「とりあえず道聞けたからあんまり時間かかんなさそうね」

 ミレイはあの兵士から聞いたであろう最短距離の道を走行させながら、助手席にいるアビスを一瞥する。

「だけどさあ、俺思ってたんだけど、レベッカの事、聞いた? 或いは聞いてる?」

 病院への道が開けたのは運転していないアビスにとっても嬉しかった事だろう。だが、とある少女の事が気になってしまう。髪の色はアビスは紫、レベッカは金髪と当たり前のように異なってはいるものの、レベッカの名前を出した途端に『金』の色が頭に浮かんだのだ。



「そうそう、それあたしも丁度言おうと思ってたとこだったのよ。でもちょっと聞いたその話なんだけど……結構不味い状態らしいわよ……。直接は見てないから分かんないけど、あんまり笑って済ませられるような病状じゃないって……」

 ミレイは雨で濡れるフロントガラスの奥に映る道を凝視しながら、深刻であろうレベッカの症状を聞いた内容だけではあるが、アビスに説明する。フロントガラスは絶えずワイパーによって拭かれており、視界の確保に関しては傷害は無いだろう。

「確かあいつ俺ら逃げてる最中にいきなりいなくなったじゃん? やっぱ怪我とか、そう言うのあんのかなあ?」

 レベッカはあの時・・・の逃亡の最中、勝手にミレイ達から離れ、そして今のこの時まで行方不明として考えられていた。アビスはレベッカの直接の光景を見ていないから正しい答は出せないが、想像くらいは出来る。



「怪我、だけで済んでんならいいけどね……」

 何故か、ミレイはまるで話題をそこで打ち切るかのように、それ以上言葉を発する事は無かった。

 しかし、二人は分かっているのだろうか。あの囚人達の感染型ウィルスを……






*** ***






 街自体の規模も去る事ながら、病院の規模も目を見張るものがある。

 『国立』と名を打たれているだけあり、病室、医療機関、設備、そのどれをとっても数や技術は周辺の小さな施設とは比べ物にはならない。何せ、ハンターを見守るような街なのだから、ハンターの治療が出来なくてはこの街に未来は無い。

 当の二人はようやく国立病院へと到着し、そのまま小型トラックを降りて正面玄関へと入っていく。



「やっぱり……、随分中騒がしいわね……」

 アビスと共に病院内へと入るミレイであるが、奥からは様々な意味合いを込めた騒音が響いている。声の主は老若男女ろうにゃくなんにょほぼ様々なものが交じり合っており、どれが誰のものかを特定するのは難しい。

「ってか泣いてる声とかも響いてないか? ってか叫んでるっつうか……」

 アビスはその騒音の中から限定されたものを耳で拾い、内部の状況がいかに深刻であるかを改めて悟る。



「きっとあれじゃない? 親族とか、友人とかが見舞いに来てるからそれだと思う。それより早――」

 恐らくはと、ミレイは赤いジャケットを両手で持ち上げるように素早く正しながら歩き続けると、後ろから別の見舞い客らしき人物が二人、走ってくる。



「おい早くしろよ! ロンが運ばれてるってんだから」
「う、うん……」

 恐らくは兄弟なのだろうか、身長の差の著しい二人が駆け足で正面玄関から奥へと進んでいく。勿論、身長の高い兄が弟を声で引っ張っている。



「……まいいや、早く行こ!」

 一瞬ミレイのテンポが狂ったものの、すぐに整えられる。

「あ、ああ」

 アビスも苦笑しながら、ミレイに合わせる。





 少し進めばそこは相当巨大なホールのような空間があり、無数の椅子が設置されている。恐らくは診療科しんりょうかによって区別されて配置されている椅子なのだろう、いくつものカウンターも設置されており、それらが受付の役割を背負っている。

 しかし、今はその『無数』と言う言葉も、あの事件が原因となり、殆ど意味を成さない状態に陥っていた。

「おい! スイルの病室は何号棟なんだ!?」
「息子が運ばれたって聞いたんだよ!」
「何してんだよ! 早く教えろよ!」
「旦那は運ばれませんでした!? 白いコートだったんです!」
「弟が怪我したって聞いたんです! どこなんですか!?」

