【祭】






この文字に見覚えはあるだろうか? いや、文学を愛する存在、或いは文学を追求する学者なら、
確実に一度くらいは目にした事があるはずだ。

もし無かった場合、貴方はしっかりと文字の一つ一つを≪目≫と言う視覚器官ヴィジュアルオルガンを使って確認していないと言う証拠である。
それは、単刀直入に申すと、世界に無数にその英名を輝かせている文学者達マン・オブ・レターズに対し、非常に失礼な行為に当たる。
それだけ、あまりにも有名で、ありふれた言葉ワードなのである。

見た事が無い人間がいるならば、早急にこの世界に無数に溢れ返る程に厳存する書物を読み漁る事をお勧めしよう。
それで無ければ、これから始まる予兆を貴方達へ感化させる事が出来ないのだから……。



さて、最初に挙げたこの謎の≪記号≫、なんと読むかはご存知だろうか?
何だか私がいちいちここで説明なんかしなくても、既に分かったような顔をしている方々の姿もチラチラと見えるのだが、
それでも説明しようとする私に対して、既に理解している人間どもは何を思うのだろうか?

やはり、この私に対して『うざい』、の一言で済ませてしまうのだろうか?
では、そう言う事を考える賢人は本当に全てを体得しているのだろうか?
多分、そんな事は有り得ないだろう。
人間、世界から見れば、知っている事よりも、知らない事の方が圧倒的に多いのだから、
知識の写し直しだと考えて、素直に聞いていなさい。



さて、どう読むかと言うと……











      ≪ まつり ≫











どうだっただろうか? きっと、殆どの者が予測通りとして、つまらない思いをした事だろう。
実際は大抵そんな場合が多い。

分からないと思っていながらも、いざ、理解した時には殆ど歯応えを感じられず、
その知ろう、知ろうと努力したその対象物に対して一種の失望を覚える経験は多分、人間は持ち合わせているはずだ。
だから、決して恨まないで欲しい。
こう言う小さな知識メモの積み重ねが、近い将来にふと役に立つ事があるのだから……。





それでは、ここまで付き合ってくれたお友達きみたちにだけ、とっておきの面白いお話を聞かせてあげるとしましょうか。

それはね、遥か昔、古代世界の人々は、収穫前にはとある行事を行ったのである。



――■ 豊作祈願祭/PRAY FESTIVAL ■――



何故そんな事をする必要があるのか。簡単な話である。神々に願いを捧げる為である。
そして、災厄から村や自分達の命を護る為でもあり、祭と言う行事は非常に重要なものだったのだ。

ただそれだけなら、祭と言う響きはそこまでは重く感じられないだろうし、それより寧ろ、
なごやかで面白い行事としても想像出来るだろう。

だが、昔の祭と言うのは、単純に楽しみながら、神様に頭を下げる行為では済まされなかったのだ。
もし貴方がその古代の時代エンシェントタイムズに分娩されていたならば、思わず主催者リーダーに飛び蹴りでもかましたくなるだろう。

そう、この祭で最も重要視される部分がある。それは……



――■ 生贄/SACRIFICE ■――



まあ、意味は生命を持った存在が生きたままで神に捧げられると言うものである。
もっと単純に言えば、神様の為に死ぬ目に遭うと言う話である。
規模が小さければ、羊や犬と言った動物がその対象となるが、大きい規模となった時、悲劇は発動する。

なんと、人間が犠牲になり、更に最深部にまで追求すると、女の子が無残にも選択されてしまうのだ。

選抜された者は全身に傷をつけられ、大量出血の状態で、占い師ディバイナーによって神へと捧げられ、
やがて少女はそのまま死んでしまうのだ。

ここで、ようやく【祭】と言う記号が組み立てられた原理について話す事が出来る。

――>> 月≪ 肉 ≫

――>> 又≪ 神に捧げる右手 ≫

――>> 示≪ 祭壇に両手で貢物みつぎものを捧げる形 ≫

これであの記号・・・・が見事に完成してしまうのだ。今まで生きてきた人間は無知であるが故に、
明るい先入観イメージしか持つ事が出来なかったが、もう今は現実の残酷さを受け取る時間である。

