあると言うのは理解していた。だが、簡単に頷いた所で、まともな結果が返ってくるか、非常に疑わしい。かと言って否定したら、また何を言ってくるか分からない。しかし、これでは結局どちらにしても悪い方向へと進んでしまう。

 等と考えているその僅かな時間に、再びジュリーがやってくる。

「あのさあ、なんで人の質問答えないの? やっぱ耳つんぼ? あ、そうか、ホントに聞こえてなかったりしてね。そんなピアスなんか付けてっからそこから黴菌ばいきん入って耳おかしくなってたりしてんじゃないの?」

 ミレイの考えていると言う様子は、その考えている本人が直接口や素振りでアピールしない以上、二人に伝わるはずが無い。その証拠に、ミレイは石像のように固まったままである。視線は下を向き、表情は変わらず、時折声を発する口も微小にしか動かない。

 ミレイの両耳に付けてあるアクセサリーに対して、まるで無理矢理悪い方向へと結びつけるかのように根拠、そして容赦の無い言葉を浴びせつける。勿論ミレイの耳はしっかりと二人の話を聞き取っているし、寧ろ健康である。

「そうじゃない? 返事しないとか終わってんじゃん」

 母親も極めて冷めたい反応を見せる。最早完全にミレイ一人だけを敵にしているようである。

「それについでだけど耳から入った黴菌ばいきんが脳味噌にも入ってそのせいで頭までおかしくなったんかもね。見た目はもういい歳なのに頭は赤ちゃん程度? 気持ち悪いじゃあん」

 更にジュリーは特に根拠も無いような事を再び悪い方向へと結びつけ、責めていると言う印象を更に強くする。ミレイは頭はおかしくないとは思うが、二人にはおかしく見えるのだろう。喋らない様子を見ればやはりそう見えるのだろうか。

「そうだね、そんなもんの為に馬鹿になって、勿体無いね」

 母親はミレイの緑色に輝く髪の間から覗いた耳に装着されたピアスを嫌らしい目で見ながら、言い捨てた。



*** ***



「親がそんな事言っていいのかよ……」

 アビスは幼い頃に両親と死別している為、親と子の接し方と言うのがよく分からない人間である。だから他人の親の教育方針等に対して何か言うつもりは無い。と言うよりは、何が正しいのかを考えるのが難しいと表現した方が正しいかもしれない。それに伴い、対立する勇気も、アビスには無い。

 だが、ミレイの母親と姉の言っている内容はただ怒っているだけとは思えない。怒っているものとしては、怒鳴り声は聞こえず、ただ諭しているとでも表現出来るかもしれないが、その途中途中で些細な事柄をあまりにも大袈裟おおげさな表現で身体的な悪口に走り、そして二人で短時間ではあるものの、悪い意味で盛り上がる。

 無論、普段ならば堂々と言い返すであろうミレイのその無口ぶりには少々苛立ちを覚えるが、一瞬だけ何かが頭に思い浮かんだ。



――相手二人を恐れているのか? それとももっと別の何かが……――



 出来ればアビスの方から、ミレイの家族相手にアーカサスの街の方では態度、性格共に非常にしっかりしている事を、ミレイに代わって説明してやりたかったが、何だかアビスも強引に居間へと戻る勇気が湧かなかった。下手に出れば再びミレイが責められるかもしれないと言う恐怖に駆られての事だ。



*** ***



「それにさあ、あんたいっつもそんな香水みたいなの付けてるみたいだけど、そんなの付けてたって意味無いよ。あんた顔は結構いいのに性格異常だから」

 先ほどのミレイに対する質問はどうなったのだろうか。そんな事も忘れ、ジュリーはピアスに関連した装飾の話でも思いついたのだろうか、今日初めて会った時から鼻で感じていたその香りの事で追求し出す。無論、後半の付け足しは忘れない。

 そのジュリーの何もかも否定するような言い方に、ミレイは下に持ち上げていた視線を一瞬だけ持ち上げ、ジュリーと一瞬だけ目を合わせる。ミレイにとっては一応の抵抗態勢だったのだろうが、そんなものはまるで通用せず、向こうからの軽い一言で余裕であしらわれてしまう。

「何その目、ってかなんであんた怒ってんの? 変だから変だってわざわざこんな歳になってまで言ってあげてんじゃん」

 久々に持ち上げた目は、姉から見れば睨んでいる、そして怒っているとでも思ったのだろう。指摘があってそれを言うのは悪い事では無いのかもしれないが、どうしてもミレイからはそれが嫌みになっているとしか捉えられない。

