「つっ……、来ちまったかぁ、まいいや、さっさと解体でもしてもらうか。おい、入っていいぞ!」

 男としてはもう少しクリスを甚振りたかったと言うのに、本来の目的を果たしてくれる者達が来てしまった為に、名残惜しそうに舌打ちをしながら、しょうがなくと言った感じで内部へと言葉だけで招き入れる。

 男は元々は敬語を扱う人柄であった為、クリス以外の人物相手にも荒い言葉遣いを使う箇所を見ると、心の変化の激しい人間であるようにも見える。



――男の命令のような許可の後、静かに扉が開き始める……――



(いや……どうしよ……)

 男としては新たな楽しみの始まりであるかもしれないが、クリスにとってはこれは新たなる絶望への序章である事だろう。



――思わず体内から寒気が走るのを覚える……――



 部屋の外から現れたのは、白衣、そしてこの裏世界の大きな特徴とも言える、不気味な覆面を被った細身の人間だった。性別は顔が隠れているせいで直接確認する事は不可能であるが、この空間での行いや少女に対する執着心等を見ると、恐らくは男である可能性が高いだろう。

「ここかい? 例の少女かいた……」

 男は「解体」と言う言葉でも使おうとしたのだろうが、何故か言葉を止め始める。

 その奇妙な様子に、男は顔だけを医療班の男に向け、クリスも殆ど顔の向きを動かさずにその姿を確かめる。





――その理由は、クリスを見た瞬間にだ……――





 今のクリスの状態はほぼ最悪に等しい。白いパーカーの間から覗く赤い肌着は持ち上げられ、白い肌が特徴的な腹部、そして胸部までもが晒されてしまっている。ピンクのブラジャーが見えてしまっているのが何とも屈辱的だ。

 そしてクリスの左頬は赤くなっており、何か強い衝撃で受けた事を刻み残している。

 男の左手にはクリスのツインテールの髪が握られており、クリスは涙を流したままだ。





――そのような羞恥に塗れたクリスの姿に対し、白衣の男は……――





「て……てめぇ!! クリスに何しやがったぁ!!」

 白衣の男は突然怒鳴り声をあげ出したのだ。一瞬異性の淫らな箇所に目が行ってしまい、恥ずかしさか何かで声が詰まるも、すぐにそれを押し殺し、上半身裸の肥満の男に向かって指を突きつける。

「あぁ!? なんだその口の聞き方ぁ!」

 まるでその白衣の男から敵視されたような暴言に対して肥満の男も負けじと、怒鳴りながら対応する。

 だが、白衣の男の言葉の中にはクリスを庇おうとする意味合いも籠められているように見えるが、肥満の男にとって今気にする部分は怒鳴ると言う行為だけで、その中の深い意味を考える事では無かったようだ。



(?)



 この一瞬の光景は、クリスにとっては何が何だか理解出来なかった。白衣の男がどうしてクリスの姿を見て突然怒鳴り声をあげ出したのか、整理がつかない。

 ただ、その少年っぽい声色には聞き覚えがあったのだが。

「だから!! て、てめぇクリスに手ぇ出してんじゃんぇよ!! この糞エロ親父ぃ!!」



――怒鳴りながら、腰に刺してある警備用丸棒を抜き取り、そして……――



――男へと走り寄り、そのまま力任せに丸棒で男の顔面を殴りつける!――



「うぐっ!!」

 無精髭と鼻の下の巨大な黒子の目立つ汚らしい顔を攻撃された男は鈍い悲鳴を飛ばしながらそのまま丸棒の振られた方向へと従い、地面へと倒れこみ、そして動かなくなる。

 無抵抗な少女に対しては非常に恐ろしい目つきをしていたが、実戦になると意外と呆気無いものだったようだ。

「ったく、いい気なもんだぜ。嫌がってんだろ」

 地面に倒れている不細工な面構えをした肥満の男を見下ろしながら、白衣の男は言い捨てる。

「あ、あの……、貴方は……?」

 クリスにとっては近寄ってほしくなかったあの男をたった一撃で倒してくれたであろうその白衣の男に対しては何かしらの感謝を覚えるが、やはり状況が今一はっきりと読み取る事が出来ない。



