人間が完全に状況を知る事が出来るのは、その場所に直接いた場合である。
もしその場にいなかった場合、出来るのは予測しか無いのだ。
そして、予測は絶対に的中するとは限らない。
もし絶対に的中するとすれば、それは特殊な超能力を持つ者だと考えても良いだろう。
しかし森林の内部は非常に暗い。まだ夜中の真っ最中だ。
それでも今、脚を止める事を許されない少女がそこにいた。
柔らかい草を踏み付けながら、必死で走り続けている少女がそこにいる。そう、まさに今、戦っているのだ。
あの時の状況を知る者であれば、これだけ全力疾走で足場の悪い森林地帯を走り抜ける事がどれだけ辛いか、分かるだろう。
少女はその進んだ距離に自信を持ったのか、一度その脚を止め、ネーデルの数倍の太さを持つ樹木に背中を叩き付けるように預ける。
「はぁ……はぁ……げほっ!! げほっ!!」
ネーデルは傷や痣だらけの顔に激しくこびり付いた脂汗を、震える右手を必死で持ち上げ、拭い取る。
その直後、激しい咳が襲い掛かり、両目を強く閉じながら右手で口を押さえ込む。
上体が前に倒されながら数回、喉の奥から病魔の表れが顔を覗かせてきたが、何とか治まり、呼吸を整える。
整えるとは言っても、もう既に走り続けた事で更に体力が失われていた為、普通に呼吸するだけでも非常に辛そうである。
今も、右手を樹木の出っ張りに引っ掛けながら、身体が地面に崩れ落ちるのを防いでいる。
冷や汗も流れ、そして頭の中に奇妙な涼しささえ走り抜けるこの場所で、ネーデルはあまりにも静か過ぎる後方に振り向いた。
静かだからこそ、周囲に警戒を飛ばさなくてはいけないのだ。
相手は地球の常識が一切通用しない連中ばかりなのだから、無音地帯だから、追っ手不在と考えてはいけない。
ひょっとしたら、もうネーデルの背後に迫っているのかもしれないのだから……。
(はぁ……はぁ……)
もう掌だけで拭えるような汗の量では無かった。
青い前髪の影に溜まっていた額の汗を右腕のアームカバーで力強く拭い、背後を確認する。
腰の捩じれている身体を今支えている両脚は、誰が見ても分かる程に震えていた。過剰な疲労がそこにあるのだ。
(頭……痛い……)
遠方を確認するつもりだったが、内側から響くような頭痛が集中力を奪い取る。
ネーデルの左手が額に当てられ、微少な安堵を譲り渡す。
――DELETE IMPACT……―▼▼
―バゥウン!!
「ひぃっ!!」
一体どこから飛んできたのかは分からないが、ネーデルの足元に何かが着弾し、地面の土が小さく跳ね上がる。
身体を飛び上がらせ、驚いていたネーデルだが、脚に当たった風がその突然やってきた物体の正体をそれと無くネーデルに教えている。
きっと、どこからか飛んできたのだろう……
しかし、それを口に出している余裕は無かった。
状況の整理はネーデルの頭の中だけで充分出来る事である。
形を確認する事が出来なかった攻撃を放ってきた対象がもう近くまで迫っているらしい。
草木を払い除ける音が小さくではあるが、ネーデルの耳へと届く。
「ふん……。襲いたい……んだったら……。かかってこい……っつの……!!」
草木の音がどこから来ているのかを察知したネーデルは、一度両目を強く握り締めた後に、
音が聞こえる方向とは逆の方向に向かって走り出す。
台詞と行動が噛み合っていないようにも見えてしまうが、きっと追い付かれた時に、ぶつかり合うつもりなのだろう。
徐々に加速をしていくネーデルの脚は、やがて普通の少年少女ではまず後を追う事が出来ない速度にまで上り詰めていく。
人間離れとは言えないものの、それでも瘴気を受けた身体にしては非常に強い精神力である。
―― 背後には、2体の何かがそこにいたのだ……◆◆
