「うん、もうあれはちょっと話す事多過ぎだからさあ、多少省略とかはするけど、やっぱ今日もそうだったんだけどさあ、あの人ってさあ、誰か怒られてる時とかかんならず横から入ってくんのよ」

 ミレイは姉の性格を話すなり、両肘をテーブルに落とし、そして両掌りょうてのひらで細い顎を支えながら、目を細めていく。徐々に力が抜けていくようにも見える。

「ああ、今日のなぁ……。ちょっと勘弁して欲しいような……」

 アビスもそれを聞きながら、単純に頷く。ミレイのその楽な体勢を見て自分も楽になろうと思ったのか、両肘をテーブルの上に下ろす。



「あの人結局さあ、自分も一緒になって怒りたいんだかそれとも親がもっと怒るように仕向けたいんだか全然分かんなくてさあ、ってかあたし『怒る』関係の事しか言ってないけど、でもあの人関わってきて親が落ち着いた事って一回も無かったからさあ、結局あの人怒らせたいだけなんだと思うのよ」

 ミレイは右手だけを顎の下から離し、テーブルに肘は付けたままで人差し指を振り回すように説明をする。説明の途中で最終的に行き着く先が一致している事に気付くが、考え直した所でミレイの中では事実に代わりは無いとして、そのまま続行する。

「横から……かぁ」

 アビスは他者から何かを言われている際に第三者が介入してきたと言う経験が無い、或いは覚えていないからなのか、ミレイの説明からその光景を想像してみるが、やはり良い映像は浮かんでこない。



「確かに怒られるような事する方も悪いとは思うけどさあ、実際怒る必要あるのって親じゃん?」

 ミレイはやや話す口調を強くしながら、振り回していた人差し指を今度は全ての指を開き、てのひら全体を振り回すようにアビスの反応を誘う。

「まあ、確かにそうだよな。なんかよく分かんないけど、大変だな……」

 やはり直接経験した事の無いアビスは気の抜けたような対応しか出来なかったが、悪い方向である事にはまず代わりは無いと言っても良いだろう。



「ホント大変よ? 実際そう言う事って親がやる事だってんのにさあ、姉さんが横から入ってくるとか正直言ってただ腹立つだけだしさあ、あんまり言われてもなんかこっちとか、多分弟達もおんなじ事思ってんだろうけど、あれはハッキリ言ってやめてほしいわね」

 アビスの頷きをしっかりと受け止め、ミレイはその姉の横から入ってくるやり方に対して不満のみを口に出し、そして最後に振り回していた右手を顎の下へと戻し、そして深く溜息を吐く。

「やっぱ、だよなあ。一緒になって怒ってくるとかなんか辛そうだしな……」

 アビスは相変わらず直接遭った事の無いその光景に対してぎこちない返事をするが、ミレイの難しい表情を見るなり、やはりロクな内容では無いと言うのだけは相変わらず分かる。



「そうよ、人が怒ってるとこに自分も入って何がしたいのよって話だし。あの人って見て見ないフリってのが出来ないらしいからあんな事すんだと思うのよ。とことん自分も関わりたいみたいな?」

 ミレイは疲れきったかのように、再び深い溜息を吐き、まるで姉が一種の病気でも持っているかのように、言い切る。

「なんかそれって面倒事が追加されて、なんか罪悪感覚える余裕も与えられない、っつうやつ?」

 アビスにしてはやや難解な言葉を使いながら自分なりに纏めた内容を言いながら、無理矢理軽い笑みを浮かべる。



「うん、まあそんな感じでさあ、後腹立つとこっつったらすぐ怒鳴ったり手ぇ出してきたりするとこかな」

 次の話題に移るような様子であるが、ミレイの表情からは難しさと苦しさが抜ける事が無く、徐々に体勢が椅子の背凭れの方へと動き、そして右手がメロンソーダへと伸びる。

「ん? 怒鳴るとか手ぇ出すとかどういう事だよ?」

 あまり良い光景とは言えない二つのワードが出され、アビスはそれを聞いただけで大体この後どのような説明が下されるのかは想像出来る訳であるが、やはり直接聞いてみたいと言う欲求が生まれるものだ。