――まさか、どこかの特殊保護員か何かだろうか?――



――等と言う考えはすぐに吹き飛ばされる――



「あ、分かんないか? おれだよ、おれ」

 声をかけられた白衣の男はクリスに対し、やや馴れ馴れしいような振る舞いを見せながら、横を向いたままその覆面を片手で外す。





――その露になった素顔を見るなり、クリスは……――





「あ! スキッド……君!」

 見覚えのあるやや濃い茶色の尖った印象を与える髪を見るなり、クリスは涙で揺れている瞳を大きくさせる。そして、スキッドを確認するなり突然声を詰まらせる。

「ちょっとごめんな、服奪うのにてこ……うわわぁ! ちょっわりっ!!」

 スキッドは謝りながらクリスと正面に向き合うが、クリスの持ち上げられた肌着の場所に反射的に目が行ってしまい、思わず両目を腕で覆ってしまう。きっと恥ずかしい気分にでもなったのだろう。見た側と言う立場にありながらそれだけの感情を抱けるのはまだ平常心を保っている証拠と言える。

 だが、それでもまずはクリスを自由にしてやらなければここでの作業は始まらない。スキッドは片腕で目元を覆い、持ち上がった箇所に直接目をやらないように気を配りながら、恐る恐ると言った感じで持ち上がった肌着の先端をつまみ、素早く下ろす。勿論、その時無関係な部分に手が触れないようにも気を配ったのは言うまでも無い。

「ちょっ……ごめんな、変なとこ見ちまって……。ごめんな! すぐ外すから!」

 何も返事をしてくれないクリスに対して、スキッドはきっと目の前の友人からデリケートな箇所を見られて忌避されてしまったのだと不安になりながらも、倒れている男が先程使っていたナイフを拾い、すぐにクリスを拘束している縄の解除へと移る。涙も恐らくはスキッドに見られたくないような箇所を不可抗力とは言え、見られたから尚更流し始めたのだろうと、彼は考えているはずだ。

 だが、そのスキッドの台詞に返された言葉は意外なものだった。

「いいよ……そんな事……なんも気にしてない……」

 その口調は揺れていたが、スキッドにはしっかりと届いていた。だが、今は縄を切り落とす事で精一杯なのだろうか、両足を縛っている縄に刃を当て、前後へと動かしている。その労働の影響なのか、スキッドが返した言葉はやや内容的には相応しくないものだった。

