――ミケランジェロは、熱線を送り続けるヴォルテールへと飛び掛る……――



――黒い口を大きく開きながら……――





―◆◆―≪≪  紫電一閃なる黒い牙ファイナルファング  ≫≫―◆◆―

まさに最終段階ファイナルを飾る攻撃に相応しい光景である。
いくら甲殻が黒くても、牙自体は黒色こくしょくでは無いはずだ。

しかし、雰囲気として考えれば、黒い牙と言う表現も間違いと言う話では無いと思われる。
最も、『説明』の説明をしている場合では無いのだが……。



ミケランジェロは遂にヴォルテールの弱点・・を発見する。
いや、既に気付いていたのかもしれない。



◆τψ◆ ヴォルテールの首を攻撃地点アタックポイントにするが……

実はその首の部分の甲殻が剥がれており、肉が剥き出しとなっている。
つまり、甲殻を叩き割る手間が省けていると言う話となる。

護られていない箇所を狙う事がどれだけ都合が良いか、そして、加害者はそれによる不利益をどう思うのか。



――ミケランジェロは、戸惑わなかった――

未だに放射され続けている熱線をも無視し、その熱線を弾き飛ばしながらヴォルテールへと身体を進ませる。
やがて、実行出来る距離に達し、本来の目的を果たす。



◇◇ ヴォルテールの首に噛み付いた…… / FANG FORMS…… ◇◇

甲殻の剥がれた部分に噛み付き、重く鋭いであろう牙がヴォルテールを離さない。
普段岩を砕いているその牙の威力は侮る事が出来ない。
これを振り切る事等、出来るのだろうか?



グアァォオァアアア!!!

ヴォルテールは噛み付かれた直後、すぐに悲鳴に近い鳴き声を張り上げる。
熱線をその時に中断させてしまったのは言うまでも無い。

首を噛み付かれ続け、元々はゆっくりだった出血量が更に酷くなっていく。
ミケランジェロ自身の口元も赤く激しく染まっていく。
だが、黒色鎧壁竜はそれを楽しんでいるようにも見える。元々相手を潰す事が目的なのだから、これは喜びの一つに過ぎないのだ。



―コレデ、オワリニシテヤル……―

ミケランジェロにとってはこれが本当の最期だと考える事が出来たのだろう。
今の自分の立場に究極の武名でも感じているかのように、黄色い眼を再び細める。



―υυ― 手前に対して力を込める…… / RECOGNIZE SCENE? ―εε―

そう言えば、この光景はどこかで見た事がある様子だ。
いや、ヴォルテールがした事を、ミケランジェロがある意味で真似した行為だとすぐに分かる。

そんな事を言っている場合では無い。

もう、時は来たのだ……







―ブシュゥッ……



α 肉が引き千切られる音…… α



  β 手前へと引かれるミケランジェロの頭部…… β



    γ ヴォルテールの首から吹き上がる血液…… γ



      δ 苦痛に満ちた表情で崩れ落ちるヴォルテール…… δ



        ε 何故か、無音地帯ノー・サウンドへと化していたこの空間…… ε



――クルーガーはその決定的瞬間クランブリングキルを逃しはしなかった……――



ヴォ……ヴォルテールぅうう!!!!

クルーガーは目の前にユミルがいる事も忘れ、血を首から流しながら倒れていくヴォルテールを見て一瞬われを忘れてしまう。
そのまま鎧竜の元へと走り寄ろうと考えようとするが、ユミルの存在を忘れてはいけない。

「はははは、やっぱり予想通りだったみたいだねぇ。結局は滅びる運命にあったみたいだよ」

ユミルは自分から視界を反らしているクルーガーをそのまま狙おうとはせず、
崩れるヴォルテールを見ながら突然笑い出す。



――返事が来ないから、再び喋り出す……――



「だけど大丈夫だろ? どうせ君もヴォルテールの後を追うんだろうから。いさぎよくあの世にでも逝きなよ!!」

とても友人に放つ言葉とは思えないが、もう現時点では既に友情関係は皆無に等しいだろう。
ユミルは炎色の戦斧ディールプティオを力強く持ち上げ、まだ自分の方を向いていないクルーガーへと駆ける。



――そうだ、死ねば永遠に隣にいられるのだから……――



カラァン……



――何があったのだろう? クルーガーは突然太刀を手から離す……――

岩の地面で数回、小さくバウンドするが、最終的には地面の上でピタリと静止する。
因みに、クルーガー本人はユミルの方を向いていなかった。



――ユミルは一瞬何があったのかと不思議に思うが……――



「やっぱり気付いたんだね!? 無理だってねえ!」

ユミルは再びクルーガーに向かっていく。
武器を持たない相手の方が、確実にりやすいのだから、躊躇とまどいはしなかった。



――クルーガーは振り向いた――



――双角竜ヘルムのせいで表情はよく分からないが……――



――何げに右手が強く握られているが……――



「さっさと送ってや――」
させっかよぉお!!!!



δδ 強烈な威力の誇る右パンチが発射される…… υυ

ガスゥウン!!!

あぅあ゛ぁ゛ああ゛!!

突然素手――とは言っても双角竜アームを装着されているが――で顔を殴りつけられ、
ユミルは鈍い悲鳴をあげながら、そして得物を手放しながら地面へと背中から吸い寄せられる。

漆黒の甲冑と地面がぶつかり合う硬い音が一度鳴った。



「けっ……。始めっからこうしときゃ良かったぜ。武器でやってもちっとも当たんねえし、武器無けりゃあ速攻やれっからこっちの方が良かったぜ」

物理的に殴り飛ばせたからいくらかは気が晴れたのだろう。
相手もヘルムを装着しているから、予想以上の重傷、と言う事も無いはずだ。

しかし、ユミルの行動を見直してみれば、殴られて済むならばある意味で安いものなのかもしれない。



「な……何すんだよ……」

辛うじて上体だけを軽く地面から持ち上げながら、ユミルは武器では無く素手で殴ってきたクルーガーに向かって弱々しく言い返す。
まさか直接殴りかかってくるとは考えてもいなかったのだろう。



「お前マジムカつくんだって。人ん旧友ダチやられてるって時にニタニタしやがってよぉ。どうせお前口で言ったって分かんねんだし、一発マジでオレが指導食らわしてやっかぁ?」

クルーガーは自分で一度手放した太刀を再度拾い上げ、他者の負傷を平気で笑う青年に近づいていく。
相手はまだ立ち上がっていない上に武器すらも近くに無い状態であるが、クルーガーは手加減さえ忘れているようだった。

「な、何だよ君は……。僕の事殺す気かい……? 武器も無い相手にそんな事――」

クルーガーの腕力が相当利いたのか、ユミルは顔に走る鈍痛に苦しみながらも、迫るクルーガーに対して口だけで反撃に走る。
このまま行けば、確実にクルーガーの太刀が牙を剥くのだろうが、そのまま命を奪ってしまっても良いのかと突然難詰≪なんきつ≫をし始める。



「いきなし弱がってんじゃねえよ。さっきまで楽しんでたじゃねえかよ。さっさと終わらせて――」

すぐにクルーガーは言い返し、今までずっと命を賭けていたいただろうとあっさりと言い切る。
ただ偶然、この現在に於いて、クルーガーにとどめを刺すチャンスがやってきているだけである。

戦いの中では、どんな状況でも言い訳等、通用しないのだから、決められる時に決めてしまうに限るのだ。



―χχ― しかし、あの黒い主は黙っていなかった…… ―χχ―



『グオォオオ!!!』

ユミルを攻撃された事に気付いたミケランジェロは、その敵対者であるクルーガーを代わりに潰そうと、
負傷して動かなくなっているヴォルテールを放置し、巨大な足音を立てながらクルーガーへと接近する。

その威圧感のある鳴き声と、無機質に光る黄色い眼が殺意をしつこく飛ばし続けている。まだ破壊し足りないのだろうか。



「けっ……」

厄介者を相手にしてしまったかと、クルーガーは自分の行動を少し見直してみたが、状況的にはあまりにも遅すぎるだろう。
そんな事を考えている間にも、どんどん黒色鎧壁竜は迫ってくる。

「ミケランジェロ、やめろ!!」

ユミルにとってはまだクルーガーに用があったからか、さっきの打撃を無視するかのように立ち上がり、同時にミケランジェロに命令を飛ばす。
突き出された左手が、ミケランジェロを驚く程あっさりと止めてしまう。

どんな状況であっても、ユミルの命令を第一に考えるミケランジェロもかなりの存在である。



「まあ、分かっただろ? ここで僕を殺せば、あいつは指示を受ける人間がいなくなる訳だから、君が血祭りにあげられる訳だよ。今の君の体力でミケランジェロを倒すなんて出来るかい? ここで強がってたら、近い将来簡単に命捨てる事になるよ?」

立ち上がったユミルは、速くも無く、遅くも無い速度でミケランジェロの正面へと歩いていく。

ミケランジェロを操作出来るのは、唯一ユミルだけであるから、ここで始末してしまうと何が起こるのかを説明し出す。
確かにここは太刀を振り落とさなくて正解だったのかもしれない。
ただ、この話だと先程の戦いの中でクルーガーが勝利を収めていたらどうなっていたのかと不安になってしまうが。