「それよりあんたそんなもんに金回してる暇あんなら借金の方に回せって話だよ」

 母親も、香水には否定の色を表している。そのような無駄遣いをしている余裕があるなら、払うべきものを先に済ませてしまえと、怒っていると言うよりは、呆れていると言えるような口調で言った。

「第一あんたがそんなの付けてたって意味無いじゃん。あ、さっきも言ったか、それ。そんなので男とか呼び集めようとか考えてるんだろうけど、喋った瞬間失望すんじゃない? だってなんも喋んないんだし。顔は結構いいのに勿体無いね」

 確かに香水は異性からの関心を引き寄せる効力があるが、それは人格と合わさって初めて期待出来るものなのかもしれない。今のミレイは無口で恐ろしいまでに暗い人格である。ジュリーから見れば、全く関心を覚えさせてくれない異常者であるに違いない。

 全くの容赦を知らないジュリーの台詞を聞き、ミレイは俯いたまま、目を細めるが、ジュリーはミレイから目線を外してはおらず、その動作を見逃す事は無かった。

「ん? それともあっちじゃあちゃんとやってるとか言いたいの?」

 目を細めた動作から心の中にしまわれているであろう言葉を連想したのだろうか、ある意味でミレイに救いの手を差し伸べるような発言を飛ばすも、それは母親によって遮られてしまう。

「いや、それは無いじゃん。家でこれなんだから外じゃあもっと酷いに決まってんじゃん」

 実家とは、通常はありのままの自分を曝け出せる唯一の空間だ。大抵の人間はそこで本来の自分を出しているであろうが、ミレイにそれは無い。だから、外の、もっと自分を抑えなければいけないであろう世界ではもっと最悪な状態を保っているのだろうと、母親は読み、ジュリーの救いの手、とは言っても本人がその気があったかも分からないその台詞を遮ったのだ。

「あ、そうだ、それよりちゃんと話した事頭で整理出来てるかって話まだ終わってなかったね。んで出来てんの?」

 突然ジュリーは放置していた話題を思い出し、母親に向けていた視線をミレイにと戻す。まるで追い詰めているような雰囲気が浮かび上がる。

「まあ……出来てる……」

 生気の抜け切った小さい声でミレイは返答するが、それで相手が納得してくれるはずが無かった。

「どうせ出来てないじゃん。そんな自信無いような態度じゃあ誰も信用しないっつの」

 母親はその暗い態度が癇に障ったのだろう、ミレイの台詞を払い捨てるように、言った。

「っつうかさあ、なんでハキハキ喋れないの? 自分でもおかしいって思わないの? やっぱホントに病気なんじゃないの?」

 最初から現在まで今のような、死んだような音量でしか喋らないミレイに改めて腹を立てたのだろうか、ミレイとは打って変わって堂々と振舞っていたジュリーは責めるように問い詰める。勿論ではあるが、付け足しも忘れてはいなかった。

 だが、普通怒られている時にそんな開き直ったような態度が出来るだろうか。

「あんた質問されてんだよ。答えたら?」

 まるではやし立てるかのように、母親は返答を催促する。

 答えないとまた言われてしまうと言うのは分かっているが、だからと言って即座に答えられるような状態では無い。また返答に迷っている間に、また言われてしまう。

「早く答えて。そっちが喋んないとこっちなんも喋れないんだけど」

 戸惑う隙も与えず、と言った感じで、平然とした態度で、黙っているミレイに言葉で責める。



*** ***



(お前……ちゃんと言えばいいだろ……)

 相変わらずアビスは居間の外でずっとその話を聞いていた。いつも共にいた時は『暗い』と言うイメージをまるで感じさせないテンションを見せてくれていた。

 とは言え、スキッドみたいに『煩い』と言う意味では無いが、アビスから見れば、異性にしてはとても関わりやすい雰囲気を受ける少女である。

 醜い訳では無いが、可愛すぎず、それ以下でも無く、丁度良い量である。そして会話している時も無駄な胸騒ぎも起こらない。必要以上な色気や可愛さが無いのがその理由だ。

 クリスの場合はアビスにはややきつい印象があるようだが……。

 社交的な印象しかミレイからは感じ取れないアビスだが、実家に戻った途端、突如暗くなり、アビスに対する態度も豹変した。まさか家庭にはありのままの自分を見せたくないのだろうか。