「もうすぐこんな妙なとっから逃げれるからな。後適当に他に捕らわれてる奴とかも自由にしてみっかぁ?」

 スキッドはこの裏の世界に捕らわれているであろう他の人間達も一緒に救出する事を口に出しながら、次はクリスの腰に巻かれている縄に刃を当てる。



――何故か再びクリスの瞳からは涙が溢れ始めるが、スキッドはその手を止める事は無い……――



――やがて、胴の箇所も切り終わり、残すは両腕だけとなる――



 そして、この薄暗く、ほぼ無音な室内でようやく縄の切断が完了する。残すは右手首だけだ。ここを解除すればクリスはようやくこの監禁地帯を抜け出せるのだ。

「よし! 終わりと」



――スキッドのその切断作業の完了を示す言葉と共に遂に最後の縄が切れ落ちる――



 そしてスキッドは改めてクリスへと身体を向け、そして一言与えようとするが、

「これでよし……」
「スキッド君!!」
「うわぁおま、なんだお前!!」



――驚くのも無理は無いだろう。クリスはスキッドに飛び掛るように抱きついて来たのだから――



 身長の殆ど変わらないスキッドの首元に顔面を押し当て、そして両腕でスキッドの胴体を強く締め付ける。

 外見も性格も汚い男の呪縛から解放された喜び、そして男から受けた苦しみをスキッドの中で表現したかったのだろう。自分を助けてくれた友人の中で。

「お、お前、ちょ、どうしたんだよ、いきなし」

 今まで身体と身体を触れ合わせた事の無いスキッドは、彼にしては珍しく、恥ずかしくなりながら焦り始める。



――いつもはミレイやクリスに対して自分スキッドだけのペースで喋り続け、
時折羞恥心に欠ける発言まで飛ばすと言うのに……――



 クリスはスキッドの首元に顔面を押し当てたまま、抱きついた訳を話し始める。

「だって……凄く……怖かったから……。ホントに……怖かったんだから……」

 スキッドはクリスが一体どのような責め苦を受け続けていたのかは分からない。だが、クリスの背中に回しているスキッドの両腕に伝わるクリスの震えがその恐ろしさを明確に伝えている。

「お前こいつに何され……あ、いいや、言わねぇでいいや。まあでももう安心しろ、おれが来たからにゃあもうバッチシだぜ!」

 クリスの受けた責め苦を聞き、そして改めて男に対して何かしらの怨望を受け取ろうとしたスキッドであったが、今のこのような、震えながら泣いている少女に対してわざわざおぞましい過去を思い出させるような事をしてはいけないと言う空気を読み取り、すぐに質問を打ち消した。そして、両腕に走る少女の布製のパーカー越しにしっかりと伝わってくる温もりに多少恥じらいを感じながらも、出来るだけ負の感情を生み出さないような台詞を飛ばした。



――やはり、仕打ちの事は置いておくに限るだろう……。問い質して助けるつもりが逆に更なる苦痛になるのだから……――



「うん……ありがと……」

 未だスキッドの首元から顔面を離さず、クリスはスキッドにすがり付いたまま、スキッドの自己的な自信に溢れたその台詞に対し、素直に喜ぶ。まだ男からの仕打ちによる恐怖が抜けないのだろうか、クリスの身体はまだ震えているが、最初に比べれば相当落ち着いている。

「にしても随分最悪なオヤジだな、こいつ」

 スキッドはクリスの方から離れようとしている事に気付き、ゆっくりと腕の力を抜きながら、床に伸びている肥満で、汚らしい薄い体毛に塗れた身体をした男を見下ろし、ついつい口から漏らしてしまう。

 スキッドの両腕からクリスが後退りするように抜け、そして再びスキッドは口を開く。

「痴漢セクハラその他色々かよ……。ここの連中どうしよもねぇ奴らばっかだな……」

 確かにクリスを助け出す事には成功したが、ここの世界の者達に対する怒りが収まる事は無かった。先程のクリスの持ち上げられていた肌着や、髪を乱暴に引っ張っていた男の手、そして、泣いていたクリス。

 少女に対して酷い暴行を繰り返すそのやり方にスキッドが黙っていられるはずも無い。

 とは言え、スキッドも多少ながら異性に対して相応しくないような行為や発言を飛ばしてはいるが、相手が本気で嫌がって泣き出すまで攻める事はまず無いだろう。

「あ、そうだ……。所でスキッド君、どうやってここに来たの? 捕まってたんだと思うんだけど……」

 ようやく落ち着いたのだろうか、クリスはとりあえずずっと疑問に思っていた事を、ようやくスキッドに聞き始める。

 流れを見る限り、クリスから見れば確実にスキッドも自由を奪われ、どこかに拘束されていた事だろう。しかし、今はこうして救出もしてくれたし、救出出来たと言う事は、脱出も出来たと言う事になる。それに、どうして白衣を纏っているのかも気になってしまうだろう。

「そうだよなぁ、いきなしおれもここ来たんだからそっちも何が何だか分かりませ〜んって感じだろ? んとだ、あれだよ。牢屋みたいなとこ開けた白衣の男がいてさあ、隙ついて服奪ってやっただけだよ」