 きっと聞きつけて病院へと駆けつけたのだろう。多くの見舞い客が受付でどこに目的の人物がいるのかを聞き出そうとしていたが、担当のナース達だけでは当然手に負える訳が無く、群がってくる人間の量に対して僅かしか対応する事が出来ず、受付には人間ばかりが蓄積されていく一方である。



「うわぁ、なんだよあれ……。レベッカの病室なんて聞けねぇじゃん……」

 受付の前に群がる人々の量に圧倒され、アビスは早々に目的を果たせずに今日が終わるのでは無いかと、力が抜けるような錯覚を覚える。

「いや、別に聞けなくは無いとは言えないけどさあ、代わりに何時間もかかるわね……。まさか横入りで聞き出す訳にもいかないし」

 聞こうと思えば聞けるだろう。だが、それではミレイ達の時間がごっそり削られる破目になってしまう。遅く来た事が原因と言えばそうであるが、だからと言って反道徳的な行動は慎むべきだ。



「ミレイ! やっと来たんだぁ!? あ、アビス君も一緒だったの?」
「あ? 君って、誰?」

 受付から離れた場所で呆然としていたミレイ達に声をかけてきたのは、昨日の惨劇を共に生きたあの少女だった。しかし、私服姿のその少女をアビスは誰であるかを認識出来なかったのか、いきなりやってきた女の子に対してそのような対応を取る。

 オレンジ色のセミロングの髪はそのままに、赤いふちの眼鏡をかけ、そしてリング状のピアスを両耳に装着している。どこか知的な印象を感じるのが不思議だ。

 ノースリーブの黄色い上着の上には、横に対して白と水色のラインを携えた縞々ストライプのベストを着込んでいる。そして、膝がやや隠れる程度の丈の白いスカートが特徴的と言える。



「あ、デイトナじゃん! ちょっとごめんね、来るの遅くなっちゃって」

 眼鏡姿の少女を見てもミレイは人違い等まるでする様子を見せず、右手を上げながら近寄ってくるデイトナに、ミレイも近づいた。

「いや、大丈夫。気にしないで」

 デイトナの方もミレイの事情は理解していたのか、特に責める様子は見せなかった。



「え? あ、あ、デイトナなの? 一瞬誰かと思ったよ……。ってか眼鏡なんかかけてるけど、デイトナって目ぇ悪かったんだぁ?」

 アビスにとってはデイトナと出会ってまるで時が経過していないのだ。私服姿となって大きく外見的なイメージが変化した為に誰なのか分からなくなっていたらしい。ハンターの武具を纏っていない時にかけているその眼鏡に違和感か、それともとある興味でも感じたのか、病院内で聞く必要があるかどうかも疑わしい質問を投げかける。

「アビス……、いちいちいいから、そんな」

 場のテンポが崩れるようなアビスの着目点に、ミレイは妙に苦笑いをしながら、そんな事を口に出す。



「あぁいや大丈夫大丈夫! これただの伊達眼鏡! 別にワタシ目ぇ悪くは無いから、ただのお洒落!」

 デイトナは苦笑するミレイを軽く押さえ、自分の眼鏡を指差しながら、その実体を軽く説明する。ただ、アビスが『伊達だて』と言う意味を理解しているのかどうかが凄い疑問に残るのだが。



――しかし、デイトナにはまだ本題が残っており……――



「あ、それとさあ、さっき病院ここに運ばれた友達の様子見に行ったんだけどさあ……」

 デイトナにだって他の友達がいるのだ。だから、今回のように病院に飛び込んでいたのだろう。

「それでどうだったの? カエデとかナタリーとか大丈夫だったの!?」

 ミレイにとっても認識がある存在なのだろう。まだ確認していない友人達が無事なのかどうか、受付の近くを離れずにその場で聞き質す。



「えっと、その二人はちょっと軽症で済んでたみたいだったから今他の友達の見舞いしてる最中。さっき会ったの。後えっとハリエッドとモニカは骨折で、後他も入院って感じなんだけど……」

 ミレイの出した二人の少女――きっと響きや雰囲気から、そう捉えて間違いは無いだろう――は入院するまでも無かったようだ。だが、その後のデイトナの話を聞くと、全員が無事な道を進んだとは思えない空気が流れてくる。