前のめりになりながら走っていたネーデルは、首を右に回して背後を確認する。
どれだけ身体中が汗で塗れていても、足元が草木で状況が良くなくても、止まってはいけないと決め付けられた。
逆に、背後の光景を見て止まろうと考える人間がいるのなら、是非名乗り出て欲しいものだ。
◇κχ◇ 2体の刺客が少女を捕らえる為に牙を剥く!! / BALLOON AND EYES!! ◇χκ◇
『ビァラコーラィ!!』
1体は左手に
一応両手両脚は1対ずつではあるが、姿を紹介する事になれば、確実に人間ではない事に気付くだろう。
『ソデュラァム!!』
もう1体は、木々の側面を踏み台にしながら、激しく木々の間を飛び交い、そして相方と共にネーデルを追いかけている。
極端に人間と異なる部位と言えば、通常は2本しか無いであろう脚が、4本生えている事だろう。
そして頭部に当たる箇所から2本の刃物が出ているようにも見えるが……。
いずれにしても、薄暗いせいで詳しいディテールがここで明かされる事は無い。
そして、仲間同士の掛け声だったであろうその言語は、恐らく誰も理解する事が出来ないだろう。
ρρ◆◆ 武器を持った方が、何故か右手を口に咥え始め……
嘴の奥行きを狭めたような口に、右手を入れてしまう。
よく見ると、首から上は随分と細いが、逆に胴体部分は腹部が出ており、中年太りさえ連想させるが、
運動不足を思わせないくらいにその走る速度が速いのは確かである。
その咥えられた右手が見る見る膨らみ、一般男性ほどの大きさを持つ胴体を同じだけの大きさに肥大化した右手を口から離す。
何故右手を膨らませる必要があったのだろうか、そして、身体構造に興味を持たせるその特技を見せた生命体は、
膨らませた右手を身体の後ろへと回していく。
―ブォオァアア!!
まるで
今までの速度の倍以上の速度を叩き出し、両足を一切使わずにネーデルへと接近していく。
左手を突き出し、まるで武器で襲い掛かるかのように……
「どう……したのよ……!?」
背後からの轟音を無視出来ないはずが無かった。
途轍もない恐怖を背中で受け止め、そして前方へと戻していた視線を再び背後へと向ける。
耳障りな効果音は、少女の赤い瞳を大きく開かせてくれる。
ψψ 赤い瞳は1つの敵影を鮮明に捉える! / RED EYES TARGET! μμ
Stare Point.T ガリ痩せを連想させる細過ぎる首と、奥行きの非常に狭い嘴で作られた頭部
Stare Point.U 頭部の最上部から、両端に伸びている突起は耳の役割なのだろうか?
Stare Point.V 膨らんだ腹部に、人間と比べるとややアンバランスに短い両脚だが、脚力は強いのだ
Stare Point.W 作りの異なった2本の腕は、武器装備専用と、膨張放出専用に分かれている
Stare Point.X そして、体色は紫が混じったような緑であり、腹部は黄色である
■■α もう外見だけのデータは必要無いのではないだろうか? α■■
――今は、飛びかかられている事実だけを意識せよ――
右腕は移動手段として使っている為、身体の後方へと廻している。
左腕は、武器で相手を斬り殺す為に、首に巻きつけるように曲げている。
β▼▼β 今は斬られる事だけを意識せよ!! / ALIEN’S TURN!! β▲▲β
『コライヴァア!!』
その姿を見られていようが関係無い。
兎に角、ネーデルを斬り殺す事がここでの役目なのだ!
――いや、殺すなと命令されていたのでは……?
「誰が……あんたらなんかに!!」
このまま走り続けていても斬られてしまうと悟ったネーデルは、武器も無しの状態でありながら、
速度を殺さないまま振り向き、素早く左腕を突き出し、相手の武器を受け止める。
―ガァン!!