 ミレイなら、言いたい事をハッキリと言えるであろうが、まるでその様子を見せない。

 アビスの不安は徐々に高まるばかりである。本当は居間に戻りたいと言うのに、足が動かないのだ。



――それより、あんなやり取りでどれだけの時間が経ったのだろうか……――



 この街に来た時は既に日が落ち始め、夕方と言う時間帯が夜へと変わっていた。ミレイは殆ど、と言うよりはほぼ完全と言っても良いほど無口であったが、相手がただ喋ってくるだけの時間がどれだけ長く感じられたのだろうか。喋り続けていた方も大変だったとは思うが、聞いている側も大変だっただろう。



*** ***



「あのさあ、いい加減してくれる? 早く喋ってくんない? あんたが喋んないとさあ、話進まないんだって」

 姉はまるで何か急いでいるかのように、苛々した様子を捨てずにミレイに問いかける。

「いや……分かってる……」

 向こうがどんな態度に変わろうと、ミレイにとっては状況が自分にとって安らかになる事はまず無い。特に態度の変化にも動じず、ミレイは口を小さく動かしながら、改めて返答をする。

「だからさあ、なんでそんな小さい声しか出さない訳? やっぱりさあ、そう言う人との付き合いも含めてもうやっぱここに戻ってきた方がいいって。いい加減戻ってきな」

 再び姉は口を開く。今度は怒りを交えたような口調で返答の際のその音量に腹を立てる。そしてミレイにハンター業を捨て去るような事を要求する。

「そうだよ。ここなら別に人と話出来なくても仕事やってられるから、そっちの方がいいと思うよ」

 母親も諦めたかのように、ミレイからハンター業を奪うような事を口に出す。



*** ***



(なんか……ヤバそう……)

 居間の外で、アビスははたから見れば非常に呑気だと思われるような事を心の中で呟いた。

 だが、それは居間の中の光景、アビスにはそれは漏れてくる声でしか想像出来ないが、それが酷烈な状態だと言うのがよく分かる。ミレイは今単独でその空気に耐えているに違いない。

 何とかしたいが、それは出来ない。アビスの奥には、未だ臆病な何かが残ってしまっているのかもしれない。下手に行っても庇うと言う理由でミレイがまた何も出来ない人間だと思わせてしまうのは非常に気まずい。

 彼女には失礼であるが、ここは黙っているしか無い。そして、向こう二人が話を切り上げてくれるのを期待するしか無い。でも、いつもはどのような結末を迎えていたのかは、アビスには分からないし、聞いた事も無い。

(ってか俺どうなるの?)

 一応アビスはミレイから誘われた身ではあるが、結局アビスの役目は何だったのだろうか。ミレイの今の様子を見ればとても家族達と仲良く会話等出来たものでは無い。一応僅かではあるが、ミレイと共にあの二人相手との話には関わったものの、すぐに外され、結局ただミレイの無様な姿を外から眺めているだけである。

 それより、今夜はどうなってしまうのだろうか。等と考えると、どうも違和感が抜けてくれない。仲の悪い家族と一日を過ごすのはどう言う事か、アビスには家族の概念をよく知らないものの、やはり何か辛さがあるのは変わらないだろう。



――それより、外で何か足音が……――



 アビス自体は悪者では無いのだが、外から見れば、所謂覗きとして妙な扱いを受けてしまうであろう。一応今は、この家の弟達三人は三人一緒の一室で過ごしているようだが、もし今のアビスの様子を見られたら……。

 それより、その足音が徐々に玄関のドアへと近づいてくる。特に逃げる理由は無いだろうが、何故か反射的に階段へと足が進んでしまい、そして音を立てずに、そして素早く駆け上がり、ミレイの部屋へと逃げるように入っていく。因みに、ジュリーとは部屋は別にされている。



――そして、玄関のドアが開き……――



「ただいま」

 声からすると、中年の男性として受け取れる。と言う事は、もう正体はただ一つと言っても良いかもしれない。



*** ***



「あ、お父さんじゃん。やっと帰ってきたね」

 姉は妙な期待をしていたかのような、平然とした顔でこれから居間へと来るであろう一家のあるじを迎え入れようと、先ほどまでミレイに向けていた緊迫とした感情を和らげる。

(うわっ……もう終わりね……)