「『だけど』っては? なんか凄いやな予感したんだけど……」

 最後に声が小さくなった箇所がどうしても気になったのか、ミレイはそれが何を意味するのか、再び問い質す。



「うん……エリシャの事なんだけど……、即死だったって……」

 一気にデイトナの顔色が悪くなり、同時に声の調子も悪くなる。視線も下を向き、視覚的にも気まずい雰囲気が流れている。

「嘘ぉ……! なんで、なんでよ?」

 きっと信用出来なかったに違いない。友人の死を目の前で聞かされ、ミレイの青い瞳が動揺の色で残酷に染まる。



「崩れた屋根がお腹に深く刺さって……それで、即死だって……」

 きっと逃げている最中の悲劇だったのだろう。緊急で運ばれたのかもしれないが、手遅れとは、何とも表現し難い最悪な事実である。

「あ……そ、そうなんだぁ……」

 ミレイは涙が表へ出そうになるのをじっと堪え、直接命を奪われなくても、それでも心に影を落とされた者達の仲間入りをしてしまった事に対して両手を震わせる。



「ってかえっと、あのさあデイトナ! 君さあレベッカどこいるか知らないか? 一応いちお俺らレベッカに会おうって考えててさあ、場所、分かる?」

 横で見ていたアビスだが、このままでは一人取り残されて二人が悲しみに突き落とされてしまうのでは無いかと不安になり、紛らわす為にレベッカの病室がどこにあるかを訪ね、二人の感情を復活させようとする。

 ただ、二人の感情の為にある意味で犠牲となったレベッカをどう捉えるか、ではあるが。

「え? えっと、レベッカだったら皮膚科で四階にいるわよ? まだ会いに行ってないんだけど、相当酷い状態になってるって……」

 デイトナの心は落ち着いたのだろうか、或いは自分達だけで時間を使ってしまう事が不味いとでも感じたのか、どうやらレベッカの病室は知っているようであるが、まだ直接は赴いていないらしい。



「四階、ねぇ……。ってか皮膚科ってどう言う事? 怪我とかだったらそんな皮膚科で治療受ける事無いんじゃないの?」

 ミレイは皮膚科と言う一分科の意味を理解しているのか、レベッカの今の現状とその一分科の関連性が今一把握出来ずにいた。やはりレベッカの失踪経緯をまだ分かっていないのだろう。

「それが、聞いた話なんだけど……、まあとりあえず四階行こ?」

 デイトナは四階と言う意味を込めて天上を指で差しながら階段へと向かおうとする。



*** ***







                     ≪ 四階  ◆◆  fourth floor ≫







「急患だ! 道を開けてくれ!」

 狭いとは言えないが、決して広いとも言えない通路を通る、小型のタイヤ付きのベッドを押し進む医者と、その助手の姿があった。そして白衣では無い一般服を来た男の姿も見えるが、きっとそれはベッドで横になっている者の関係者だろう。



「やっぱどこも物騒ね……。んでレベッカって何号室?」

 他の客達が道を開ける中で、当たり前のように道を開けるミレイは先頭を歩いているデイトナに訊ねる。

「えっと、509ごーまるきゅー号室。でもワタシ達が来て何言ってくるか分かんないけどね」

 デイトナもレベッカの性格は知っているのか、見舞いに行ったからと言ってそこで良い結果を得られるとは考えていないようだ。しかし、やはりえんがあるからには行かなければいけないと考えてくれているようだ。



「いや、そんな事無いと思うぞ? だってあん時だって一緒に逃げてた時だって、なんかあの上目線的な態度ちょっと直ってたような気ぃしたし、多分大丈夫だって」

 アビスはレベッカに気を使うかのように、どこか棘の一瞬映ったデイトナのその言葉にやや反発する。

 すぐ傍らをすれ違った中年ぐらいの夫婦が一瞬気になるも、最前列を進むデイトナの後ろ髪を見続けている。
 最も、今も様々な見舞い客や医者、ナース達がこの白い色で支配された通路を所狭しと動き回っているのだが。

「……まあそうよね。入院する破目になったんだからちょっとぐらいはあの態度も一緒に治療されてればあたしも嬉しいわね。とりあえずあたしもそろそろ仲直りしないと不味いしさあ」

