■■■ 逃げる先にあるものは/BLACK CUTE ■■■

アビス達は元々話し場として使っていた建物の奥へと逃げ込んでいた。
残念ながらミレイとは離れてしまったものの、武具を纏っており、尚且つ武器が無くとも
非常に頼れるであろうフューリシアと共に今に至る。

そして、敵との深い関わりを持つ青い髪の少女、ネーデルもおり、合計三人が
建物の奥へと突き進み、一応は男達の脅威から回避したと言える。

裏口から外へと脱出し、鉄材や木箱等が無造作に詰まれた資材置き場らしき場所へと辿り着く。
それが何の意味を指し示すのか、それは三人には分からないが、バンダナマスクの男達を
まいたのだから、意味を深く考える必要性はとりあえず無いだろう。

周囲には街灯もそびえ立っており、夜のこの空間を明るく照らしてくれている。
互いに顔を確認する事が出来るが、資材の薄汚れた部分も目にする事が出来てしまう。

一応は男達から逃げ切ったのだが、ネーデルはこの場ではかなり不味い状況にあると言える。

それは、のちに分かる事である。





「はぁ……はぁ……とりあえず、これで一安心だな……」

一角獣装備であるフューリシアは適当な積まれた木箱を選び、その横で右手を付きながら、
大きく肩で呼吸をする。

バイオレットとの闘いで一気に体力を持って行かれていた事だろう。なのに僅かな時間とは言え、逃げると言う行為によって
少ない体力を更に消費してしまったのだから、きっと見た目以上に大きな苦痛に襲われている事だろう。

「確かにそうですけど、でもフューリシアさんは全然大丈夫じゃないですよ? 大丈夫ですか? どっか座った方がいいですよ!」

アビスも今までの逃亡の中である程度体力を持って行かれていたのか、多少呼吸を乱しているが、
フューリシアは深呼吸に加え、ほぼ全身に殴撃おうげきによる傷を負ってしまっているのだ。

アビスは自分の疲れも忘れ、ひょっとしたらそのまま地面に崩れ落ちてしまうかもしれない
そのフューリシアの身体を支えようと、青いジャケットに包まれた両手を出す。

「アビス、わたしは大丈夫だ……。ちょっと全身が痛むが、まだまだ倒れないぞ?」

フューリシアは木箱に背中を擦り付けるように寄りかかり、やや白めな頬に流れる汗を指で拭う。



「でも、ミレイと、デイトナ、だったっけ? あの二人とちょっとはぐれちゃったけど、どうすんの? ってかあいつら、えと、追っかけてきたりすんじゃねぇの?」

フューリシアはとりあえずまだまだ動けそうであるが、それより、アビスはふと気付いたのである。

いつも共に行動しているミレイと、そしてこの騒ぎで初めて知り合ったデイトナとはぐれてしまった事、
そして、先程突然現れた赤殻蟹装備の男と、バンダナマスクの男達がまたしつこく狙ってくるのでは無いかと、
資材置き場の出入り口に当たる部分に利き腕の先にある人差し指を向けた。

「あっちは、多分ミレイが付いてるから心配無いだろう。それと、奴らは銃なんか持ってたな……」
「銃って……ボウガンの事?」

フューリシアはミレイの実力を信用しているのだろう。

だが、バンダナマスクの男達を思い出すなり、女性ながら、元々怖いような印象のある表情をやや険しくさせる。
まるでその武器に対して恐怖を感じさせるかのように。

アビスはあまり武器に詳しく精通はしていないのか、そんな単純な質問を投げかけてみる。



「違う。ボウガンはハンターが使う火器で、銃は一般人とかが人間同士でやりあう為に造られた火器だ。まあどっちにしても狙われれば重傷を負うのは目に見えてるから、油断は出来ないぞ」

短く、アビスの意見が間違っている事を伝え、ボウガンと、拳銃・・の違いを手っ取り早く説明する。
しかし、一つだけ言える事は、どちらも直接受けてはいけないと言う事である。



「あぁ……はぁ、はい……」

一応はアビスにとって、フューリシアは今回初めて出会った人物であり、尚且つ明らかに年上と言う事もあり、
今までは敬語等皆無に等しかったと言うのに、ここで妙に敬語のような態度でゆっくりと頷いた。

