同日の昼頃、ガヌロン盗賊団という極悪非道な集団に襲われたダンダリオンタウンは、まるでその日の襲撃が嘘であるかのように、またいつもの賑わいを取り戻していた。

 規模はそれほど豪華、巨大という程では無いが、人々が行き交う様子は、まさに町そのものが持つ特徴として相応しい。道に沿って並ぶ住宅や商店が人々をその地に留まらせる要素となり、そこからまた人と人の繋がりを作り上げ、また規模が徐々に膨張していく。

 木造の建築物からは古臭い雰囲気が漂うが、人々の賑わいによって、その減点要素マイナスポイントが相殺されている。寧ろ、その古臭さが、その町の年月を連想させてくれる要素であり、そして長い間町として機能してきた証でもある。

 ハンターズギルドがあるのだから、ハンター達の仕事もあり、経済が止まる事も無いだろう。ハンター達も武具を纏い、武具を精製する為に使用された大型のモンスターの素材をアピールするかのように、歩き回っているのだ。武具を作るには、飛竜や牙獣等の凶暴なモンスターを倒さなければならず、武具の存在は自然とそのモンスターの勝利を意味するのである。

 その町の中に、直接テーブルや椅子が外に出された開放型の店があり、町民やハンター達がテーブルを囲んでいる。そこにまるでオマケなのか、オプションなのか、なんらかの追加要素を提供しているかのように、純美な音色が流れていたのである。

 一部の人間は、その音色に耳を鋭く傾けており、目を閉じて集中している者さえいる。耳にその音色を届かせながら、食事を楽しんでいる者も多数ではあるが、その音色は決して無駄では無い。

 

 赤と桃をあしらった甲殻で作られた防具を纏っている少女が奏でていたのだ。はなだ色の鳩笛オカリナを、指の出た白い手袋で優しく持ちながら、華麗に吹いている。口から注がれる吐息が鳩笛オカリナ内部を流れ込み、穴を塞いだり開いたりする指の絶妙な動きが複雑な音程を作り出す。

 何かうっすらと語りかけているような、薄く開いた灰色の瞳は目的も無く、前を見続けている。短めのポニーテールにした白に近い銀髪も風に煽られ静かに揺れている。肩口の出た特殊な作りのある武具であるが、その二の腕の色白具合も美しく、細く伸びた腕が音楽の軽やかさも物語る。

 白いスカートで護られた脚も、組んでいる訳ではなく、閉じられた状態であるが、椅子に座り、崩した姿勢を一切作っていない辺りから、音楽を愛好しているだけではなく、礼儀もしっかりとしているのかもしれない。

 周りには何十人もの客が、テーブルを取り囲みながらその少女を見て、聴いているのだから、不恰好な姿を晒してはいけないのかもしれない。

 低速度スローテンポで、最高音域ソプラノの音楽が奏で続けられているその最中に、一台の軍用トラックが店の前に現れたのだ。

 丁度少女が奏でている店の向かいであり、道を挟んでいる。少女は特にそのトラックを意識する事はせず、黙って演奏を続けていた。最も、口が塞がっている以上は何か感想があったとしても直接口に出す事が出来ないのだが。

 

――だが、1人が降りたその時に少女はふと思い……――

 

 茶色のジャケットを着た少年や、白いパーカーを着た少女が降りていたのがふとその灰色の瞳に入ったが、それよりも、水色の半袖ジャケットを着た金髪の男性に釘付けとなり、思わず指の動きを鈍らせてしまう。

 指の一本一本の動きが絶妙な音程を作り出すこの楽器にとって、この現象は致命傷である。しかし、少女は金髪の男性を眼中から外す事を一切せず、指の鈍りもどんどん顕著になっていく。

(あれ……あの人って……クルーガーさん?)

 とうとう少女の口が鳩笛オカリナから離れてしまう。金髪の男がどうしても気になり、もう演奏所ではなくなっていた。曲の停止に戸惑う客もいたが、少女の目的は徐々に逸れていったのだ。

 滑らかに削られた木材で作られたやや高級感の漂う椅子から立ち上がり、もしかしたら人違いかもしれないと再確認の意味も含めて再度凝視するが、少女の視力は嘘を吐く事がなかったのだ。

 

「やっぱクルーガーさんじゃん。なんでこんなとこにいるのよ?」

 まるで独り言であるが、銀髪の少女にとっては、その男性の事しか頭に入らず、演奏を放置する事によって生じる弊害等には一切
意識もしていないのだ。ただその目的の人物の名前が本当に証明されただけでは終わらず、道の向こうへと駆け足で進み始めたのだ。

 この町にその男がいてはおかしいのだろうか?

 

*** ***

 

 軍用トラックは、その日の寝床である宿の前に駐車し、そして荷台に乗っていた者達が降りている所である。

 暑くもなく、寒くもない気温の中で、金髪の男こと、フローリックはだるかった荷台内の時間を忘れる為に、右の肩を回していたのだ。実際に言葉が出ていた訳ではないのだが、もし出ていたとすれば、だるかった事を明確に表すような言葉が出てくると容易に想像する事が出来る。

 両耳に装着されている3つの長方形のピアスが今日も威圧的に輝いているように見えている。だが、今日の輝きは一味変わっていたようだ。太陽光の角度の影響なのか、光の反射が異なっていた。そして、光以外のものもピアスは取り込んでいたようである。

 

「クルーガーさ〜ん!! クルーガーさんですよねぇ!?」

 ピアスを3つ装着している男が聞いた声は、弱弱しさを一切思わせない少女の声であり、その男、フローリックはと言うと、純粋に振り向き、声の主を確かめようとした。

「あぁ? 誰だ……ってコーチネ……っておい右だ右!! 右!!」

 少女の正式な名前は何なのだろうかと思わせるフローリックの断片的な台詞であったが、今少女が通ろうとしていたのは道であり、そこは少女以外の者だって普通に利用している公の存在である。少女の横から現れたのは、そこまで高価とは思えないような古びた馬車である。

 

――銀髪の少女は言われた通りの方向に目をやるが……――

 

「え? 右?」

 顔ごと向けるのではなく、灰色の瞳を横目にして確認したが、右には特に何も無く、どうして焦りの混じった大声を浴びせられなければいけなかったのかと疑問に感じていたその時であった。

 

『ヒヒィイン!!』

―ガララァッ!!

