少年少女四人は馬車が遠くに逃げたのを確認すると、これからやってくるであろうその黒い竜を、豪雨の中で、雨に打たれて僅かながら体温を奪われながらも、待ち続ける。

「ねぇ、アビス君……」

 クリスは突然、バインドファングを右手に持って緊張感に溢れているアビスに話しかける。そのクリスの口調はどこか、非常に気まずそうで、尚且つ言い辛そうな雰囲気である。

「ん、何?」

 クリスのやや妙な態度にも特に動じず、至って平凡にアビスは反応する。だが、クリスの表情を見るなり、アビスはクリスの心で何か異変が起きているのかと言う事はある程度、察知する。



「今回のその黒い竜、なんだけど、ひょっとしたらアビス君にとって特別な戦いになるかもしれないの……」



――その時のクリスの表情は、まるで世界の終わりを思わせるような、非常に暗いもの……それは何を意味するのだろうか?――



「特別って……どう言う事だよ」

 その真剣な顔をしながら非常に意味深な事を言ってくるクリスに対して、アビスは徐々にその話に興味を持ち始める。バインドファングを持つ右手の力を全く抜かずにさらに追求する。

「アビス、分かんない? ほら、ゼノン様の、あれよ……」

 アビスの質問に対応したのは、ミレイだった。ミレイもクリスと同じく、非常に真剣な目つきで、豪雨の中に映る林の方を見つめている。その方向は、先ほど馬車の中で見た黒い竜の影のあった場所である。



「兄さん? まさか、それって……」

 そのミレイのやや回りくどく、そして、その中にはどこかアビスに対する気遣いも含まれるような言葉を聞いて、ようやくではあるが、その黒い竜の正体が徐々に頭に浮かんでくる。

「お、おい! なんかやってくるぞ! ってやっぱ黒いな!」

 アビス達がまるでその黒い竜が過去に何かしたかのような話をしている最中、突然スキッドはその話の中心的存在となっているであろうその竜が現れ、緊張感を見せながらも、いつものやや気楽なテンションもチラつかせながら空に向かって指を差す。



「……アビス、アビスは覚えてるわよね? あの龍……」

 ミレイはやや小さい声で、笑み等の緊張と言う空気に該当しない感情を完全に捨て去ったような、真剣な表情でアビスを横目で見る。



――豪雨がミレイの頭部を激しく濡らすが、その真剣な表情の中には、汗が混じっているようにも見える――



「あれって確か……鋼風龍……だよね?」

 アビスの脳裏に、亡き兄、ゼノンの後姿が浮かび上がった。





――ゼノン、それは、アビスの兄であり、嘗ての英雄ヒーローである――

今から六年前、アビスがまだ一桁の歳の頃の話。
ドルンの村の近辺に突如現れた鋼風龍と激戦を繰り広げた英雄である。
しかし、

因みに、その当時はミレイにとって初めて歳が二桁になった時でもあったが。

部下を連れ、抜群の統率力で戦ったものの、自然界から外れた特殊能力が、ゼノン達を返り討ちにし、そして……

結果は、勝者が鋼風龍。死者は、ヒーロー……





 それ以来、目撃情報がめっきりと途絶えてしまい、もう二度と巡り会える事は無いと思われていたが、長い年月の過程でハンターとして完全とは言えないが、それでもある程度充分な力を蓄えたアビスの前に遂にその黒く、禍々しい姿を現したのである。

 スキッドやミレイ、クリスも六年前はハンターとしての力等皆無に等しかったが、今ならば、チームワークで仇討ちが出来るかもしれない。アビスはそのような希望を思い浮かべながら自分に自信を持たせるも、それでも兄を殺したと言う事実には変わりは無く、今まで感じた事の無い恐怖心がアビスの足を軽く震え上がらせる。

「そう、だけど、あの龍はちょっと特殊なの……」

 徐々にゆっくりと、四人の元へと漆黒の翼を羽ばたかせながら近寄ってくる龍。その姿から目を離さず、クリスは頬に垂れる雨の滴を右手で軽く指で拭いながら、小さく口に出した。