「お前良かったなあ。相棒のおかげで命拾いなんかしやがってよぉ」

その堂々と歩く姿を見ながら、クルーガーは少しだけ嫌みのようにユミルに向かって言ってやった。
だが、恐らくはどちらもある意味では命拾いをしているだろう。
ミケランジェロが暴れればクルーガーは死んでいただろうし、ユミルもミケランジェロの助けがあってこそ、今助かっているのだ。



「実は僕はまだやる事が一つ残ってるんだよ。それは君に大事な話があってね、これはしないときっととんでもない不利益になる事が予想されるものでね」

ようやくミケランジェロの目の前に到達したユミルは、持っていた自分の武器を背負う。
両手が空いたユミルは、軽く腕を組んで目の前にいるクルーガーを見詰める。

黒い甲殻のミケランジェロの正面に立つユミルの姿は、その黒と黒の組み合わせによってどこか擬態でもしているように感じられる。

「話だって? さっき散々してたじゃねえかよ」

クルーガーからしてみれば、もう話は充分に聞いたものだと思っている為、ここで今取る行動を『話』に限定する必要性があるのかと、
非常に面倒そうに橙色の目を細めながらユミルを睨みつける。



「別に話す事があるんだよ。それとも僕が嫌いだから早くここから去って欲しいって? まあ大丈夫だよ。君にとって確実に利益のある話だからさあ」

それでもまるでユミルは義務でも背負っているかのように、謹聴きんちょうを拒むクルーガーに呼びかける。
敵対者の話を聞く事を拒む理由は分からなくは無いのだろうが、相手がどんな立場にある存在であろうと、
その者からされる説明には時として有益なモノとなる事があるのだから聞くべきであると半ば強引に話を進める。



――そしてユミルは説明を施した――



「君の所にネーデルって言う少女おんな、いるだろ? ネーデルが裏切った事で今『スピリットライズ』の方で激しい捜索活動実行されてるから、注意呼びかけといてくれるかい? 僕はあのおんなには興味無いけど、もし捕まったら、相当な処罰受けると思うんだよ。体罰的な、ね。もし君が本気でネーデルを庇おうと言う気があるなら、一人にしない方がいいよ」

ユミルは軽く両手を持ち上げながら、今ネーデルが組織からどのように見られているのかを話した。
とは言え、聞いている限りでは決して組織全体からでは無く、その中の枝分かれしているグループの一つから狙われているらしい。

それでも連れ戻された時の光景を想像するのは苦しいものだ。その内容がそれをどことなく表現してくれている。

「あいつ、やっぱ狙われてんのかぁ……。まああんまお前のほざく事なんか信じたくねえけどよぉ、お前いちおそいつらと仲間だってのに、相手の行動妨害するような事言っていいのか?」

ネーデルにとって本当に安心する事の出来る場所が無い事にどこかクルーガーはやり場の無い感情に襲われるが、
ここであまり弱い感情を出したくは無かった為、ユミルには言い返しておかなければと、とりあえずそう言い返す。

そもそもユミルがいちいちそれを説明する必要性があったのかも疑問である。



「いいんだよ。だって、僕は所属が違うから別に気にする事じゃないし。それに僕はあの連中が嫌いだからね。生きてるのか死んでるのか分からない集団の集まりで、凄く気味悪いんだよ。ネーデルがなんでそんな所に所属してたかは置いといて、兎に角、注意してくれよ? あそこのリーダー、ナディアって言うんだけど、鞭や電流棒使って責めるから、捕まったら全部君のせいになるかもね?」

ただ他の所属が嫌いだとか言う理由だけでベラベラと喋っても良いのかと疑問に思われかねない様子であるが、
ユミルにとってはあくまでもクルーガー相手に説明している事だから、組織に悪評を下すつもりとかは無いのかもしれない。

だが、構成されている連中の姿がおぞましく感じるのは決して気のせいでは無い。

「でも良かったじゃねえか。お前はお前で好きなとこに入れて」

クルーガーは特に細かい部分に対して触れる事はせず、ユミルがその薄気味悪いであろう連中の所属に入らなくて
幸運だったとあまり感情の篭っていない態度で褒める。



「そうだね。ちょっと筋肉盛り上がりすぎてる連中が多いけど、やっぱり純粋に血の気の感じる人間といるのが一番清々するよ。他は亜人だの何だのって随分とややこしいのにね」

ある意味ではユミルも自分が今いる環境に完全には満足していないようだ。
それでも体格は元より、人間からかけ離れた存在では無い以上はその点では満足しているらしい。

「お前なんかさっきから随分文句ばっかほざいてっけど、やっぱお前組織自体合わねんじゃねえのか?」

不満が耳に残るクルーガーは、望みは確実に低いだろうが、ユミルを組織から引き離すような極言をする。
しかし、クルーガーの表情に期待の色は映っていない。



「ふん、そうやって君、僕の事を取り戻そうとか考えてない? 僕は自分達の所属と違う特性に対して文句を言うつもりは無いさ。個性が無いと類別する意味が無くなるだろう? 勘違いだけはしないでくれよ」

ユミルは一度鼻で笑い、クルーガーのその言葉を右手で振り払う。
物理的な動作に加え、その雰囲気から見ればやはり彼としての居場所は既に決まっているようである。

「結局それかよ……」

その場を凌ぐのに最も相応しい理由を持ち出すユミルを見るなり、クルーガーは返す言葉が見つからず、舌打ちをする。
そこには、もういくら呼びかけても戻ってきてくれないと言う絶望感も見えている。
だから、ここまで無気力になっているのかもしれない。



「それじゃ、僕はこれで失礼するよ。仇も取れたし、君と会って、力を見せてもらえたし、それに話だって出来たからもうここにいる理由は無くなったよ。それじゃ、バイバイ」

ユミルはここで時間をこれ以上使う必要は無いと考えたのか、一度軽く岩で覆われた天井を見上げる。
そこから大空を見上げる事は出来ないと言うのに、一体何を求めていたのだろうか。

しかし、すぐに持ち上げていた視線を戻すなり、両手をゆっくりと持ち上げる。
まるで、超能力か何かで周囲の物体を持ち上げるかのように。

無論、何一つ持ち上がっているはずは無いが。



――溶岩の流れる音を覗けば、無駄な音は一切流れていないが……――



――異変は、突如、起こるものなのかもしれない……――



――クルーガーの表情が大きく引きった……――







―ドゥウォオオオオォオオオオオオオオン!!!!!!



■■ 突如、地面が爆発を起こす!! / PROMINENCE BLAST!! δζ

□□   溶岩が地面を突き破る!! / RAGGED PROJECTION!! γπ

本当に突然の出来事だった。

ユミルとミケランジェロの立っていた地面から、爆発の如く溶岩が盛り上がり、地面をも吹き飛ばしながら一人と一頭を呑み込んだ。
ユミルは元より、あの巨大な黒色鎧壁竜であるミケランジェロすらもその噴き出した溶岩で完全に覆い尽くされてしまう。
噴き上がった溶岩はそのまま上昇する訳では無く、重力に引っ張られ、やがては地面へと戻っていく。
破壊された地面の欠片も同様である。飛沫しぶきを上げながら次から次へと溶岩の中へと帰っていく。

そして、その噴き上げられた溶岩や地面が戻っていく時には、もう既にユミルも、ミケランジェロもいなかった。
溶岩に呑まれ、そこで最期を迎える選択肢を選んでしまったのだろうか?

それは、その現場を見ていたクルーガーだけが分かる事なのかもしれない。







―▲▲― LEADEN SORROW…… ―▲▲―

「やっぱ……もうお前無理なのかよ……。分かり合えっと思ってたのによ……」

クルーガーは非常に寂しそうに、静かになった火山地帯で小さく呟いた。
ユミル達を飲み込んだその溶岩の噴き上がった地帯は現在、先程の轟音を考えれば、恐ろしい程に静まり返っている。



「……」

そして今度はやや遠方で虫の息となってしまっているヴォルテールの方へと顔を向け、そしてゆっくりと向かっていく。
まるで今までの戦いの緊張感が抜けると同時に、忘れていた疲労も迫ってきたような気を覚える。
だが、不思議と息切れは起こらなかった。



――鎧竜ヴォルテールの顔面へと到着するが……――



『グァアオゥ……』

その巨体はぐったりと地面に張り付き、そのゴツゴツとした印象を激しく提供する顔も地面に対して横を向き、
姿を見る者に対して弱々しさばかりを撒き散らしている。

クルーガーを何とか眼中に収めるなり、やや甲高くなった弱々しい鳴き声を飛ばす。
その黄色い眼も生気を失いかけており、嘗ての威厳が感じられない。



「ふっ、お前随分情けねえ姿してんじゃねえかよ……。オレとやり合ってた時なんか散々偉そうにやってたくせによぉ」

クルーガーは完全に弱り、立ち上がる体力すら残っていないであろうヴォルテールの身体をその場から動かず見渡しながら、
その傷だらけと化した姿に対して嫌みを飛ばして見せる。