 ミレイはアビスのその言い分が気に入ったのか、後ろを軽く向いて最後列を歩くアビスに軽く笑顔を見せる。

 一体ミレイとレベッカの間でどんな揉め事トラブルがあったのかはよく分からないものの、仲直りと言う発想はなかなか素直な証拠である。



*** ***



「ここね、レベッカのいるとこは」

 デイトナは間隔を置いて設けられたドアの内の一つの目の前で立ち止まり、貼り付けられた番号札を指差しながら、二人に言った。

「だけど入った瞬間罵声飛ばされたりしないか今更不安になってきたんだけど……」

 ミレイはレベッカを得意としていないのか、室内で顔を合わせた時にどんな目に遭わされるかを考え、怖くなる。



「大丈夫だって。きっと変わってると思うから」

 アビスのフォローがそのまま室内での現実になれば良いのだが。



 アビスとミレイの軽いやり取りの間に、デイトナは番号札を確認していた。



■509-01 ペルナケート・ヴィンジュ
■509-02 ジークス・トレンディス
■509-03 アネル・ファンタミア
■509-04 スイ・ペリオロン
■509-05 キョウヤ・フジカド
■509-06 ヴァン・カーヤン
■509-07 レベッカ・デビアス
■509-08 カルロン・ビルオ



07ぜろなな、かあ……。窓際、なのね」

 確認したデイトナは後ろ側の番号である為に、自然と場所も外側、即ち窓に近い場所になっているのだと小さく呟きながら、金属製の取っ手に手をかける。



―ガラガラ……



 スライド式のドアは小さく揺れるような音を響かせ、あっさりと開かれる。だが、内部は内部で色々と騒がしい様子を感じ取れる。

 話し合う声ならまだしも、泣いている声すら聞こえるのが痛々しい。だが、左右それぞれに四つずつ設置されたベッドは全て白いカーテンで覆われている為、中で何が起きているのか、何が見えているのかは分からない。

「失礼しま〜す……」
「失礼、します」
「えっと、失礼、します……」

 周囲は全てカーテンで封鎖されているとは言え、他人がいるのは事実なのだから、入る際の挨拶を忘れる事はしなかった。

 デイトナが最初に入り、ミレイが後から入る。アビスは周囲の空気から威圧感か何かを覚えたのか、どこか二人に合わせてとりあえず挨拶をしたと言う感じである。

 だが、入ってすぐ右には一人の医者が立っており、その白衣の男が三人に喋りかけてくる。



「ん? 君達、まさか見舞いでここに来たのかな?」

 眼鏡と白髪が印象的なその医者の男は三人に向かってそんな簡単な質問を投げかける。

「あ、はい、そうなんですが……」

 室内に医者が一人配属されている理由もそうではあるが、ミレイは他にも何か深い意味か、それとも嫌な意味をはらんでいそうな予感を覚え、暗い態度でゆっくりと頷いた。



「見舞いをするのは結構なんだが、くれぐれもあまり被害者のかんさわるような事は口走らないように注意してくれよ」

 職業柄なのか、物腰は落ち着いているように見えるが、この病室で横になっている者達の痛みを分かち合っているかのような表情をこの医者は見せる。

「はい、気をつけます」
(でもレベッカどうなったってんのよ?)

 デイトナは軽く頭を下げながら素直に男の注意を受け止めるが、心中ではやはりレベッカに何が起きたのか、それが気になり、そして不安になり、胸騒ぎが起きる。



「レベッカ? あたし、ミレイだけど、入るわよ?」

 ベッドがあると思われる空間を包み込むように設置された純白のカーテンの端を掴み、ミレイは内部にいるであろうレベッカに言葉を送る。トーンの高い多少優しげな声色が届けられるが、レベッカからの返事は無い。

 因みに、レベッカの場所は入り口を抜けて最も奥の左側である。



―ザザァ……



 カーテンの上部に設置された小型車輪の音が小さく響き、ミレイの力に逆らわずあっさりと開けられる。

「レベッカだいじょ――」



――だが、ミレイがベッドの上で横になっているレベッカを見た瞬間、場が急変する……。青い瞳が凍り付く……――



う……うわぁあああああ!!!!!