青いアームカバーは、外見こそはただの布で作られたような存在に見えるが、鋭利な刃物を受け止められる事から、
きっと特殊な細工や、硬質な物質の内蔵が施されているに違いない。
ネーデルは左腕だけで必死に目の前の生命体の攻撃を受け止め、そして踏ん張りの為に右脚を後ろに大きく伸ばしていた。
―ε― 生命体はやがて足を地面に下ろすが…… ―ε―
『シスミィピラァ!!』
嘴のような口を持つ生命体は攻撃の手を一切緩めなかった。
大振りではあるが、的確に、そして速度も合わせた攻めをネーデルへと浴びせ続ける。
ネーデルも後退、左右移動を実行させながら2度振られた武器を回避している。
『ベートラスパァル!!』
その両眼からは、ネーデルを確実に仕留めるという執念さえも感じ取れる。
突きによる攻撃も、ネーデルに回避されてしまっているが、まだまだ余裕の表情だ。
「しつこ……いわねぇ……!」
恐らくはネーデルもあの白銀の爪を召喚させ、武器と武器をぶつけ合わせてやりたいと考えているだろう。
しかし今は回避行動だけで精一杯だ。
札を取り出し、具現化させている間に斬り殺されてしまえば元も子もない。
「それと……。私の事殺したら……」
ふと思ったのか、ネーデルは相手のこの行動が、ゼーランディア達の任務の失敗へ導く事になる事を伝えようとしたのだが、
思えば相手は1体しかおらず、その意味がすぐに分かる事になってしまう。
――横に、確かに見えたのだ……。2本の刃が……――
―バギィイ!!
1mはあるであろう長さの刃が2本、そこに存在していたのだ。
中心点から大きく開いた刃は、前進する力を使い、刃に触れた木々を薙ぎ倒す。
まるで
本体は飛竜のような大きさではないと言うのに、恐ろしい破壊力である。
◆β 本体?
「何よ!?」
ネーデルはこの場所では久しぶりに聞いたであろう轟音に驚き、山刀を持った生命体から一瞬だけ視線を外す。
だが、強がっている余裕は無かったのだ。
木々を切り倒しながら豪快に登場しただけでは飽き足らず、今度は木々ではなく、ネーデルを斬ろうと、
4本もある足を百足のように走らせながら接近する。
しかし、その斬り方は見方によってはそう呼ばないのかもしれない。
『ザィピァ!!!』
やや丸みを帯びた口の両端から伸びた長い刃を突き出し、その2本の中にネーデルが納まるのを確認するなり、
そのある意味愛嬌のある口からまたしても人間が理解出来ない言語を飛ばす。
δδ しかし、口の中に目があったように見えたのは気のせいだろうか? δδ
「くっ!!」
もう1体の方は自分も巻き込まれると思っていたのか、すでにネーデルから離れていたようだ。
しかし、顎とも言えるだろうその2本の刃が閉じるのを察知するのが遅れれば、ネーデルはただでは済まなかった。
―バチィン!!
その音はまさに鉄と鉄がぶつかる音であるが、後退したネーデルを仕留める事は出来なかった。
もし巻き込めたなら、確実にネーデルの断末魔を聞く事が出来たはずだ。
κ― 後方に下がったネーデルに、何かを伝える生命体…… ―κ
『ビスマァティーコン……』
口から伸びていた刃を引っ込ませながら、2体目の生命体は、右腕を持ち上げて指を交互に握っていく。
χ■ LOOKS DATA ■χ
DATA.T 4本も生えた足が、地面と平行になった胴体を支えている
DATA.U 下半身から反り返った上半身は、普通に2本の腕が生えているが……
DATA.V まるで蛇のような大きな口が頭部に備わっているが、目玉とかは……
DATA.W 目玉は口の中に納まった特殊な作りであり、呼吸や発音等で口が開いた時のみ、目玉を確認出来るのだ
DATA.X 鍬形虫を連想させるあの鋏のような顎は、口内に自由に引っ込める事が出来るらしい……
ιι 手には武器を持っていないが、あの刃がもう武器となっているだろう。 ιι
ωω もう1つだけ、引っかかる何かが残っているのだが…… ωω
「ふん……。何が……『殺す』……よ。生け捕りの……」
流石はネーデル、と言った所だろうか。
明らかに人語では無い、その口の中に目玉をしまっている生命体の言葉を理解していたのだ。
軽く鼻で笑っているネーデルだが、頬を伝う汗は苦痛そのものである。
口が半分開いている相手の姿はやや間抜けにも見えるが、目玉が口の中にある以上は、
開いていないと相手の確認が出来ないのだろう。
いくら相手が幹部からの命令に背いていても、ここでネーデルが本当に殺されれば一巻の終わりだ。
そして、ここで時間を使い過ぎたら、ネーデルの体力も確実に底を尽きる。
υ υ 上から何かが落ちてくるのを察知し…… κ κ
「くっ!!」
ただ回避する事しか出来なかった。