 馬の激しい鳴き声と、車輪が軋む音が、から響いたのである。それだけの轟音――という程の音でもないが……――が走れば、指示や知らせが無かったとしても、自然とその方向を確認する事だろう。

 フローリックとそのまだ名前のハッキリとしない少女は、丁度向かい合わせの場所にいたのだから、フローリックが右と言うならば、少女は本来は左を見るべきだったのだ。

「うっうわぁあ!!!」

 急ブレーキをかけてくれたから、馬車は少女を撥ね飛ばす事が無かったが、その代わりに、少女は灰色の瞳を真ん丸にしながら激しくも情けない悲鳴を飛ばす事になってしまったのだ。反対方向に逃げようとしたのか、やや蟹股のような足運びで距離を取ろうとしていたが、馬車が止まってくれた事に多少安堵したのか、それ以上は避けようとしていなかった。

 だが、それで終わりなはずが無い。馬車があるという事は、それを操縦する人間もいる事になる。それを馬主と呼ぶが、それが優しいか、それとも厳しいかは口を開いてから初めて分かる事である。

 

「こらぁ危ないだろ!! ちゃんと前を見ろ!!」

 シルクハットを被った紳士風の男性であったが、急ブレーキの反動が全身に負担をかけたせいで、一種のストレスでも蓄積されてしまったのかもしれない。馬車の座席から立ち上がりながら、男性は少女を上から見下ろし、怒鳴り声を浴びせる。

「あ……ごめんなさい……ははは……」

 少女は身体を馬車に向け、後退りをしながら気弱そうに謝罪を続けた。可憐な属性である意味で得をしているとも思い込んでいるからか、わざとらしく笑い声なんか作り上げているのかもしれない。

 紳士の視線が少女から逸れたのを確認すると、淡い赤の鱗を使った武具を着た少女は再びフローリックの方へと振り向き、馬車から逃げるように駆け出した。しつこく追いかけられたらどうしようとかは考えていなかったのだろうか。

 少女の視界には馬車が映っていたが、やがてそれは横に流され、本来ならば素直に目的の男の姿が入ってくるはずであった。少女は歩きながら視線の向きを戻していたのだから、しばらくは余所見をしながら前に進んでいた事になる。そんな歩き方をしていては、前方に何かがあったり、いたりしたとしても対処出来るはずが無いのである。

 折角馬車の通る心配の無い歩道に到達したというのに、また災難に襲われてしまったのだ。

 

――そこに人がいる限りは……――

 

―ドン!!

「……ってぇなぁ、なんだよお前……」

 また相手は男性であったが、馬車の男性以上に関わり難い、濃い色の入った眼鏡をかけた髭の男性だったのだ。シャツの上から盛り上がった肉体が多少の怖さを連想させてしまうのは何故だろうか。

 明らかに苛ついたような目付きで睨まれ、少女はまた降りかかってきた災難に恐怖と後悔を覚えてしまう。だが、ぶつかったのは少女の方からであるのだから、無言でその場を去るのは無礼に当たる。

 だからこそ、少女は相手から、ひょっとしたら耳に鋭く響くような何かを浴びせられる可能性があると考えながらも、人間らしい対応を取ったのである。

「あ、えっと……ごめんなさい! ほんと、ごめんなさい!」

 謝る事しか出来なかった少女であるが、男性の方は軽く舌打ちを残し、そのまま歩き去ってしまう。

 

――頭を下げたのが正解だったのか……――

 

 それでもここで立ち止まっている事は出来ない。もうすぐ目的の人物の場所に到達するのだから、さっさと行かなくては相手を待たせる事になるだろう。その証拠に、目的の人物は遂に溜息さえ吐いている。だが、もう声をかければ互いにコミュニケーションを取れる距離でもあるのだ。

 無論、その目的の男の周りにいる人間達も奇妙な目で見続けているが。

 

――――

 

「やっと辿り着いた……。やっぱりクルーガ――」

 きっと、そのクルーガーと呼ばれた男性も何か少女に声をかけようとしていただろう。本当に、近い距離にいたのだから。しかし、名前を呼ぶ声が途切れたのには大きな理由があったのだ。それも、足元に。

 誰が捨てたのか分からない空き缶が少女のバランスをことごとく崩し、前のめりに倒してしまったのである。それが意味するものとしては……

 

「うわっとと!!」

 筒状の物体が見事に片足のバランスを崩し、少女は前のめりに転倒してしまう。身体が予想外の動きに発展した為に、口からもとても普段の日常会話では意図的に出さないような言葉が出てきたのである。

 その後に響くのは、少女の地面に叩き付けられる音と、その姿を見て哀れむ男からのメッセージだった。因みに、メッセージの方は響く程の音量では無かったのだが。

 

「っておい……。お前大丈夫かよおい?」

 近くまで来ていたというのに、随分と到達するのに時間を使ってしまった少女である。

 水色の半袖シャツを着た男性は、橙色の目を更に細くしながら少女へと近寄って行く。そして、面倒そうに右手を伸ばすと同時に、しゃがみ込んだ。しゃがみ込んだすぐ目の前に、少女の銀髪の頭が見えているような状態である。

「いったぁい……。クルーガーさん……ってなんですかその犬を見るような見方は」

 今にも涙が出そうになっていた女の子の灰色の瞳であったが、顔を持ち上げた時に、1つの感情が割り込んできた事によってその涙腺がまた引き締まってしまったようである。しゃがんでいる男性が、まるで犬を相手にしたような立ち方をしていた為、少しだけ腹が立ったようである。

 

「第一お前ここ来るまでどんだけ苦労してんだよ? っつうかさっさと立てや」

 しゃがんだ状態のままで、フローリックは地面に突っ伏した少女を見下ろしながらそう言った。通常であれば一瞬で辿り着ける場所に苦労してやって来たのだから、それはそれで苦労話となるだろう。