 ジュリーは軽い笑みを浮かべているが、ミレイの表情にはさらなる絶望が浮かび上がる。目を細めて更に視線を下へと向けるが、その時は二人とも居間へと入るドアへ集中していた為に運良く見られる事は無かった。もし見られていたらまた様々な嫌みを言われてしまうに違いない。

「ただい……あ、ミレイ、帰って来てたのか」

 ドアを開けた父親らしき人物は、改めて帰ってきた際の挨拶を繰り返すが、途中でミレイの姿を見るなり、その挨拶は途切れさせる。

 多少歳を取っているのだろうか、頭の天辺付近はすっかりと禿げてしまっている。それでも、この街の仕事に大きく貢献しているであろう、筋肉質なその体躯が服の上からも感じ取れる。ややごつごつした印象を与える顔付きが非常に印象的である。

「あ……うん……おかえ……り……」

 ミレイにとっては父親さえも油断のならない人物なのだろうか、恐れているかのように、途切れ途切れに迎える挨拶をするが、

「あんたさあ、ちゃんと『おかえり』とも言えないの? どんだけ頭変なの?」

 姉はそのミレイの様子を今度こそ見逃さなかった。わざと父親にも聞こえるような音量で、ミレイに責め立てる。

 言われた方は動作によって勝手に心の中で考えている事を作られないよう、表情を全く変えないように耐える。

「所で、話はちゃんと進んだのか?」

 父親は上着をハンガーにかけ、そして適当に空いている椅子に腰をかけながら、母親に訊ねる。

「いいや、全っ然進んでないね。この子ちっとも喋んないからなんも進まないもん。お父さんの方からもちょっと言ってあげて」

 母親は当たり前と言えば、当たり前であるが、元々けじめをつけさせる為にミレイを呼び出したのだ。ミレイを庇う様子を全く見せずに、逆に自分の味方をもう一人、引き込むに相応しいような楽しげな表情を一瞬だけ見せ付ける。

「まぁたお前意地張ってんのか? どうしよも無い奴だな」

 座りながら、父親はその細い厳格な目を、俯いているミレイに向ける。まだ怒っていると言う雰囲気では無いが、その予兆が感じ取れるような口調だ。

「いや……」

 ミレイなりの対応なのだろうか。だが、相変わらず結局は力は弱い。寧ろ、元々気力の篭っていない声が更に弱まったような印象さえ受ける。まるで全身から力が抜けているかのように。

「ってかお前どこ見てんだ?」

 早速と言わんばかりに、ミレイの視線の向きに気がつき、絶対に無視せんと、わざと脅したてるように責め立てる。

 相変わらずミレイは何も言わずに黙っているが、父親はそこにも機敏に反応する人物であった。

「おいっ!!」



――わざと相手を威圧するような大声を発し、同時に両手の拳を握り締め、テーブルを叩く……――



 居間の中に響くには充分な大音量が鳴り、それに反応してミレイの両目が一瞬だけ閉じる。



*** ***



(うわぁ……なんか超ヤバイじゃん……)

 アビスはミレイの部屋の中にまで聞こえた一言ではあるが、怒鳴り声を聞き、ミレイにとって元々最悪だった事態がもっと酷い事態へと移った事を考え、心の中が不安に満たされていく。

 そして、その不安は、あの一言の怒鳴り声から、まるで連鎖でもするかのように生み出されていくのだった。

「お前いつになったら理解すんだ!! いっつも同じ事言わせやがって!!」

 父親の怒鳴り声が居間の中、と言うよりは家中にまで充分に響き渡り、アビスの耳にも敏感に入ってくる。

(どうしよ……やっぱ俺行った方がいいかなぁ……)

 アビスは自分は多少口が下手ではあるが、でもアビスなりに何とか頑張れば多少は説得させられるかもしれない。なんて思っているが、なんだか怖い。

「早くなんか言え!!」

 考えている間に再び怒鳴り声が響き渡る。なんだか自棄やけでも起こしているような空気を感じるが、どちらにせよ、ミレイにとって心にゆとりが出来る事は無いだろう。

 母親と姉の声は聞こえないが、きっと横で何か言っているに違いない。

(やっぱ……行ってみるか……)