 スキッドは自分の状況を理解しているだろうが、ついさっきまで距離を置いていたクリスはスキッドの状況等知るはずが無い。迷うクリスに対して手短に切り抜ける経緯を話した。



――恐らくは、スキッドに手術の時間が来たから牢屋から出そうと、扉を開けた所をスキッドは見逃さなかったのだろう。
スキッドは勇気を振り絞り、素手か、武器を使ったかは不明だが、白衣の男を打ち倒し、
そして白い衣服を纏い、この裏世界の仲間を装ってここまで来たのだろう――



「開けてくれた……の? どうして、開けてくれたの?」

 クリス側としては、扉を開けてくれた隙をついた事は理解出来たが、開けた理由まで聞いていなかった為に、やはりまだ疑問が残ってしまっていたようだ。勿論クリスはその白衣の男が実は味方であったと言う解釈はしないし、それに仲間から衣服を奪うのもどうかと考えるだろう。

 僅かに残っていた目元の涙を指で拭いながら、最後の疑問点を問う。

「ああ、それかぁ、んとだ、なんか『手術の時間だ、出てこい』とか言いながら開けてきたんだよ。だから適当にそこら辺に落ちてた棒で張り倒してやったんだぜ。ああ良かった……そいつ一人だけで来てて」

 やはり白衣の男は味方では無かったようだ。

 スキッドは思い出しながらの説明である為、時折天井に緑色の目をやりながら、自分の脱出劇を思い出す。ただ、棒を使っての場合は殴り倒すと言った方が正しかったのかもしれないが、スキッドにとっては些細な事はどうでも良かったようだ。そして、もし相手が多人数だった場合、返り討ちに遭っていたのだろう。

 最後の無理矢理作ったような笑顔がそれを僅かではあるが、証明しているように見える。

「っつうかさあ、手術ってなんだよ? なんか別の奴がおれの事消すみたいな事言ってたんだけど、お前、知ってるか?」

 返事のしてこないクリスであるが、スキッド自身にも一つの疑問が残っていた。手術の意味が良く分からず、彼の中では物分かりの良い少女として認識しているクリスなら分かるだろうと期待し、敢えて聞いたのだ。

 ただ、事前にスキッドは消されるとも言われていたのだから、大まかに考えると最終的にどのような結末を辿るか、理解出来ない事は無いだろうが、結局は敢えての事なのだ。

「あ……それなんだけど……、えっと、んと……、あんまり言えないけど、凄い残酷で……」



――クリスは実際に見ていたのだ。あのおぞましいデスフィギュアだるま女を……。
両手両足を根元から切断され、意識も、生気も失われたあの身体、表情……。
思い出すだけで怖くなるのも無理は無いだろう……――



 クリスの歯切れの悪い喋り方、そして怖がるように両手を首元で合わせ、そして握る動作を見ると、最終的な結末の恐ろしさがスキッドにも伝わるだろう。

「マジ? ちょっそれ滅茶やべぇじゃん……。まあ結局はいい方向には行かんってのは確かだな、ってか早くこっから出ないとなぁ……」

 確かにスキッドにとって、クリスを救出出来たのは朗報であるかもしれないが、やはりこの裏の空間の環境は邪悪なものを感じさせてくれる。やはり、脱出口を探さなければ、再び襲われ、再び束縛される危険があるだろう。