真上から降りてきたのは、山刀を装備した、ガリガリと中年太りが中途半端に合わさったような体型を持つ生命体だ。
ネーデルは身体を横に投げ、そして草や木の枝が無数に散らばる地面を一度転がりながらすぐに立ち上がる。
湿った土が直接ネーデルの脚に当たっていた為、本人は気持ち悪い感触を覚えていたかもしれない。
■■ どちらにせよ、油断は出来ない……
『ヒァマイ!! ラルムリベスマティーレス!!』
ネーデルを串刺しにするつもりで下突きをしたが、回避されてしまった為に地面に深く刺さってしまったのだ。
それでもその武器を平気な顔を浮かべながら左手で抜き、切っ先を向けながら一歩だけ踏み込んだ。
今ならば、ネーデルはまだ立ち上がっておらず、片膝を立ててしゃがんでいる状態だから、ある意味チャンスなのかもしれない。
「下っ端の……分際……で……うう゛っ!!」
しゃがんで疲れをある程度抑えたり、回復させようとした所で、その場凌ぎにしかならないと考えたのかもしれない。
何を言われたのかは分からないが、彼ら(彼女ら?)は幹部の下で動く存在だと分かっているネーデルは、
無理に笑顔を作りながら立ち上がるが、突然寝込みたくなる程の寒気と頭痛が襲い掛かる。
χ▲ 膝の力が急激に抜ける…… ▲χ
額を押さえる右手の力がより一層強くなる。
更に息苦しくもなり、体力的な
だが、ここで倒れれば何をされるか分からないから、無理矢理気力に頼るしか無い。
それでも頭が割れるような頭痛が再発し、右手で押さえていなければ気力すら破壊されてしまうのだ。
折角立ち上がったのに、また片膝立ててしゃがんだ体勢に戻ってしまう。
速度を付けてしゃがみ込んだ為、スカートが乱れた可能性もあるが、彼ら(彼女ら?)もきっと、
地球的価値観等、持っていないだろう。
――口内に目玉を入れた生命体が喋り出すが……――
『バイマスィーティデムロォ――』
「あんたら……と……戦って……る……ひ……まなん……て……」
右手は今、額を押さえていると同時に目元まで隠している。
指の間から左の赤い瞳だけを覗かせ、そして、2体が横に並び、威嚇している事を確認する。
ネーデルにとってはもうまともに戦っているだけの余裕も体力も残っていない。
その途切れ途切れに必死に出した言葉は、戦う以外の方法を見つける様子を暗示させている。
ζζ もう体力も時間も残されていない / VIGOR REDUCTION ζζ
左手をスカートの下へと伸ばし、尻の方向に当たる部分から何かを取り出した。
スカートの裏には結構色々な物が隠されているらしく、思えばあの時の爪もスカートの裏から取り出していた。
その取り出した物体を使う為に、左手から利き手に投げて持ち変える。
――κκ 黄色の小さな筒状の物体だ
――それを確認した、山刀を持った生命体は……――
一種の警戒なのか、左手の武器を一度下に向かって振る。
頭部の最上部に位置する両眼も威圧的な色を帯び始めている。
『ピォーガ……』
呟くような声には、どんな意味が込められているのか。
「言った……わよね? 戦う気なんて……」
ネーデルはまるで遥か遠方に向かって無理して投げるかのように、筒状物体を持った右手を後方へと引く。
もし本当に戦えないのなら、その後の展開を考えて、絶対に逃げられるようにしなければいけないだろう。
―θ いざ、
「無いってねぇ!!」
ネーデルの張り上げた声と同時に投げ付けられた黄色い筒状の物体は、2体の生命体の足元に乱暴に投げ付けられる。
着弾と同時に、その物体が本性を露にしてしまう。
■■ □ ◆ 黒煙を周囲に吐き散らす / BLACK BREATH!! ω ▽▽
薄暗い森林内部がもっと鮮明に黒くなっていく。
2体の生命体も視界をほぼ完全に奪われ、動揺していく中で身動きすらも取れなくなっていく。
人間で言う驚いた時に放つような声もそこから聞こえていたが、ネーデルはそれを黙って聞く事は無かった。
この好機を逃さず、ネーデルはすぐにその場から駆け出したのだ。
ただ逃げているように見える光景であるが、逃げるのも立派な戦法の内である。
相手が足を止めている間に、取れるだけの距離を取るのが賢い人間のやり方だ。
「じゃあね!!」
苦しそうに声を出しながら、ネーデルは背後に向かって捨て台詞を吐く。
漆黒の煙の中からあの生命体2体がなかなか出てこない以上、ある意味作戦は成功したと言える。
黒煙の範囲も非常に広く、もし立ち止まっていれば、ネーデルも簡単に巻き込まれていたと予測される。
駆け抜けるその姿が、安全地帯まで持続されれば良いものである。
―ビュゥン……
風の中を突き進む小さな音は、やがてやや激しい破裂音へと変化する。
風の音に気付かなかったネーデルだが、破裂音が響いたのは、すぐ隣の樹に何かが衝突した時である。
―バイィン!!