「ああそれねえ、あの人ってまあ見れば分かると思うんだけど、あの人が単独の時はもう凄いわよ? っつうかあれはもうある意味神って言ってもいいかも……」

 内容が内容だからか、一度ミレイは嬉しいと言う意味では無く、もっと複雑な意味を抱えたであろう笑顔を作りながらアビスから視線を離し、一瞬だけ他の客の賑わう様子を青い瞳に取り入れた後、顎に触れていた両腕を力無くテーブルに落とす。

「なんだそれ? っつうかお前神って……」

 よほど内容が凄まじいものなのだろう。ミレイの大袈裟おおげさ過ぎるような言い方に対してアビスは思わず腹部を震わせて笑い出そうとするが、何とか堪えながら次の説明を待つ。



「んとねえ、あの人自分の事棚に上げて人の事ばっかり怒ったり怒鳴り散らしたりすんのよ。んと、あたしんってさあ、大家族だからさあ、あんまり家はちょっと家計に困ってるって感じでさあ、あんまり贅沢出来る感じじゃないのよ」

 ミレイは最初に姉の本性とも言うべき部分を述べ、そして自分の家庭事情を簡単に説明して見せる。

「まあ、確かに人数多かったらなんか生活費とか大変だもんなぁ。んでそれとお前の姉さんが怒ったり、怒鳴ったりってのとなんか関係あるのか?」

 アビスは家庭事情と姉の性格の関連性が上手く掴めなかったのだろうか、一度オレンジソーダを飲んだ後、そこを詳しく追及しようとする。



「いや、あるわよ。ちょっと電気つけっぱなしにしたりとかさあ、ちょっとなんか物買っただけで怒ってきたりとか、まあ全面的に見るとさあ、お金に関わるような事でしょっちゅう煩く言ってくる、みたいな?」

 確かに家計が辛いのに浪費をしてしまっては生活が傾き始め、苦しい方向へと進んでしまうだろう。ミレイの内容を聞く限りでは姉の行為は正統的かもしれない。

「いや、まあそれは家の事考えての事なんじゃないか? でも神って言葉はちょっと気になっけどな」

 アビスも大体理解は出来るような気がしたが、ミレイのあのもっとも重要視されるであろうワードが頭に浮かぶと、本当に善人としての行為なのか、疑いの気持ちを抱き始めてしまう。



「今の話聞いただけじゃあ家の為に怒るような人間に聞こえるかもしれないけどさあ、でもあの人は全然そう言う事出来てないからね。単純に言えば人の事ばっか」

 やはり、姉はミレイにとっては憧れを持てる存在では無いようである。自分の管理もロクに出来ていないと言うのに、他者に対してはこれでもかと言う程追求するやり方には立腹しているのだろう。

「そっか……」

 どう返事をすれば良いか、思いつかず、アビスは軽く頷きながらそう言った。



「あの人はもうしょっちゅう自室の電気付けっぱで寝るし、夜は平然と遊びまわってるし、未だ偏食だし、しかもまだ18で未成年だってのに酒や煙草たばこには手ぇ出してるし……。」

 ミレイはもうこれで何度目になるかも分からない溜息を吐き、姉のやりたい放題な一面をアビスに教える。途中であまり金銭的な関係に含まれないような事柄も混じっていたが、嫌な点を言うと言う面で考えれば、それほど些細な事に気をかける必要は無かったのかもしれない。

「へぇ……ってか酒と煙草なんか吸ってんのかよ!?」

 ただ何となく頷いてみせるアビスであったが、特に身体に著しい損傷を与えるであろう二点のアイテムに対してふと気付き、声を荒げて驚いてしまう。



「うん、やってるわよ。だってあの人鬼畜だもん。ってちょっと言い方変だったかしら……。まいいや、あの人はそんな感じで自分は好き放題浪費しまくって、んであたしとか、弟達がちょっとやらかしただけでもう踏ん反り返って好き放題言いまくりなのよ」

 ミレイは一瞬だけ言ってしまった言葉に戸惑いを覚えるが、すぐにそれを隠すかのように話を再会し、姉の自分勝手な様子をアビスに伝える。

「ふ〜ん、マジか……。所でお前とか、その弟とかもなんか言ったりしないのか?」

 自分の事を棚に上げるミレイの姉の姿は恐らくはミレイも、ミレイの弟達も見ているに違いないはずだ。だとしたら一度ぐらいは歯向かう様子を見せた事もあるのでは無いかと、アビスは訊ねる。