 だが、相手は足腰の弱い人間ではないのだから、多少腕に力を込めれば容易く……とまではいかなくても、多少の苦労は伴っても、立ち上がる事は出来るはずである。だからこそ、フローリックの呆れたような指示が追加されたのである。

「立てません……。起こして下さい……」

 空き缶如きに転ばされたせいで、いじけてしまったのだろうか。まだ正式に名前が明かされていない少女は、フローリックからの助けの手が伸ばされる事を完全に当てにしていたのである。その立てないという言葉も、所謂甘えに近いものだろう。

 

「いいからさっさと立てってお前!! いつまでふざけてんだよ!?」

 周りには他の人間もいるし、仲間の姿だってあるのだ。フローリックはいい年をした女性――とは言ってもまだ少女のたぐいだが……――がいつまでも起き上がらない事に多少の立腹を覚え、少女の心中で暴れていた甘えの心を叩き直してしまう。

 同時にフローリックがしゃがみの体勢から立ち上がったのは、言うまでも無い。

「あぁはいはいすいません……。久々に会ったって言うのに怒鳴る事無いじゃないですか……」

 どうして自分の気持ちを分かってくれないのだろう、とでも言いたそうな目つきを作りながら、しぶしぶと自分だけの力で起き上がった。きっと長い間対面していなかったのかもしれないが、時を経てようやく出会った際に強い声を浴びせられてしまえば、話したい事もまともに話せなくなってしまうのかもしれない。

 淡い赤の鱗で作られた鎧の前部を両手でほろいながら、普段の明るい声を弱めて言った。

 

「1人で立てんだろあんぐれぇ。んでここ来たのって挨拶――」
「所で皆さんはクルーガーさんのお仲間さんですか?」

 自分で立とうとしなかった事がまだ心に引っかかっていたのか、フローリックは舌打ちを混ぜながら少女を見続ける。そして、そもそもどうしてここへとやって来たのか、その理由を聞こうとしたら、もうその少女は別の人間達の方に歩き出していたのだ。一番知っている人間よりも、その人間と同行している者達の方が気になってしまったらしい。

 

「あぁ、そうだぜ。俺達はこいつのお仲間さんだぜ?」
「っておい話逸らす――」

 真っ先にその名前もまだ明確に明かしていない少女に応えたのは、同じ銀色の髪を持つ男こと、テンブラーだった。ただ、彼は紫一緒のスーツとサングラスをかけており、どことなく怪しい雰囲気さえある為、その雰囲気に少女が勝てるかどうかである。

 金色と反対の色を持つ髪の男の横で、本当に金色の髪を持っている男こと、フローリックは少女に向かって、まだ放置している本題を解決させようとするが、結局は無駄だったらしい。

「やっぱりそうだったんですかぁ!? 最初見た時も凄い頼れそうな人達だなぁ〜って思ってたんですよ〜。ってかそのスーツってブランド物じゃないんですか?」

 少女はもうテンブラーに釘付けであり、その白のやや膨らんだ印象のある帽子の下で、灰色の瞳を輝かせていた。衣服に強いこだわりを持っているのか、フローリックの話なんかまるで聞かずにテンブラーのスーツにばかり着目する。

 少女の装備も、露出した肩口や、やや洒落た白い帽子、そして太腿を露出させる為に着用していると思われるミニスカート等が、装備でありながらもややファッションも意識した嗜好を連想させてくれるのだ。

 

「ああそうだなぁ、ちょっと高い代物しろもんなんだぜこれ。初心者が使うような武器だったら多分10個ぐれぇ買えんじゃねぇのか? それよりだ、折角始めて会った訳だから名前ぐらい教えてくんねぇと――」
「あぁワタシですか? あ、そうですよね、自己紹介遅れてました。ワタシはコーチ……」

 自分の服装を褒めてくれる人間に久々に出会ったからか、テンブラーも少し調子を良くしながら服装の価格を回りくどく説明し始める。

 元々飛竜を相手にした武器であるのだから、その質量や構造に非常にコストがかかってしまうのは当たり前である。初期装備であっても、それをまともに職を持っていないような人間が用意するのは大変な作業となるのだ。だからこそ、そのスーツがいかに高価であるかが伺える瞬間だったのかもしれない。

 しかし、テンブラーだってそろそろその少女の名前が気になる所であり、直接名前を教えてもらおうと、話題を一度変える。

 少女も気付いたのか、思い出したかのように名前を自分の口から明かそうとするが、それは最後までしっかりと終わらせる事は出来なかったのだ。騎士らしく、礼儀の篭った態度も台無しになる事も意識せずに。

 

――別の人間が目に入った為に、肝心な事を後回しにしてしまい……――

 

 駐車した軍用トラックの荷台には、まだ人が残っていたらしい。とは言え、他の者達は全員降りていたのだが、どうやら1人だけまだ内部に用事があったらしく、降りていなかったのである。

 その残りの1人がようやく降りてきたのだが、その赤い長髪と褐色の肌が新しく視界に入った事に気付いた少女は、もう少しで完了するはずだった自己紹介を放置し、長髪の男の元へと走り寄っていってしまう。一体何故その男性の元へ進み出したのかは、次の言葉で分かるかもしれない。

「あ! ジェイソンさんもいたんですかぁ!? 凄いお久しぶりですねぇ!!」

 男性なのに、胸元を中心部から開いて露出させた黄色のジャケットを着た男こと、ジェイソンに向かうなり、まるで久々の再会を喜ぶような笑顔を浮かべ、その爽やかな笑顔のまま、右手を伸ばした。それは握手を求める行為である。

「よぉ、スマイルとビガーは健在らしいじゃねえかぁ」

 ジェイソンもその少女とは昔から面識があったのだろう。相手が少女であるからと言って、照れた様子もまるで見せず、ジェイソンも普通に、その明らかに筋肉で太く引き締まっている右腕を伸ばし、手と手を絡ませた。ジェイソンは素手であるのに対し、少女は武具を纏っているという都合上、白い手袋の独特な感触がジェイソンの褐色の手に伝わっている。