ρρ つまり、何かが飛んできたと考えられる……
「!!」
ネーデルであっても、黙っていられるはずが無かった。
詳しくは見なかったものの、樹に何かが直撃し、そして炸裂したような音が響いた事だけは確かに感じ取っている。
歯を食い縛りながら背後を確認し、それでも尚走る速度だけは絶対に落とさぬよう立ち上がったままの黒煙を見る。
ある程度は予想を立てていたのかもしれないが、ネーデルの引き攣った表情が緩む事は無い。
あの煙の中で2つの光が怪しく灯っていれば、警戒体勢すら取らざるを得なくなるのだから。
ηη 黒煙の内部で光る2つの光は一体…… / SHOT POINTS! μμ
その黄色の光はその煙の中で乱反射を起こしているが、横に2つ並んでいるのだ。
2つの光の周りは、また不自然に鮮明であり、まるで1つの口を連想させるような
きっと、視覚を司る器官を甘く見てはいけないという警告なのかもしれない……。
光の高さが、人間の目線と近い場所と言うのも非常に気になる
しかし、ネーデルがそれに対して深く考える程の余裕を持っているとは考えにくい。
追いかけられさえしなければ、きっと無事に逃げられるらしいが……
―― その光から、1発の光線が発射され…… ――
それは今走り抜けている真っ最中のネーデルの足元へと着弾する。
―ドォン!!
「!!」
またしても地面が小規模に抉れるものの、直撃はしておらず、ネーデルの動きが束縛される事は無かったが、
どうしても背後が気になってしまった為に、走ったままの状態で背中を進行方向に向けたのだ。
しかし、その一瞬の行為が、身体全体のバランスを大きく崩壊させる事になってしまう。
――地面から伸びた、低く太い枝……――
外から見たら小さい存在でも、地面の遥か奥では強固な根が張られている。
ちょっと蹴ったりした程度では剥がれてはくれないのだ。
もしそこに足を引っ掛けてしまったものなら、対象者は派手に転んでしまう事だろう。
特に今回は、元々夜中で薄暗く、しかも後ろを向いていたのなら、確認すら出来なかっただろう……。
―ドッ……
(……えっ?)