「いや〜、あるっちゃああるんだけどさあ、でも結論から言うとあの人には何言っても無駄よ? っつうか一番最善な方法は黙って聞いとく事、かな?」

 やはり歯向かった事はあったのだろう。だが、ミレイの途切れの悪い口調がその事柄の複雑さを物語る。アビスの方へと右手を払うように動かし、そして二重の最上級を意味する言葉を使って締め括る。

「あるの? んじゃあその言った後どうだったんだよ?」

 あるとしたらやはりアビスはその結末を知りたくなり、無意識にテーブルに肘をつけながら、両手を握る。



「あの人何言われても絶対自分の事認めないのよ。なんか『こっちは働いてるからいいんだ』とか、『そっちはなんも出来ないくせに偉そうな事言うな』とか、まるで働いてるから偉いみたいに、言ってくんのよ」

 ミレイは姉が昔言い放っていた言葉を思い出しながら、ほぼ当時のものと同じように再現し、姉の行いの悪さに思わず視線が下へと移動してしまう。

「なんかメッチャ勝ち誇ってる、みたいな感じすんだけど?」

 自分だけを正当化する考えから、アビスには殆ど姉が力だけで突き進んでいるような気がして溜まらなかったが、それはミレイの返答を聞けばすぐに分かる事である。



「あの人ねぇ、目下からちょっとでも見下されんのがらしくってさあ、都合悪くなったらすぐ今みたいな感じの台詞で捻じ伏せるのよ」

 やはりミレイの表情は明るくはならない。決して引き下がらない頑固さが気に入らない様子だ。

 アビスは無言で頷き、そしてミレイも一度メロンソーダを口に入れた後、続行する。

「あの人結構立ってる場所がいいからさあ、一応姉って言う肩書きだから、弟達も全然逆らえないってやつだし、あたしも一切手出し出来ないんだけどさあ……、因みに下手に歯向かったら、もう暴力モードスタートになるし」

 やはり最年長と言うだけである意味で素晴らしい特典でも手に入れられてしまうのだろうか、決して歯向かって来られない空間の中で堂々と身体を張っているのは凄い事かもしれない。

 ミレイも一応兄弟姉妹けいていしまいの中では上から二番目にいながらも、やはり結局は弟達と同じように下手に手出しが出来ない事に対して僅かな悔しさを見せるかのように、アビスから残念そうに目を一瞬だけ逸らす。



――だが、肝心なのは、ミレイの言う、暴力モード……――



「なるほど……。やっぱ兄弟関係で下にいる奴って何かと損すんだな……。俺はあんまそんな感じ無かったんだけど」

 ミレイの言った肝心な言葉にはまだ反応を見せず、アビスは自分の亡き兄であるゼノンとまだ生活していた頃を軽く思い出すが、ミレイのようにわざわざ他者に対して愚痴をこぼす程の経験は無い。

 だが、説明を聞けば弟側、即ち下にいる者がどれだけの圧迫感を背負って生きているかが分かってしまう。

「そうなのよ。姉さんって多分そう言う事理解してての行為だと思うんだけどね。ってかその暴力って話だけどさあ……」

 ミレイの姉だってもう子供では無いのだから、相手の心理的な面は理解出来ない訳では無いだろう。それでもとことん行うのだから、ミレイには暗い影が生まれてしまってもしょうがない。

 そして、意外にもアビスが反応を見せなかった為に、敢えてミレイ本人がその部分を再び引っ張り出す。



「あ、そうだった、っつうか暴力って……」

 その多少気付いたような様子から見るに、アビスもやはり気にはなっていたのである。でも、話の流れから見れば、その言葉に関係する人物はミレイの姉であるに違いないのだから、女性に力任せを結ばせると眉に反射的に皺が寄ってしまうものだ。

「うん、暴力よ。言葉の暴力じゃなくて本当に、ホントにそのまんまの意味の暴力ね。物理的な暴力って言ってもいいかな。それがあの人の本性だからさあ」

 ミレイはどこまで姉の本性について強く印象付けてやりたかったのだろうか。精神的に苦しむ苦言や暴言とかでも無く、物理的に身体に痛みが伴う行為をしてくるとして、思わず両手を前に何度も突き出しながら、一通りを言い切る。