自分と戦っていた時はある程度は格好が良かったのかもしれないが、ミケランジェロとの戦いではその逆だったのだろう。



『グゥ……オォウ……』

まるで何か言い返しているかのように、再び弱々しい鳴き声をヴォルテールは発した。
さっきより力強さが弱まっているのは気のせいだろうか。



「お前なんか言いてぇんだろう? どうせ『うぜぇ』とか『お前に言われたくねえ』とか思ってんじゃねえのか? やっぱ喋れねえってマジでめんどくせぇよなあ、互いに何言ってっか分かりやしねえしよ」

ヴォルテールの鳴き声が自分に対する抗言と思ったのか、クルーガーはヴォルテールのふところへと歩き、
傷と、噛み千切られた肉の目立つ首へと寄り掛かり、ゆっくりと眉を潜めた。

当然だが、その噛み千切られた部分に寄り掛かった訳では無く、そこからはいくらか距離を置いて、寄り掛かっている。



「けどよぉ、今のお前ん事、ルージュが見たらマジ悲しむんじゃねえのか? ガキん頃あんだけ可愛がってたってんのに今回みてぇに理性も何も考えねえで暴れてっとこ見たらお前おしめぇだぞ?」

寄り掛かっている首の太さや硬さを特に意識せず、クルーガーは自分の妹の顔を頭で思いえがきながら口をゆっくりと動かしている。




「いいや……もう、今回・・どころじゃねえかもな……。お前……正直意識保ってっだけでもつれぇんだろ……?」

しかし、ヴォルテールの傷の具合を見るなり、もうこの後の未来は長くないと考えてしまったのか、
クルーガーは自分の先程の発言にミスがあった可能性があるとして少し気まずくなってしまう。



『グォ……オゥ……』

再びヴォルテールから弱々しい、返答を意味する鳴き声が放たれる。
しかし、その強さはどんどん弱まっていくばかりだ。



「オレもマジでアホだよなぁ……。お前ん事救うとかほざいて一人で来たってんのに、結局お前ん事こんな風にしちまったし、ユミルが来たはいいけど結局あいつはあいつでそんまま行っちまったし……。何やってんだろうなオレは……」

ヴォルテールの首に寄り掛かったまま、クルーガーは一度自分の腕前を確かめ直した。
ここで果たすべき目的を何一つ果たせず、そして現在に至るのだ。何故か自分自身が非常に虚しく思えるようになってくる。

確かに暴れるヴォルテールが静まった事でコルベイン山自体は救われたとは思われるが、
クルーガーとしては笑って帰れる状況では無い。



「ホントはお前もオレん事馬鹿だとか思ってんだろ? 笑いたきゃ笑えよ。飛竜だってウケる事あったら笑ったりすんだろうよぉ? そんだけ派手にオレん事追い詰めてたんだからそんぐれぇ出来んだろ? 笑えよ、ウケんだったら笑えってんだろ……」

きっとヴォルテールはこの火山地帯でのクルーガーの戦闘中の姿を見ていたはずだ。
それを思い出せば例え飛竜であってもその姿が滑稽に思えてくるだろう。

だから、この時に限ってクルーガーは自分の姿を笑って欲しいと、ある意味で自己中心的な考えで
ヴォルテールに反応をしてもらいたいと望み始める。
だが、通常の動物とは比べられない構造メカニズムの攻撃を行うからと言って、そこまで細かい感情があるのかどうかは疑問であるが。



「なんでシカトこいてんだよ……。さっきまであんだけうざかったくせにいきなし大人しくなりやがってよぉ!! お前デケぇくせして臆病だからそんな風になっちまったんじゃねえのかこんバカがぁ!!」

返事の鳴き声が聞こえなくなり、クルーガーは何故かここで怒りが込み上げてくるのを覚える。
いや、それは悲憤とも呼べる姿だと思われるが、ヴォルテールの顔面へと再び戻り、地面に崩れた頭部に向かって罵声を飛ばす。

その怒りの中にはきっと、昔のように元気な姿でいて欲しいと言う庶幾しょきが込められているのだろう。



「飛竜だったらそんぐれぇの傷どおって事ねえだろ!? さっさと立てよヴォルテール!! そんなんで飛竜とか誇ってんじゃねえよ!! ルージュにまた会おうとかお前思わねえのかぁ!!」

クルーガー自身、飛竜が実際にどれだけの深手に耐えられるかは分からないが、人間より遥かに高い生命力を誇るなら、
噛み千切られた程度では死なないものだと信じたい様子である。

それを証明してほしいと、クルーガーは立ち上がる様子を見せてくれないヴォルテールに再び怒鳴り声を浴びせる。
わざと飛竜と言う飛竜を侮辱するような事を言えば、相手もプライドを傷つけられたとして、
怒りか何かで立ち上がってくれるとも思いついたのだろうか。



――しかし、その想いは伝わらず……――



『グォ……グアァゥ……グアァ……』

あまりにも弱々しい、悲しみさえ混じった鳴き声だ。
しかし、今回のはまるで無理矢理搾り出したような、そんな姿である。

聴いたその鳴き声をよく分析してみると、何故かクルーガーの名前を呼んだように聞こえるのは気のせいだろうか?
そんな事を考えている間に、とうとうヴォルテールの黄色い眼から光が消滅する……

享年きょうねんは、果たしてどれだけの数値を叩き出してくれたのだろうか……




「っておいヴォルテー……!! ……ル……?」

どこか深い意味合いを持ったその鳴き声と共に眼から生気を失わせたヴォルテールからただならぬ空気を感じ取ったクルーガーは、
最後の呼びかけとして再び低さも混じった大声を張り上げるが、その威勢は一瞬にして奪われてしまう。

彼は目の前にいる飛竜が最期を迎えてしまった事を悟ったのだ。



「なんでだよ……。すぐ逝っちまってかったんかよ……。お前やっぱどうしよもねぇアホ……ん?」

やはり、原因がどうであれ、死んでしまった者はもう帰ってこない。
クルーガーは俯き、受け入れたくないであろうその現実を受け止めるが、心が痛くなる点を抑える事は出来なかった。

そして、何かに気付く訳だが……



――ヴォルテールの頭部付近から一つの塊が落下する……――



「何だよ……これ……」

この場の空気で考えるとその落下した塊をいちいち気にする事がおかしいと思えるかもしれないが、
それでもクルーガーはその透明に近い塊に興味を注がれ、ヴォルテールの顔面へと接近していく。

威圧感だけを残したその顔面の傍らに落ちていた塊を右手で拾い上げる。



「『ナミダ』……じゃねえかよ……。訳分かんねえもん落としやがって……」

その拾った物の正体は『竜のナミダ』である。

飛竜の涙腺るいせんから零れ落ちる水晶体のようなものであるが、確実に塊となって拾い上げられるものでは無く、
特殊な条件下によって生成されると学会の方では発表されているが、その詳しいメカニズムは解明されていない。

その『ナミダ』を、今クルーガーは拾い上げたのだ。それに対する興味や関心とか言う前に、
まるで死に別れの際に贈った土産みやげとして残していった事に軽く苛立ちを覚え出す。



「……お前……」

しかし、冷静に考えるなり、その塊の意味を少しずつではあったが、理解出来たような気もした。
これは『ナミダ』であり、つまりは悲しみか何かを覚えて最期の最期に最愛の旧友クルーガーを思って流した物だと考えれば……

まるでヴォルテールの死ぬ直前の心情をそのまま受け取ったかのように、グッと心に痛みが走る感覚を覚えてしまう。
どうせ周囲には自分と、この死んでしまった鎧竜以外誰もいないのだから、感情を爆発させても悪くは無いのかもしれない。



「…………」

何も喋らず、クルーガーは下を向き続けている。

やはり、今回のように張りつめている時は、素直な感情を出しても問題は無いはずだ。
きっと、周囲の空気も彼を許してくれるだろう。友達を失って、黙っている方が妙なのかもしれないのだから……。





――時は静かに流れ……――





――やがて……――





――その感情を……――





――男だと言うのに……――





――少女なら良いのかもしれないが……――





――本当に爆発させてしまっても良いのだろうか……――





――そして、遂に……――





「……ふっ……」

一瞬だけ空気が零れる音が非常に小さく聞こえた。
それは、確かに一種の感情を表す前兆とも呼べる現象ではあるが、周囲の空気が想像していたものと随分異なっている。



「……はっはっ……。あっはっははははははぁ!!!」

この場の空気に何かを感じたのだろうか、クルーガーは普段仲間の前で見せる、或いは聞かせる事の無い笑い声を周囲に撒き散らす。
もし密かにこの空間を覗いている人間がいたならば、確実に予想が外れたものとして違和感すら覚える可能性がある。