左足に何か硬い物が接触し、視界がどんどん上へと向いていくのが分かっていった。
それは即ち、足を掬われ、そのまま転倒へと導かれる事を意味していたのだ。
背中から地面に引き寄せられるように、転倒してしまったのだ。
ただそれだけなら良かっただろうが、まだ油断は出来なかった。
――そこは下り坂だったのだ……――
「うぅぐっ……! あぅ……!!」
場所が悪かったのだろうか、頭が身体の中で最も下部に位置している足よりも低い位置にまで下がり、
その下り坂を頭を下に向けながら、滑り落ちる事となってしまう。
瞬間的の痛みと、継続的な負担により、悲鳴とは言えないが、それでも何とも言えない声を漏らし続けてしまう。
その坂は結構な長さを持っていた為、途中で身体の向きも変わってしまい、最終的に横に向かって転がる形となってしまう。
――坂下りもようやく終わりを告げ……――
「あうっ!!」
まるで終点を思わせるような最後のやや強い衝撃がネーデルの身体に走り、締め括りの短い悲鳴が近辺に飛ばされる。
痛みとして激しく意識するような痛みは走らなかった為、うつ伏せになっていた状態から、上体を起こし、
正座を崩したような状態で青い服の数箇所に張り付いた枯葉を両手で払い落とす。
「はぁ……はぁ……」
またいつ追っ手がやって来るか分からない状況でありながらも、呼吸が苦しい状態も一向に止んでくれない。
肌が露出している脚、特に膝元に当たる土の冷たさがひんやりと感じるが、気持ち悪くもある為、立ち上がる。
▽▼ そこで病魔は嫌忌な笑いを響かせる…… ▼▽
――本当に、頭が割れるような激痛がネーデルを襲い……――
「!!」
完全に立ち上がったその瞬間に、頭部を中心に、胴体周辺も痺れるような激痛に襲われてしまう。
今までの高熱による体力の低減とは次元が違った。
こればかりは、きっと横になろうが、力を失い倒れようが、痛みが抜ける事は無かっただろう……
「うあっ……!! ぐぐっ……! う゛ぅぐぁっ……!!」
前触れも無しにネーデルを苦しめた魔の苦痛は、ネーデルに息の詰まった悲鳴を搾り出させるのに充分だった。
最初の呻き声で思わずネーデルは口から数滴の唾を飛ばしてしまい、そして両手で顔全体を覆い込みながらその場に立ち止まる。
いや、これは腰をやや曲げながら固まってしまっていると言った方が正しいかもしれない。
顔全体を覆わなければ、本当に頭が割れてしまうかのような激痛に今襲われているのだから。
(ど……し、よ……だ……れ……か……)
心の中ですらまともな言葉を放てなくなりつつあるネーデルは、雪白な歯を食い縛りながら、一歩だけ進もうとするが、
身体の激痛と同時に、脚の感覚すらも無くなり始め、自由に歩く事さえ不可能になり始めていた。
地獄の激痛が始まってから、まだネーデルは両手の奥の世界を見ておらず、未だに真っ暗な視界のままなのだ。
まあ、失明したと言う訳では無いが、今は漆黒の世界にその視界があるのだ。
(や……ぱ……あれ……し……か……)
右手だけを顔から放し、赤い瞳をようやく開く。
あまりに酷い激痛により、目が回ったような気を覚えていたが、視界ははっきりとしている。
それでも、常人であれば数歩進んだだけで到達出来る樹の距離も、今のネーデルにとっては非情な距離だったはずである。
この身体を蝕む病魔に打ち勝つ手段でもあったのだろうか?
(あん……まり……使……い……た……)
辛うじて樹に辿り着き、まるでぶつけるように背中を樹に預ける。
しかし、寄りかかっているだけではまるで体力が持たず、背中を樹に引き摺らせながら土の地面、樹の根元に座り込んでしまう。
体育座りのように膝を曲げた座り方になっていたが、スカートが尻の下になっていなかった為、
きっと尻周辺には落ち葉がチクチクと刺さる感触が伝わっているかもしれない。
意識すら激痛によって途切れさせているこの夜中の森林で、ネーデルは痛みに対してしか意識を集中させておらず、
その些細な感触なんか、どうでもいいとも考えているはずだ。
それより、上着の裏に右手を入れ、
――しかし、ネーデルの表情は……――
激しさのしつこく残る激痛の影響で、平然とした表情をしていないネーデルだが、
その透明上のケースの中に入っている、非常に薄い円形状の物体を見つめるなり、また難しい表情を浮かべ始める。