「マジ? 女が殴るとか、すんのかよ……」

 やはりアビスには想像したくないものである。やはり誰だって殴られたくは無いだろうが、よりによってそれがアビスにとっての異性の行為なのである。もう少し加減を覚えて欲しいと考えるも、勿論こんな所で懇願しても姉には届かない。

「そうよ、でも怒るだけで済む時もあんだけどさあ、あの人ってほら、表情とかの事でよくバンバン言って来っからさあ、そこでよく暴力に繋がる事って多いのよ。あの人よくそこから生意気だのちゃんと話聞いてないだのって方向に行ってぇ、して叩くだの殴るだの、挙句の果てに蹴るだのするからさあ……」

 恐らく表情について責めてくる部分についてはアビスも聞いていた事だろう。わざと当たり前のように緩くなる表情に対して勝手に妙な態度を取っていると因縁をつけて襲い掛かる所がとても恐ろしい事だ。



「っつうかさあ、前から思ってたんだけどさあ、それってなんか、なんつんだろ……、苛めてる奴が苛められてる奴に対して言う言葉じゃね? 少なくとも俺もそう言う場面でしかそう言う光景見た事無いんだけど……」

 アビスの言っている事は大体正しい事かもしれない。

 怒られていれば誰だって気まずそうに、顔から力を抜いて気の抜けたような表情になってしまう事だろう。だが、苛めの加害者となる者は相手をおとしめるのが目的だから、小さい事にも見逃さずに対応する事である。アビスはそう言うシチュエーションでしかこの状況を見た事が無いのである。

 ミレイの姉の行為はそれに酷似していたが為に、アビスは思わずそれを伝えたのだ。

「やっぱそうよね? んで結局その態度の話にわざわざのめり込みだしてさあ、結局手ぇ出されたりすんのよ。あたしとか、弟達とか」

 アビスやミレイがどう考えていようと、行き着く先に明るいもの等ありはしなかった。ミレイも辛い経験を隠さずにアビスに教える。その経験を多少紛らわそうと、メロンソーダを少しだけストローで吸い上げる。



「そんだけ?」

 暴力と言ういかにも様々な過去を背負っていそうなワードだったが、意外とあっさりと終わらされたのだから、アビスは拍子抜けしたかのように訊ねるが、やはり終わりでは無かったようだ。

「いや、終わりじゃないわよ。別にあたしなら叩かれても多少は何とかなんだけどさあ、一番悲惨なのは一番上の弟で、名前はトニーっつんだけど、兎に角トニーが一番悲惨なのよ……」

 どうしてミレイが叩かれても平気な顔でいられるのかは一度置かれ、同じ境遇の中で最も損をしているのが、ミレイやミレイの姉から見れば所詮は弟であるが、それでもその弟の中では一番上にいるトニーであるらしい。

 ミレイは再び両掌りょうてのひらに顎を乗せながら、本当ならば話したくないであろう内容を話そうとする。



「なんで、その一番上のトニーが悲惨なんだよ?」

 どのように悲惨なのか聞く為に、アビスは首を傾げる。

「ああ、それねえ、姉さんって大抵他の弟とかの前で平然と怒って、んで色々あって叩いたりする訳なんだけど、やっぱトニーもさあ、一応2人弟がいる訳だから、ちょっとぐらい弱いとこは見せたくないって言うなんか、そう言う気持ちとか出てくる訳じゃん?」

 結局の所、一番年長である弟のトニーも怒られると言う悲惨なシチュエーションには出くわしているようであり、やはりそう言う弱くなる場面に陥れられたとしても、男性陣の中でのみトップに立つ者の意地として見栄みえを張ろうとしている事があるようだ。



「ああ、なんか分かるぞ。やっぱとりあえず『俺は兄貴だ〜』みたいな?」

 ここに来て突然アビスのテンションが僅かに上昇し、男同士だからこそ理解出来る何かを見つけたかのように、口が非常に滑らかに動き始める。

「うん、ちょっとそう言うのがあるのよ。でも結局姉さんにはそんな強がりとか、プライドなんて通用しないからさあ、叩かれてもとことん強がって、でも逆にそれが毒になっちゃってさあ、やっぱ逆らえないっつうのが一番の傷害になって無抵抗に泣く破目になるって言う……」