だが、何がそこまで面白いのかは多分本人にしか分からない話であるはずだ。



「ばっかばかしいぜマッジ……あっはっはっはっはっはっは!!!」

何かにその言葉の内容通り、馬鹿らしいものを感じた上でクルーガーは笑い続けているのだろう。
しかし、相変わらず詳しい理由までは未だに理解する事は不可能だろう。

何がどう馬鹿らしいのか、そこを窺いたいものである。

未だにクルーガーは左手で双角竜ヘルムに覆われた腹部を抑えて多少上半身を前に倒しながら笑い続けている。



「何だよこれ……はっはっは……オレん代わりに泣いたつもり……かよ……はっはっはっは!!!」

どうやら、ヴォルテールが最期の最期に流した『ナミダ』に対して笑っていたようだ。
本来ならば両者が泣いた所で誰もそれを馬鹿にしたり、からかったりは出来ないだろうが、
ヴォルテールのみがまるでクルーガーの分も、と言わんばかりにその『ナミダ』を落とした事について、黙っていられなかったのだろう。

まさか人間のような感情表現が豊かでは無いであろう飛竜なんかに同情されるとは、なんて考えているのかもしれない。
右手で持ち上げたままの『竜のナミダ』の透明な輝きを見る度に腹の奥から笑いがこみ上げてくる。



「アホらしくて泣く気にもなんねえぜこりゃ……はっはっはっは!!!!」

飛竜に同情される現象を受け取る事が出来なかったのか、未だにクルーガーは笑い続けている。
その光景がある意味でクルーガーの感情を妨害してしまっているのがまた凄いと言える。

ただ、彼のような男が人前では無いからと言って易々やすやすと泣くかどうかも疑問点ではあるが。



「はははは……って何やってんだよオレ……」

ようやく自分のやっている事に奇矯ききょうな一面を感じたクルーガーは、驚くほどあっさりと感情を止め、
そして再びその表情には暗い色が宿り始める。
それを動作で表すかのように、顔を下へと向ける、と言うよりは俯かせる。

最も、外からだけでは双角竜ヘルムのせいではっきりと知る事は出来ないのだが。



「そっちゃあ真面目だってんのに……オレって来ちゃあ……」

きっとヴォルテールは相手を笑わせる為に泣いた訳では無いだろう。
それなのに、クルーガーは間違った捉え方をしたが為に、間違った答を感情で出してしまった。

もしヴォルテールが生きていれば、それこそ本当に怒りを買う事になっていたはずだ。
今更ではあるが、クルーガーは自分の行動の過ちを反省する。
多分、今からでも間に合うものであると信じたいものだ。



「とりあえずだ、これはお前の形見って事で貰っとくわ。ホントはギルドに預けんきゃなんねえっぽいけど、んなもん関係ねえし、これ貰ってくぞ」

やはり、ヴォルテールとの想い出は何らかの形で取っておきたいと考えたのか、
右手にずっと持ったままだった『竜のナミダ』をヴォルテールの顔面へと軽く突き付ける。

狩場で採取出来る鉱物や植物、或いは飛竜やその他小動物等の体の組織等、これらを全て纏めて『素材』と呼んでいる訳であるが、
その中で一部はハンターズギルドの方で強制的に回収する事になっているものが含まれている。
その回収される対象に含まれているのが『竜のナミダ』であるが、どうやらクルーガーはハンターズギルドに渡さず、自分の手の中に隠しておくつもりらしい。

当然、回収される時はいくらかの金子きんすが支払われるのだが、クルーガーは現金で動く事はきっと無いだろう。



――正直、ここに居続けるのは辛いのだ……――



――さっさとここから去りたい……。そんな願望が彼の頭を支配する……――



「んじゃ、あばよ……ヴォルテール……」

ここで言い残す事はまだ残っていたのかもしれないが、クルーガーの選択肢として選んだのは、
ヴォルテールに背中を向け、そしてここから立ち去る事だった。

終わり方としてはやや雑なものすら感じるが、ここで無理に格好をつけるつもりはきっとクルーガーは無かっただろう。
第一、誰かが死んだ時にいちいち決め込んだ言動を取る理由があるのだろうか?









――ξ■ 燃え盛る大地で、一つの生命が尽きたのだ…… / BYE BYE DREADSHELL…… ■ξ――

それを旧友を失った愁嘆しゅうたんとして考えるか、町が救われた恐悦と考えるかは人それぞれだ。
しかし、何かを護ると同時に、何かが犠牲になっていくこの時代に逆らう事は誰にも許されない。
両方を救う手も、そこに存在しないとは言い切れない。しかし、それによって第三者が犠牲になる事だって予測しなければいけない。
貴方だって、今まで何かを犠牲にしてここに立っているのです。率直に申しますと、犠牲があってこそ、生物は上に立つのです。

ヴォルテールは不幸な飛竜です。敵に洗脳され、目覚めた時に新たな刺客が現れ、滅ぼされる。
滅びる側だけでは無く、その傍らに立っていた者にもほぼ同様の被害が訪れるのです。感情と言う名の。



§§ May the scars use their cosmic energy.
ЖЖ さあ、星に神秘の力を注ぐのだ。

§§ So the violence will never prevail.
ЖЖ 権力が凌駕せぬように……

§§ You will know the day of their mighty fall.
ЖЖ 世界が権力を落とすその時を貴方は知る事になります。

§§ When you hear mighty's thunder roar.
ЖЖ 雷鳴が鳴り響く時に、全てが変わる……





              ◆◆ Thunder's sadness ◆◆
          ―≪≪ 憎しみと悲しみを乗り越えて…… ≫≫―

              オレはお前を忘れない……
                お前はオレを忘れるな……
                  あの世でも、現世とは繋がってるだろ?











*** ***










 時は夕方を切っていた。

 アーカサスの国立病院の一室で、一人の少年がベッドで横になっている少女と話をしている姿があった。やはり、前日の襲撃事件で傷ついた友人を想って見舞いに赴いてくれているのだろう。

 こんな時に人間の絆を確認する事が出来るから、そこで暖かさを感じる事だって出来るのだ。

 そして、今ここにいる少年とは……



「んでよぉ、そいつったらよぉ、そのデブにぶつかったから軽くがん飛ばしたらそのデブ泣きそうになって逃げたんだってよ」

 その少年とは、エディだった。

 整髪料で立てられた黒髪、ローマ字を何文字か印刷された黒のTシャツ、鼻の右部に埋められた鼻ピアスが特徴的なあの少年だったのだ。

 ベッドの隣にパイプイスを広げてそこに足を組みながら座っているエディは、乱暴な表現や他者を侮辱するような表現を混ぜながら楽しそうに喋っている。



「ソウナンダァ……。ブツカッタホウガワルイワネソレ」

 ベッドで横になっているのはレベッカであるが、今の外見を見ると恐らく誰も本人であると信じてくれないかもしれない。

 長く生えていた金髪も、今はほぼ完全に抜け落ち、辛うじて現在は包帯を頭に巻いている事である程度隠しているが、包帯と耳の間の空間には何も生えておらず、その少女らしさはまるで失われている。

 その顔、と言うよりは肌であるが、大量のいぼで大きく浮腫むくみ、その外観はとても美しいとも可愛いとも言い難い。

 これらの原因は全て、前日のアーカサスの襲撃事件にあるのだ。毒を浴びた脱獄囚に捕まり、毒をうつされてしまったのだ。結果、このような非常に醜い顔立ちへと変貌してしまった。

 それでも、現在エディと共にいる事でいくらかはその絶望的な感情も抑えられているようである。声色も蝦蟇蛙がまがえるのように野太く、とても少女の声とは思えないものの、精神的には楽しそうに見える。エディのおかげだろう。



「そうなんだよ。ってかよぉ……」

 反応してくれたレベッカに対して軽く返事をするエディだが、突然その表情から笑顔が消える。



――そしてすぐに次の言葉を提供する……――



「お前もう無理じゃね? おれと付き合うの」

 あまりにも唐突過ぎるその内容ではあるが、純粋に見ればそれはエディがレベッカを捨てると言う意味合いだろう。

 何があったのだろうか。今までは恐らくは仲良く話していたと言うのに。

「エ? チョットナニイキナリイウノヨ?」

 可愛らしさの感じられない声で、レベッカは老人のように細くなった目を無理矢理大きく開きながらエディに言い返した。



「おれずっと思ってたんだけどよぉ、お前今の自分の顔鏡で見た事あんのか? もしお前が退院してだ、おれと歩いたらおれ周りからどう思われる? バケモンと歩いてるって馬鹿にされんだろう?」

 確かに今の・・レベッカの容姿は毒の影響で見るも無残な姿になっているのは事実だろう。

 エディの性格を考えれば事故で容姿が変貌した彼女を捨てるのも考えられるかもしれないが、その言い方はあまりにも残酷過ぎるだろう。

「チョット……ナンデソンナコトイウノヨ……?」

 レベッカは明らかに動揺している。今まで隣にいてくれた存在だったのに、今はもう離れるような雰囲気を漂わせているのだ。信頼していた人間にこのような事を言われているレベッカがどこか可愛そうである。



「お前まさか今の顔ホントに昔のように戻るって思ってんのか? 医者は時間経ったら治るとか言ってっけど、普通嘘だって誰だって気付くだろ? 医者はそうやって患者の機嫌取ってるだけなんだよ。ホントの事言ったら悲しむだろ? だからああやって嘘言うんだよ。お前の顔なんかもう一生治んねえよ」