 

「当たり前じゃないですかぁ? ワタシこの前部隊の副隊長に任命されたんですよ! 凄いと思いません? まあワタシの頑張りが認められたってのが一番の理由なんですけどね〜」

 まるでその元気な性格と、持ち前の笑顔のおかげで昇進出来たとでも言わんばかりに、銀髪の少女はジェイソンから抜き取るように右手を引っ込み、そして装備によって多少は押し潰されているであろう胸の前で両手を握り締めながら、いかに自分が努力をしてきたかを褒めてもらうようにアピールをし続ける。

 隊長の次に責任の重い担当に任されるという事は、それだけ実力やその他の能力が認められたのだろう。

「ちょっちょいいかぁ? 出世話もいいけど、自己紹介忘れてんじゃねぇかな〜?」

 テンブラーにとっては、やはり少女の名前が一番気になる所なのだろう。出世話も決して無駄ではないと思いながらも、やはり名前が知りたいから、パナマ帽を弄りながらその聞きたい事に対してとことん追求していく。

 

「はい? あれ、ワタシ自己紹介しませんでしたっけ?」

 ふとテンブラーの方に振り向いた銀髪の少女だが、まだ名前を明かしていなかった事に気付いていなかったらしい。自分の中ではもう自己紹介を済ませているのだと思っていたらしいが、きっと周りの人間は誰一人それをしてもらっていないと意識しているだろう。

 それでも少女の中では、既に完了していたものだと思い込んでいた節があったようだ。

「してねぇだろ……。そんなもんも覚えてねぇのか……?」

 溜息を吐きながら、フローリックはその未だに名前を教えてくれていない少女の記憶力を疑ってしまう。

 

「あ、いや……べ、別にそんな訳じゃないですよ。ワタシこれでも試験の成績だってSSダブルエスだったんですよ? 頭脳明晰なワタシがそんな記憶障害とか持って――」
「いいからいちいち食い付いてくんじゃねぇよ! どうでもいんだってお前の試験なんか」

 言われてからやっと思い出したらしいが、それでは本当に記憶力が悪いと思われてしまうかもしれない。それが嫌だった少女は、恐らくは昇級試験であろうその時の話題を持ち出し、そこでいかに優秀であったのかを強くアピールする。まあ、試験の結果だけがその人間の全てを決める訳ではないと考えられるが、少女にとってはそれが自分を強く見せる唯一の手段だったのだろう。

 だが、それをアピールされた所で、フローリックは喜ばない。それ所か、逆に怒りさえ覚える事になってしまうのだ。事実、フローリックは少女の成績なんか聞こうともせず、やや乱暴な喋り方を扱い、それによって少女を黙らせようとしてしまう。

 

――それを遠目で見ていた少年2人はと言うと……――

 

「アビス……結構こいつ面白そうな奴じゃね? しかもちょっと可愛いし」

 スキッドは青いジャケットを着た紫の髪の少年の耳元で、左手も添えながらこそこそと喋りかける。スキッドは女の子相手であれば、すぐに話しかけるような性格ではあったものの、今回は先に出る者が多過ぎた為にタイミングを取り逃がしていたらしい。

 しかし、隣にいる少年にならば、心に感じている事を伝えるのは容易だろう。

「いや、別に俺そういうのあんま……」

 アビスはきっと、少なくとも相手が女の子だからと言って率直な感想は出せない性格であるのだろう。それでも、何故かその特徴的な装備や、少女らしいポニーテールとかから目を離せなくなっているのは気のせいではない。

 鱗が鎧として機能している胴体と二の腕の間に映っている肩口とか、膝の高さまでの淡い赤のブーツとかが気になっているらしい。

 

「んでだ、こいつはなぁ、コーチネ――」
「いいです! ワタシがしますよ自分で。それと皆さん、ワタシはコーチネルです。クルーガーさんとジェイソンさんの知り合いなんですよ」

 そんな少年2人のやり取りなんて見ていなかったフローリックは、さっさと少女の名前を明かしてしまおうと名前をほぼ最後まで言ってしまおうとするが、今度こそ、本人からの自己紹介がされたのである。

 その淡い赤の鱗をベースに作られた装備と、膨らんだようなイメージのある白い帽子を被っている少女こと、コーチネルは最初にフローリックを指差し、そして次にジェイソンの逞しい左腕をややしつこく叩きながら全員に対して名前と、ジェイソンとの関係を明かした。あれだけの行為を取るのには、しっかりとした理由があったようだ。

「クルーガーさんって……、いや、この人はフローリックさんですけど……」

 ミレイはここで違和感を感じてしまったらしい。コーチネルの指差していた男性は、金髪がトレードマークのフローリックであるが、何故かコーチネルの口からは別の名前が出されている。疑問点がそこで1つ生まれても無理は無い。

 

「へっ? なんでフローリックって呼ばれてるんですか? なんか全然意味分かんないんですけど……?」

 コーチネルはその名前の混合の意味を理解する事が出来なかった。緑色の髪をした少女と、金髪の男性をキョロキョロと互いに見渡しながら、そのような名前で呼ばれている理由を考えてみるが、何一つ思い浮かばず、ただ首を傾げる事しか出来ない。

「いや、コーチネル。ちょい色々事情あんだよ。今度オレが説明しとっからよ」

 理由を追求しようと、コーチネルはミレイにばかり近寄り、そして青い瞳を見つめ続けていたが、フローリックに肩を引っ張られる。きっとフローリックにも深い事情があるから、いつか時間がある時にゆっくりと皆に明かしたいのだろう。

 

――ただ、そこには竜の旧友ヴォルテールあいつユミルの問題があり……――

 

「あ、そうだ、折角近くにワタシの店がありますから、そこで続きでも話しましょうよぉ? ワタシも話したい事とか、相談したい事とかわんさかある訳ですし、それに女の子向けのジュースもありますよ? ソーダの上にアイス乗ったやつとか。ってかそれってなんて言うんだっけ?」

