アビス達四人はスキッドを除いた三人が見事に倒したリオレウスの甲殻や鱗を持ちながら馬車、そして馬主の待つ到着地点へと戻った後、疲れた体を癒す為、そして今回のクエストに現れた謎の男達の事について話し合う為、アーカサスの街にはまっすぐ帰らず、ニムラハバの丘の外れにある小さな宿へ、馬主に向かってもらうように頼みこみ、そして今は男女に区別された露天風呂に、男性陣と女性陣はそれぞれの場所でその疲れ切った体を浸からせている所である。

「あぁ〜、今日はマっジ疲れたよなぁ〜」

 スキッドは風呂の水中の端に設置された椅子代わりの岩に座り、そして淵に止しかかり、やや筋肉の見えた両腕を思いっきり天に伸ばす。

「お前ただ捕まってただけだろ……」

 アビスはまるでスキッドが凶暴な飛竜相手に死闘でも繰り広げたかのような事をのびのびとした口調で言い出した為に、事実とも言える、ある意味嫌味として捉えられるかもしれない発言をややにやけながら飛ばす。



「うっせぇよお前って奴はぁ。おれだってちゃんと頑張ったんだからなぁ。あの変な連中からなんか変な実験してるって話聞き出して、ってかそれ以前におれが先に捕まったおかげでクリスは無事だったんじゃねぇのか!?」

 スキッドは自身の格好のつかない有様をアビスの口から聞かされて恥ずかしく思い、何とか自分の面目を取り戻そうと、自分の行いを功績のように振舞わせる為に無理矢理頭の奥から引っ張り出し、決して意味も無く捕らえられたのでは無いと主張する。

「クリスの事はある意味お前のおかげで助かったかもしれないけどさ、あの連中の話はバウダーって人が殆ど言ってたじゃん」

 アビスは再びスキッドを落ち込ませるには充分なもう一つの事実を言った。

 サンドマンとヴィクターがいなくなった洞窟を出た後、彼らが既に死ぬ事が前提にされたスキッド達に喋ってきた実験と言う内容であるが、それはスキッドが説明した事では無く、殆ど洞窟内部で黙って、いや、黙りながらも内容を正確に頭の中に記憶させていたバウダーから説明されたものであった。

 だが、とことん引き下がらず、その口を黙らせなかったスキッドのその勇気が彼らに説明を促したのだから、スキッドは決してただのお荷物では無かったのだが。



「ま……まあそうだけどな……、あ、それよりよぉ、街に戻った後さぁ、今度何狩ってみっか、ちょっと話合ってみね?」

 スキッドは続け様に自分の酷評を浴びせられてしまってはたまらなかったのだろうか、何か別の話題を持ち込もうと、次回の狩猟の話を無理矢理に引っ張り出す。



*** ***



「やっぱりあの二人組、どうも気になるわね……」

 女湯の方では、今日洞窟内部で出くわしたハンターとは一線を画した黒い皮膚の男と、巨人級の身長を誇った男の事について、ミレイはクリスの隣で考え込んでいた。

「確か……サンドマンと、ヴィクター、だったよね?」

 同性しかこの空間にいない為か、ミレイは何も纏わずに温泉に浸かっているが、その隣のクリスはタオルを巻いている。クリスはあの謎の連中が洞窟から逃亡する際に知る事の出来た二人の名前を思い出し、ミレイに確認を取る。



「うん、そうよ。あいつらの装備してたあの妙な武器とか、アビスの剣も防いだあの包帯って言うのかな、なんかそう言う、結構気になる所、今回多かったわよね」

 ミレイは無数に映る夜空の果てに点在するいくつもの光る星々を眺めながら、サンドマンの爆風を起こすよう仕組まれた篭手や、ヴィクターのアビスの剣を軽々と防いだ包帯、及び両腕から繰り出された衝撃波を思い出し、ハンターとは思えない武装でありながら、ハンターより恐ろしい存在であるかもしれないと言う事を、少しだけ怖く感じる。

 身体をピンと伸ばし、露天風呂の真上から見事なまでにミレイの細い腰のラインや、ろくに発達していない胸がシルエットのように映されるが、濁り湯である為に、最深部まで映される事は無いし、そんな場所には人間の目線は無い。そして、映されてはいけない。