 エディの言っている事が事実かどうかは謎であるが、どちらにせよ、レベッカを避けているとしか思えないような言動である。

 嫌いになった相手に対しては、正当な理由をつけて言葉による攻撃を仕掛けようと考えられるものなのだから。

「ナンデ……ソンナ……ウソヨ……」

 現実を突き付けられ、レベッカの表情にも、心にも、闇が灯り始める。今言われた事が本当に嘘であればどれほど嬉しい事だろうか。しかし、レベッカの表情はみるみる暗くなっていく。



「それに狩りの方だってどうすんだよ? お前筋肉とかも落ちてるって言うし、もう復帰自体無理なんじゃね? まあそれ以前にお前みてぇにバケモンみてぇな顔んなった奴とあいつら組んでくれっか謎だしな。あいつらも今のお前ん事キモいとか言ってたぞ? まあ誰だって思うよなあ。いやぁマジでおれ囚人どもに捕まんなくて良かったぜぇ」

 確か医者の話ではその毒によって容姿だけでは無く、筋肉組織も脅≪おびや≫かすと言われていた。物理的な力が要求される狩猟の世界では筋肉の衰えは致命的だろう。その衰えを補う事くらいは出来ると思われるが、エディの発言を見ると、そのような隙も与えないような内容だ。

 そして、彼女に対してまるで嫌味のようなものを付け加えて一度口を止める。

「チョット……イイカゲンニシテクレル!?」

 野太くなってしまった声で、レベッカはエディに向かって怒鳴り立てる。同時に自分の使っているベッドを両腕で叩き付ける。



「何がだよ? おれは真面目だぜ? 普通お前みてぇにすげぇ顔した奴と歩きたくねえだろ? 第一お前まだ17のくせにそんな婆みてぇな顔してすげぇよな。それと、さっきからずっと言おうと思ってたんだけどよぉ、お前すっげぇ臭ぇんだよな。加齢臭みてぇなの漂ってんぞ? 中年オヤジ級の臭さだぞお前」

 もうレベッカより下がる気は無いのだろうか。

 エディはそれでも容赦の無い言葉の暴力を続けている。顔に対して侮辱し、更には嗅覚で感じていた事さえも嫌味ったらしく話し、精神的にレベッカを追い詰めていく。

 それにしても、今までその臭気の中で喋り続けていたエディもある意味凄いと言える。きっとわざと我慢していたのだろうが。

「……ヒドイ……えでぃ……ヒドスギル……」

 我慢の限界に達してしまったのか、レベッカはその場で両手を顔に押し当て、泣き出し始める。

 好きでこのような姿になった訳では無いのに、それを愛する者に否定され、感情を抑えられなくなったのだ。実はこのようになった理由は彼女にも原因があるのだが、それをうっすらと思い出すなりそれがまた涙を強く流させる理由にしてしまうのだ。



「ホントの事じゃねえかよ。男は可愛い奴しか興味ねんだよ。お前みてぇな婆顔≪ばばあがお≫した奴と一緒にいたくねんだよ。周りから誤解されんだろう。おれん事もお前考えろよ。だけどなあ、お前だってまだ望みあんぜ? 丁度今ってお前みてぇにメッチャ顔キモくなった連中多いだろ? そん中から新しい彼氏≪かれ≫でも見つけりゃいいだろ。おれだって別の女ぐれえいるしよ」

 エディの言っている事は事実なのかもしれないが、それはとても今の・・レベッカには言うべき事では無いだろう。エディは自分のプライドを護る為に、愛する人間をあっさりと捨ててしまったのだ。

 そしてどうやらエディは、レベッカと関係を持っていた頃から反倫理的な行動に走っていた様子でもある。

「ナニヨソレ……ウワキシテタノ!?」

 レベッカは泣きながら、少女らしい潤いを失った目でエディを睨みつける。



「ああしてたぜ。それにお前の威張るとこかなりムカついてたんだよなあ。おれらには何も言って来なかったけど、正直よぉ、威張ってっとこ見てる側も結構ムカつくんだよな。お前何様? みたいな。んでもって今はそん顔のオマケ付きだし、もうマジでどうしよもねぇ――」



――その時、エディの鼻にあまりにも強すぎた臭気が突き刺さった……――



「ア……ウソ……」

 レベッカはこの状況を誤魔化そうと、いぼの影響で歪んだ口を動かそうとするが、エディには通用しなかった。



「って、何だよ、こんにおい、ってうわっ!!」



――エディはパイプイスを倒しながら乱暴に立ち上がる……――



――そして、逃げるようにレベッカから離れた……――



「お前らしただろ!? メッチャくせぇぞお前!? クソ漏らしただろお前!? もう冗談じゃねえぞおい! どうなってんだよこいつ!? もうおれ無理だわこんなとこ!!」

 エディは嗅覚すらおかしくさせる程の臭気をレベッカから受け取ってしまい、まるでレベッカを怖がるかのように身体全体で距離を取るような動作を取った。

 どうやらその毒は人間にとって最もデリケートな機能まで侵してしまうのだろうが、レベッカにとってはこれをどう考えるべきか、考えたくも無いだろう。

 エディとしても、恐らくこれは精神的に強くやられた事だろう。



 そして、エディは駆け足で病室から出て行ってしまう……



*** ***



「それじゃカエデ、また明日ね〜」
「うん。じゃあねデイトナ〜」

 病室は勿論、階層も別の場所で、そんな挨拶を交わしている少女の姿があった。

 オレンジ色のセミロングの髪、赤いふちの眼鏡、ノースリーブの黄色い上着、横に白と水色のラインを走らせたベスト、そして膝を隠す白いロングスカートを着用している少女は、病室のドアの前でその中にいるであろう友人の名前を呼びながら右手を振っている。

 病室の中からも女の子の声が聞こえる。



「じゃ。あ、それと、失礼します」
「あいよ、また来なさいよ」

 そのオレンジ色の髪の少女、デイトナの隣には青い髪をした男性、ブラウンが立っており、二度に分けて病室内に挨拶を行≪おこな≫った。

 最初の一回はデイトナの友達に対するものだからか、軽く右手を上げるだけで終わる。

 そして、二回目は偶然同じ病室にいた患者に対し、その空間内で多少迷惑をかけたと言う事で、頭を下げながら丁寧に挨拶をしていた。返ってくる内容を見ると、その中年の女性からも決して変な目では見られていなかったようにも考えられる。



――そして二人の男女は一緒に白い廊下を歩き……――



「デイトナ、お前元気は戻ったのか?」

 青い髪の青年のブラウンは隣を歩くデイトナに向かって、気遣うかのようにそんな短い言葉を渡した。やや冷めたように聞こえなくも無いが、性格を理解しているデイトナの返答は負に満ちたものでは無かった。

「う、うん……。大分、楽にはなったかな? ごめんね、変な風に気ぃ使わせちゃって」

 多分デイトナにも忘れたくないものがあったのだろう。しかし、逆にそれが恋人であるブラウンを困らせてしまっているのだから、デイトナは謝るしか無かった。

 それでもこれ以上空気を悪くしないようにと、眼鏡の奥で笑顔を混ぜながらブラウンと目を合わせる。



「いいって、気にすんなよ。ただお前にあんまり暗い顔されてたらオレもなんて喋りかけたらいいか分かんなくなるから……、あ、そうだ、丁度晩飯の時間も近づいてるし、ちょっとどっか食べに行くか? オレが奢≪おご≫るから」

 彼氏として気遣うのも結構大変なものがあるらしい。ブラウンは表情の暗いデイトナを見ているのは辛いと訴えるが、偶然なのか、突然外食店の話が思い浮かび、デイトナを誘おうとする。

「あ、うん、丁度今ならなんか丁度いいしね。それで、どこに行くの? 今ってほら、結構復旧作業とか忙しいって聞いてるからあんまり開≪あ≫いてるとこ無いんじゃないの?」

 デイトナも夕食をそろそろ取ろうと考えていたようだ。

 だが、アーカサスは数日前にようやく収まったばかりだ。荒らされている建物も多い中で、客を店内に入れられる程しっかりと直された店が今あるかどうかを考えると、本当に外食なんて出来るのかと考え込む。



「オレちょっと友達から聞いたんだけど、『ハロー定食』って言う店あるだろ? その店あんまり被害受けてなかったんだってよ。だから復旧らしい復旧もしないですぐに店開いてくれてたし、それにあそこのカレーが美味≪うま≫いから、お前にも食わせてやろうってずっと前から思ってたんだよ」

 アーカサスが襲撃されたのは紛れも無い事実ではあるが、全ての建造物が被害を受けた訳では無かったらしい。

 運良く傷つけられなかった建物は、すぐにその機能を再開させているらしく、そして、ブラウンはいつかは紹介しようと予定を立てていたらしい。今回、ある意味でタイミングは良かっただろう。

「え〜、そうだったのぉ? なんでもっと早く教えてくれなかったのよ〜? そしたら友達とも一緒に行けたのに〜」

 デイトナはちょっと可愛らしく、わざと語尾を伸ばしながら、その遅過ぎた情報提供に対してブラウンを軽く責める。

 攻撃の一環なのだろうか、右手でブラウンの左腕を軽く押した。



「悪い悪い、オレもちょっと仕事とかもあったし、それにお前と喋ってる最中に何故かその店の名前出てこなくてよ。よくあるだろ? 言おうとしてるけど、いざって時に限って頭に浮かんでこなくなるってのが」