これが本来の意味であり、儀式の度に、遺族が抱いた感情は想像し難い事だっただろう。
それを過去の笑い話として受け取るか、それとももしも現実にも存在したら、と言う恐怖を抱く想像として受け取るか、
それは貴方次第と言う事にしておこうか。






この話をするに相応しい少女が今、夜空の下に移る住宅区で倒れており、その儀式を模した光景が時期に迫り、
この世に別れを告げるのか、それとも現世へと残るのか、その決断が少女に迫られる……。








            ――桃色に包まれた亜空間で――
                 PINK DREAM
              ≪掛替えの無い親友とは≫



何故だろうか……。周囲を見れば、その全てが桃色に染まっている。何故だろうか……。

夜空も見えないし、住宅も見えないし、それに、炎や敵の姿も一切映らない……。
まるで全てを消し去られてしまったかのような、そんな世界が今、とある少女の目の前に広がっている。

もうここにずっといれば、苦しい戦いに参加する必要性も無くなるし、人が死ぬ様子を見る必要性も無くなる。
いっその事、もうこの世界に滞在していても良いのでは無いのだろうか?



等と少女が考えているのかどうかは不明に近いが、この空間の中で、とある誰かが近寄ってくる。

全身がまるで影が落とされたかのように真っ黒に染まり上がっているが、少女に近づくにつれ、徐々に
その姿がうっすらと見え始めてくる。



一番最初に確認出来たのは目元であった。そこ以外は全て影のような漆黒に多い尽くされていたが、
その目だけはまるで影を払い除けられたかのように、しっかりと映される。

緑色のやや愛らしいような吊目つりめが特徴的であり、あまり素直では無いような性格がうっすらと見える。

やがて、その影に埋もれた人物は目的地へと到着したのか、右膝を地面へ付けた体勢になると同時に
地面から何かを両手で持ち上げ、そして揺さぶりながらその少女の名前を呼ぶ。



「クリス……。お前クリスだろ!? 何やってんだよ!」



揺さぶっている人物はきっと男性、そして少年であるのだろうが、歳がやや幼いせいか、男でありながらも
少女のように高めな声色がこの少年の特徴として映されている。

その呼んでいる名前の通り、この緑色の吊目つりめの少年が持ち上げ、揺さぶっている相手は……



真赤な甲殻が印象的な赤殻蟹装備を纏い、そのヘルムの間からうっすらと明るい茶色い髪を覗かせた、あの少女である。
だが、細い肩を掴まれて揺さぶられ、そして名前を呼ばれていると言うのに、目を覚ます気配はまだ見えない。



「おい起きろよ! こんなとこで寝てたら風邪引くぞ!?」



少年の想いが伝わったのか、クリスと言う名の少女は閉じていたまぶたをゆっくりと震わせながら、
その中で封印されているであろう可愛らしい瞳を覗かせようとしている。



「ん……ん〜……」

少女は閉じきった小さめな口の隙間から、まるで寝起きの際に発せられるようなものを小さく洩らしながら
ゆっくりと水色の瞳を覗かせ始めた。






□■ 愛と勇気を見せた水色の瞳の先には……/SMOG AND CAN SEE ■□

上下に分かれるように、まぶたが作り出している黒い壁が開かれる。

その先に映るのは、どうやら少年の顔らしいが、ぼやけている為、詳しく窺い知る事はまだ出来ない。
だが、時間が秒単位で進むにつれ、ぼやけていた視界が鮮明になっていく。

緑色に染まった吊目が一番最初に視覚的な情報として捉えられ、それ以外の全ての部分が未だに影で
黒く染められてしまっているものの、それもやはり、秒単位で明るくなり、それぞれの部位が持つ色が表現されていく。

濃色の茶髪であり、やや尖ったような髪型が映り、そして十代の半ばはまだ通過していないであろう、
そんな幼い風貌の顔がようやく、鮮明になる。



「あ、クリスやっと起きたか! こんなとこで何やってんだよ!? 寝惚けてんじゃねぇよ」

少年の白い長袖に包まれた両腕が未だにクリスの肩を掴んでおり、うっすらと目を開けた事について安心したのか、
少年は先程とは異なり、やや弱めな力で再度、揺すった。

因みに、少年の胴体部分は紺色の袖の短い上着を纏った姿であり、重ね着の姿でいる事が確認出来る。

「あ……れ? 私、て、えっと、あれ、リージェ君!?」



クリスは自分の名前を呼んでくれている少年をややしばらく見つめていると、すぐに脳裏に少年の名前が浮かび、
開き切っていなかった水色の瞳を見開き、そしてまともに持ち上がっていない自分自身の上体を、両腕を地面に付けて勢い良く持ち上げる。