 今話をしている場所は、軍用トラックを駐車させている場所であり、話をするのにもどちらかと言えば、面倒な場所である。何せ座る場所が無いのだから、足だって疲れるだろう。そして、何も口に出来る物も無いのだから、どちらかと言えば窮屈とも言えるのかもしれない。

「フロート、ですか? ってかなんであたしばっかに言うんですか?」

 本来は、それはここにいる者達全員に対して言った言葉なのだろう。喫茶店であれば、腰を下ろす事も出来るし、冷たい物でも飲む事が出来るのだから、それは皆に言う内容としては相応しい。

 だが、コーチネルは指で背後に映っている店を差す時も、そこで売られているお勧めの飲み物の紹介をする時も、ずっとミレイばかりを凝視しており、それだけではなく、徐々に接近さえしていたものだから、ミレイはゆっくりと後ずさってもいたのである。

 因みにソーダの上に氷菓子アイスクリームの乗った飲み物はフロートと呼ばれるらしいが、ミレイもそのコーチネルの凝視にただ苦笑するばかりであったのだ。

 

「いやぁワタシだって女の子だからぁ、同じ女の子同士で話が出来るって分かったらテンション上がるじゃ〜ん。ねぇそこの女の子も一緒に行こうよぉ」

 ミレイに対する凝視を途切れさせず、コーチネルは元々笑顔だったその表情にニヤニヤの雰囲気さえも混ぜ込みながら、また喋り続けるが、今度は違う少女がふと視界に入り、そう遠くない場所にいるその2人目の少女の腕を引っ張った。

 2人目の少女とは、明るい茶色の髪とツインテールを持った少女であり、クリスである。

「え? えっと……そんな……」

 クリスは白いパーカーの腕を引っ張られ、その強引なコーチネルに対してただ戸惑うばかりだった。

 

「あぁいいわよいいわよ? ワタシが全部奢ってあげるから、な〜んも気にしなくていいわよ? 皆も長旅でいくらか疲れてるだろうから、ゆっくり休もうよ?」

 その戸惑いから、何が言いたかったのかを悟ったのだろうか、コーチネルは金銭的な面ではまるで心配は要らないと豪語し、肩の露出した両腕を左右に力強く伸ばしながら、また先程いたあの店へと戻ろうとした。しかし、馬車や駆動車も走るような道を挟んでいる為、また面倒な事にでもならなければ良いのだが。

 

 

*** ***

 

 

「……ってな訳なんですよ。だからどうしても王宮行く為に一緒に来てほしいんですよぉ」

 先程コーチネルの演奏していた喫茶店で、テーブルを全員で囲みながら話をしている所である。コーチネルは指の出た手袋を合わせながら、じっとフローリックなんかを見つめている。きっと、フローリックとの同行を求めていたのだろう。

 この喫茶店は洋卓テーブルや椅子が外に設置されており、外の空気を浴びながら、食事を楽しめる構成となっている。また、太陽が眩しい時の為の対策として、テーブルの間には大きな日傘も刺されている。そして、他の洋卓テーブルに座っている客達の注文を取る為に動いている従業員達の姿もそこにある。

 

「お前よぉ……緊張すんのは分かっけどよぉ、そう言うのってオレらが行っても大丈夫なのか? 一応オレら部外者んなんだろう?」

 水色の半袖ジャケットがとても涼しそうな姿をしているフローリックは、単独で王宮と言う身分の高い者しか入れないような場所であり、尚且つ普段以上に礼儀等にも注意しなければいけない場所に行く事に不安を覚える少女の気持ちを理解しながらも、そのやや人相の悪そうな表情の眉に皺を寄せないはずが無かった。

 恐らく、事前にその王宮にいるであろう王子か王妃、或いはそれに近い身分の人間との約束を交わした上での予定であるだろうから、何の約束も取っていない人間がそこに同行するのはどうかと、フローリックは疑っているのだろう。

「エチケットやマナーも大事だけど、ブライトネスも足りなかったら駄目だぜ?」

 きっとジェイソンも同行を求められていたのだろう。礼儀や作法も大事だと伝えるが、折角国を治める者と謁見するのだから、多少の明るい振る舞いも必要であると考えている。フローリックと一緒の飲み物であるブラックサワーを一度飲みながら、コーチネルに忠告する。

 

「えっと、まあワタシはそういう礼儀とかは部隊の方できっちり教え込まれてましたから大丈夫なんですけど、何せワタシも始めてなんですよ? その王宮とか、王国とかみたいなとこなんて……」

 コーチネルは左手で銀色の揉み上げを捻りながら、これから向かう場所にどうしても自信を持つ事が出来ない事を懸命に説明している。少女の持ち前の明るさでそれを解決する事は出来ないのだろうか。

 指導によって得た知識を実戦で直接扱うだけの自信も持てないのだろうか。

「でもお前指令受けたんだろ? 隊長か、或いはもっと別の上官とかから」

 元気付ける為、と言うよりは仕事としての責任感を自覚させようとしたのだろうか、フローリックは溜息も混ぜながらコーチネルに言い返している。耳に装着されている3つのピアスも、きっと気の緩んでいる少女を睨みつけているだろう。

 

「そうですけど……、でもいきなり王宮とか凄い大仕事だと思いません? 普通だったら隊長も同行するとか――」
「いちいち自分の仕事に文句なんか付けるな。見苦しい奴だなぁ……」

 フローリックに言われても、気を引き締める事が出来なかったらしい。コーチネルはまるで上官の指示そのものに間違いでもあったかのように、ベラベラと不満ばかりを出し始めてしまう。

 まるで女友達と一緒に会食でもしているかのような空気になっていくが、猫人のエルシオはその一連のコーチネルの喋っている事を聞いていたのだろう。仕事に就いて何年も経つ者としての苦言なのか、赤い瞳に威厳を込めながらそう言った。

 

「え? あ、あの、貴方……は?」

 人間と比べれば身体が小さかったから、恐らく目に入らなかったのかもしれない。そして、存在感も薄かったのかもしれないが、コーチネルから見れば、突然返事をされ、そして尚且つ今日この場所で言葉を交えた者達の中で最も厳しい発言をしてきたそのエルシオは、その瞬間に存在感が激増した事だろう。