 一体何を見たのだろうか、ミレイはトーンの高いその声で甲高い悲鳴を飛ばし、そしてまるで誰かに突き飛ばされたかのように背中から転びそうになる。

「ってミレイ!?」

 丁度ミレイの後ろにいたアビスはいきなり背中から自分にぶつかってくるミレイを両手と身体で受け止め、その少女ながら普段滅多に見せる事の無い弱々しい感情変化に驚いた。

 赤いジャケット越しにアビスの両手に伝わるミレイの二の腕の柔らかさなんかに気を取られている余裕は無かった。

「ミレイ、ちょっと何あったの……ってこれって……!?」

 デイトナもそのミレイの様子に只事では無い空気を感じ取り、距離の離れていないベッドへと近づく為にアビスとミレイを軽く避け、カーテンの中へと入っていく。

 左手だけでカーテンを掴んで勢い良く中へと入るが、止まった際の反動でオレンジ色のセミロングの髪が一瞬、激しくぶれる。

 赤いふちの眼鏡の奥に映る緑色の瞳は、ミレイに悲鳴を上げさせる原因を作ったレベッカの姿を鮮明に捉えたのだ。その恐ろしさを周囲にも教える為か、一滴の冷や汗が左の頬を伝い、細い顎に辿り着く。



――何故、このような結末に……――

顔全体を激しく覆い尽くす、無数の大小様々ないぼ
ただの出来物デキモノとは到底思えず、色も汚らしい青と赤で色塗られている。
更には、その膨らみの度合いが強いせいで口や鼻と言った部分が大きく歪んでいる。
その影響力は凄まじく、本当に本人なのかどうか疑わせる事の出来る程だ。

病衣から僅かに映る胸元や首も例外では無く、容赦無いいぼによって荒らされている。
率直に感想を他人に強引に言わせると、とても触れたくないと述べるだろう。

更には頭部には何らかの処置が施されたのだろうか、白い包帯が巻かれているが、何故か違和感を感じずにはいられない。
あの特徴的な金色のロングヘアーはどこに行ってしまったのだろうか?
包帯は耳よりやや上部に巻かれているが、なんと、包帯から髪が食み出ている形跡すら無いのだ。
包帯から僅かに食み出た頭部にも生えている様子がまるで見られず、この頭髪の影響もあり、本人の特定をより困難にさせている。

即ち、これは髪が全て抜け落ちた事を意味している……



「ほ……ホントに……これって、レベッカ……?」

 眼鏡を今着用しているとは言え、デイトナの視力は決して悪い訳では無いだろう。弓をあれだけ扱っていたし、それにあくまでも『伊達』なのだから。その目の前に映るものをほぼ全て、鮮明に受け取ったデイトナは何故かミレイのようには恐怖を受け取らず、現実の恐ろしさと呆気無さに静かに身を震わされる。

「君達……。実はそのの事なんだが……」

 いつの間にか三人のすぐ横には例の医者が立っていた。三人に比べてなかなか身長が高い為、余計に目立った。



「あの、レベッカになんかあったんですか?」

 アビスは自分に寄りかかっていたミレイを軽く押して自分で立たせながら、医者の男にレベッカが何をされたのか、訊ねる。デイトナの後ろからふとレベッカの様子を見るが、無言のまま、その表情が険しくなる。

「その、≪クレイブディヴァー≫と言うウィルスに感染した囚人達に襲われて、無残な姿になったんだよ……。君達は感染した彼らを見なかったかい?」

 感染した囚人に捕まった際にレベッカはどうやらそのままウィルスの餌食となり、このようになってしまったようだ。果たして、三人の内の誰かは感染囚人を目撃したのだろうか。