上体が勢い良く持ち上がる様子に多少驚いたのか、リージェはぶつかってしまわないようにと、
素早く立ち上がり、そして後ろへと後ずさる。

「うわぁ! ちょっ……危ねぇなぁ……。でもお前なんでこんなとこで寝てたんだよ? なんかあったのか?」

やはりいくら相手は少女と言うか弱いイメージが強い存在であるとは言え、武具で纏った身体をぶつけられたら
リージェにとっても溜まったものでは無かったのかもしれない。

それを多少愚痴りながらも、彼にとって一番聞きたかった内容を早く聞いてしまおうと、再びしゃがみ込みながらいた。

「あ、えっと、なんかよく分かんない脚四本で歩くちょっとデカい生物みたいなのと戦ってて、ちょっと疲れたから休んでたんだけど……でもそれより――」
「ああそっかあ、お前もうその格好、ハンターになったんだもんなあ。なんか羨ましい――」
「ねえちょちょ待って! 聞きたい事あるから、聞いて!」

クリスの事情を聞いたリージェであるが、リージェ本人はすぐ間近で見えているクリスの纏っている物・・・・・・がどうも気になったらしく、
興味を抱いた子供のように喰らい付こうとする。

だが、クリスはそれを素直には聞き入れず、まるで自分の話題が最優先であるかのように、
やや強引に言葉を挟み込み、リージェの興味を止め込んだ。



「ってどしたんだよ? 聞きたい事ってなんだよ?」

リージェはクリスのその焦りぶりに何か重大なものでも秘めているのかと、やや不満そうに自分の話を止め、
クリスの話を聞く体勢に入る。



――本当は訊くのは凄い怖かったが、クリスは思い切って口に出す……――



「さっき、あの仮面の男に殺されたんじゃあ……」

クリスは毒煙鳥によって建物に地下部屋へと落とされ、気絶した時の事を思い出したのだ。



□■□ 確か、仮面の男に爪で貫かれ、リージェは血を吐いて絶命したはず……



だが、そんな物騒な事を聞かれてもリージェは笑顔なんかを浮かべながら、平然としており、

「はぁ? お前何言ってんだよ。おれが死んだりする訳ねえだろ? お前夢でも見てたんじゃねえのか?」

一瞬だけ笑い出しそうな表情を見せながら、勝手に亡き者として扱ってくるクリスに言い返す。
あの時は確かにクリスは気絶していたのだから、夢と言う表現もあながち間違っていないのかもしれない。

「そ……そうなの、かなぁ……」

クリスは折角リージェから事実らしき返事を受け取ったと言うのに、未だに疑ったような様子で
両脚をやや伸ばしながら座り込み続けている。リージェもしゃがみ続けたままだ。

「『そうかな〜』じゃねぇだろ! そうなんだって! おれは死なねえってんだろ? 友達疑うなんてお前最低だぞ?」

クリスの疑いを消し去ってやろうと、リージェは笑顔を浮かべたまま、先程伝えた事実を再び伝え、
疑い続けるクリスの左の肩を右手で軽く押した。



――それを聞いて安心したのか、まるで全ての雑念を捨てるかのように……――



「そう……だよね……。そう、だよね!」

クリスにとっては溜まらなく嬉しいメッセージだったのだろうか、多少の距離を取っていたリージェを強く見つめ、

そして……



――勢い良くリージェへと抱き付いた!――



「わぁ、ってお前何だよ!?」

リージェが驚くのも無理は無いはずだ。可愛らしさではほぼ誰にも負けないような容姿を誇るクリスに飛びつかれたのだから、
黙っているのは難しい事なのかもしれない。

思わずそのまま背中から倒れそうになるが、何とか耐えながら、クリスの赤い甲殻に護られた背中に両手を回す。

「やっぱり、生きてるんだよね……。死んでなんか……無いんだよね……?」

リージェの視線からは、クリスの表情を直接見る事は出来ないが、何故かクリスの声に詰まりや、引っかかりが見え始め、
とある感情を込み上げさせているのが分かるような気がしないでも無い。