「そう言えば、なんかあの毒草、えっと、ジャガーヘッドだったかな? それを使って実験するってバウダー君言ってたけど、そんな事してどうするつもりなんだろう? ちょっと怖いよね……」

 クリスは洞窟の外に出た時にバウダーから説明された、あの男達の目的、特に実験に関する内容を思い出すが、わざわざ凶暴性を秘めた薬品を作り出して何がしたいのか、今一分からなかった。だが、恐ろしい事を企んでいる事に違いは無い。その為か、クリスはその水色の瞳を細めながら軽く俯く。



「ここで考えても、多分答えは出ないと思うわよ。でも、あたしとアビスで怪鳥と戦って、ってその怪鳥なんだけど、なんか凄い凶暴化してて……、んでまあ、何とか倒したって言えば倒したんだけど、なんかあの連中達ってそんな感じでこの世界にいる飛竜達、凶暴化させて何かしようってのは多分、間違い無いと思うんだけど」

 ミレイは両手を後頭部に回した状態で一度諦めたような事を口に出してクリスの方を向くが、ミレイの表情にはあの男二人組に対する恐怖心と言うのが映っておらず、逆にどこか再び出会える事を望んでいるかのような、或いはクリスと言う親友が目の前にいるから強気で振舞っているのだろうか、普通の友達同士の会話の時に相応しい、軽い笑顔を見せた表情でクリスに接している。

「あのさぁ、一個思ったんだけど、なんかあの人達とこの前街の方で起こった爆破テロって、ミレイはなんか関係あるって思わない?」

 クリスは最近起こっている爆破テロと言う非人道的な事件を咄嗟に思いだし、そしてあの男二人組による謎の企み、将来的に人道の外れた世界を作り出すであろうその計画と、爆破テロにどこか人々を恐怖に陥れると言う共通点を見つけ出す。それを、ミレイの方に髪留めのピンが外されている事によって肩まで伸び下がっているロングヘアーを携えた顔を向ける。



「え、あ、ん〜、そうかなぁ、でも、どうだろ?」

 突然のそのクリスの言葉に、ミレイは返事の為の言葉が思いつかず、それでも無理矢理と言わんばかりに笑いで身体を震わせながら言い切る。

「そっかぁ、いくら何でもこれは大げさかぁ……。でも最近なんかここんとこ様子、変だよね?」

 大事件とは言え、必ずしもそれらが関連性を持つと言う訳では無いかもしれない。少し変な事を言ってしまったかと、クリスも笑いを零すが、やはりハンターの世界でハンターあるまじき事件が連続で発生する事に対してはどうしても違和感を外せない。

 アーカサスの街での爆破テロ、そして、今回の毒草の密採、及び見た事も無いような戦闘兵器。

 これらの恐ろしい事が連発している以上、確実にこの世界に何がが起こっているのは間違い無い。クリスとしては、早急にこれらが去ってくれればと願うばかりだ。



「確かにね。折角こっちもゆっくり狩猟したいってのにあう言うなんか、厄介事って言うのかなぁ、そんな事がさぁ、これから頻繁に続いたらもう狩猟どころじゃなくなるからね。あぁ〜ちょっと逆上のぼせたかな」

 ミレイは先程の件にはあまり関わりたくないと思っているのだろうか、両腕を上に伸ばし切りながら他人事のようにのびのびと言い切る。



「でも何だか私はちょっと不安なの……。これからもなんかぶつかり合うような気がして、下手したら殺されるんじゃないかって……。もしそんな事になったら……」

「ちょっ待って! そこまで心配しなくても大丈夫よきっと。確かにさぁ、あの連中も変な研究とかしてて妙なとこってのはあるけどさぁ、あう言う事してる連中ってさぁ、大抵ギルドの方でマークされてるだろうしさぁ、だからきっとすぐ捕まってくれるわよ! きっと。まあ、あんまり確信はちょっと出来ないけど……」

 クリスは湯気の湧き上がる濃い湯を見ながら、未来の世界で繰り広げられるかもしれない死闘、そしてそこから生まれる可能性を秘める友人との死別、これらの確実に望まない光景が何故か頭に浮かびあがり、再びその水色の瞳を細め、そして徐々に声も小さくなっていく。