「特殊? あいつって元々古龍ってだからもうその時点で特別じゃんかよ」

 スキッドはそのクリスの既に分かり切ったような事を言ってきた事に対し、やや緊張感に欠けるような、それでも多少その声色には慄きが見えるものの、それでも言いたい事は必ずキッパリと言うポリシーを守る為にクリスの方を見る。



――確かに、『竜』では無く、『龍』と言う時点では、特殊な存在ではあるが……――



「あ、そうじゃなくて……えっと、単純に言うと名前、もっと細かく言うと固有名詞があるの」

「名前? 何?」

 一度クリスはもう少し具体的に説明し直し、それを聞いたアビスは単純にその名前を聞こうとする。

「ブリガンディ……よ」

 クリスの代わりと言った所だろう、ミレイがゆっくりと、その名前を口に出す。



――濁音が多いその名詞。強固な雰囲気を沸き立たせ、姿を見、名前を聞けば、忘れられないような迫力を備える――



「そうなの。後もう一つあるんだけど……! 来たよ! 皆! 気ぃ引き締めて!」

 まだ秘密があるのだろう、クリスはそれを言おうとするが、四人にとっては殆ど時間を使っていなかったように感じていたその間に、既にほぼ真上と言う場所にまで迫っていた。

 ゆっくりとまるで四人を見下ろすように降りてくる。だが、不思議と全く攻撃してくる気配は無い。それよりも、何故か懐かしい物を見るかのような、そんな雰囲気を飛ばしている。長い間人間世界から超脱していたのだから人間が懐かしく思えたのかもしれない。

「こいつが……兄さんを……」

 アビスにとっては初めて見る鋼風龍だ。黒い金属質の外殻、前脚と後脚の間に生えた薄くも、金属的な強靭さが伺えるような皮膜状の翼を羽ばたかせて対空したままで、その後、思いもよらぬ行為を四人に見せつけたのである。









「ヒサシイナ……ニンゲンヲミルノハ……」









「うわぁ! なんだあいつ! 喋ったぞ! ちょっと違和感あるけど……」

 スキッドは通常はありえない現象を目の当たりにして目の前には通常の飛竜を遥かに凌駕するであろう古龍がいるのにも関わらず、素直にその現象に驚きを見せる。





――なんと、龍が、人語を話したのだ――



野太く、僅かながらに訛りが感じられるものの、人語を扱ったのだ。
通常ならば竜の類は単なる叫び声や唸り声、鳴き声しか発しない。
その光景は非常に珍しく、そしてその龍の知能の高さが伺えてしまう。





「メズラシイカ……オマエタチノセカイニアワセルコトガ……」

 スキッドに反応したのか、ブリガンディは野太い威圧的な声で再び人語を発動させる。その様子は非常に冷静かつ、そして余裕気である。

 恐らくは鋼風龍がその人語を取得したのは、人間界と直接関わり合う為に最も必須とも言える言葉と言葉でのコミュニケーション力を手に入れる為だろう。だが、これでも人殺しを犯した龍だ。今更言葉だけで分かり合えるかどうかは分からないし、人間界と関わって何をしたいのかも分からない。

「お……お前が……兄さんを殺ったのか!」

 アビスは恐怖で怯える口を必死に動かしながら、目の前の人語を話す謎の古龍にその既知とも言える内容を直接問い質そうとする。



「ワカリキッタコトヲ……ダトシタラドウスル……」

 アビスのその脅えと言う不格好な姿を映しながらも、強さを強引に見せ付けるようなその目つきを見つめながら、ブリガンディは表情や滞空距離を全く変えずに、まるで挑戦状を渡すかのような態度を放つ。