「クリス……お前どうしたんだよ? そんな格好で、お前やめろって」

リージェはしばらくは異性に抱き付かれると言う羞恥心しゅうちしんに襲われていたものの、クリスの様子が心配になり、
一応はハンターと言う血生臭い職業に就いた証拠の武具を纏った姿をしているのだから、
外見とその行為のギャップについて、とりあえず離れてもらうように、それでもどこか緩い言葉を渡す。



リージェは一般人の服装であり、クリスと比べると明らかに弱々しい格好なのだから。



「何だかさあ……ずっとこのまま一緒で……いたくて……」

リージェの背中へ回している両腕の力が徐々に強くなっていく。
クリスは華奢で、可憐な女の子ではあるものの、ハンターである以上、一般的な少女よりも腕力は強いかもしれないが、
力が増加されていっても尚、リージェの表情が苦しみに溢れる事は無かった。

「おれだってそうだよ……。ずっと一緒にいてぇよ……」

クリスに締められるリージェは表情を苦しくする事は無かったものの、彼の返事の中にも、どこか悲しみが映り始める。
クリスからは見えないが、リージェの緑色の瞳が悲哀ひあいの様子を見せるかのように細くなり、再びリージェの口が開く。



「でもなあ……」

再び、リージェからの言葉が聞こえ始める。

「やっぱお前は、そっちで上手くやってんだろ? 今も。だったらそっちで楽しくやれよ……」

突然、リージェは友人クリスを引き離すような、僅かながら冷たさの篭ったものをクリスへと言い渡す。
その口調には寂しさや悲しさが映り、苦しみながらクリスから距離を取ろうとしているようにも見える。



――だが、哀切あいせつな心情はクリスにもしっかりと伝わり……――



「え……? なんで? 一緒にいようよ……? なんで、そんな事言う……の……?」

やはり、クリスにとっては彼の存在が別格なものであるのか、彼がこの場からいなくなってしまうような言動を見せた為に、
クリスはまだリージェを両腕の中から解放せずに、水色の瞳にうっすらと揺れたような様子を見せる。



「お前……ホントは分かってんだろ? なんで今頃いちいち聞いてくんだよ……? もう……おれは充分……だから……」

リージェもクリスを解放しようとはせず、両腕に力を込めたまま、既に分かり切った事を聞いているらしいクリスに対して
込み上げてくる感情によって詰まり始めた声をやや弱い力で返す。

何故か、リージェの緑色をした吊目つりめも僅かに揺らぎ始める。



「そんな……折角……」

クリスは言い返すものが思いつかないのか、何を言えば良いのかが分からず、
頭の中にある路頭に迷い始める。そしてすぐに……



――水色の二つの瞳から、一滴の涙が……――


れたラインを頬に刻み込みながら、涙は最終的に細く整ったあごへと辿り着く。
この涙が意味するものは、ほぼ一般的な意味で捉えてもまず間違いは無い。



「お前なあ、いつまで……こんなおれなんかに……こだわってんだよ? おれは……お前とは一緒にいれねえんだよ……。分かってんだろ……?」

どうしてそのような結論が出るのだろうか。それはきっと、リージェにしか分からないのかもしれない。
しかし、外から見ても分かる事と言えば、リージェ本人も相当辛い想いをしているに違いない。
その少女のような高い声色の声が時折途切れたりする様子もそうであるが、



――いつの間にか、彼も、緑色の二つの瞳から、一滴の涙が……――



れたラインをその頬に刻みながら、流れた涙はリージェの細めなあごへ到着し、
そしてすぐ下にあるクリスの肩へと落下する。

クリスからは直接見られていないであろうその涙を流しながらも、リージェは満足そうな笑顔を何とか維持し、
背中に感じるクリスの両手の温もりを受け取り続ける。



「だけど……、そんな悲しい事言わないで……よ……」

一種の気遣いでリージェはそんな悲しい事を主張し続けていたのかもしれないが、クリスにとってはただの悲痛に過ぎなかったようだ。
リージェとは大きく異なり、クリスの表情は悲しみ一色で染まり、涙の量もリージェに大きくまさる量となる。