敬語で行くのか、タメ口で行くのか、どちらかに統一した方が良いかもしれない。



――ここに来て、ずっと黙っていたネーデルだったが……――



「あ、あの、お話の邪魔をするようで大変恐縮なんですが……、早く、原子炉を止めに向かいたいのですが……」

アビスとフューリシアで話し合っている場所に対し、弱々しい声色でネーデルが自分が今したい事を伝えてみせる。
やはりあの赤殻蟹の男ノーザンの言った事のせいでネーデルは相当扱いを悪くされてしまっている事を自覚しているのだろう。

睨まれるのを覚悟でなのか、その証拠として相変わらず弱々しい印象を与える口調に震えが混じってしまっている。

「原子炉を止める、かぁ……。随分偽善者ぶった台詞だなぁ……」

ネーデルの要望を聞いたフューリシアは、ゆっくりと積まれた木箱から背中を離し、自分の両脚だけで身体を支える。
そして、彼女の紫色を帯びた瞳が細められる。



「えっと……そう……ですが……」

ネーデルはフューリシアの威圧感の篭った表情に怖がっているのだろう。
確かに自分は原子炉へと向かいたいのだから、自分の意見だけははっきりとさせなければいけないはずだ。
しかし、言葉の途切れは周囲に震えていると言う印象を植え付ける。



「ネーデル、お前どうしたんだよ? 別に怖がんなくたって……」

アビスはネーデルの明らかに何かに脅えた様子を読み取り、少し笑いを含みながら聞いてみた。
だが、そんな事を言っている間に、後ろからフューリシアがアビスの隣をややゆっくりと通り過ぎる。

「アーカサスの炎上を止めるのは流石だと言ってやる……。でもなぁ……」

いつもの男に似た口調で、歩きながら喋るフューリシアと、そして脅え続けるネーデルとの距離が徐々に縮まっていく。
まるで、好ましくない光景が始まるまでの残り時間カウントダウンを人間で表現しているかのように。

立ち止まっているネーデルと、歩き続けるフューリシアの間で、緊迫とした何かが走る。



「な……何か……問題でも……」

何か言いたげな雰囲気を見せるフューリシアに対してネーデルはその言いたいであろう部分を
敢えて追求し、それでも怖さを見せてくる紫色の視線に対して、一瞬赤い瞳を逸らした。



――そして……――



「きゃっ!!」

突然フューリシアの右腕がネーデルに向かって伸び、胸倉を掴みながら乱暴に背後の積まれた木箱へ押し付ける。
反動でネーデルの青く長い髪が激しく揺れ、背中を強く打ちつけられた事により、思わず悲鳴を飛ばしながら両目を強く閉じる。

「お前が一番の問題だ!!」

フューリシアの怒鳴り声が辺りに響き渡る。

右腕をピンと伸ばしたまま、剣幕に負けて言い返す事も出来ないネーデルを鋭く睨みつけ、
そして木箱にネーデルをぶつけても尚、更に押し付け、ネーデルを痛めつける。



突然のフューリシアの暴力に、アビスは驚きながらも、声すら発する事が出来なかったが、流石に黙っている訳にも行かず、
それでもそのフューリシアの言動に怖がりながらも、一応は一言を飛ばしてみる。



「ちょ……ちょ何すんだよ!?」

アビスは恐る恐るフューリシアに接近しながら、ネーデルにぶつけた暴力に対して抗論しようとするが、
下手に直接手を出せば自分にも暴力が飛んでくる可能性があると思い込んでしまい、手そのものは出せなかった。

「アビスは黙っててくれ!」

一言アビスに忠告したフューリシアは、一秒と間を置かず、再びネーデルを睨みつける。



「最初からあいつらの仲間だったって時点で怪しいと思ってた! そして実際の結果があれだ! お前本当は大人しくしながらあいつらがやって来るの待ってたんだろ!? 殺されないで済んだが、お前と同行しての結果があのざまだ!! 二人ともはぐれるし、それにまた奴らに襲われるリスクまで負った! お前間諜スパイかなんかだろう!! なんか言ってみろ!!」

フューリシアの中に蓄積されていたものがここで全て――まだ残っている可能性もあるが――放出された。
言いたい内容一つ一つに力を入れて怒鳴りつけ、極限にまでネーデルを追い詰める。
フューリシアの中では、既にネーデルには人権は存在せず、ただ敵の一員と言う過去を持っているだけで
善人では無く、悪者扱いと言う決定が押されているのである。