「あれ? そう言えば俺ら見なかったっけぇ? 明らかあの何とか服っつうの着た変な奴」

 アビスは何とか気持ちを落ち着かせたであろうミレイを見ながら、自分達の昔の話を思い出す。

「囚人服よ。ってあいつに捕まってたら……あたしらもレベッカみたいに、なってたって訳ですか?」

 ミレイはもう落ち着いているだろう。アビスにはその『何とか服』の正式な名称を伝え、そして医者の男に対しては、敬語で囚人に捕まっていた場合の結末を問い質す。



「勿論だよ。所で、君達も襲われたのかね?」

 単刀直入に医者は答え、そのミレイの話の内容から察知したのか、ミレイ達も毒を浴びた囚人達に狙われたのかと、質問をする。

「あ、はい。でも実際襲われたのはあたしとアビスで、デイトナは襲われてないんですけど。あ、いや、結局はあたし達はちゃんと逃げ切ったんです。ですけどあの囚人男あたしら追いかけてる最中に血ぃ吐いてそのまま動かなくなったんですよ」

 やはりミレイは囚人の男に追いかけられた事を忘れていなかった。しかし、その時にはデイトナとはまだ会っていなかった為、実質アビスとの逃亡劇と化していた。

 囚人の男は二人を捕らえると言う目的を終える前に吐血とけつし、そしてこの世を去ったかと思われている。



「なるほどね、よく逃げ切ったものだよ。だけどそのには気の毒だが、症状が治まったとしても昔のような顔に戻るに凄く時間がかかるんだよ。この毒は非常に強くて、そしてしつこい感染毒だから、消毒するには本当に時間を使ってしまうんだ」

 医者は三人が感染しなかった事に対して安堵の表情を眼鏡の裏で浮かべるが、問題はレベッカの方である。

 いくら退院出来たとしても、あの時のような毒舌ながらも意外と端麗に作られた容姿に長い間、傷跡が残されてしまうと言うこの避けられないであろう事実をどう捉えるか、である。



――レベッカは医者と三人のやり取りを聞いていたのか……――



「みれい……、ナンデ……アタシノコト……ムシシタノヨ……!?」

 だが、聞こえてきたのは少女特有の高めな声色なんかでは無かった。

 ベッドからは、まるで蝦蟇蛙がまがえるのように低く野太く、そして濁った中年を過ぎた男のような苦しげなものが聞こえてくる。何やらミレイに対して怒っているようだ。上体を起こし、滅茶苦茶になった顔でミレイを睨みつけている。



――ミレイはレベッカのベッドに近寄り……――



「レベッカ……。あたし無視なんてしてないわよ? ってかあんたが勝手に……っていいや、それよりあんたがいなくなった時だってあたしアビスと一緒にそこら辺探し回ったのよ? けどさあ、途中で例の囚人に追いかけられて、その後は、まあ、もう色々あってさあ……」

 ミレイは、巨大ないぼによってもう本当にレベッカ本人なのかどうかも疑わしいその『元』金髪長髪の少女と何とか目を合わせながら、自分の意見を伝える。

 本当はレベッカの身勝手な行動もあだとなったのだが、下手に嫌みを言えばまた面倒な事になると思い、躊躇ためらったはいいが、結局は何故かミレイが悪いような終わり方になってしまい、どう説明すれば良いかも分からず徐々に声の高さを落としながら、青い瞳を逸らす。

「ケッキョクジブンバッカリジャン!! ヤッパリアンタトクンダノガマチガイダッタノヨ!! ドウシテクレルノヨ!? コノカオ!」

 元は性格さえ無視出来れば一応は可愛いと認識出来たであろうその容姿も、今はもう話が別である。

 レベッカを無視するかのように逃げていたミレイに向かって、苦しそうな野太い声を何度もぶつける。生気も可愛さも生意気さも失った、小皺こじわさえ映るその非常に細くなった両目から涙が落ちる。



――何とかアビスもレベッカをなだめようと、ベッドに近寄り……――



「いやレベッカ? 顔はまあしばらくしたら治るって言うから別にいいだろ? あん時やっぱずっと俺らといれば助かったんだぞ? こっちゃあミレイだっているし、それに他にも色々色んな奴と会ったりもしたんだし、勝手に離れたお前が悪い――」