「なんだよ? お前、まさか泣いてんのか? もうそんな格好してんだから……泣くなんてやめろよ……な?」

リージェはすぐ横で声を詰まらせ続けているクリスの様子から、ようやくクリスも泣いている事に気付いたようだ。
自分自身も泣いているものの、男であるから何とか強がって見せようと言う意志からか、自分が泣いている事は隠し続けている。



――クリスを解放した瞬間、顔を見られるだろうが、解放しなければいいのだ――



「じゃあ……そんな事……言わないで……! いちお……分かってる……けど……! 折角会ったんだから……!」

クリスの涙の量は更に増加し、細い顎のすぐ下にあるリージェの肩を涙でどんどんらしていく。
彼の紺色の上着の布の感触が温和であり、柔らかい。そんな事を無意識に感じながら、声の力に鋭さが混じり始める。



「お前なあ……。だからあの剣と盾お前にやったんだろ? 大丈夫だって」

震え始めるクリスを宥めようと、リージェは悪い意味を含まないで見下したような口調で声を渡す。
自分自身も未だに涙を流し続けながら、右手でクリスの頭部を撫で始める。

鎖帷子くさりかたびらの間から僅かに映る後頭部が曝け出された部分に触れた右手に、クリスの髪のサラサラとした温もりが伝わる。





――それを聞いた途端、クリスの視界に……――



δδ 暗黒が生じ始める…… δδ

先程まではある意味で不気味なピンク色に染まっていた周辺が、どんどん暗くなっていく。
まるで、二人をいよいよ隔離しようと言わんばかりに、二人の意志を無視し、どんどん黒が支配し始める。

もう、時間は残されていなかった。

互いに姿を確認出来なくなる程に全てが黒くなる。そこで、再びリージェのメッセージがクリスへと届けられる。













―― 「おれがどこにいたって、ずっとお前とは友達なんだから……」 ――













…………






…………






…………






「クリス……。クリス! お前どしたんだよ!?」



両目を閉じてとある誰か・・・・・を両腕で抱き締め続けていたクリスの耳に少年の声が入ってくる。

とは言っても、多少少女のような雰囲気の見える高めな声では無く、既に声変わりした事を感じさせる、
男性特有の低めな声色が入ってくる。

それを聞いた途端……



「はっ!!」



――クリスの両目が開き、水色の瞳が外界へと晒される――



気付けば、既にピンク色の謎の空間も、暗黒の空間も消え失せており、目の前には荒らされた住宅が映り、
そして、未だに太陽インティの昇らない薄暗い夜景もしっかりと映される。

視界が確保された後にクリスが気付いた事は、無意識の内に誰かを抱き締めた状態を継続させている事だった。
声は分かっても、顔が分からなければ状況的に辛い為に、そして、その行為そのものが持つ一種の感情が、クリスを動かした。



――反射的に、抱き締めていたもの・・を突き放す……――



「えっと……ご、ごめんね!!」

クリスは抱き締められていた人間が不快感でも抱いているのでは無いのかと不安になったのだろうか、
やや乱暴ながらも、咄嗟に両腕の力を一度抜いて相手を解放し、そのまま両腕でその相手を押し出した。



「うわわっ! お前なんだよいきなし!」

突き飛ばされた少年は背中から転びこそしなかったものの、突き飛ばされた行為に対して単純に驚きながら、
苦笑いを含んだ表情を浮かべた。



「あ、あれ……? スキッド……君……?」

クリスの両腕から解放された少年の姿をようやく確認したクリスは、水色の瞳に残っていた涙を指でぬぐいながら
自分が無意識の内に抱き締めていた少年の名前を迷うように口に出した。