「ほ……ホントに……違うんです……」

それでもネーデルはフューリシアの意見を何一つ認めず、顔をフューリシアと向きを合わせず、恐怖で両目を閉じ、
両手を弱々しくフューリシアの右腕に触れながら震わせている。



「違う……? 何がだ!? あの短剣はなんだ!? 結局は殺す気でいたんだろ!? 違うか!?」

よく見れば、フューリシアの左腕が持ち上がっており、しかも、拳が強く握られている。
元々溜まりに溜まった怒りが更に上昇し、それが拳へと注がれているのかもしれない。



――流石にアビスも黙ってはいられず……――



「ちょちょちょ待てよ!!」

アビスは今にも殴り飛ばされそうなネーデルを護る為に、ネーデルとフューリシアの間へと入り、
ネーデルの盾として動きを見せる。
だが、フューリシアの伸ばされた右腕はネーデルから離れておらず、アビスの左肩にその腕が触れた状態になっている。

かばう必要なんて無いだろ? こいつは君も殺そうと考えてたんだからな」

目の前に現れたアビスに対しても、相変わらず恐ろしさを混ぜた紫色の瞳を向け続け、
街灯に照らされた資材置き場の中で、フューリシアは先程までの乱暴だった口調を抑える。



「いやいやかばうって! ってかあんまネーデルん事そこまで責めんなよ! まだホントに悪いかどうかなんて分かんないだろ?」

アビスにとってはフューリシアは恐ろしい人物として考えているのかもしれないが、それでもネーデルをかばうには、
言葉で対抗するしか無いと考え、あまり得意では無いながらも、フューリシアに立ち向かう。

「じゃああの連中に狙われたのはどう説明つける? そして、あの短剣もどう説明するんだ?」

フューリシアはネーデルから未だに右腕を離さず、簡単には解決出来そうにない問題点をアビスへと出題し、
敵対者の一人であるはずのネーデルを庇うアビスを追い詰める。



「え、あ、いや、んと、きっとあいつらはさあ、出鱈目でたらめ言ってたんだと思う! 絶対! だって、ネ、ネーデル目茶怖がってたじゃん! 普通だったら、えと、ほら、ちょっと、ちょっとぐらいなんか、んと、ちょっと笑ったり、とか妙なたくらみ見せた顔っつうのかなぁ、なんかそんなの見せたりするだろ? 普通。でもネーデルなんて、ずっと、ずっと怖がってただろ? なんか苛め受けてる子供みたいにメッチャビビってただろ? ネーデル絶対演技じゃないからこれ絶対! 俺は騙されないから! ……多分」

アビスは後ろにネーデルを隠した状態で、口元を迷わせながらも、精一杯ネーデルを弁護する。
こう言う場面が苦手なのか、話している途中で考え込んでいるかのような言動も見せるが、これでも彼なりの精一杯なのだ。

手をやたらめったらと動かせ、そして必要以上に声の音量を高ぶらせ、どこかうざったらしい様子を見せつけてくれる。

「『多分』って何だ? 自分が言った事ぐらい自信持ったらどうなんだ?」

フューリシアは未だにネーデルから腕を離さず、アビスの最後に言った、本当に自分の主張した内容で
フューリシアなんかに対抗出来るのかと思わせるような無駄とも、弱みとも言える箇所を突き、威圧的な空気をアビスへと浴びせる。



「あ、あゃ、んと、とえっとじゃ、じゃなじゃな、かった! 絶対だよ絶対! ネーデルは騙されたんだよ! あいつらは出鱈目でたらめ! 真面目に出鱈目でたらめだよ!」

一瞬自分に何か直接的な暴力が飛んでくるような錯覚を覚えたアビスだが、ネーデルは嘘を言っていないと、
今度は曖昧あいまいな表現では無く、事実であるときっぱりと言って見せる。



「それじゃあ、短剣はどう説明つけるつもりだ? あんな物騒なもん持ってたんだ。護身用とかの単純な言い訳は聞かんぞ?」

どうやらまだアビスは一つだけ出題された内容に答えていなかったようだ。
フューリシアはアビスのその滅茶苦茶ではあるものの、それでも彼なりに頑張った説得によって先程のように怒鳴り立てる様子は
見られないものの、やはり紫色の瞳に映る威圧感は消えてはいない。