 ミレイの家庭では所詮は下の扱いである者にとって救いの手等、無いようである。抵抗も出来ずに泣かされる等やや想像するに苦しい事かもしれない。



「泣かされるとか、なんかすっげぇ強引にやられんだな……。ってか叩くとかちょっとやめてほしくね?」

 アビスも、ミレイの姉は相手が泣くまで徹底的に攻める方針には途轍もない違和感を覚えてしまい、直接手を出してくる様子を思い浮かべるだけで心に痛々しい感情が生まれてくる。

「そうよ、ホンっト泣くように仕向けるってのが腹立つからね。まああたしもなんか叩かれてたけどさあ、別にあたしなら大丈夫なんだけど」

 ミレイが直接そのやり方によって泣かされたかどうかは不明だが、どう言う訳か、ミレイなら叩かれても特に平気らしく、大分だいぶ量の減ったメロンソーダを吸い上げながら、アビスの返答を待つ。



「あぁ? なんでお前なら平気なんだよ?」

 アビスはどうしてミレイにのみ耐性が備わっているかと言う台詞を飛ばしながら量の少ないオレンジソーダを飲み干してしまう。炭酸の影響で軽く喉を焦がされるような痛みが走るも、それはすぐに抜ける。



「あ、やべっ、全部飲んじゃったぜ、すいませ〜ん」
「はい」
「オレンジソーダ一個下さい」
「はい、ただいま」

 アビスは近くにいたウェイターを手を振りながら適当に呼び止め、透明の円筒に刺さっていた伝票を渡しておかわりのジュースを注文する。

 ウェイターはアビスのやや呑気な態度にも特に気に触れず、一礼して去っていく。



「んじゃ、いいかな、あたしだったらさあ、一応女同士だからさあ、あんまり抵抗無い訳じゃん? 性別同じだとさあ、やっぱ特殊な違和感が沸かないっつうのかなぁ……」

 結局の所ミレイもどう言う心理的原理によって同姓から攻撃を受けても心に引っかからないのかよく分かっていないようであるが、それでも何とか彼女は話を続ける。

「それにまああたしは女だから、アビスのような男の方の気持ちはよく分かんないけど、兄と弟って言う、なんかそういうのでも叩かれんならまあいいじゃん? なんか男って頑丈な印象あるからさあ、叩かれても、男同士ならなんか別になんも思わないじゃん? 大して、ね?」

 確かに異性の心の奥を理解するのは難解な事かもしれない。だが、何となくではあるが、同姓になら手を出されても問題は無いであろうと、ミレイは半ば強引な推測をアビスに聞いてみる。



「ん〜、まあそうだな、少なくとも、ってか俺女の兄弟いなかったからよく分かんないけど、なんか、なんとなく分かるような……」



――結局アビスもよく分かっていないらしい――



 だが、それでも何故か身体に付き纏うような違和感が走り、その話にどう言った主旨が含まれているのか、アビスは大体理解出来たような気がする。



「やっぱぁ分かる? 後兄と妹だとしてさあ、普通男が女に無闇に手ぇ出すっつうのはさあタブー的に見られてる訳じゃん。だから兄と妹って言う兄弟構成だったらあんまり心配無いんだと思うけどさあ、でもやっぱ姉と弟って組合せになるとねぇ……」

 男が女を暴力で服従させるのは社会的に忌避されているとミレイは説明するが、その逆を思い浮かべるなり、斜め下に視線をずらし、僅かな笑みを見せる。

「っつうかそれってお前んの事じゃんかよ」

 勿論姉弟の組合せを持つのはミレイの家庭であり、そしてミレイ本人である。アビスは手の甲同士を合わせるように指を絡ませる。



「そうなんだけどさあ、ハッキリ言ってさあ、弟にじゃんじゃん直接手ぇ出すのはめてほしいもんよ? やっぱ一応弟っつっても男な訳だからさあ、だからちょっとぐらい殴っても大丈夫だとか思い込む訳だから、歯止めが効かない訳だから、誰かが止めるか、っつっても親しか無理だけど、或いは姉さんが疲れて、或いは飽きてやめるかのどっちかまで待つ破目になるって言うやつなのよ」