――蒼鎌蟹の武具を纏っているが、キャップだけは外しており……

――濃い茶髪で、尖った印象を覚えるヘアースタイル……

――そして、緑色に染まった両目……



やはり、クリスにとってはいつも思ってしまう事が一つ、存在する。



■■ スキッドの容姿がリージェに酷似しているのだ…… ■■

もし異なる点があるとすれば、僅かながら少女のような可愛らしさも持ち合わせたリージェとは異なり、
スキッドの場合はまさに狩猟に赴く一人の男として相応しい尖った目つきや、
どう聞いても決して中で女性が化けているとは考えられない低めな声色であろう。

簡単に言えば、まだまだ男らしい風貌が見られないリージェとは異なり、
スキッドは既に身体が少年と言う年齢ながら、男としてほぼ完成していると言う点で顕著な違いが見られると言う事である。



こんな風に、あのピンク色の空間で出会った友達と、今の現実の世界にいる友達を
頭の中で照らし合わせるようにクリスが呆然としていると、その横から別の女の子の強みの感じられない高い音程の声がやってくる。



「でもクリスさん、大丈夫だったんですね! 良かったです!」

従来の狩猟用シリーズと比べ、やや赤い色を全体に帯びた狩猟用シリーズのガンナー用武具を纏った少女、ディアメルは
薄い色の赤のツインテールの髪を揺らしながらゆっくりとクリスの元へ近寄り、両手を合わせて笑顔を作る。



「あ、ディアメル! スキッド君と合流出来たんだぁ! スキッド君に助けてもらったの?」

クリスも友人、と言うよりは相手の言葉遣いを見る限り後輩にも見える少女ディアメルを見るなり、
先程の涙を浮かべていた顔に笑顔を作り、スキッドに右人差し指を向けながら訊ねる。

「は、はい。一応は、えっと、そうなるんですけど……、その前にも色々あって……」
「あ、そうだディアメル一回そんな事置いといてだ、ちょいクリスお前にちょいきたい事あんだけどいいか?」



ディアメルにもここまで死なずに来れたのには様々な要因があり、それを説明しようとして頭の中で滅茶苦茶になってしまったのだろう。
それを何とか、赤い瞳を地面へ向け、整理しながら話そうとしていたが、スキッドの強引な割り込みによってそれは止められてしまう。

ディアメルの反応も待たずにスキッドは自分の訊きたい内容を最優先するかのように、
右手でディアメルを平然と押しのけながら、クリスに質問を答える体勢を取らせる。



「え? いいけど……何?」

荒れた住宅区の中で、クリスは素直に質問を聞き入れようとするものの、何を聞かれるのかと、首を左へ軽くかしげる。



「お前、おれに抱きつく時なんだけどよぉ、『リージェ君!』って言ってたけど、リージェって、誰なんだよ?」

スキッドにとってはリージェと言う人物は見た事も聞いた事も無い存在であり、スキッドが持っている本名とは別のもので呼ばれれば、
確実に混乱を覚える事だろう。あだ名とも考え難いし、その呼び方に疑問点を持っても決して不思議では無いはずだ。



――それを訊かれたクリスは、水色の視線を下へと落とし、表情を悲しくする……――



「私もちょっと、思いました。それに、クリスさんスキッド君にすがり付く時の顔、凄く悲しそうに見えてましたよ……」

ディアメルもそのリージェの名前を聞いた事は無かったのだろう。
そして、スキッドに抱き付く決定的な瞬間のクリスの表情を見逃していなかったらしく、
それを、やや気まずそうでありながらも、何とか言わなければいけないと思ったのか、最後まで話した。



――しばらく黙っていたクリスは、辛そうに口を動かした――



「えっと、スキッド君、訊きたいんだけど、私、ずっとスキッド君に抱き付いてたの? 多分当たり前だと思うんだけど、一応教えて、くれるかなぁ……?」

まるで自分自身がしていた事を他人に確認してもらうかのように、クリスはスキッドを見つめながら、
それでもその奥でどこか悲しさを抱えたような感情で教えてもらおうように問う。

「ずっと……って言っていいのか、あれ。一応おれがお前に声かけて、んでお前が起きたから、とりあえず安心出来んな〜とか思ってたらいっきなしお前なんか『リージェ君!』みたいな感じで迫ってきたから、かなりビビってたら、えっと、お前の方から勝手に気付いておれん事思っきし押してきたって言う、そんな感じだぞ? 別にずっとって訳でも無かったぞ? まさか、夢の世界にでも入ってたか?」