 ミレイはそのクリスの一気に落ち込んでしまったテンションを引っ張り戻すべく、やや自信と言う面では心配を持っているものの、ギルドと言う、ハンターを取り締まる機関を出してそれを自分の言い分の味方につける事で、まるで自分が皆を守るかのような、自身で溢れた口調と笑顔でさっきまで喋りながら意味ありげに持ち上げて動かしていた右手を岩の淵に下ろす。最終的には再び自信を落としたような台詞を軽く笑いながら付け足したが。



「えぇ? 確信出来ないの? でも、なんか安心出来たかもしれない。なんか危険な事とかあっても、アビス君達がいてくれたら切り抜けられそうな、そんな予感がしてきた!」

 ミレイから力を貰って不安から解放されたのだろうか、クリスは一度ミレイの最後の最後に言った自身を軽々と捨て去ったような台詞に笑いを零した後、俯いていた顔を再び空を見上げるように持ち上げ、新しく出会った異性の、やや大人しい方と、非常に有効的で騒がしい方を思い出し、ぱっと明るい笑顔に戻る。

「アビス……達ねぇ……。まいいや、あの二人もきっとこれから強くなって、んでいつかはあいつら、例の二人組みたいな奴なんか簡単にぶちのめしてくれるだけの力つけてくれんだろうから、その時をゆっくり待とう。そんじゃ、ちょっと髪洗ってくるわね」

 本当にアビスやスキッドと言う、何だかハンターとしては気ままで凛々しさ等まるで感じ取れないような少年二人を思い浮かべると、クリスは本当にあの二人に期待を持っているのかと目を疑うが、ミレイとしては流石に折角回復した気持に再び傷を入れてしまっては不味いと思い、アビス達がいつか立派なハンターになり、飛竜は勿論、今回のような謎の実験を行うハンター達の扱う対飛竜用の武器と同等か、或いはそれ以上の兵器をも所持した連中相手にも勇敢に立ち向かう勇士になるだろうと、無理矢理に口を動かした後、軽く自分の緑色のショートカットの髪を両手でかきあげた後に風呂から立ち上がり、湯から出ていった。



*** ***



「んで結局毒煙鳥どくえんちょうかよ……。まあおれらはまだ来たばっかだからな、アーカサスに」

 スキッドは顔から軽く垂れた水滴を左手で顔全体を上から下へ拭きながら、次回狩るであろう飛竜を半ば自分の予想と外れた相手であるかのように、呟きながら、あのハンターの街を思い浮かべる。

 女湯側では真剣に今日の出来事について話していたのにも関わらず、アビスとスキッドは気楽にこれからの狩猟の話、今回は謎の組織と争ったと言うのに、その事を追求せず、それとは無関係な話ばかりをして湯気の立ち込める空間で時間を過ごしていた。

「そうだよなぁ、まだあの街じゃあ俺ら慣れてないからな……。まずは手慣らしとかしとかないとちょっとやばいかもしれないからな。でもミレイ達と一緒なら誰でもいい感じすっけどね」

 アビスは長い間熱い風呂に浸かっていたせいか、顔にはうっすらと赤みを帯びており、そろそろ出なければ逆上のぼせてへたばってしまうような、そんな状態にまで近づいていた。



「所でお前さぁ、顔めっちゃ真っ赤っ赤状態だぞ? もうそろ上がっかぁ!」

 スキッドはアビスの顔が熱によって赤く染まっている事に気付き、このままずっと湯に浸かっていれば確実にアビスは意識を失ってしまうだろうと心配し、まだまだ元気の有り余るスキッドは特に理由も無く勝手に盛り上がっているかのように声を明るく荒げながら立ち上がる。

 一気にハンターらしく多少の筋肉を見せた上半身が勢い良く湯から飛び出す事により激しく湯が揺れ、ぶつかりあった湯と湯が飛び上がる。

「お前やけにテンション高いなぁ……、ってあれ、あそこに変な奴いるんだけど」

 スキッドは立ち上がってそのまま椅子として設置された岩を階段代わりにそのまま露天風呂からあがる。まだ湯に体を入れたままの状態でスキッドのタオルを腰に巻いた姿を見ながらそのただ風呂から出ると言うだけで元気を爆発させたような声をあげる様子を軽く笑っていると、男湯と女湯を隔てている壁の隅に何やら怪しい小柄な人影があり、それに気付いて指を差す。