 心ではそう思っているものの、実際は居間のドアの目の前までしか進めない。それ以上は、あの怒鳴り声が見事に作り出している威圧と言う名の扉に阻まれ、全く進めないのだ。

 だが、居間では現在三対一と言う状況である事に疑いの余地は無い。



*** ***



「あんたいい加減喋れって! なんでぱっぱと喋んないの? やっぱ変じゃない!?」

 ジュリーは父親の純粋な威圧感に乗り出したのか、先ほどまではただ言葉に威圧感を乗せただけのものだったと言うのに、ここに来て声の音量も高め、追い詰めると言う雰囲気を更に強めてくれる。

「いや……別に……」

 実はミレイは強引に父親と目を合わさせられていたのだが、ジュリーの台詞によってまるで何かを考えるかのように、一瞬だけ視線を下へと向けたが、その行為が再び父親に声を荒げさせる。

「お前どこ見てんだ!」

 一度舌打ちをしながら、父親は怒鳴り声を浴びせつける。まるで考える隙を与えないかのようである。ミレイはしぶしぶと言った感じで目線を戻す。



――その『しぶしぶ』は、姉が見逃すはずも無く……――



「だからなんでそんなな顔すんの!? 全部あんた悪いんじゃん」

 姉はミレイの一瞬だけ変わった表情から、勝手に感情を読み取り、まるで更に父親に何かを言わせてやろうと企んでいるように、大声を上げ出す。

 姉は父親からとばっちりを受ける不安が無いのだろうか。寧ろ完全に味方となり、その不安がまずあり得ない事となっているのを確信しているかのようである。

(結局本題どうなってんのよ……)

 絶対に外に声も、感情も漏らさないよう、心の中でミレイは呟いた。本題は放置され、今は態度と視線の話になってしまっており、それが時間を無駄にしている事にミレイも腹を立てていた。ただ、それらはミレイに原因があると言えるが、そのような環境を作った方も作った方だろう。

「お前怒ってんのか!? そうなのか!?」

 姉に釣られ、本当にミレイが怒っているのかどうか、訊ねるが、怒鳴り声がミレイの耳に響き、再びその音量による威圧感で視線が逸れる。

「いや……怒ってないけど……」

 流石に怒鳴り声には参ったのだろうか、何とか自分が怒っている訳では無いと、ミレイは小さく口を動かしながら対応するが、それ以前に犯してしまった過ちを父親は見逃さない。

「だからなんでそっち向くんだって!!」

 視線を逸らされる事がどれだけ嫌な事として認識しているのだろうか。父親は一秒以内でも視線を放されたら怒鳴る性質であるらしい。まるで一瞬の油断も出来ない最悪の空間だ。

「だって何喋ってるか分かってないんだもん」

 父親について来たのは、姉だけでは無かった。母親までも、父親に更に怒らせるような一言を飛ばしつける。もう母親も疲れてきたのだろうか、まるで父親にバトンを渡すような、そんな様子である。

「いや……分かってる……」

 囃し立てる母親に苛立ちを覚えたであろう、ミレイは思わず口に直接、外からはまともに聞き取るのは難しいであろうその言葉を小声で発してしまう。ミレイを除く人間達の声が遥かにまさっているが、いるが、何を喋ったか分からなくても、何かを喋ったと言う事を確認するのは決して無理では無い。

 反応したのは、姉のジュリーである。

「あぁ? あんた今なんか言った? どうせ『うるせぇ』とか言ったんじゃないの?」

 何をミレイが言ったのか、はっきりとは聞いていなかったものの、場の雰囲気を考えれば、確かにミレイの心の内では鬱陶しいと言う気持ちが溜まっていたかもしれない。それを読み取っていたジュリーは勝手な想像でミレイが言ったであろう台詞を、その言葉として選んだのだ。

「はぁ……? なんで……」
「『うるせぇ』ってなんだお前!!」

 ミレイは恐る恐るであるが、ジュリーの予想を否定しようとしたが、それより先に飛んできたのは、父親の罵声と、



――同じく父親の、大きく開かれた右掌みぎてのひらが頭上から落ちてくる……――



「ったっ……」

 簡単に言えば、ミレイは叩かれたのだ。わざわざテーブルに身を乗り出し、右腕を大きく伸ばしながら。恐らく態度が気に食わなかったのだろう。小さく声をあげながら、ミレイは一瞬だけ両目を強く瞑り、心の中にとある感情を溜め込む。