 だが、アビスの説得と説教二つの意味合いを持つそれがレベッカには伝わらず……

「シンマイノブンザイデアタシニイケンシナイデヨ!! ヒヨッコはんたーノクセニナニウエメセンデモノイッテルノヨ!?」

 野太くなってしまった声で、レベッカは平然とアビスをののしった。未熟な腕前の人間に対する態度は入院しても尚、変わらないようだ。



「レベッカ、あのさああんまり怒鳴んないでよ。あたしら喧嘩する為に来たんじゃないからね? ホントにあんたの容態気になったから来た――」

 だが、ミレイでもレベッカの心を抑えられず……

「ウソモイイカゲンニシテヨ!! ドウセばかニシニキタンデショ!? アンタチョットカオニジシンアルカラッテエラソウニ!!」

 レベッカの心情を考えれば分からなくも無いのだが、ミレイは軽く包帯やガーゼを当てている程度であり、レベッカと比べれば『滅茶苦茶』と言う言葉はまるで似合わない。レベッカに比べれば随分と無傷に等しいその状態が気に入らなかったのか、再び罵声を飛ばす。



「ちょっと君達? 他にも患者がいるんだが……」

 近くで様子を見ていた医者が溜まりかねたのか、周囲の迷惑を考えなくなり始めたであろう四人達に注意をかけるが、

「あの、すいません! すぐ終わらせますので、ホントにすいません!」

 デイトナはまるで三人の代表のように医者の男に頭を下げ、そしてレベッカの横になるベッドへと接近する。



「ねえレベッカ。ワタシ達馬鹿にしにここに来た訳じゃないってさっきミレイ言ってたじゃん? 他の友達もここに運ばれたって言うからワタシ全員のとこに回ってきたのよ? まあ中にはあんまり容態良くない人もいたけど、レベッカだって容態良くなったらまた狩猟だって行けるんじゃない? 先生だって一応は治るっておっしゃってたし、あんまりそうやって周りも自分も責めるの良くないわよ?」

 まるで何もかもが絶望で染められてしまったかのように嘆くレベッカの心を癒そうと、デイトナはまだレベッカに残されているであろう希望を再確認させ、丸まり込み続けるのは良くない事であると両手を軽く差し出して落ち着かせようとする。

「ナンデアンタミタイナショシンシャニトモダチヨバワリサレテルノヨ……。ソンナカッコウデヨウタイダノシュリョウダノイワレテモセットクリョクナイワヨ!」

 一応はデイトナはハンター装備と言うある意味で初心者用の装備を纏っている訳ではあるが、それに加えて今のデイトナの伊達眼鏡やベスト着用の姿がかんさわり、レベッカは簡単には受け入れようとはしなかった。



「って言うかレベッカ、なんでレベッカってすぐそうやって『自分が一番上だ!』みたいに見栄張んのよ? 確かにワタシはまだレベッカに比べたらまだまだだけど、そうやってなんか真っ直ぐ『初心者』とか言われたらかなり不愉快になんだけど?」

 デイトナもレベッカのその実力による偉そうな態度が気に入らなかったらしく、まるで本当の自分に攻撃を受けたかのような錯覚に陥ったデイトナは伊達眼鏡の裏でその瞳を細め、感情を抑え続けても良いのかと考え始める。

「ソノマンマジャナイ! ショシンシャハショシンシャラシクシテレバイイノヨ! アタシガテイコウデキナイトキネラッテサア! ダカラアンタミタイナノウナシガダイッキライナノヨ!」

 そのレベッカの突き放すような罵声は、野太くなってしまった声色と混ざり、余計に迫力が出ているように見える。しかし、聞き取りづらいのは相変わらずである。



「そう? あぁあごめんね、ワタシが能無しで初心者で」

 デイトナはまるで面倒になったかのように一度溜息をき、無理矢理レベッカに合わせて自分の欠点をそのまま認めてしまう。

「ちょっとデイトナいいの? そんな汚い事言われて黙ってても」

 ミレイはデイトナのその無理矢理の納得がどうしても受け入れられず、デイトナの肩に左手を置きながら考え直すように言った。



「ああいいのよ。だってホントの事だし……、いくらこっちが何か言ったって多分レベッカ聞かないだろうし……。折角来て逆に色々言われるぐらいだったら初めっから来なきゃ良かったのかなあなんて思ったりするけど」

 まるで悲しみに突き落とされたかのように、デイトナは俯きながら弱々しく自分の言いたい事を言い切った。

「ナニアンタアキラメテルノヨ? ソウヤッテスグヒトノぺーすニマキコマレルトコロモ『コドモ』ダッテンノヨ。ソウイウヨウチナトコロガアタシダイキライダッテイウノワカンナイノ?」