「ああ? どうした? おれらしかいないだろ、ここ、ってあれ? マジでいるなぁ!」

 ここの宿は今日は殆どアビス達の貸し切り状態となっており、アビス達以外誰もいないはずである。だが、壁の近くに、明らかに誰かが屈みこんでいる。タオルで胸から下を覆った姿で。

「確かにいるよ、でも誰だろ?」

 アビスがそのいつの間にかそこに屈みこんでいた人物を怪しみ、ゆっくりと風呂から全身を出しながら首を傾げる。スキッドと同じく、腰にはタオルが巻かれている。



「ちょっと行ってみっかぁ! お〜い、そこの変な人ぉ〜、何してんだぁ? そこで」

 スキッドはその謎の人物に興味を覚えたのか、特に怪しむ様子も見せず、早歩きでその人物を呼びながら、足を運んで行く。



「おいスキッド……お前ちょっ……」

「黙らんかい!! 若造!!」

 恐らくはその人物は何か危険性でも秘めているかもしれない、そう思ったアビスはスキッドの誰に対しても礼儀も制御も弁えないその態度を止めようと、手を前に出しながら声を出そうとするが、言い切る前に、一応女と言う感じは辛うじて掴み取れるものの、非常に掠れており、そして聴き方によっては男として認識出来てしまいそうな、低い声の怒鳴り声がスキッドに向かって放たれる。



「ん? なんだ、婆ちゃん……うえぇ……」

 皺に溢れた顔、長い白髪でやや荒れたそれをスキッドに向けられるも、スキッドは怒鳴られた事に対して驚く様子を見せずに平然とした態度で、その人物が老婆だと言う事を知るが、その皺に塗れた顔、そしてタオルから食み出た肩や両腕、そして両足を見るなり、老婆から顔ごと身体を反らし、吐き気を催したかのような顔を作り出す。

 顔だけでは無く、皺で弛んだ肌はスキッドにとっては相当な毒薬だったらしい。いくら女性とは言え、老人の体にはまるで興味を持たないスキッドである。

「あの、婆さんはこんなとこで何してるんですか? ここ、男湯ですよ?」

 アビスも確実に老婆の体には全く興味は示してはいないだろうが、軽くその茶色い目を細めてどうしてこんな男湯に潜んでいるのかを考えながらアビスは老婆に訊ねる。



「そんなのは分かっておるわ! それより、ここは危険じゃ! あっちの方で何やら怪しい影が見えたんじゃ。女湯は危険じゃ!」

 アビスも意味ありげに老婆に軽く怒鳴られ、そして老婆は再び壁に皺だらけの皮膚に覆われた小さい目を押し当て、男湯の壁の奥に見えるであろう女湯に恐怖を覚えたような掠れた声を荒げる。

「はぁ? でも、何ですか? 怪しい影って……」

 怒鳴られたアビスはこの老婆が何をしたいのか今一理解出来ず、首を傾げながら影の正体を思い浮かべる。



「黙っとれ! 若造!」

 再び怒鳴られるアビス。今度はアビスの助っ人と言わんばかりにスキッドが今度は老婆に喋りかける。

「おいおい婆さんさぁ、なんかそんな覗きとかしてる身で黙れだのなんだの言ってんじゃねぇっつうの。なんだよその怪しい影とか言うのは」

 理不尽に怒鳴られるアビスを庇うかのようにスキッドは異性の湯の場で怪しい行動を取っている老婆に上から見下ろしたような目で言い飛ばす。老婆は屈み込んでいる状態ではあるが、確実にアビスやスキッドよりは身長は劣るであろう。



つのが見えたんじゃ。あっちは今危険に晒されておる! どうじゃ、お前達も見てみるか?」

 恐らくそれは動物に生えている物だろう。老婆はその角を持った動物に女湯が狙われている事を怖れているのだろう。そして老婆は壁から皺だらけの顔を離し、アビスとスキッドに促す。

 離された壁には指が数本入るかと言う程度の穴が開いており、そこから向こうの世界を覗き見る事が出来るようになっている。

 だが、故意に誰かが穴を開けたのか、それとも長い年月での劣化の過程で開いたのかは定かでは無いが。

「えっ……? いいの? 見て」

 アビスは突然のその老婆の許可の言葉に心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。理由は簡単である。壁の向こうの世界には、普段見る事の出来ない光景が広がっている可能性を秘めているのだから。