「あぁいやあれは……えっと……やっぱ、護身用で……しか……」
「言っただろ!! 護身用だとは聞かんって!!」

しかし、流石にここではどうしてネーデルのふところ短剣ダガーなんかが入っていたのか、
ネーデルを納得させる理由をアビスは見つけられず、結局の所はフューリシアの上げた憶測で済ませようとするが、
殆ど前触れも無しに放たれたフューリシアの怒鳴り声により……



「うわぁ! ちょっ……」

アビスは一応今はネーデルを保護していると言う立場にいながら、非常に格好の悪い事に、
両肩を飛び上がらせながら、驚いてしまっている。
同時にアビスの短めの紫色の髪が揺れる。

怒鳴られた事により、威勢を失ってしまった様子だ。

「ハンターでも無い奴が武器持ち歩いてるなんて、考えられるか! まあハンターだから好きなように振り回してもいいって権限は無いが、そいつは仮にももと敵の組織の団員だぞ? 悪いが、武器なんか持ってた時点でこいつは信用出来んな」

武器は人間を容易く傷つける事が可能な上に、更に殺す事だって容易な道具である。
元々は敵だと言う肩書きを持った人間がそんな物騒な物を持っている事は、
フューリシアは納得出来なかったに違いない。



「信用って……、だから兎に角ネーデルは違うんだって! それに、もうこの手だって離してやってよ……!」

とことんネーデルを追い詰めるフューリシアであるが、それでもアビスは否定を繰り返し、
そして、ようやく気付いたかのように、フューリシアの伸ばされた右腕に掴みかかる。



――ネーデルから、右腕を引き離そうとしたのだ――



アビスは左手でネーデルの首元を、右手でフューリシアの一角獣のアームに包まれたやや白い印象を与える右腕をそれぞれ掴み、
力を入れて無理にでも引き離そうとするが、思いの他、フューリシアの腕力は女性ながら強く、離れない。

「何やってる? こいつを離したら、何されるか分からんぞ?」

どうやら、フューリシアはネーデルを単に追い詰めるだけでは無く、敵との関連性を持つ存在を
自由に動かしてはならないと言う意味も込めて、ずっと右手だけで掴んでいた様子である。

ただ、その理論はネーデルが本当にあの連中・・・・から脅えていたのか、それとも未だにつるんでいたのかを
もめている最中に自然と構築されたと言っても良いかもしれない。
或いは、ネーデルに対する嫌悪感から生まれたものか。

「いや、大丈夫だよ。ネーデルはそんな自己中な事しないと思うよ? 逃げる時だってちゃんとついて来てたし。それに、ずっと掴んでてもただ怖がらせるだけだって」

アビスはネーデルを信じながら、相変わらず両腕に力を入れてネーデルからフューリシアの右手を引き離そうとするが、
離れる様子はまるで見られない。



「どうだかな。離した途端性格が変貌でもしたらどうする? どうもあの短剣が引っかかってだな」

それでもフューリシアはネーデルを信用してくれず、アビスより遥かに強いであろう力でネーデルを掴んだままの
状態を保ち、紫色の瞳も相変わらず尖ったままの様子を見せている。

「そんな事、無いって……!」



――アビスは今度は引き離す体勢を変え……――



フューリシアの伸びきった右腕を自分の右腕で上から抱きこみ、フューリシア側へ引っ張るような体勢になる。

「あれは別にそこまで考えなくていいだろ……!?」

アビスは力を込めながら、武器に対する執着心に対して抗論する。
そして、いつまで右手で束縛し続けるのかと言う疑問まで抱き始める。

アビスの言い分はまだ終わっていないようだ。

「ってかもう離したらどう――!!」

更に力を入れるアビスだが、台詞が途切れた理由はあまりにも明白であった。



――力を入れていたアビスの右手だが……――

勢い余って右手がフューリシアの右腕から離れてしまい、その反動がとんでもない事を引き起こしたのだ。
何せ、右肘みぎひじがフューリシアの顔を向いていたのだから……。



――アビスの右肘みぎひじの行き着く先は……――

フューリシアの右の頬だった……



バン!!