 ミレイとしては無抵抗な男に対して女が叱責と言う名目で暴力を振るうのを納得したくないのだ。

 説明しながら、再び右人差し指が乱暴に振り回され、そして言い切ると同時に残り少ないメロンソーダを全てストローで吸い尽くし、そしてアビスと同じく次のジュースを注文する。



「あ、ちょっと待ってくれる? あ、あの、すいません!」
「はい、ご注文は?」
「メロンソーダ一つお願いします」
「はい、少々お待ち下さいませ」

 ミレイに呼び止められたのはウェイトレス、女性店員だ。アビスの対応をしたウェイターと同じように、一礼と共に静かに去っていく。

「ずっと続く暴力って……、なんか最悪だな……」

 アビスは去っていくウェイトレスに少しだけ見惚みとれそうになるが、何とかミレイに視線を戻し、もうすぐやってくるであろうオレンジソーダを期待しながら、そのようなある種の劣悪な環境に戸惑いながら生活していたであろうミレイに同情するかのように、両肘をテーブルに乗せる。



―― 一応アビスもミレイからの恐ろしい攻撃を受けた事があったが、敢えてそこには触れないでおいた――



「そうよ、逆らえない事いい事にさあ、もうやり過ぎだもん。あたし絶対あんな風になりたくないもん。いくらやる事は出来てるっつったってあの方針はちょっと悪い見本かも……」

 本来なら親が持つであろう特権をまるで姉が横取りしたかのような家庭環境に対してミレイはあれは決して良い手本では無いとして、改めて姉側としての役割について深く考えてみる。

「あ、そうだ、所でちょっと聞きたい事あんだけどさあ、いいか?」

 突然アビスは話題を変え始めようと、ミレイにやや気まずそうに訊ね始める。



「ん? 何か?」

 ミレイは特に気にかけた様子も見せず、アビスの質問を素直に受け入れようとする。

「なんで、お前って家じゃああんな暗いテン……」



――元々騒がしい酒場であったが、そこに一際ひときわ目立つ声がミレイの耳へと鋭く届き……――



「あ〜れっ? あそこにいんのってミレイじゃない?」

 ミレイの背後から響く少女らしき人物の声。そしてその声に続き、他の声も鳴り始める。

「いや、間違い無いぞあれ。絶対ミレイだ」
「まさか帰ってきてたなんてね〜」

 男と女の声も、同じくミレイの耳へと伝わってくる。勿論その声は声を発している者だけがミレイを知っている訳では無い。ミレイも、その声はしっかりと聞き覚えがあり、そして声の持ち主との関係もしっかりと持っている。



――何故なら、それは、――



「ん? 誰よ、ってあれ、シーダ達じゃん。あれ? どうしたのよ?」

 椅子の背凭れの天辺に右手を置きながら後ろを振り向くミレイだが、そこに映ったのは、やはり見覚えのある人物三人だった。少年が一人と少女が二人、いずれもミレイとほぼ同い年であろう、酒場の入り口からほぼ一直線にアビスとミレイのテーブルへと向かってきている。

「『どうしたの?』って、っつうかあんたその顔どうしたのよ?」

 振り向いてきたミレイの顔を見るなり、一番最初に目立つ声をあげたであろう少女、その少女は橙色のやや肩まで伸びた長い髪を携えているが、ミレイのそのガーゼに覆われた顔に驚くように訊ねる。



「喧嘩したの〜? そこに座ってる男の子と〜」

 真っ赤な丸みを帯びた髪の少女がアビスを指差しながら、呑気に語尾を伸ばしながら訊ねてくる。勿論傷の原因はアビスでは無いが、外から現れた人物達から見れば勘違いしてもしょうがない可能性がある。

「喧嘩じゃないわよ……ちょっとこれねぇ……」

 ミレイはどこか手馴れたように、二人の少女の間違った推測を否定するが、それを理解してもらう前に今度は少年が行動を開始し始めていた。

 狙いはミレイでは無く、アビスだ。アビスに近寄り、立ったままでアビスを責め立てるように上から目線を下ろす。



「おいお前! まさかミレイの事苛めたのか!? だったらこのオレが――」
「だからケイシー、違うっつの!」

 ケイシーと呼ばれたやや青のかかった黒の髪をしたやや逞しい身体をした少年がアビスに何か手を出すのだと思ったのか、ミレイは軽く声を荒げながら席から立ち上がり、ケイシーに近寄って右肩を引っ張る。