 スキッドは周囲をきょろきょろと見渡しながら、今二人が立っている室内の不気味さを味わい、すぐに扉から出ようと、近づく。

「うん、早く出てギルドの方に通報した方がいいかもしれないからね。とりあえず早く出よ!」

 スキッドに助けられて落ち着きを取り戻したのだろう。クリスは持ち前の明るさを取り戻し、スキッドの後ろについてその足を動かした。



――そしてスキッドは扉を開き……――



「んじゃ早速だっしゅ……」

 スキッド自身もクリスを無事に助け出せて安心しきっていたのだろう。緊張感の抜けた呑気な声をあげながら扉を開くが、その奥に映っていたものがスキッドを黙らせてくれた。



――扉の外にいたのは、覆面を被った男達……――



「うわぁ……、最悪……」














*** Five hours later/五時間後 ***














 ここはアーカサスの街の内部であるのは言うまでも無い話ではあるが、その中でも特に人目の付かないような場所だった。

 古惚けて今にも崩れ落ちそうな木造の民家の並んだ通路にも、どこの家の一部だったかも分からないような木片が散らばっており、この区域に人間の気配は感じられない。

 時折吹く風によって、ぶらぶらと揺れる木材が他の木材、或いはまだ損壊していない壁等にぶつかり、無機質な音を響かせてくれる。

 巨大な街として有名なアーカサスの街にこのような貧困と絶望をもたらすような場所をこのまま放置しておいても良いのだろうか。それとも、地方公共団体の者達がいずれ手を下す時がやってくるのだろうか。いずれにせよ、アーカサスの街には相応しくない光景である。早急に解決されなければ、汚名と化してしまうだろう。



――そして、誰かがゆっくりと歩いてくる……――



 銀色のズボンを纏った足が一つのボロ小屋の前でその動きを止める。そのボロ小屋にはどのような意味が籠められているのかは分からないが、立ち止まった者は自分以外誰もいないこの空間でゆっくりと口を開いた。

「随分やられたなこりゃ……」

 その声色から見ると、やや若そうな雰囲気を感じ取る事が出来るが、その中にはやや狡獪こうかいな性格も垣間見える。

 ポケットに両手を入れた状態で目の前に映るボロ小屋を見回しながら、この付近で何が起こったのかを頭の中で思い浮かべながら呟いた。

「こんなの見ちまったらミリアムの奴キレんだろうなぁ……」

 今はここにいない人物の名前をあげ、そしてこの光景を直接見た時にどのような振る舞いを見せるかを想定しながらポケットに手を入れたまま、口元をにやつかせる。その人物に対しては殆ど恐怖心を抱いていないのだろうか、非常に余裕気な印象を受ける。

 ただ、その人物の名前であるが……





――機関車の中でミレイが肥満の巨漢から聞いた名前と一致する……――





 勿論その事実が今ここに立っている謎の男が知っているとは思えないが、その男も妙な組織の一員なのだろうか、その外見的な特徴もそうであるが、非常に威圧的な空気が男の周囲を漂っている。



――特筆すべき部分、それは纏ったコートの間から映るやや緑色を帯びた灰色の皮膚……――



 風を帯びても微動だにしない漆黒のコートの中に見えるその肌の色が人間とは別の何かを感じさせてくれる。人間と同じなのは、身体的な構造だけである。

 そして、一度背後を振り向き、そして誰かに喋りかけるかのように、口を開いた。

「お前らは悪りぃなぁ、まあ失敗続きだからしゃあないっちゃあしゃあないかぁ」

 灰色の肌の男が向いた後ろに映っていたのは、とある二人の影であったが、今はとても目を当てられる状態では無かったのだ。

 何故なら、理由は簡単である。



――その二人は、頭部に空いた穴から流血させながら、倒れていたからだ……――



 その二人は男であり、それぞれが痩せた体型と、太った体型であるが、頭部から血を流しながら絶命しているのだ。目を開けたままで命を絶っており、まるで驚いた直後に殺されたような状態である。

 まさかこの灰色の肌の男の下で動いていた者達なのだろうか、それにしても灰色の男は二つの命を奪ったと言うのに、表情は恐ろしいほど涼しげだ。まるで殺害行為に手慣れているようだ。だが、殺す理由がどこにあったのだろうか。