「お前が受けた仕事なんだろ? 副隊長の肩書き持った奴が、いちいち文句なんか垂れてんじゃねえよ。信頼されてるってのが分かんねえのか? ガキなのによく出世したもんだって思ってたが、結局それが本音なのか?」

 エルシオはそこで名前を教える事をしなかった。それでも、エルシオは副隊長としての重みや責任感と言うものをよく分かっているはずである。コーチネルは上官からの信頼を得ているというのに、本人にはその自覚が無いと思われていたのだ。もしエルシオが上官であれば、昇級をさせなかったのかもしれない。

 当たり前と言えば当たり前かもしれないが、エルシオのその猫らしい可愛らしい顔に、笑顔なんてまるで映っていない。

 

「あ……えっと……ただ緊張……した……だけで――」
「いやいや分かった分かったって。なんでエルシオっつう奴はそうやって追い詰めるような事ばっかんだよ? ただ不安だから俺らに悩み相談みたいな事したかっただけだろうよぉ」

 きっと気の弾みか何かで思わず言ってしまったのかもしれないが、それを必死で取り消そうと、小さな声で言い返してみるが、フォローが来てくれたのは、大きな救いだろう。

 説教のようなものが始まってしまうと考えたテンブラーは、エルシオに向かって左手だけを向けながら得意の和ませ口調でエルシオを止めると同時に、コーチネルの縮こまった心を復活させる。

 

「テンブラー、甘やかすつもりか? こういう奴が――」
「だぁからいいからっつの! 兎に角じゃあこいつら2人に付いてって貰うでいんじゃねえの? っつうかいっその事俺ら全員で行くってのは……って無理か……」

 エルシオは一度舌打ちなんかしながら、テンブラーのいつものそのノリの軽い態度を不快に思ってしまう。仕事を甘く見ている者を甘やかしているように見えたのだろう。

 だが、テンブラーはさっさと話を纏め、これ以上エルシオの苦言が走らないように口を動かした。

 フローリックもといクルーガーと、ジェイソンがそのままコーチネルと同行すると言う話で大丈夫だろう。だが、ふと思った事としては、2人だけで行くより、全員でそのまま目的地を同じにしてしまえば良いと計画を立てようとしたのだが、それは駄目な案であると後で気付いてしまう。

 元々エルシオの指示によって、既に目的地は決定しているのだ。突然出会った知人の為に、全ての予定を狂わす訳にはいかないのだ。

 

「確か俺達は一応シヴァとネーデル探すって、なんかそんな話あったから、皆で行くって無理なんじゃね?」

 アビスはのんびりと赤い色のジュースを飲みながら、走行中に聞いていた話をややうろ覚えながらも、それを言い出した。青いジャケットがその太陽の下ではやや熱を篭らせるような印象を受けるが、汗が見えていない辺り、大した問題は無いようだ。

「だけど、フローリックさんとジェイソンさんが離れて、あたし達大丈夫なんですか? 戦力もあたしらだけだったら不安が残りそうですし……」

 アビスの隣に座っていたミレイは、2人の人間がメンバーから一時的にいなくなる事による戦力の低下を恐れていた。自分の能力と比較すれば、きっとフローリックとジェイソンには遠く及ばないと思っているのだろう。だから、その2人がいなくなる事は、ある意味ではこのメンバーの主力がいなくなる事を示す事となるのかもしれない。

 青い瞳で、隣り合って座っているフローリックとジェイソンと視線を合わせる。

 

「ああ心配すんな。流れ的に俺は来んなって感じだし、なんかあったら俺に任せとけって。なんかあったらちゃ〜んとお前ら護ってやっからよぉ?」

 テンブラーは紫のスーツの裏側から、うっすらと黒い拳銃を見せつけながら、自慢気にミレイの不安を取り除く。ハンターとしての実力も高く、尚且つ体術や射撃術にも長けているテンブラーであれば、きっとメンバーを護り抜く事が出来ると同時に、主力としても充分活躍出来るだろう。

 しかし、その割に言動には威厳というものが一切感じられないのだが。

「っつうか別にお前なんかいねぇでも大丈夫だろう? っつうかミレイとクリスに変な思いさせねぇようにな。お前バッカみてぇな事たまにほざっからよぉ」

 フローリックにとっては、そのテンブラーの奇妙な自信を信じ切る事が出来なかったらしい。いくら実力があっても、おかしい言動を取れば、普段は真面目に振舞っているミレイやクリスと言った少女チームに不快な思いをさせてしまうだろう。

 何故か、テンブラーだけを残す事を躊躇っているのがフローリックだったのである。

 

「すっげぇ疑われてんじゃん俺」

 僅かに姿を見せていた拳銃を引っ込ませながら、フローリックのその発言を受け止めると同時に、じわじわと内側から突き刺されるような感情が込み上げてくるものを感じていた。

「でも結構強いっつうのは事実なんじゃねえの? おれも1回見たけど桜竜と戦ってるとこ見たけど、あれ結構充分だったと思うし」

 スキッドのその言い方は、喋り方を見る限りは、テンブラーを庇おうという意識は回りが見る事は無いだろう。しかし、桜竜おうりゅうと呼ばれる陸の女王とも称される飛竜を倒せる程の実力を持つ男でもあるのだから、最低でも足手纏いになる事はありえないはずだ。

 

「結構昔の話だったよなそれ。確か大剣使ってたよな?」

 アビスも覚えていたのだろう。初めてテンブラーと出会い、そのバハンナの村と呼ばれる場所で、凶暴な桜竜3頭と戦った。

 もうそれはクリスと出会う前でもあるし、フローリックと再会する前でもあるし、ジェイソンと出会う前でもあったのだ。ネーデルに至ってはもう忘れていてもおかしくはない頃に出会っていたのである。

 しかし、もうその話題は終わりであるらしい。コーチネルによって一気に話題を変えられたのだから。

 