 ブラウンだって意地悪で教えなかったのでは無く、その単語がどうしても今までのデイトナとの付き合いの中で上手く出てきてくれなかっただけなのだ。

 人間は言おうと意識している事でも、その状況や会話の内容、その他私事の都合等でなかなか言い出せなかったり、記憶の中で一時的に忘れてしまっている事がよくある生物なのだ。

「言い訳なんてしないでよ〜。それじゃあ、早速行こ! ワタシも今結構お腹すいてるから」

 再びブラウンの左腕を押しながら、その見苦しい説明に対して軽く批判する。

 だが、デイトナも空腹を満たせるならばと考えると、何だか心が楽しくなっていくような気分を覚える。2人だけの時間と言うのも決して悪くないものだ。



*** ***



 階段を降りていく2人は、やがて1階へと辿り着く。後は病院の出入り口を抜けて、そして目的の場所へと向かうだけである。そのままそれで済んでくれれば嬉しいのだが――



「うぅぇっ……。マジやべんだけど……今日飯食えねえかもしんねぇ……」

 黒いTシャツ姿の少年は、口を軽く押さえながら男子用トイレから出てきた。勿論彼はエディであるが、きっとレベッカの病室で浴びた臭気に耐えられなかったのだろう。それにしてもよく1階まで頑張って降りたものである。きっと途中で突然吐き気を催したのだろう。

「ってあれ? あいつらって……」

 男子トイレの設置場所が、T字状の通路の丁度三つの道の中央であった為、その通路を歩いていた2人の姿が目に止まったのだ。



――発見された方も……――



「へぇ〜、結構バリエーションもあるんだぁ〜。じゃあワタシは何しよ……って、エディ……?」

 デイトナはブラウンの隣で、店に到着したら何を注文しようか軽く天井に緑色の瞳を向けて考えていたが、見覚えのある少年が視界に映り、足を止める。

「ん? デイトナどうした?」

 突然止まりだしたデイトナに何かあったと思ったのか、ブラウンも止まり、デイトナに訊ねる。



――エディ側は、興味有り気にやってくる……――



「あれ?  お前も来てたのかぁ? おれもレベッカん事見に来たんだよなあ」

 エディはズボンのポケットにそれぞれ両手を入れながら、デイトナとの距離を縮めていく。鼻に刺さったピアスがあまり良い印象を与えてくれない。

「あ、そ……そう……なんだぁ……」

 見るからにデイトナは怖がっているような感じだが、ブラウンの事も考えればすぐに逃げ出す訳にも行かず、非常に戸惑いながら口を何とか動かしている。とりあえず、言われた事に対して肯定しておくのが一番だろう。



「お前、誰だよ? デイトナの知り合いなのか?」

 ブラウンにとってはエディを見たのが今回で初めてだからか、特にエディに対して何かしらの違和感すらも覚えずに平然とデイトナとの関係を問い質そうとするが――

「腐れ縁ってやつだぜ。お前こそ誰だよ……って見りゃ分かるか。彼氏だろそいつの。んでデイトナ、お前に面白おもしれぇ話してやんよ。さっきレベッカんとこ行ってたんだけどなあ……」

 エディ自身、デイトナとはほぼえんを切っているからそこまで深い関係では無いとほぼ一言で済ませる。

 そして青い髪をした青年の姿を確認した後、エディはレベッカについて、何かを話し出そうとする。



「ま……まあ別に、いいんじゃないの?」

 デイトナは相手が相手だからか、非常に落ち着かない様子で左右をキョロキョロと見ながら小さめな声で言い返す。別に相手が何をしていようが、相手の勝手なのだから。

「お前何ビビってんだよ? 別に殴んねえよ。そうやって怖がっててハンターなんかやってられんのか?」

 ぎこちない態度を取り続けるデイトナの内心を見破ったエディは、暴力を働く為にやって来たのでは無いと安心させようとする。

 その鼻に刺さったピアスが随分と奇妙な威圧感を放っているが、本人がそう言っている以上は多分心配は無いかもしれない。



「おい、さっきからお前何なんだよ? こいつ嫌がってんじゃないの――」
「お前ちょい黙ってろや。折角人がいい話持ってきてやったってんのに」

 やはり彼氏である以上は彼女であるデイトナを護らなければと、ブラウンは軽くデイトナの前に立ち塞がるように一歩前へと出るが、エディはそれで黙ってはくれなかった。

 逆にブラウンを弱者として突き放すかのように、元々細い目で睨みながら、ズボンのポケットにそれぞれの手を入れて廊下の壁に寄り掛かる。



「さっきレベッカんとこ行ってたんだけどよぉ、おれマジで見ちゃダメなもん見ちまったんだよ。お前分かっか?」

 ブラウンとデイトナのいる右側に顔を向け、そして右手だけをポケットから出しながら上を指差してレベッカの話をし始める。レベッカは4階にいるから、と言う意味で指を上に差しているのだろう。

「え? ダメなものって……、まさか、着替え、見た、とか?」

 具体性の無い質問だった為に、デイトナは何と答えるべきなのかすぐに頭に浮かばなかったかが、見ては行けないものとして考えるなり、眼鏡の接続部分ブリッジを右手で持ち上げながら思い付きで言ってみた。



「バーカ、あんなブツブツ塗れの裸見たって嬉しい訳ねえだろ。お前の見た方が興奮するだろ?」

 それは答が間違っている事を意味した返事であるが、エディの性格を考えれば、彼に相応しい内容である。

 それでも異性に言うべきでは無い性的な発言をするエディも、相当この場所では偉そうに振舞っているものとして考える事が出来るだろう。勿論、デイトナの件はあくまでも想像であれば良いのだが。

「なんでそう言う事平気で言うのよ?」

 デイトナは軽く自分のいくらか華奢に映された身体を、両腕を交差させるように両手で押さえながら、下品な発言をしたエディに嫌な表情を送った。

 身体を押さえていると言うよりは、見方によっては豊かに膨らんだ胸を隠しているようにも見えるが、どちらにせよデイトナにとっては好ましくない台詞だっただろう。



「デイトナ……。お前まさかホントに――」
「そんな訳無いじゃない!! 馬鹿な事考えないでよ!!」

 まさかと思い、ブラウンはデイトナを疑ってしまうが、その後に返って来たものは下手をすれば今後の二人の関係に悪影響を及ぼすようなものだった。

 流石のデイトナも、自分が裏切った人間であると見られた事に対して怒りを隠せなかったのだろう。病院と言う空間上の空気も忘れて思わず怒鳴ってしまったのだ。



「そんなに……お前怒るなよ……」

 ブラウンならば、デイトナの怒った姿は恐らくは何度か見ているだろうが、自分が悪かったと考えると、怒り返すのは無理だったようだ。

 軽く両手を差し出しながら、少女ながら凄い剣幕を作っていたデイトナの両肩を押した。

「何カップルで喧嘩なんかしてんだよ? んでレベッカん事だけどよぉ、あいつおれん前でくそ洩らしたんだよ。意味分かっか?」

 からかうかのようにエディは、その一瞬だけ悪い空気の流れた二人の姿を見てわざとらしく笑う。

 そしてエディも恐らく忘れられている可能性もあるさっきの質問の答を明かす。内容だけを聞いても、殆どの人間ならば嫌でもその意味を理解する事が出来るだろう。しかし、エディが求めているのはもっと深い意味であるらしい。



「う、嘘……。ってかそんな事いちいちワタシに言う事なの!?」

 一応レベッカだって、デイトナと同じ女の子であるのだ。だからこそ、今エディから聞かされた事を想像するだけで軽々と鳥肌すら立ち上がってくるのだ。

 だが、冷静に考えたデイトナは、そのような少女を精神的に殺してしまうような話を平気で人前で言いふらしても良いのかと抗論をする。

「あぁ、言う事だぜ。だってよぉ、お前普通に考えてみろよ。普通彼氏が目の前にいる時だぞ、お前だってウンコ洩らしたりすっか普通?」

 エディは反省すらせず、寧ろそれはキッパリと言うべき内容であったと、寄り掛かっていた壁から身体を跳ばすように離した。

 寄り掛かるものが無くなったエディは、再び右手をズボンのポケットに入れて両手がしまわれた状態になりながら、またデイトナからの返答を促す。



「だからそう言う事言うのやめてくれる? 凄い下品なんだけど!?」

 想像すらしたくないその状況シチュエーションに、デイトナはエディの雰囲気的な怖さの他に、気持ち悪さまでも覚えた為にさっさとエディの目の前からいなくなってしまいたいと考え始める。

 やはり下品な発言を続ける男とは一緒にいたくないものだろう。

「そうだよなあ? 下品だよなあメッチャ。でもレベッカは、それを、おれん前でしたんだぜ? 普通女だったらもっとこう上品に振舞うもんなのにもうあいつそう言うのももうなってねんだぜ? マジで気持ちわりぃだろ?」