「あぁあ〜、叩かれてやんの、ばっかみたい」

 まるでその様子を楽しむかのように、姉はにたにたしながら、ミレイに向かって平気で指を差してくる。他人の痛みをまるで理解しないかのように。

「なんで面白がんのよ……」

 痺れるような痛みが走る頭部を両手で押さえ、楽しむ様子しか見る事の出来ないジュリーを睨みつけながら、ミレイは呟くが、そのようなひ弱な抵抗は無駄に等しかった。

「だから何? はっきり言って。そうやってぶつぶつ言うのやめた方がいいよ。頭おかしい奴の典型的なパターンだよ」

 姉には何を言っても無駄だった。今一何を喋っていたか、理解出来ていないようであったが、無理も無い。ミレイの音量は耳を澄まさなければ何も聞こえない程のものだったのだから。だが、何かを喋っていたと言うのだけは認識し、責めに走ったのだ。

「お前今なんつった? 言ってみぃ、ほら」

 姉の言葉に興味を覚えたのか、父親はミレイに催促するが、だからと言って平然と答えられるほどミレイの精神は落ち着いてはいない。

「別に……」

 父親の質問が始まった時点でミレイの視線は父親と合っていなければいけない。だから、今この視線を離すと言う行為は……

「だからどこ見てんだって!!」



*** ***



(うわ、やばいじゃん! 絶対やばいじゃん! これ)

 父親が来てからと言うと、居間の中からは頻繁に怒鳴り声と、何かを叩く鈍い音が響くようになり、居間の外の通路で盗み聞きしているアビスはまるで自分もミレイと同じように怒られているかのように、軽く恐怖を覚えながら、中で耐えているであろうミレイを思い浮かべる。

 男の荒げた声だけでは無く、女の声まで酷く響き渡り、そして時折叩くような音まで聞こえてくる。誰が叩いているかは直接見ていないが、父親が来てから聞こえた音である。恐らくはきっとその新しくやってきた人物であろう。

「いい加減そんなもん辞めろってんの分かんねぇのか!!」

 再び響き渡る怒鳴り声。いつもこんな感じなのだろうか。それにしてもミレイもよく耐えていられるものであると、アビスはある意味で関心を覚えるが、あの態度の落ち込みぶりには驚かされている。あれでは何も言い返す事は出来ないだろう。

「そんないつ死ぬか分かんないの続けてたってしょうがないじゃん!」

 姉も同じように大声、怒鳴り声とまではいかないが、ミレイを責め立てる。

(もう真面目にやばいじゃん……どうしよ……)

 なんだか居間の空気が非常に悪い方向へと進み始めているのが分かる。既にアビスは一つの感情しか表現出来なくなっており、そして、行動には移れない。他人の事情なのだから、他者であるアビスが首を突っ込んではいけないのかもしれないと言う事情もあるのだが。



*** ***



「あんたが死ぬのは別に勝手だけど、そしたらあんたの分の借金全部こっちが背負う破目になんだからね。だから戻って来いってこっちはもう何回も言ってんのにさあ」

 母親は声を荒げなかったものの、その内容はどこか冷たさが走るものだった。

 借りた本人が事故か何かで亡くなったとしても、借金は消える事は無いのだ。だから、ミレイが死ねば、残された分は残された血縁者で解決しなければいけない。それを配慮しての事でこの街での職業に就く事を勧めたらしいのだが、母親の言い方は、娘に死んでほしくないと言う願いと言うよりは、自分に借金を回されたら面倒な事になると言う事の方が強かった。

「家に負担かけんなってこっち言ってんだぞ。お前に死なれたらこっちが払うんだから、そう言う事も考えろよって。いい加減しねぇってんならこっちは殴ってでも止めさせるからな」

 とうとう力で解決しようと考え始める父親であるが、それに対してミレイは……



――何故か、平然としていた――



「やれば……?」

 ミレイは力の抜けた声で、覚悟を決めている様子も見えない態度で、今度は父親から目を離さないよう努力しながら、返事をした。

「は? あんた何言ってんのさ?」

 母親は投げ槍なそのミレイの言葉を聞き、考えを改めさせようと、口を開くが、ミレイはそれに動じない。

「だから……やれば?」

 再び力の抜けた声で、ミレイは相手の好きなようにすればいいと、余裕げな表情を浮かべる。体に痛みを加えられる事にはミレイは慣れている。飛竜と戦う身であれば、ほぼ毎日痛い思いはしているであろう。直接攻撃を受けなくても、回避の際に体を投げ出したり等による軽い打ち身を何度も経験しており、殴られた所でどうって事は無いかもしれない。







――そして……遂に……――

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