「だったら……」

「アビス! 挑発に乗んないで! 今戦っても絶対こっち負ける! だから……乗んないで!」

 アビスは兄を殺した張本人である鋼風龍、ブリガンディを討とうと、右手に持っているバインドファングに力を込めるが、その右手を隣にいるミレイの左手が止める。





――ミレイは理解していた。古龍の恐ろしさデーモンズメニス、及び、現時点での自分達の力ヒューマンズアビリティーを……――



古龍それは、古の世界からこの世に命を授かった謎の力を持った存在。
その力は既知の飛竜達を遥かに凌駕。
まともにやりあえば、確実に人間側が敗れ去る。

ミレイも直接やりあった事は一度も無いが、今のこの四人の実力では負けるのは目に見えている。





 だからこそ、いくら肉親の仇が目の前にいて、すぐに討ち取ろうと無謀な戦いを挑もうとしたアビスを止めたのである。

「カシコイハンダンダナ……あびす……ナカマニカンシャシテオケ……」

 鋼風龍はミレイのそのアビスを止めた判断に対し、敵対しているはずであるアビスに直接その目では窺い知るのは不可能に近いが、どこか笑みを浮かべた様子を見せつける。



「じゃあどうすんだよ。目の前にいるってんのに……」
「あのさぁ! 一つ聞かせて! 最近起きてる変な事件とあんたってなんか関係あるの?」

 ミレイとしてはこの知能の高い、人語を扱うと言う点がそれを証明しているであろう、その龍を信じてなのか、直接話しかけ、昨日のあのハンターと言う世界に似つかない未知なる兵器を携えた男達との絡みがあるのではないかと言う悪縁が頭に過り、未知なる相手に畏怖する事無く、睨みつけた。



「フン……ワケノワカランコトヲ……ワタシハダレトモクマン……」

 ミレイ達と遭遇した謎の男二人組。その事件と、この人語を話す今までの野性的で凶暴なだけの竜と言う概念から外れた非常に知能の高いであろうその龍。この今まで考えられなかった二つの事柄がどうもただ事では無いと睨んだミレイは問いただそうとするも、その返答は意外とあっさりしたものだった。

 この龍がどこの誰ともつるまないと言う事は、爆破テロや男二人組による毒草密採等の反社会的事件との関連性は持たないと言う事になる。最も、この鋼風龍の言った事が真実かどうかは不明であるし、信じる理由もどこにも無いが。

「……ン? ソウイエバ、あびす……、ナツカシイヒビキダ……」

 再び口を開いた鋼風龍。恐らくはミレイがアビスを静止した際に名前を呼んだ事でハンター装備の紫色の髪をした少年の名を知ったのだろうが、それ以前にいくらかの認識があったような雰囲気を漂わせる。

 それは何年も前の話にはなるが、その鋼風龍、ブリガンディと言う固有名詞を持つ鋼風龍はその当時の激戦を思い出した。最後の一撃を背中に撃ってきた男が最期に言った言葉を。



―――■ ■ ■ ■―――



「すまない……アビ……ス……俺は……もう……」

 背中を向けて大量の兵士達の死体の横たわる豪雨と雷で荒れる大地から飛び立とうとした鋼風龍の背後に徹甲榴弾を、最期の力を振り絞って放った紫色の髪をした青年のハンターは、徹甲榴弾が鋼風龍の背中で爆発して間も無く、永久の眠りについてしまったのである。

「マダタタカウチカラガノコッテイタトハ……」

 不意打ちを受けたブリガンディはその爆発に対して特に致命傷を負わなかったのだろうか、平然と背後を向くも、そこには誰一人、立ち上がっている者は愚か、伏せたままで顔を上げている者すらいない。

 だが、確かに弾は発射され、ブリガンディの背中を攻撃されたのである。しかし、犯人は分からない。だが、あの呟きだけは、何故かこの豪雨の中、しっかりと聞き取っていたのである。

「マアイイ……コンカイハコレクライニシトイテヤロウ……」

 いくらここで犯人を検討した所で、死人相手にしているそれは、最早永遠に分からぬ事柄だ。犯人探しは諦め、とは言っても見つけた所でそれが鋼風龍に対する利益になる事は無いだろうが、太陽が地平線の彼方から顔を出そうとしていたその時に翼を羽ばたかせ、その黒い体と大地の距離を離していく。

(あびす……カ。オボエテオクカ……)