スキッドは時間の感覚の捉え方に多少迷うが、そんな所で時間を使う訳にもいかなかった為、
とりあえずは自分がクリスを見つけ、そして声をかけて何とか起こし、その後にどのような経緯いきさつで抱きついてきたのかを説明するが、
物理的な時間間隔としては、そこまで膨大な時間では無く、ほぼ一瞬の出来事だったようだ。



「うん……多分、夢だったんだと、思う……」

クリスにとって、あれを夢として捉えるのは辛いのだろうか、それでも現実から目を逸らすのはどうかと考えたのか、
それは確かに夢であると、断定して見せる。

赤殻蟹ヘルムの出っ張った額当ての影響で目元が隠れてしまい、それによってその決断による影の強さが
より強調されているような錯覚を覚える。



「あ、あの、クリスさん、リージェさんって、クリスさんのお兄さんなのでしょうか? それとも、弟さんなのでしょうか? えっと、教えてもらえますか?」

やや気まずげに、ディアメルは一体どんな関係なのかを聞こうとする。
あの二人のやり取りを見た者ならば、こんな所で言わずとも分かる可能性が高いが、ディアメルはその直接見た者の中には
入らないのだから、訊かなければどうしようも無いと言うものである。

「えっと、リージェ君は、どっちでも無いの。リージェ君は私の友達で、今はちょっと遠くの街にいるから、あんまり会えないだけで、ちょっと寂しくなっただけ! だから大丈夫だから!」

これが、クリスから出された最終的な答えだった。

俯いていた顔を持ち上げ、スキッドとディアメルにまで暗い雰囲気を押し付けてしまわないようにと、
やや無理矢理にも見える笑顔を見せながら、リージェとの関係をはっきりと明かした。



「友達、だったのかぁ。んでそいつってどんな顔してんだよ? 教えてくれよ」

スキッドらしく、純粋にその容姿が気になったのか、先程の只事ただごとでは無いような空気から抜け出したかのようなテンションで
そんな単純な質問を投げかける。

「でも、多分ですけどスキッドさんの事を見てリージェさんの名前出してましたから、きっとスキッドさんにそっくりなんじゃないでしょうか?」

ディアメルの予測は正しいものなのか、それでもディアメル本人にとっては直接聞かなければ分からない話だ。
その当時の様子を元に、まさか容姿に何か問題があるのでは無いかと考え始める。



「あ、そうだよなぁ、だってさあ、おれ初めてクリスと会った時なんだけどよぉ、んと、初めてアーカサス来た時かぁ、いっきなしおれん事見るなり『リー……』みたいななんか謎めいた事言ってたかんなぁ。でもそゆ事だったんだなぁ、あのすっげ〜妙な出出でだしっつうのかねぇ。でもいつかは会えんじゃね? そのリー……ジェとか言う奴と」

スキッドは初めてアーカサスに辿り着き、そして初めてクリスと出会った時を思い出したが、昔から気になっていた事を
知る事が出来た為か、キャップをまだ付けていないその顔に満足げな表情を浮かべる。

「えっと、ごめんね。ずっと頭の中でもやもやさせちゃって。後、凄い言うの遅れちゃったんだけど、私の事起こしてくれたんだよね? スキッド君も、ディアメルもありがと!」

クリスはふと思ったのだろうか、自分が目覚める事が出来た理由が二人にある事を改めて知り、
二人の顔を交互に見ながら、明るい礼を渡した。



「わ、私は殆ど何もしてませんよ? 全部スキッドさんが助けてくれたんですよ? 私だってスキッドさんに助けてもらった訳ですし」

ディアメルは突然礼を言い渡されたものの、自分が本当にクリスの助けになるような行動を取ったかどうかの疑問に襲われ、
赤い瞳を少しだけきょろきょろとさせながら、そんな結論を出す。

「そ、そっかなぁ? でも……」

クリスは自分を否定し始めるディアメルに、別にそこまで言う必要性は無いだろうと、軽く首を傾げるが、
何かを思い出したような言葉を最後にらした。



「『でも』……ってお前なんかあったのか? あ、そうだ、おれらさあ、そろそろアビス達と合流した方いんじゃね?」

クリスの最後の言葉に反応を見せたのはスキッドであり、足元に置いていた青いキャップを右手だけで拾い上げながら、
バサルモスの討伐に向かって以来、まるで顔を合わせていない幼馴染アビスを思い出す。