――少女の脳裏に浮かぶのは、巨体を誇る飛竜であり……――

 

「あ、そうそうそれよりこの町に来たって事はコルベイン山通ってきたって事ですよねぇ? クルーガーさん会ってきたんですか? ヴォルテールに」

 突然何を知りたくなったのか、コーチネルは突然立ち上がり、テーブルに両手を付いてやや前のめりになりながら、クルーガー――今はフローリックではあるが……――をじっと見つめながら訊ねたのである。もう既に会ったという事を決め付けているかのような言い方にも見える。

 丁度コーチネルの後ろに並んでいるテーブルを囲んで座っているやや若い男性達が何故かコーチネルの背後から指差してひそひそと喋り合っているが、何故だろうか。スカートだから、なのだろうか。

 

「あいつ……か?」

 フローリックは歯切れの悪い対応を見せてしまう。事実を知っているのは、コーチネル以外の者達であるが、果たして、事実を伝えてしまうのだろうか。

 元々細い橙色の目が更に細くなるが、そこには一種の気まずさも見え隠れしている。

「そうですよ。ホントはワタシも1回会いたいな〜とか思ってたんですよ。ルージュともたまに連絡取ってるんですけど、たまにヴォルテールの話とかにもなったりしてたんですけど、あれ? 会ってきたんですか?」

 コーチネルは話を継続させ、まるで昔からヴォルテールと仲良しであったかのような笑顔を浮かべ、そして両手さえも握り合わせ、そして背筋を真っ直ぐ伸ばし始める。何故かそれと同時に後ろに座っていた男性陣の表情もがっかりしたようなものに変わっていた。何を見ていたのだろうか。

 

「あ……まあ一応会ってきたんだけどな――」
「ヴォルテールかぁ? あいつメッチャ元気だったぜ?」

 フローリックでさえ、コーチネルの後ろにいる愚者達に気付いていなかったようである。それだけ質問の中に色々な重たさが存在したのだろう。程よく照らされている太陽の下で、苦笑いを浮かべて返答に困っていた所に、銀髪の男からの助けがやってきたのである。

 テンブラーは紫のパナマ帽のつばを持ち上げながら、大きくさせた声でコーチネルに向かってそう言い返した。

 本当は、テンブラー自身は一度も鎧壁竜ヴォルテールの姿を見た事も無いのだが、空気を考え、生きている事を伝える事にしたのである。テンブラーならではの持ち技なのだろうか、笑顔で見事なまでに説明をしている。

 

「っておい……」
「でっけぇ図体してるくせにやったらやんちゃでなぁ、危うく俺らじゃれ付かれて潰されそうになったからなぁ。でもこいつにかなり懐いてたから結構可愛かったんだぜ? なぁミレイちゃんよぉ?」

 突然何を言い出すのかと、考えている事がよく理解出来ていないフローリックには見向きもせず、テンブラーはサングラスを右指で持ち上げながら、まるで実際に出会い、そしてじゃれあったかのような事をベラベラと話し続けている。全てはある意味、嘘であるのだが、今は嘘で全てを丸め込むしかないのである。

 自分1人だけでは嘘でこの場を解決させるのが厳しいと悟ったからか、緑色の髪の少女さえも巻き込み、無理矢理空気に混ぜ込もうとする。

 

「え? あ、はい! とても可愛かったです。可愛かったですよねぇ!」

 丁度自分の髪よりは多少薄い緑色のジュースを飲んでいたミレイは、咄嗟にグラスから口を離し、すぐにテンブラーの話に合わせながら頷いた。

 恐らくミレイも妙な思いを浮かべながらきっと聞いていたのだろうが、いきなり声をかけられたからと言って、何も返答も発言も出来ない程のんびりはしていなかったようだ。

「ミレイお前何言って――」

 アビスは空気を読んだ嘘という事をまるで把握していなかったらしく、ミレイには直接触れずに左手を伸ばしながら、ミレイの事を止めようとしたが……

 

――いきなりミレイに首根っこを掴まれ……――

 

(いいから!! 話合わせといて!)

 アビスの耳元に口を近づけたミレイは、ひそひそとアビスにしか聞こえないような音量でアビスを黙らせる。アビスには分からなくても、ミレイには分かるのである。

(あ、あぁ……)

 言い返す言葉も見つからず、それ以外の対処法もまるで思いつかないアビスは、ただ極小の小声で返事をする事しか出来なかった。寧ろ、アビスはここでは黙っていた方が絶対に話は上手く進むだろう。

 

「ってあのぉ、なんか隠してない? 今のこしょこしょ話とかいかにもって感じがするんですけど? 絶対隠してない?」

 アビスとミレイのやり取りを見ていなかったはずが無かった。コーチネルは灰色の瞳を細めているが、それは確実に怪しんでいる事を意味する表情である。

 ゆっくりと座りながら、ミレイから目を離さなかった。

「別に隠してねぇよ。普通に会ってそれで終わったんだって。なんで隠す必要あんだよ?」

 しつこいコーチネルを追い払うような言い方で、フローリックは対応する。コーチネルを黙らせたい一心もあるし、あの旧友の話自体も辞めてほしい一心もあったのだ。

 出来れば、もう旧友の事は忘れたかったのである。

 

「だって今凄い暗い感じになってたじゃないですか〜? なんかいかにもフォローあって話が成立してるような感じだったし……」

 しつこい所もあるが、鋭い所もありそうなコーチネルは笑顔を少しだけ失わせながら、嘘のような話を見破ろうとする。事実、皆が話している事はコーチネルに対する嘘ではあるが、流石にこのままでいるとモヤモヤを残したままになるだろう。

「大丈夫だって。実はなぁ、こいつったらすっげぇ不細工だって言おうとしてたんだよ。あいつって鎧壁竜だからよぉ、いくらか成長したらめっちゃ顔ごっつくなって不細工んなるだろ? だから一瞬躊躇とまどってただけなんだって」

 テンブラーはテーブルに肘を付けながら、またしても嘘ではあるが、それを今まで隠していた事であったかのように、無理に笑顔を作り続ける。今まで隠していた事を一気に放出する事で、その話がまるで事実であるかのように上手く丸め込んだのである。ここまで上手く話せば、相手もきっと納得してくれるだろう。