「あぁ? 違うのか? お前このろくでなしみたいな奴から苛め受けたんじゃないのか?」

 ケイシーはアビスを平然と左人差し指で差しながら、ミレイを苛めていた男では無かったのかと確認を取る。ケイシーにとってはそれは予想外の事実であるが、ミレイから見ればとても当たり前の話である。



「あのさぁ、普通苛めてきた奴と一緒に座ったりする? ってかあたしは苛められるほど弱くないし」

 完全にアビスを悪者扱いしようとしているケイシーから目を離さないまま、ミレイは力弱く腕を組みながら―――と言うよりは腕を無造作に絡ませると言った方が正しいかもしれないが―――敵対する相手と二人っきりになるものなのかと呆れてしまう。

 そしてミレイはまるで勝ち誇るように、自分が弱者では無い事を伝える。

「そりゃそうだよなぁ、苛めなんか激ワルだしなぁ、でもお前だったらこんな奴になんかされても大丈夫なんだろうなぁ。なんかこいつ弱そうだしな」

 アビスを外見だけでミレイより弱いと判断するケイシーである。実際はそれが正解なのかもしれないが、初対面の少年に対する態度としてはやや相応しくないような印象を受ける。



「あのさあ、初対面相手に『こいつ』とか、なんかそう言う事言うのやめたら? ちょっと鬱陶しいわよ」

 ミレイは自分の席に戻りながら、アビスの幼馴染のあの茶髪の少年を思い出してしまう。それにしてもいきなりアビスに対して『こいつ』呼ばわりするとは、ケイシーもなかなかの心の持ち主だ。

「ねえねえミレイ、ワタシ達もここで座っていいしょ〜? なんかワタシ達だけ除け者扱いされてたきぶ〜ん!」

 赤髪の少女は自分達女チームの事を忘れてケイシーと喋り続けていたミレイを見ながら、何とか隙を見つけて喋りかけ、同席を求める。



「ってかやだっても無理矢理座るけどね」

 橙色の髪の少女は仮に否定されたとしても強引に突っ切る気でいるようである。それだけ仲が良かったのか、それとも単にこの少女が上目線なのか。



 やって来た3人は、早速と言わんばかりにジュースの注文をしていく。まるでこの店に慣れているかのような口使いである。

「すいませ〜ん! リンゴソーダ下さ〜い!」
「ジンジャーエールで!」
「オレはサイダーで!!」



「ああいいわよ。ちょっとアビス、こっち来て」

 ミレイは特に否定する理由も無かったし、席も充分に余裕がある。自分のすぐ右側の席のテーブルを右手で軽く叩きながらアビスを招き、アビスは一言軽く「あぁ」と頷くと、そのままミレイの隣へと移動する。

「ねぇ、その子アビス君ってんだぁ、まさかミレイ、彼氏?」

 橙色の髪の少女はアビスの隣の席に座りながら、ミレイにその関係を訊ねてくる。まるで期待を膨らませたかのように、非常に興味有り気に聞いてくる。



「はぁ? シーダ何言ってんのよ……」

 非常にデリケートな事を聞いてくるシーダ、橙色の髪を持った少女であるが、ミレイは特に慌てる様子も見せずに苦笑いしながら返答する。

「うわぁお前も遂にそんな時が来たってんのかよ〜。でもある意味お似合いのカップルだったりしてな!」

 ミレイの左に座っているケイシーは僅かに悔しさの篭ったような態度でミレイのその姿に嘆くが、アビスの方を見るなり、ミレイと比べればなんだか二人一緒にいても決して悪い様子では無いとどこから来るのか分からないような相性に関心を覚え始める。



「だから別にそんな関係じゃないっつうの。アビスはただの友達、それ以外の何もんでも無いわよ、ったく……」

 ミレイはとことん、否定を飛ばす。確かに異性同士が二人だけで座っていたら勘違いされてしまうと言うのは分からない訳では無いのだが、『恋人』では無く、『友達』だと言っていると言うのに相手は認めてくれず、疲れたように左肘をテーブルについて顎を左手に乗せる。