 下品である事自体にはエディも分かっていたらしい。しかし、エディはその下品な光景を作り上げたレベッカを直接その目で見ているのだ。ある意味で、これはデイトナの為の警告とも捉える事が出来るのかもしれないが、殆どエディがそれを説明する事に楽しんでいるようにも見える。



「ちょっ……それ本気で思ってんの!? あれでも元貴方の恋人でしょ!? そうやってレベッカ傷つける事平気でワタシなんかに言っていいと思ってるの!?」

 密かに秘められたエディの警告はデイトナには届いてくれなかったらしい。自分の愛人――流れを見る限り、そうは見えないのだが……――を平気で傷付ける事を連発するエディに怒りを覚え始め、もう少し考えて発言をしてもらうようにと強く言い張る。

 レベッカ本人を責めただけでは無く、その話をある意味で無関係であるデイトナにまで持ち出しているのだから、エディのそのあまりにもおかしい考えを早急に直して欲しいものである。

「んな事言われてもなぁ……。おれあいつもう捨てたし。顔がキモいっつったらあいつメッチャ泣いてたんだよなあ。捨てた相手ん悪口ぐれえ言ったっていいだろ別に」

 エディにとってはまるで自覚が無いらしく、えんを切った人間ならば、何を言っても問題は無いと考えているようだ。



「それと、レベッカだって好きでその……んと……えっと、あんな事した訳じゃないのよ! レベッカは病気の影響でちょっとコントロール、っつうのかなぁ、それが出来なくなってるだけなのよ!? そう言う事分かってあげようとか思わなかったの!?」

 デイトナはエディほど愚かでは無く、レベッカがどうしてあのような凄惨な姿となってしまったのかを知っていた為に、レベッカのフォローに回る。同じ少女同士であるからには、多少でもレベッカの名誉を護ってやりたいとも思うはずだ。

 その冒してしまった事についてはあまり詳しく言えなかったが、あまり詳しく言い過ぎていても本人は辛いだろう。

 

「うっせぇわお前。お前だってレベッカ嫌ってたし、それに嫌われてただろ? あんな奴ほっとけよ。あんな汚物女庇ってたらお前も同類になんぞ? とりあえずあいつはあの顔何とかした方いいよなぁ。お前も見たろあの顔? あ、それともお前も昔は案外チョードブス女だったりしてか?」

 デイトナのその言いたくない個所を隠した説明法がおかしく見えたのか、エディは笑い出しそうになるのを堪えながらレベッカの姿を思い出す。

 そのレベッカの姿を思い出した事によって、また笑いがこみ上げてくる。現在のレベッカはもう、他者と比べられない状態になっているのだから、エディにとってはいいネタとされてしまっているのだろう。レベッカには非常に悲しい話であるが。

 そして、デイトナへの言葉の暴力もまた行われるが、殆どそれは想像の中での嫌味の域だろう。



「って……そんな訳無いじゃない……」

 流石にデイトナは自分の顔が本当にみにくいものだったら、なんて事は想像したくなかったのか、眼鏡の奥で難しい表情を浮かべながら弱々しく言い返す。

「エディだったか。そうやって女平気で傷つけるような事口走ってたら新しい女にも嫌われるぞ」

 そのやや長いデイトナとのあまり楽しげの無い言葉のやり取りの中で、半ば無意識の内にエディの名前をブラウンは覚えてしまったのだろう。

 相変わらず女性に対する思いやりと言うものを見せつけないエディに向かって、その捻くれている性格について言及する。きっと治さなければ、これから先、女性との対人関係を上手く継続させていけない可能性がある。



「そんなもん本人の前で言わんきゃいいだけの話だろ? どうせ男側だって影で言われてるもんなんだよ。お前だって案外デイトナそいつから陰口叩かれてたりしてなあ。眼鏡だの何だのってなあ」

 エディにとって見れば、相手に知られなければ何を言っても良いと思っているらしい。確かに不満は恋愛関係の中で生まれてしまうものなのかもしれないが、それをいちいちデイトナ達に確認させるように嗾けるのも随分と気重なやり口である。

 だが、他人に話すと言う事は、告げ口をされる危険も伴うと言う事になる事にもなるが、それをエディは分かっているのだろうか。

「陰口叩き合ってたら長い付き合いなんか出来んだろ?」

 ブラウンはエディとはものの考え方が異なっている様子だ。自分の何かを隠しながら関係を続けていても、いずれはそれが引き金となり、関係が途絶える原因となるだろう。

 さっきまでは殆ど口を開いていなかった為、ここで彼女を持つ男にとって大事な事を教えてやる事にしたのだ。



「うわぁ……随分な自信だなおい」

 まるで教導でもしてくるかのようなブラウンの態度を見て、エディは馬鹿にしながら褒めると言った感じで首を軽く横へ倒す。それでもエディの内心ではブラウンの発言を煩瑣≪はんさ≫に思っているのはきっと間違い無いはずだ。それがエディなのだから。

「当たり前よ。エディんとこと一緒にしないでよ……」

 デイトナだって、エディといるよりブラウンといる方が気分が良いに決まっているだろう。それに伴い、信頼出来るのも当然ブラウンであるはずだ。自分とブラウンの中にエディの勝手な話を入れてくるなと、デイトナもエディをまるで嫌いな相手を見るような目で睨んだ。



「それとお前、そこまでレベッカん事意識してんだったら様子でも見に行ってやったらどうだよ? 多分あいつ泣いてっと思うから、お前の友情で慰めてやれよ」

 妙にレベッカを護ろうとする意識が強いデイトナに関心してしまったのか、エディは直接レベッカの元へと行くように勧めてくる。エディは自分が何をしたのか分かっているかのように、レベッカの今の状況を悟り出す。それは間違っていないとも言い切れないが、もしそうだとしても、誰も褒めてくれない。

「ハッキリ言うけどなあ、女はお前みたいな奴が一番嫌いなんだぞ。なんでお前は人の不幸楽しんでんだ?」

 デイトナとの付き合いか、それとも元々『女』と言う生き物を知っていたからか、ブラウンは腕を組みながらエディにとって明らかに不足しているものを言葉で受け渡す。

 少女側としても、エディのようなすぐ他者に今回のような件を見せてくるような男とは付き合いたくないであろう。



「いいじゃねえかよおれはあいつ嫌いになった訳だし。じゃあおれもう帰るわ。ダチと飲みに行くって約束してっし」

 エディにとって、それが個人的に一番納得する事の出来る答であるようだ。詳しい理屈や理論は必要無い。自分の意思で、そう決められればそれで良いと言うのだ。

 元々エディが2人を呼び止めたと言うのに、突然エディは病院から出ると言い出した。どうやら予定が一つ入っていたらしい。



――出入り口に向かって歩き出し……――



 その向かう先にデイトナとブラウンの姿がある為、強制的にその2人の隣をエディは通る事になるのだが、何故かデイトナの隣をエディは選択する。

 そちらを選択した意味は、すぐに分かるだろう。



――デイトナの左の二の腕を掠らせるように叩いたのだ……――



「じゃあな!」

 デイトナは服装の都合で、肩から手首にかけての肌が直接露出されているが、エディに嫌らしく触られたのだ。嫌いな男に直接身体を触られて不快な気分を覚えないはずが無い。

「いやっ!!」

 当たり前の反応である。デイトナは右手で自分の左腕を押さえながら、距離を取る為に右に逃げるように動くが、ブラウンに接触し、止まる。

 恐らくはエディはデイトナの滑らかな肌の質感を感じ取る事が出来たのだろう。しかし、嫌がられてまで身体を求めたいのだろうか。



「エディ! お前いい加減にしろよ!!」

 自分の彼女が嫌がる事を通りすがりにしてきたエディに対して、我慢し切れずブラウンはエディの背中を見て怒鳴るが、エディは軽く後ろを向いてにやけていた。

「じゃあな幸せもんよぉ!」

 デイトナのような可愛いとも、美人とも言えるような少女と繋がる事の出来たブラウンを嫌味ったらしく褒めるかのように、右手を後ろに投げ飛ばすように振った。整髪料で固められている黒い後ろ髪が嫌な空気を延々と漂わせ続けていた。



「最ってぇ……」

 平気で女の子の身体を触ってきた、どんどん出入り口から離れていくエディの後ろ姿を見ながら呟いた。

 アビスと一緒にいた時は全く浮かべていなかった嫌気と怒りの表情がデイトナの顔に映りこんでいる。あまりアビスには見せたくない表情である。

「何だよあいつ……。デイトナ、お前絶対もうあんな奴と関わるなよ?」

 ブラウンからも嫌な奴として留められてしまったエディであるが、きっとエディ本人はまるで気にしていないだろう。別の女がいるから、気に入らない奴を苛めてやった。その程度でしか考えていないに違いない。

 そしてブラウンとしては、そのような道徳性の無い男とデイトナを近づかせたくないと強く心の中で意識する。



「うん。だけど向こうが勝手にやって来るから……。あ、そうだ、ちょっとレベッカのとこ行きたいから、もうちょっとだけ付き合ってくれる?」

 デイトナだって、エディとはほぼ永久的に距離を取りたいものだ。それでも、相手からやって来る以上はどうしようも無いと言う。最も、それを無視出来るようになれば状況は変わるかもしれないが。