 

「へっ? そんな下らない事で隠そうかどうかもめてたんですか? バカですよねぇ?」

 今にも笑い出しそうな表情を作りながら、コーチネルはフローリックの顔を見続けている。明らかにフローリックにしか言っていないだろう。

 騙せたのならそれで良いのかもしれないが、愚弄するような一言は、確実に相手を苛々させるだろう。

(そんなんで騙されてんのかこいつ……)

 フローリックは一応は安心していたが、しばらく経った後、ふと考え直したかのように、直接コーチネルに言い返す。

 

「ってかお前、バカってオレの事かよ?」

 眉間に徐々に皺なんかを寄せながら、フローリックは確認の意味も含め、少女を薄目で見続ける。

「はい、そうですよ?」

 躊躇ったり、回りくどい言い方も一切せず、真っ直ぐな言い方でコーチネルは答えてしまう。一体どこから相手が絶対に仕返しに近い事をしてこないかという確信が出来ているのだろうか。女の子だからと言う性別だから、大丈夫であると思い込んでいるのかもしれない。それは殆どの人間が心理的に考える極めてずるい回避法ではあるが。

 

「『そうですよ』じゃねえよお前。誰に向かって口利いてんだよ」

 コーチネルの言い方が腹立ったからか、怒鳴りこそしなかったが、歳の離れた先輩であるという威厳を保つ為に、フローリックは左の手首をもう片方の手でほぐしながら、じっと厳しい目でコーチネルを捉え続けていた。

「でも良かったですよぉ。まさか死んじゃったかとも思ってましたし、でも考えたらあれだけデカい竜がそう簡単に死ぬはずなんて無いですからねぇ。ワタシ考えすぎてましたよ〜」

 椅子の背凭せもたれに強く寄りかかりながら、コーチネルはまるで全ての束縛から解放されたかのように腕なんかを組み始める。しかし、その当てずっぽうであろう1つの予測は、案外すぐ近くのものだったりする。

 それでもコーチネルの態度は随分とお気楽であり、ひょっとしたらテーブルの下で足でも組んでいるかもしれない。

 

(でも良かったぜ……。しばらく騙せそうだぜ……)

 鋭いように見えるコーチネルであるが、案外そのまま信じ切ってしまう単純な部分もある為、直接口には出さずに鼻で笑ってしまう。直接口に出してしまえば、密かに聞かれ、失敗へと導かれてしまうだろう。

「あ、そうだ、所でなんでクルーガーさんって、えっと、皆さんからフローリックって呼ばれてたんですか? なんか、あだ名か何かなんですか?」

 ヴォルテールの話ばかりで夢中になっていたが、コーチネルはその話題が静かになり始めた際に思い出したのである。先程から、フローリックはもう1つの名前で呼ばれているが、理由を知りたかったのだ。

 表情には笑顔は映っていないが、逆に真剣なものもあまり映ってはいない。

 

「あ、そう言えばそうだよなぁ。おれもそれ結構気になってたんだけど、なんでだよ?」

 スキッドも便乗したのか、コーチネルに続いて不思議そうな表情を浮かべ、早く教えてくれと言わんばかりに左肘をテーブルに下ろしながら、左手を茶色の髪の中に突っ込んだ。

「別に大した理由じゃねんだよ。ちょっとなぁ……」

 全員の視線が集中する中で、フローリックは意を決したかのように話し始める。その今までの威厳の篭った言動からは想像し難いが、多少俯いていたのである。

 

*** ***

 

 フローリックは、全てを話したのである。

 幼い頃に、ダイヤモンド砂漠で岩壁竜だった頃のヴォルテールに出会った事。

 しかし、それを引き取りにやってきたハンターズギルドに対し、フローリックは反発したのだ。

 そして、岩壁竜だった頃のヴォルテールはそのギルドの職員を殺してしまい、結果的にフローリックはヴォルテールと共に逃げたのだ。

 やがて、元々の本名がクルーガーであった彼は、安全な場所へヴォルテールを匿い、そして自分自身の名前をフローリックという偽名に変えたのである。

 

 

 

「え? そんな事があったんですか?」

 コーチネルは口元を両手で押さえながら、灰色の瞳を動揺させている。きっと今まで隠されていた事だから、驚いている事に間違いは無い。

「あん時ゃマジ大変だったんだぜ」

 難しい顔を浮かべながら、フローリックこと、クルーガーは自分のグラスをずっと見つめていたのである。

 きっと、長い間コーチネルにも黙っていたのだろうし、多少は妹であるルージュにも相談、悪く言えば深謀とかも立てていたのだろう。しかし、コーチネルから今まで黙っていた事に対する不満や苦情でも飛ばされるかと思っていたが、別にそういう事は無かったらしい。

 

「けどギルドから逃がす為にわざわざ偽名なんか使うって、結構本気だったんだなぁ」

 テンブラーはいかにこの金髪の男が苦労していたのかを少しだけ理解し、ただ横目でじっとクルーガーを見つめ続けていた。

「あん時ゃマジで必死だったしなぁ……」

 過去を思い出しながら、クルーガーは目の前に広がっているテーブルをだらしなく見つめ続けていた。

 

――突然その場からコーチネルは立ち上がり……――

 

「あっ! すいません! ワタシこれから警備があるのでもう行きますね! 皆さんはごゆっくり!」

 テーブルに両手を付きながら立ち上がったコーチネルは、自分の仕事がもうすぐやって来る事を意識し、やや真剣な顔付きになる。丁度店の外には柱として伸びた先端に備え付けられた時計があり、きっとそれを見て察知したのである。

 皆と楽しく、それでも真面目な話をしていた時の表情と比べれば、多少キリっとしているものの、やはりまだ少女としての幼さや緩さが残っている。しかし、その表情に何かしらの感想等を受け取る前に、コーチネルはテーブルから走り去って行く。


 

 

前へ

次へ

戻る 〜Lucifer Crow〜

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system