「友達〜? ねえねえアビス君だっけ? アビス君はミレイの事どう思ってんの〜?」
「え? どうって言われても……」

 真っ赤な髪をした少女はケイシーとシーダの間、アビスとほぼ正面の位置になる場所に座っているが、ミレイとの関係をとことん追及すべく、身を軽く乗り出して愛らしく両手を合わせて握りながら特徴的な喋り方でアビスに質問を投げかける。

 突然質問されたアビスはただ戸惑うしか出来なかったが、再びその少女からの質問による攻撃が迫る。



「ミレイの事よ〜。ホントはアビス君は彼女だって思ってんじゃないの〜? ホントは友達より彼女〜の方が……」
「いやいやんな訳無いだろ!! なんでこんな奴とかれ……か……じゃな、んと、彼女なんか……」
「アビス……、こんな奴って……。もっと別の言い方無いの?」

 アビスは何だか照れ出し、両手を真っ赤な髪の少女に向けて突き出して震わせながら必死な否定を見せ付ける。

 だが、隣にいるミレイはいくら焦っていたとは言え、妙な言い方に対して軽く目を細める。



「ああそうか、こんな奴じゃなくて、いや、えっと、じゃあ、ってなんて言えばいいんだろ……まいいや!」

 ミレイに声をかけられて冷静さを取り戻したアビスは言い方を変えようと色々と模索するも、まともな言葉が浮かばず、その作業を中止する。

「ってかもうそれだけ焦ってるって時点でもう答えバレバレ状態だろ? ミレイ、オレちょっと悲しい……」

 ケイシーはアビスの誤魔化しを意図した焦りを見破り、アビスを追い詰めるような発言をした後、すぐ隣にいるミレイを見ながら、悲しそうな目をし出す。



「あのさぁ、ただの友達だってんでしょ? からかいに来た訳? あんたら」

 妙な表情を浮かべているケイシーを見ながら、ミレイはやってきた三人が何の目的を持っているのかすぐに理解し、そこには嫌らしい企みを持っているのだろうと、軽く溜息を吐く。



「いや、ミレイちょっと待てって。折角来たのに怒る事無いだろ?」
「別に怒ってないわよ」
「あ、それよりさあミレイ、この3人って、お前の友達か?」

 アビスとミレイの関係を追及してくる三人に対するそのミレイの台詞がアビスにとってはやや怒りの篭ったようなものに聞こえた為、何とか静止させようとするが、本人は怒ってはいなかったようだ。

 その後は3人が一体ミレイとどう関係を持っているのかを聞こうとする。友達か、恋人かと言う話から逸らすと言う意味も込めての行為である。



「そうよ、もっと細かく言えば幼馴染ってとこね。昔はよく遊んだものよ。今もこうやって親に呼び出しくらった時に色々はなししたりもするしさあ」

 ミレイの表情は明るくなり、昔からの友達だと言うその事実を、まさに話題を変えるチャンスと捉え、それでもやや簡潔に説明し切る。

「な〜に話逸らそうとしてんの〜。ねえねえアビス君、質問に答えてくれる〜?」

 真っ赤な髪の少女はミレイの策等まるで気にも留めず、アビスにまた何か妙な質問をぶつけてやろうと言っているような妙に可愛らしい笑みを浮かべながら、アビスに視線を向ける。



「質問、とは?」

 アビスは大体どんな事を聞いてくるのかは理解していたが、ミレイの友人からの質問に答えるのを断る訳にも行かず、とりあえずは受ける準備くらいはしておく。

「ミレイの事よ〜。あのさあ、二択質問ね! ミレイの事可愛い? それともどブス? どっち〜? どう思ってんの〜?」

 真っ赤な髪の少女は笑みを崩さないまま、アビスにどちらにしても逃げる手段を持てないような選択肢を放つ。



「え? あ、いやぁ、どっちだろ……」
「ってか何よそのあんまりにも極端過ぎる選択肢……。あんまりアビスの事困らせないで」

 迷うアビスの隣でミレイは幼馴染からの質問責めに軽い苦笑を浮かべながら、ようやく運ばれたメロンソーダを喉に通した。





























         ι




                     変な事の予兆じゃなきゃいいんだけどね……




                                       Å 賑やかな空間の中でのミレイの心の呟き Å

前へ

戻る 〜Lucifer Crow〜

inserted by FC2 system