「うぐっ!!」

突然フューリシアは肘で頬を強く打たれ、無残にも地面へと背中から倒れこんでしまう。
いくらアビスとは言え、傷だらけであるフューリシアにとっては非常に恐ろしい一撃だった事だろう。

倒れた後も、苦しそうに顔をしかめている。





「あ、やべ……」

さっきまでの恐怖心はどこに行ったのか、間の抜けた口調でアビスはそんな事を呟いた。
アビス自身も予期していなかった出来事だった為か、何故かこの場に不釣合いな笑みまで浮かべてしまっている。

目の前には、アビスの打撃で苦しんで倒れているフューリシアの姿があるが、アビスはどうすれば良いのか、
行動に迷ってしまっている。
恐らくは、立ち上がられた後の何かに恐怖しているのだろう。

「ちょっと、アビスさん……」

流石にネーデルも今のアビスの予期しないとは言え、その一撃に黙っているのは難しかったはずだ。
フューリシアの右手から解放されたとは言え、ここは難しい問題である。



「あ、あの、やっぱここって……さあ、ちゃんと謝った方が……いっかなぁ?」

アビスは恐る恐ると言った様子で、すぐ後ろにいる青く長い髪を持った少女こと、ネーデルにこの後
どう行動を取れば良いかを訊ねる。
ミレイが聞き手だった場合、確実に自分で考えるように施されるだろうが、ネーデルの場合はどうだろうか。

「少し、怖いですけど、やっぱり謝るべきだと思いますよ? 怖がらずにちゃんと……」

ネーデルはフューリシアの恐ろしさを思い知らされてはいるものの、妙な一撃を加えてしまったのはアビスであると言う事実を無視せず、
しっかりと謝罪するよう、優しくアビスの背中を押す。



「いややちょっ待って! なんか、ぶっ殺されそう……、やどしよ……マジ怖いんだけど……殺される……」

アビスでも謝罪しなければいけないと言う事くらいは理解しているだろう。
だが、近づいた途端に恐ろしい事でもされたらどうすれば良いか、なんて言う恐怖心から生まれる妙な空想がアビスを硬直させる。

「いってて……」

だが、フューリシアはようやく激痛から逃れたのか、ゆっくりと上体を持ち上げようとしている。
打撃を受けた右の頬を押さえながら。



「アビスさんちゃんと謝った方がいいですよ。わざとじゃないんですよね? だったらちゃんと伝わりますから」

ネーデルは持ち前の落ち着きを見せた性格と、御淑おしとやかな性格を混ぜた態度で、アビスに何としてでも
謝らせるよう説得をこころみるが、相変わらずアビスは駄目な様子だ。

「いや……でも、俺これでも結局この人殴っちゃった訳じゃん? 謝ってもなんか仕返しでぶん殴られそう……。だってこの人ミレイよりこわ、あ、っつうか強いんだ、ってたよなぁ? 俺なんか目茶ヤバい事したんじゃね? 逃げた方いっかも……」

フューリシアはあの話・・・を聞く限り、ミレイよりも強い力を持った女性である様子だ。
そんな人物に対して意図的では無かったにしろ、暴力を奮ってしまったのだ。アビスはやや人道の外れた道へ進もうとするが……



「駄目ですよそんな事したら! 気持ちが大事なんですよ!」

流石にフューリシアから逃げるのは駄目だろう。自分の罪も認めずに逃亡するその行為に対し、ネーデルは
その静けさのある声色の影響か、直接神経を叩き付けられるような恐怖を感じられないものの、それでも荒げていると言う事実には
代わりの無いであろうその声でアビスに要求する。

「いや……でも……」
「アビス……」

未だに渋る様子ばかりを見せつけてくるアビスであり、現在のフューリシアの姿の確認すらしなかったが、
突然威圧感の蓄積された声が飛び、そして物理的に伸ばされた左手はアビスの肩へと触れ、この時点ではまだ軽く握られる。



「あ、えっと、いや……」

立ち上がり、アビスとほぼ同じ視線を持ち始めたフューリシアを確認したアビスはこの後何をされるのかを悟ったかのように、
茶色い目を動揺させながら、後退りするが、フューリシアは離さなかった。

「わたしを殴るとはいい度胸じゃないか? んん?」

フューリシアの左手が掴んでいるアビスの肩がどんどん締め付けられていく。
まだ怒鳴ってこそいないものの、フューリシアの目は確実に怒りを表現している。



「あ、や、ちゃちゃちぁうんだよ! ……じゃぁって……えっと、です! ぐぐ偶然、ちょっい、い勢いがえと、あれで……べべ別に度胸とかえと、じゃなくって……」

何とか自分の無罪を認めてもらおうと、アビスは纏まり切っていないあまりにも奇妙な言葉を搾り出すようにあれこれと飛ばし、
自分の右肩を掴んでいるフューリシアの左手を自分の左手で震えながら掴むが、フューリシアの態度は一向に変わらない。