 老婆が穴を覗かせようとした目的は確実につのを生やした生物を見せる為だと言うのは間違い無いだろうが、アビスはそれとは無関係な光景を本能的に想像してしまっている。



「アビスぅ〜、お前今つまんねぇ事考えたろぉ〜?」

 声を詰まらせたアビスの心をスキッドは正確に見抜き、アビスを追い詰めるかのような、嫌味に満ちた口調でからかい始める。同時にアビスの濡れてだらしなく下へと垂れ下っている紫色の髪を生やした頭を軽く押す。

「あ、いや、んな訳ねだろ? ばか……」

 アビスは恥ずかしさの余り、声が小さくなり、呟くような声で、スキッドを軽く睨みつけるも、そこに威圧感は感じられない。



「でも、後でおれにも見させてくれよ。そのつの生やした動物とか言うの、おれも見たいから」

 スキッドも無関係な光景を期待しながらも、あくまでもその動物だけが目的だと言う事を口に出しながら、アビスに次の番を要求する。



「若造達よ、淫らな妄想は要らんぞ。別に誰もおらんぞよ。見たいなら早く見たらどうじゃ」

 老婆は皺だらけの右指を穴に向かって乱暴に差しながらアビスの方に女性とは思えないような皺だらけの色気の全く感じられない顔を向ける。

「ホントにいないんだろうなぁ……?」

 口では既に女湯には誰もいない事を期待しているも、老婆のその誰もいないと言う言葉に対して一度疑う等の確認も取らず、完全に鵜呑みにするかのように、壁に顔を押し当てる。

 もし本当に拒むならば、しつこいほど確認を取ったりするのが普通だろうが、やはりアビスの心は素直だったのかもしれない。



「どうだアビス、変な動物みたいなの、いたか?」

「いや、特に怪しい……のはいないし、それに誰も……いないな」

 目を凝らして見ているようにも見えるアビスの横でスキッドが小さい声で訊ねるが、アビスの茶色い目の奥に映るのは、湯気を沸き立たせている露天風呂、そしてその周囲を囲う岩。恐らくは更衣室に続くであろう、建物に供えられた無機質な白色を見せるドア。自然の豊かさを象徴するような、青臭さを見せた植物。

 それらの露天風呂に相応しい構造と言うものはしっかりと映るが、人影は勿論、動物の姿も全く見えず、アビスは小さく、呟いた。



「おかしいなあ、確かにいたんじゃが……」

 老婆は溜息を吐きながら、自分の目は幻影のような、実は存在しなかったものが映っていたのだろうかと、肩を落とす。

「いや、きっといるよ。もしそのままほっといたらこれから来る客とかに迷惑かかるかもしれないじゃん」

 アビスは未だ真剣に目を凝らしてどこかに潜んでいるだろう、その動物を目だけで探し求める。



「お前迷惑って……。迷惑どころじゃねぇと思うんだが……」

 無防備な姿で風呂に浸かっている人間に動物が襲いかかれば確実に被害は甚大なものとなり、迷惑と言う、ただ不快な気持ちだけでは済まされない事だろう。アビスは恐らくは見る事に集中していたが為にそこまで言葉の意味には拘らなかったのかもしれない。

「まあいいじゃん……。にしてもいないなぁ」

 じっくりと動物を目だけを頼りに探し回るが、なかなか見つかってくれない。顔を壁につけている為、体が硬直してしまっており、疲れも溜まってくる。折角風呂に浸かって疲れを削ぎ落とそうとしていたのに、これでは何だか意味が無い。そう思ったアビスは、凝らしていた目から力を抜いたその時だ。空間の隅に生えた草叢が揺れ、そこから何かが飛び出すのが見えたのは。



「ん? あれ?」

 アビスの力の抜いた目に再び集中の色が浮かび始める。

「おいアビス、なんかあったのか?」

 まるで何かを見つけたかのような声を上げたアビスの反応が気になり、スキッドもアビスの目の前に映った何かが気になってくる。



「待てって! ん? あれ? あれって……」

 スキッドの声をアビスは自分の声だけで止め、再び目に集中力を入れる。



――その穴の奥に映ったのは、草叢くさむらから現れたつのらしき突起……――



 さらにアビスが集中力を入れると、遂にその突起を携えた物の正体が遂に頭まで見せ、アビスの心には妙な緊張感が走る。そして、アビスはその角を携えた動物の正体や生態、性格等をまともに検討する事もせず、ただそれが角を生やしていると言う理由だけで勝手に危険物と決め付けたかのように、突然さっきまで静かに潜めていた声を突然荒げる。