 もしこの男が上司にあたる存在ならば、制裁と言う理由で説明がつくのかもしれないが。

「さて、それよりそろそろあの大仏カットの奴、やる事終わらせた頃かぁ……、いや、流石にまだかぁ……」

 今度は後ろを見たままの状態で薄暗くなり始めている空を見上げながら、同僚なのか、それとももっと別の何かだろうか、違う場所で活動しているであろうその妙な髪型をしたであろう人物の事を考え始める。直接話す相手がいない為か、その言葉だけで詳しい背景を理解するのは難しいだろう。



――そして、男は、最後にもう一つ、呟いた……――



「でも、もうすぐだな……」






*** ***






 同じくアーカサスの街のとある場所である。ここでは人によって大きく賑わっており、多少外が薄暗くなろうとも、活気が失われる様子は無い。

 非常に幅の広がった街道には人々や馬車等が常に行き交っており、建物の窓からも光が見え始めている。夜に備えているのだろう。



――そこにやってきたのは、とある一台の馬車……――



 その馬車はアーカサスの街に設立されている国立病院の前で停車する。

 ただ馬車と言うだけならば、他にも多少外見的な作りは違えど、周囲を見渡せばすぐに目を通す事が出来ると言っても良いほどありふれている訳であるが、その国立病院の前で停車した馬車が注目された理由は、紛れも無くその中に乗っている人物にあるのだ。

 馬車を止めた馬主はすぐに操縦部から降り、そして荷台の扉を開ける。

 そしてその中から一人の少年が何かを抱き抱えた状態でゆっくりと降りてくる。



――その少年は、紫色の髪をした少年、即ち、アビスだ――



 アビスの顔にはいくらかのガーゼが貼られており、上着の青いジャケットやズボンには擦り剥いた後が残っている。これだけでも外から見れば何か騒動に巻き込まれたのだろうと想定し、その傷を見れば痛いと言う面で同情出来るだろう。

 だが、問題は抱き抱えられている方であった。





――アビスとは比べ物にならないくらい悲惨な状態であったのだ――



アビスと同じように、顔にはガーゼが貼られている。
そして、額から後頭部にかけて包帯が巻かれている。
額部分から滲み出た血がとても痛々しい。

ハイネックで、袖の長い真っ黒な肌着も所々に破けた後や汚れが目立ち、
その肌着の裏からも出血しているのがよく分かる。
黒い衣服である為、多少目立ちにくいが、出血していると言う事実に変わりは無い。

ズボンも例外無く傷や汚れが激しく目立つ。
裏から流血している様子が見て取れる。
色が焦げ茶と言うだけあって血はあまり目立たないが、
やはり事実は変わらない。

そして、呼吸は荒く、一回呼吸を行うだけで胸が大きく膨らむ。
一時いっときでもその動作を怠れば、苦痛に悶えるような、そんな状態だ。
口も大きく開き、目一杯、外の空気を取り込もうと、必死である。
その中から白い歯が映されるが、奥歯付近には真赤な血が付着しており、
恐らくは外部からの衝撃で内部が切れて出血した事を知らせている。

勿論、口そのものの端も切れていた。
内側も、外側も切れており、本当に痛々しい印象を受ける。

――だが、最も特筆すべき点がこの人物に埋め込まれている

――それは、

その全身が傷だらけでアビスに抱かれていなければ到底自力で動く事が出来ない程に
追い詰められているその人物は、

――少女だったのだ



――深緑の髪を持った少女、ミレイである――



 機関車の内部での話である。単独で巨漢であり、そして肥満の男相手に単独で立ち向かったのだが、今ここに来ていると言う事は、恐らくは無事に解決出来たのかもしれない。だが、それにしてもミレイの今の状態はとても想像出来たものでは無いだろう。

 それにしても、あれだけの大柄で凶暴な男相手によく単独で生きて帰れたものである。アビスが協力したのかどうかは分からないが、兎に角ミレイの傷は見ている側が痛みを覚えてしまう程に恐ろしいものを感じる。



――機関車での結末は一体どのような道を辿ったのだろうか……――

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