 誰が言ったか分からない、その名前を心に留めながら、ブリガンディはその空間から姿を消した……



───■ ■ ■ ■───



「ソウカ……。キットアノオトコダナ……。オマエノナマエヲヨンダノハ」

 ブリガンディは暫く黙り、六年前の大事件を思い出す。確かにあの時、アビスの名を聞いていたのだ。

「やっぱそれって……俺の兄さんだ……」





――ブリガンディのその台詞。アビスの名を呼んだのは、確実に、ゼノン――



アビスはその話に出てきた名前を呼んだであろうその男が、自分の兄、ゼノンだと言う事を知る。
アビスの茶色い瞳が絶望に染まる。





「まあ兎に角だ。事情はちっとも分かんねぇけど、兎に角こいつがお前の兄貴殺した張本人、ってまあ相手は龍だから張本龍とでも言っとくか、張本龍って訳だなぁ! お前人の兄貴殺して何がしたかったんだぁ! あぁ!?」

 スキッドは過去にアビスから兄が死んだと言う事は聞かされていたが、鋼風龍によって戦死させられたと言う事は聞かされていなかった。恐らくは、当時のアビスは嫌な思い出を引っ張り出したくなかったのだろう。

 目の前には恐るべき、そして未知なる力を持った龍を目の前にしながらも尚スキッドは相手、龍が完全に目下であるかのように、平気で指を差す。

 本来の竜族ならば、問答無用で目の前の人間に猛攻を加え、即座に亡き者にしてしまうであろう。本来のそれらは、単純に争うと言う本能しか持ち合わせていないのだから。

 だが、ここにいる龍は人語を理解し、そして話す。と言う事は相手の気持ちすらも人間と同じように受け止められるであろう。その知能の高さを信じての事なのだろうが、完全に今鋼風龍は見下されている。それでも鋼風龍の態度はそれに動かされる事は無かったが。

「イセイノイイガキダ……。ワタシハタダワタシノセカイヲトリモドスダケダ……。ニンゲンドモダケニスキホウダイサレテハタマランカラナ……」





――この鋼風龍ブリガンディ、人間によってほぼ支配されかけたこの世界に怒りを覚えたのだろうか……――



まるで人間達に宣戦布告するかのように、目の前の四人を睨みつける。
しかし、体勢は一向に変わる気配は無い。

本当にこの龍は、何が目的でここへ赴いてきたのだろうか……。





「好き……放題? なんかよく分かんねぇけど、兎に角引け! 下がれ! オレ達侮ったら酷い事になるぜ!」

 スキッドは、ブリガンディの言った、自分の世界を取り戻すと言う意味がいまいち理解出来なかったが、人間相手に敵対していると言う事実だけは大体理解し、数だけでは一応スキッド達がまさっているのだが、それだけを理由に、力の差を見せつけるかのように、右手を振り払って遠方へと行くように命令のように言いつける。

「ちょ……スキッド君、やめて……」

 強がるスキッドを、隣にいるクリスがやや怖がったような、そして慄きの見せた声色で小さく止める。軽く手でスキッドの腕を叩きながら。



「だってよぉ、どっちにしたって逃げれる状況――」
「ズイブンヨユウノヨウダナ……」

 スキッドとしては、目の前に迫られた以上、素直に逃がしてもらえるとは思えない。鋼風龍側も、何かしら理由があってここに来たのだから、ただで済むとは思えない。

 しかし、スキッドの闘志が燃えるような、その中には多少の焦りも映っているが、その台詞はブリガンディの威圧的な口調によって遮られる。



「スキッド……、あんたどうすんのよ……。挑発するなって言ったはずよ……」

 ひそひそと、ミレイはスキッドに向かって軽く睨みの目を見せる。



――下手に突っ掛かれば、相手の機嫌を損ね、その場で皆殺しにされる事も充分に考えられる……
相手も龍なのだ。知能があるとは言え、その力は人間とは比べられない……――




「コワガルナオンナ……。ドウセオマエタチナドコロスカチモナイ……」

 突然ブリガンディの口元に、何か風のような物が飛び交い、そして、体の周辺にも異様な変化が訪れる。





――鋼風龍の周辺の塵が舞い上がる……それは、風を纏った事を意味した……――





「スコシダケアソンデヤルトスルカ……。シンパイハイラン、コロシハセン……」

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