「勢いでか? さっきからわたしに色々言われたから、腹でも立てたんじゃないのか!?」

フューリシアはアビスの落ち着かない言動が気に入らなかったのか、それともその態度が説得力を減少させてしまっているのか、
今度はアビスを左手で拘束した状態で、殴った理由を問い質す。



「いえいえんな事無いよ!! ホント、ホントに! あれ、偶然、偶然です! ホント、ホント!」

アビスだって、本気で殴ろうとなんて思っていなかっただろう。それを伝える為に、繰り返すように返答を見せる。

「相当痛かったんだが? それにしてもそいつを護る為になかなか派手な一面もあるじゃないか」

元々フューリシアはバイオレットの猛攻を受けてボロボロになっていた身である。
一応は簡潔な手当てをミレイから受けたものの、まだ痛みが引いていたとは言い難い。
だから、普段は人間一人もロクに相手に出来ないようなアビスの攻撃でも、あの一撃は充分だっただろう。

しかし、それはネーデルを護ると言う理由も含まれていたのだろうかと、フューリシアはふと思い始める。



「た、たた確かにネーデル追い詰めんのは、ちょ、ちょあれだけど……、でも、えっと、ネーデル、た、助けて……」

どう言う事だろうか。アビスはひょっとしたら心の奥でネーデルを護ろうとは考えていたのかもしれない。
しかし、最後の言動はどうかと考えさせられてしまう。



――震えながら二人の様子を見ていたネーデルは……――



「アビスさん、ちゃんと言う事は言った方がいいですよ?」

静かな声で、アビスに伝えるべきものを伝えるように施す。だが、直接フューリシアを引き離そうとは思わなかったようだ。

「ゆ、ゆう事? な、何だよそれ……?」

普通ならば、すぐに分かる事だろう。だが、アビスはフューリシアの堅く握られ始めた右手を見るなり、
更に恐怖心をあおられ、普通に考えればすぐに理解出来る事も考えられなくなってしまう。

「『今すぐ死にます』、だぜ?」



――その断言を飛ばしたのは、ここにいる三人のものでは無かった……――



「なっ!!」

フューリシアはアビスを左手で拘束したままの状態で思わずそんな声を出しながら、身体は動かさず、
視線だけを後ろへと向ける。僅かに頭も右へ動くが、それは視線の動きに釣られたのである。

「お前ら何そんなとこでじゃれ合ってんだ? 俺らの事忘れてたんじゃねぇだろうなぁ?」



その威圧的な声色を持った主は、当然アビスでは無く、服装もアビスとは当たり前のように異なっている。

バンダナマスクの男だったのだ。右手に握られたのは、機関銃マシンガンであり、そして、銃口マズルが今、フューリシアの頭部へと向けられている。

「追いついたのか……。時間を無駄にしたわたしにも問題はあったがな」

アビスの肩を握ったまま、いや、ひょっとしたらその手を離した途端、相手に発砲されるのかもしれないと言う予感が
フューリシアの左手をそのままの状態にさせる。

「でもまあ、良かったぜぇ。意外と遠くに行ってなくてなあ。そのままお前ら蜂の巣にしてやっから、なんか言い残したい事でもあったら、言えや?」

バンダナマスクの男が遺言を残す事を許可してくる間に、他の二人の男も現れ、同じように
片手だけで機関銃マシンガンを持ちながら、徐々にフューリシア達に近寄ってくる。



「言い残したい事、かあ……。あるぞ。丁度こいつにも教えようとしてた所でなあ」

フューリシアは一度アビスに目をやり、そしてすぐに背後にいる男へと視線を戻し、
口元を少しだけにやけさせる。

「言ってみろよ。気になんじゃねぇか」

機関銃マシンガンを下ろさず、どんな考えを抱いているのか、早急に吐かせようとする。
一体どんな弱音を吐いてくれるのか、期待でもしているに違いない。

「分かった。言う」



――淡々と、後述する事を報告し……――



「弱いくせにでしゃばって……」

フューリシアは笑みの表情を浮かべ続けながら、そんな事を口に出した。

(?)