 容姿も声色もみにくくなってしまっても、レベッカのすぐ説教を垂れる癖は治っていないのだ。あっさりと納得してしまう部分でもいちいち嫌みのように言ってくる当たりがあまり可愛くないだろう。勿論、現時点で言えば、外見では無く、性格の話なのだが。



「『子供』って……、それってそっちの事じゃないの?」

 デイトナはもう我慢する気が無くなってしまったのか、一瞬反撃でも仕掛けるかのような目付きになる。

「ナニヨ!? クズノブンザイデアタシニタテツクキ!?」

 いつの間にか涙は収まっていたが、自分がどのような立ち位置にいようと、デイトナより下に行く事を嫌がるかのようにレベッカは濁った声でデイトナを罵る。



「ワタシが『クズの分際』かどうか分かんないけどいい加減もうそうやって人見下すのめたらどうなのよ!?」

 自分にはまだ自信を持てないにしろ、ここまで言われ続けていれば、デイトナだって我慢の限界がやってくるものなのだろう。

「ちょっデイトナ。レベッカと言い合ったってどうせ聞かない――」
「いいわよ伝わんなくたって。分かんないんだったらこっちから教えつけてやるまでよ」

 声を荒げ出したデイトナを止めようとしたのか、それともレベッカを相手にしても都合の良い展開が生まれないと読んだのか、ミレイはデイトナの肩に手をかける。

 しかし、デイトナは駄目元で、そして理解力の乏しいレベッカに今度こそはと伝えてやろうと思っていたのだろう。



「あんた昔から言われてたんじゃなかったっけ? 自分が実力あるからって他のまだ慣れてない人の事馬鹿にしてたら後で酷い目に遭うみたいな事。そして結果がこれで、結局あんたの下にいた達だって全くレベッカの事心配してくれてないんじゃない? 誰か一人でもレベッカのとこにお見舞い来てくれたいた? ホントはワタシだってあんたみたいにワタシの事簡単に捨てた奴のとこなんか行きたくなったけど、でも心配だったから来たのよ!? もうちょっと周りの配慮とか出来なかったの? ってか出来ない?」

 レベッカの態度を決して受け入れず、デイトナはレベッカの実力はあるが、それが原因で失ってしまっていた信頼性について、多少の個人的な見解が混ざりながらも、結構な怒りの表情を混ぜながら言いたい事を全てレベッカへとぶつける。

 この症状に陥る前から後輩達に対して配慮が出来ていれば今の状況が変わっていたのかもしれないが、やはり今も昔も出来ていた方が良かったに決まっている。



「バカジャナイノ……? カッテニオモイコミシナイデ……。コウハイドモナンテドウデモイイハナシダケド……、ナカマグライイルワヨ……」

 その勝ち誇ったようなレベッカの台詞ではあるが、その少女だと言うのに野太くなった声色が、その凛々しさを失わせてしまっている。しかし、結局の所他に見舞いに来てくれた後輩はいたのだろうか。



―ガラガラァ……



 再び病室の横開き式のドアが何者かに開けられるが、閉められる音は聞こえる事が無かった。どうやら開けっ放しにしているらしいが、それを考えるとどうやらマナーの弁えない人物であるようだ。

「レベッカぁ、また来てやった……ってお前ら来てたのか。一人知らねえ奴いっけど」

 その人物は男であったが、整髪料で固められた黒髪に、三日月をデザインされた茶色いTシャツ、そして鼻の右部に埋められた鼻ピアスと、第一印象はお世辞にも良いとは言えない。

 レベッカの元に辿り着く前に、ベッドの前に立っていた三人が目に止まり、率直な思いを口に出すが、初対面がその中に含まれていると考えれば、この言葉遣いはやや相応しくないようにも聞こえる。



「これって……レベッカの、彼氏?」

 ふと目を向けたアビスであるが、その派手と言うよりはがらの悪そうな格好をしたその男に対して、何となくそんな言葉が出てくる。

「まあ一応そうなんだけどね」

 ミレイも、気の抜けた声で、アビスにそうやって返答する。

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