――そう言えば、岩竜の討伐の為にバブーン荒野へ向かったはいいが……――

岩竜の討伐の最中に出くわした口の悪いアイルーこと、エルシオ。
そして、青い皮膚を持った火炎の仏こと、デストラクト。

彼らに出会って、エルシオと共にデストラクトから逃げたものの、アーカサスの街は炎に包まれ、
それ以来、まだアビスとミレイに顔を見せていなかったのだ。



「う、うん、実は私もそれ言おうと思ってたの」



クリスは夜の住宅区の中で、威圧感の見えないが、それでもやや真剣な眼差しで、小さく頷いた。



「あ、それともう一つ訊きたい事あったんだけど、ディアメル、ちょっといい?」

咄嗟に何かを思い出したクリスは、ディアメルに水色の瞳を向けながら一つ訊ねる。

「はい?」

ディアメルは素直に、敬語を思わせるような頷きを見せる。



「そう言えばあの二人どうしたの? ステファーヌとルーテシア、いたよねぇ? 今どこにいるの?」

クリスはその二人の事情を知らない為か、早く会いたいと言う願望を見せたかのような愛らしい笑顔なんかを浮かべながら、
ディアメルにゆっくりと近寄る。

「あ、えっと……二人なんだけど……」

ディアメルは事情を知っているが為に、この後どう言い出せば良いのか、クリスとは対照的に暗くなってしまい、
赤い瞳を細めながら俯いてしまうが、



――スキッドによって後ろへとやや強引に引っ張られ……――



「あぁあの二人だったら今ちょっと別行動してんだよ。あの二人ったらよぉ、なんか正義感にあふれ出してさあ、街で負傷したハンターとか、他の一般人とかの救護ん為にちょっと今病院いんだよ。にしても張り切ってたよなぁ? なあディアメル?」

スキッドはキャップを被った状態で、そんな思いつきに近いような説明を殆ど途切れさせる事無くクリスに施した。
そして最後にディアメルに顔を向けながらそう聞いた。

「え? あ、あ……」

本当にそれに肯定の態度を見せても良いのかと不安になり始めるディアメルであるが、



――再びスキッドからの施しが迫る――



「どうしたんだよ? お前見てきただろ一緒に。二人に頑張ってくれって言ってから病院出たのお前覚えてねぇのか? ちゃんと見てきただろ?」

スキッドは返答に迷うディアメルの肩を右手でやや乱暴に叩きながら、その作り上げた道筋を説明し、
そしてキャップの裏でどこか難しい表情を浮かべる。

「あ、はい! そうでした! ちゃんと二人とは挨拶交わして出てきたんでした! そうです!」

ディアメルはスキッドによって空気を受け取ったのか、何とか彼に合わせながら明るい表情で頷いた。



――だが、クリスは……――



「え? ホントに……大丈夫、なの? なんか凄い怪しいんだけど、まさかホントはあの二人――」
「んな訳ねぇだろ? おれが嘘言うようなアホに見えっか? お前に嘘言う奴なんて最低じゃねぇか? そんな心配すんなって。あの二人は元気だから、ちゃんとおれらもやる事終わらせたらまた色々喋ったりしようぜ? そだろ?」

スキッドは疑ってくるクリスに本当にそれが事実である事を証明させる為に、わざわざクリスに接近し、
右手をクリスの肩に引っ掛けながら、決して嘘では無いと言い張る。

行動に含まれる男女間の違和感はもとより、どこかスキッドにも必死な様子が垣間見える。



「う……うん、そうだよね。ごめんね、疑ったりして」

クリスはスキッドを信用しなかった自分を恨みながら、ゆっくりとスキッドの右腕を持ち上げ、そこから自力で抜け出す。

だが、クリスの表情を見てディアメルはクリスと同等か、或いはそれ以上の不安に駆られ始める。



◆◆だけど……本当はもうあの二人……◆◆



――それ以上はもう、考えたくなかった――

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