バンダナマスクの男は、そのフューリシアの言葉の意味に違和感を覚えながらも、
一応は最後まで聞いてみようと、黙っている。



だが、引き金トリガーを引く為の人差し指の力を抜いていたが為に、それが誤算となったのだ。



「『すいません』だ!!」



――超速でフューリシアの右足が男の顔面へと伸ばされる!!――



「うう゛っ!!」

一体何が起きたのかを確認する前に顔面に後ろ蹴りを受けたバンダナマスクの男は
機関銃マシンガンを手放しながらそのまま吹き飛ばされる。



(強っ!!)

アビスはただそれしか心で叫ぶ事が出来なかった。真っ直ぐと伸ばされた右脚が男を一撃で倒してしまったのだから。



「て、てめ――」

他の二人のバンダナマスクの男もフューリシアに対抗しようと、機関銃マシンガンを向けるが、
傷を負っていてもフューリシアにとっては男三人等、敵では無かった。



――非常に素早く残った二人に走り寄り……――



フューリシアは二人に対して後ろ回し蹴りをプレゼントする。
捻られた腰に蓄えられた遠心力により、足に対して非常に強い力が注ぎ込まれる。
それを命中先である男の元へぶつかると同時にその蓄積された力が爆発する。

男達は発砲する余裕も貰えず、そのまま吹き飛ばされてしまう。
呆気ない光景だったと言えよう。



「ふん。弱いな」

フューリシアは多少荒れたような呼吸を繰り返しながら、倒れたバンダナマスクの男達を見渡した。
やはりバイオレットとの戦いによる体力の消耗がここにまで引きられていたのである。



「なんか、一瞬で終わったな……ネーデル?」

アビスはまだ背中を見せているフューリシアより僅かに離れた場所で、ネーデルに向かってひそひそと、そんな声をかける。

「はい。凄く、たくましい気がします」

ネーデルもアビスに合わせて小さな音量でアビスへと返答するが、フューリシアの強さにどこか
憧れでも抱いたかのような感情も篭っている。



「さて、わたし達もそろそろ行くか。所でアビス、あそこで言うべきものが何か、分かったんだろうな?」

フューリシアは自分の身体の向きをひるがえし、アビスへと近寄りながら、
何が正解であるのかを問う。

「あ、はぁ、はぁ、えっと、はい、えっと、すいませんでした……、ごめんなさい……」

アビスはここでフューリシアの出題した問いに答えられなければあの三人・・・・のように、とんでもない威力の一撃を
受けてしまうのでは無いかと咄嗟に感じ、頭を小刻みに下げながら、謝罪を言い渡した。

「分かればいい。でもこっちも大人気無おとなげなかった、済まないな」

とりあえずフューリシアから許しを受けたのだから、アビスはこれで安心出来るだろう。
フューリシアも、少ししつこかったかと、自分の過去の行動を振り返り、気まずい気分になる。



「でも良かったと思います。仲直り出来たんですから」

二人の様子を見て安心したのか、ネーデルは優しげな笑みを浮かべながら、アビスとフューリシアに交互に赤い瞳をやった。

「まあそう……だよな」

アビスもこれ以上フューリシアの恐ろしい剣幕には向き合いたくないと言う気持ちもあり、
苦笑を浮かべながらネーデルを見て頷いた。

「だけどアビス、次わたしにあんな一撃喰らわしてきた時は……」



――アビスの表情が固まり……――



無言状態と化したアビスに対して、フューリシアは次なる台詞をアビスへと言い渡す。

「あの男達と同じ目に遭わせるぞ?」

そう言いながら、地面のあちこちに倒れている男達を指で差し回す。



「え? あぇあぁえあいやややや!! それはちょっ勘弁だよ勘弁!! 俺……死ぬ……」

やはりアビスもフューリシアに狙われていたのかもしれない。だが、アビスならいくらハンターである身であっても、
フューリシアからの攻撃をまともに受けていればただでは済まない事は多少考えただけでも分かるだろう。

それだけは恐ろしい事であるのだから、再び騒ぎ立てるアビスであるが、
途中で煩過ぎると自覚し出した為か、最後の部分では呟くような雰囲気になっている。



「ジョークだ。心配するな」

軽い脅しのつもりだったのだろう。フューリシアのその一言によって、アビスの中でうごめいていた恐怖が、
多少ではあるが和らいだ事だろう。

どちらにせよ、アビスの性格ならば、意図的にフューリシアを攻撃する等、考えられないだろう。
する理由も無いし、張り合える保障も何処どこにも無いのだから。

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