 そして、レベッカのいる階及び病室に向かう為に、階段へと駆け足で進み始める。

「ああ、オレは時間は大丈夫だけど、でもお前オレがレベッカんとこ行ったら不味いんじゃないのか? 毒でやられた顔オレに見られたら不味いだろ? それに、洩らしたとも……、言ってたしよ……」

 ブラウンも多少時間を使う事には否定はしなかった。デイトナの隣に付くように同じく駆け足になる。

 しかし、レベッカは女である。もし見知らぬ男に現在の顔を見られたらどれだけ心に傷が付くかを一瞬考えてしまったブラウンは本当に自分も付いて来ても良いのかと、デイトナに確認させる。



「あぁ……そっかぁ……んと、じゃあ病室の前で待つってのはどう? ちょっと無茶苦茶になっちゃってごめんね」

 デイトナもレベッカの元へと行かなければと言う一種の責任感のようなものに襲われていたからか、そこまでの配慮が出来ていなかったらしい。ブラウンに言われてようやく気付き、気遣いをどうすべきか少し迷うが、最終的には病室前で待機してもらう事にした。

「分かった。ちゃんと外で待っててやるから、喧嘩になったりすんなよ?」

 ブラウンも状況を理解してくれているからか、一人だけ室外と言う状況に置かれる事になっても、これと言った否定的な感情は飛ばさなかった。逆に、デイトナに応援に近い言葉を渡してやった。



「うん! 分かった!」

 何故かそのブラウンの言葉がこれからのレベッカとの関係に光を与えるような気がしたのか、デイトナは明るい笑顔でブラウンに向かって頷いた。



――そして、4階……――



 デイトナとブラウンは駆け足で白い色で塗られた廊下を駆け足で進んでいる。

 走るその振動でデイトナのセミロングのオレンジ色の髪がやや激しく波打ち、ブラウンの青いやや長めの髪もデイトナほどでは無いにしろ、僅かに揺れている。

 先程ブラウンから応援のようなものを貰ったとは言っても、やはりレベッカの心情を考えると、デイトナの中で不安が生まれてくる。

(まさかホントにレベッカ……まだ泣いてるのかなぁ……?)



 レベッカの今の状態を想像して多少表情を暗くしていると、廊下の曲がり角から老人らしき人物の乗った車椅子を押して歩く看護婦が現れる。しばらくしてからその看護婦と、その老人の乗った車椅子とすれ違うが、加齢臭のような嫌な臭気が一瞬鼻に刺さるのを覚える。

(うっ……。ちょっと今のきついかも……)

 流石に直接口に出そうとは思わなかったであろう、デイトナであるが、直接鼻に来るにおいとなれば、感情そのものも抑えるのは難しいだろう。ある意味で本能による感想だから、しょうがないのかもしれない。



 実は今の老人には奇妙ないぼが点在していたし、目も激しく充血していたが、デイトナとブラウンは気付いていただろうか。

 それでも早くレベッカの病室に向かわなければと、歩く速度に比べれば多少速いと言えるその駆け足を続けていたが、廊下に何か落ちている事に気付き、デイトナはそれを拾い上げる。



「あれ? なんか落ちてる。カード?」

 四角形の赤い皮に覆われた四角形の何かをデイトナは廊下から持ち上げ、その表面に目を通した。

「多分さっきすれ違った人のじゃないのか? さっきまでなんも落ちてなかったぞ」

 ブラウンは先程から廊下の先をよく見ていたらしく、持ち主はきっとさっきすれ違った2人のどちらかでは無いかと考える。



「ってこれって……!!」

 デイトナはブラウンの言葉にも気付いていないかのように、そのカードの内容を見てその緑色の瞳を震わせた。

(シグーネ……さん……? 指導官の……?)

 デイトナはその人物を知っているのだろうか。だが、もしこのカードに載せられている顔写真と、今通りかかった車椅子の人物が同一人物だとしたら、と考えると身体の震えが止まらなくなるだろう。





――それは、ギルドカードであり、内容には大体このような事が記されていた……――

名前は……シグーネ・セルメイト

年齢は……21歳

顔写真は、帽子のキャップのような形状をした赤殻蟹のヘルムを装着し、その生き生きとした茶色の瞳と、茶髪の髪は女性らしさと、ハンターらしい強さが浮かび上がっていた

女性……?





 思えば、今すれ違った車椅子の人間には髪が生えていなかったのだが、やはり、これもあの力・・・の影響なのだろうか?

「デイトナ……デイトナ! お前どうしたんだよ? 様子変だぞ?」

 ギルドカードを見て固まってしまっていたデイトナを見ていたブラウンは心配になり、デイトナの右肩を左手で掴んで揺らした。ただ落ちていた物を拾い、それを見ただけで身体を硬直させると言うのが気になったのだ。

「あ、いや、別に何でも無いわよ!? ちょっと、別に……」

 デイトナは焦るように後ろへと振り向くが、何でも無いと言っている割には何かを隠してるような雰囲気を漂わせてしまっている。



「それ見てなんか怖くなったのか? 分かったよ、オレはそれ見ないから、一回オレに渡せよ。オレが届けてくるから、お前は先行ってろよ」

 怖いとは言っても、決してそれが本当の意味で恐ろしい絵でも描いてある訳では無いとはブラウンだって理解している様子だ。自分が見たらきっと持ち主がプライドの面で傷が付いてしまうのかと考え、届ける役割を背負いながらも、そのカードの内容は絶対に見ないと約束する。

「あ、うん、お願い。でも絶対これ見ないでよ? あの人にちょっと悪いから」

 いきなりそのような役を引き受けてくれると言ってきたブラウンに対して一瞬戸惑うが、デイトナは信用出来るその相手にギルドカードを裏にして手渡した。

 そして、やはり内容は見られるとその持ち主を精神的に苦しめる事が分かっているからか、デイトナは一つの念押しをする。



「分かった。じゃあ行ってくるわ」

 そしてブラウンは廊下の来た道を引き返していく。





――廊下で立ち尽くしながら、デイトナは……――





(あの人……女の人……だったんだぁ……)

 車椅子に乗っていた老人と思われていた人間が、実は自分より多少歳上の女性である事を知り、デイトナは再び寒気を覚え始める。きっと、自分が逆の立場だった時の事を思い浮かべてしまったのだろう。

 もしそれが実現してしまった時に、周りの友達や、恋人であるブラウンが今まで通りに関わってくれるのか、等と考えると余計に恐ろしくなってくる。いくら他人に思いやりのある性格であると言っても、自分の容姿を壊される事だけは絶対に防ぎたいものだ。

 実はさっきの女性、デイトナは知らないであろう一つの秘密があったのだ。



―◆ 燃え上がるアーカサスの中で、スキッドが見つけた赤殻蟹装備の女性だったのだが…… ◆―

スキッドの事は、きっとデイトナはよく知らないであろう。
しかし、そのスキッドが今回のギルドカードに記されていた女性を街中で発見していたのだ。

その毒でやられて醜くなったその女性ハンターをスキッドの友人であるクリスと勘違いし、スキッドは激しく絶叫し、そして絶望した。
最も、その後で人違いである事が分かり、そして無事だったクリスとも再会出来たから、スキッドにとっては安心出来た話である。

だが、毒を受けた人間はそれで終わりでは無い。受けた本人は精神的に深い打撃を背負ったままなのだ。
まさかここで、その勘違いされた人物と、デイトナが偶然すれ違う事になるとは。



 事実上、他にも感染毒を受け、今回のレベッカのように容姿が悪化した人間がこの病院内で入院しているのだ。他にも怪我等の事情で入院している者も多数だが、毒と怪我、どちらがマシかと聞かれれば、非常に悩む所だろう。

 一瞬、デイトナはこの廊下の中で一人だけ取り残されたような気分になる。負傷者や犠牲者が多い中、自分は特に傷らしい傷を背負わずに済んだ訳だが、入院者が多い事を考えれば、何故か気分的に喜ばしくないものが生まれてくる。

 まあ、それでも病院のお世話にならずに済んだものも、ハンター、一般人含めて多かったのも事実ではあるのだが。



(アーカサス……これから先……大丈夫なの……?)

 これから会いに行くレベッカも今回の事件の犠牲者である。

 近くの人間の多くが傷付いていった今回の事件、そして、この街の財産であるハンターの多くを失ってしまった事実はアーカサスの歴史にとっては非常に手痛い記録となるだろう。

 廊下の突き当たりにある窓の奥の世界も、やがて太陽が沈み始めているのだから、視覚的に暗くなっていくのが分かり、それはまるで入院している者達の心境をそのまま見せているかのようだ。



 俯いていた顔を持ち上げ、デイトナは左手で耳元の髪を正し、再び歩き出した。

 リング状のピアスが廊下に設置されている電灯の光に反射して一瞬輝きを見せるが、それはレベッカのように容姿が醜くならずに事件を切り抜けられた事の褒美では無いし、そして、本当に犠牲者になっていれば、ピアスの輝きで醜さを誤魔化す事は出来なかっただろう。

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