「お、おい! なんか変なのそっちにいるぞ!!」

 立ち上がると同時に荒げた声のままで壁を乱暴に叩き、誰もいないはずの女湯に向かって大声で呼びかける。

「おい……やめろ! あっち女湯だぞ!」

 アビスのその向こう側が女湯と言う、通常男性が足を踏み入れては絶対にいけない空間だと言う事を忘れてしまっているかのような態度の豹変ぶりにスキッドは焦ったような素振りでアビスのその壁を叩く行為をアビスの腕を乱暴に掴んで止めようとするが、アビスのその荒げた声に掻き消されてしまう。



「おい! 誰かいんなら逃げろ! 危な……」

 アビスは大声で女湯に呼びかけながら壁を叩き続けているが、その壁は木造、そして尚且つ叩いた時に響く緩く、叩いている手には殆ど痛みが走っていないかのような音からして硬度は決して高くないであろうその壁は……

 遂にアビスの力に耐え切れなくなり、よしかかるように叩き続けていたアビスはそのままミシミシと割れる音を響かせる木造の壁と共に前方へと倒れこむ。



――アビスの力に耐えられなくなり、よしかかるように叩き続けていたアビスは……――



――ミシミシと割れる音を響かせ、そして木造の壁と共に前方へと倒れ……――



「うわぁ!!」

「きゃっ!!」

 木で作られた壁と共に倒れた事によってアビスは反射的に目を強く瞑りながら、そのまま前のめりに倒れた体が地面に激突しないよう、両腕を突き出してその直撃を免れようとした。



――途中、アビスにとって確実に聞き覚えのあるトーンの高い悲鳴が響くが……
今は自分の激突を免れる事だけで精一杯……――



「……あぁ、酷い目に……あ……!!」

 木製の壁が地面に崩れ落ちる音がようやく静まり、腰に巻いたタオルの部分を除いた部分、皮膚の剥き出しになった箇所が壁の欠片とかで軽く擦り剥き、多少の痛みが走っているが、閉じていた目をゆっくりと開くと、そこには思いも寄らぬ光景が映っていた。

 まるで四つん這いのような状態のアビスの両腕の間にすっぽりと納まった緑色の髪をした少女の細い両肩、因みにアビスの両足の方は少女を跨ぐ形にはなっておらず、反れてはいるが、仰向けに倒れながら青い瞳を丸くして驚いているその様子は、アビス自身も正直驚きの一言であり、丁度アビスの顔面に少女の顔が映っていると言う状態だ。



――ある意味絶景であり、ある意味最悪であり……――



「あ……んと……ごめ……ん」

 アビスは何も身に着けていない少女の顔から決して目を離さず、特に首から下には絶対に目をやらないよう、本能を必死で抑えながら恐る恐る小さい声で謝るが、それで少女が許してくれるはずが無い。



――まだ風呂に浸かっていたクリスは……――



「アビス……君……、何、やってるの……?」

 クリスは熱い風呂の中に入れている身体に纏っているタオルを左手で強く握りながら、気難しそうに苦笑いの表情を浮かべている。アビスが下心を持っていたとは信じたくないだろうが、目の前の状況を見ると、表情をそのようにするしか道は無い。



「おれ、知〜らね……」

 壁の向こうへと倒れ込んだアビスを背後に、スキッドは忍び足でゆっくりと男湯から逃亡を図る。老婆も呆れた顔をしながら、平然とその場からいなくなる。



――その場に留まっていれば、後に恐ろしい事に巻き込まれる事を察知しての判断だ。スキッドにしては正しい判断ナイスジャッジメントである……――



 一方、少女の青い瞳にはどんどん怒りの色が込み上がり、アビスの視界の外にある両拳が非常に強い力で握られる。

 そして、少女は凄まじい轟音を纏った怒鳴り声を、露天風呂内部に非常に力強く響かせながら、そして……

「ごめんで……











済むかぁあああああああああああ!!!!!!!!!!」











 露天風呂内部に二発の鈍い音がやや小さく、でも力強く響く。確実に喜ばしい事では無いのは確かだが。



*** ***

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