その内部では、その物体が積み重なるように入っており、恐らく一枚ずつ出す事が出来るのだろう。
だが、もしその緑色の物体が解毒剤か何かであれば、躊躇っている余裕はそこに無いと考えるべきだ。
親指でキャップを開き、また同じく親指を使い、1つだけを上に飛ばし、その緑色の粒を左手でキャッチする。
やや器用なアクションであったが、問題は、それを口にする事が出来るのかという話である。
まだ立ち上がっていないネーデルは、その粒を見るなり、覚悟を決めたような目つきになる。
(ホン……ト……は……こんな……)
右手に持っていた
きっとそれを飲み込めば、一時の苦味と引き換えに、継続的な激痛から解放される事だろう。
それなのに、何故かネーデルの表情は、まるで無理矢理嫌いな薬を飲まされる子供のように、怯えている。
――しかし、飲まなければ、話は進まない……――
――何故か涙まで僅かに浮かべているものの……――
――やはり、頭を中心に広がる全身の痛みが非常に激しい……――
―― 一旦目を閉じ、そして呼吸を整え……――
▼▼ 解毒の劇薬を口へと突っ込む!! ▼▼
「!!」
口の中に緑色の劇薬を入れ込み、同時に両手で力強く押さえ込む。
その理由は、きっとネーデルにしか分からないが、もし分かった時は、誰もがその理由に納得を覚える。
まるで物理的に吐き気でも覚えたかのように、両目があまりにも強く、そして硬く閉ざされ、
閉じられた瞳からは、蛇口の壊れた水道のように、涙が噴出されている。
ρβ 苦味とは、ある種の肉体的暴行だ…… / OPPRESSION FLAVOR!! βρ
人間は、苦い成分を毒素として認識し、体内に入れないように拒絶反応を起こすように作られている。
一定の苦味であれば、味に慣れた者であればそれを平然と飲み込む事さえ出来る。
しかし、あまりにも成分が強ければ、身体の方もそれを受け入れるのが難しくなる。
今ネーデルの取り込んだ劇薬は、苦味を好む大人でさえも咳き込み、吐き出してしまう程の成分を持っているのだ。
通常の野菜程度の苦味を連想する者は、きっと間違っている。
まるで口の中全体が痺れ、内部で限度を遥かに超越した苦味が広がり、涙腺すら破壊されてしまうのだ。
両手で押さえていても、隙間から吐き出そうとする欲求に駆られるのがまたしつこく、
それでも何とかして飲み込まなければ、拒絶反応を塞ぐ両手の力を緩める事は決して許されない。
喉の奥から拒否の反応がしつこく飛び出てくるが、それに勝たなければいけない。
そう、飲み込んでしまえばそれで終わるのだ。
最も、飲み込んだ後で戻ってきたりした場合はまた面倒な事になるが……。
「ぐぇほっ!! げぇほっ!! ぐぇほっ!! ぐぇほっ!!!」
反射的な涙で赤い瞳を湿らせながら、必死で劇薬を1粒飲み込んだネーデルであった。
苦味で苦しめられたのだろうか、細い首を両手で押さえながら、激しく咳き込んでいる。
何滴かの唾を飛ばしながら、激しい後味に苦しみ続けている。
σσσ 岩石のような巨体な生命体が近づいている事も知らずに…… ■■◇
◇■■ I want to overturn the ground!! ωωω
γγγ 黒に染まる空の下で……
δδδ 奇警の木々が怪しく微笑む大地で……
ααα 仮面を思わせる亜人が神速疾走していた……
ε◆ε 必ずお前を助けに行くぞ…… / DISMAY STREAM ε◇ε
―ザザザザッ……
暗黒の森林を、軽やかに、そして超高速で走り抜ける影が1つそこに有った。
まるで大空を高速で飛びまわる飛竜を思わせる、人間では考えられない速度をそこで爆発させていた。
木々の間をすり抜け、1つの惨劇地帯へ向かっているのだ。
その茶色の仮面を思わせる顔の裏では、隙間からの覗く2つの眼光が鋭く正面を捉えている。
その者の正体は、シヴァである。
(ネーデル……無事でいてくれよ……)
仮面のような顔から直接見る事が出来るのは、黄色い眼光だけである。
人間のように、豊かな表情を外から知る事は不可能だが、きっとシヴァは1人の仲間の無事を祈っているだろう。
もし無事でなかった場合は、恐らくこの者の速度があまりにも遅かった事を意味するのかもしれない。
(大体予測はしてたが……)
もう少し早めに出ていれば良かったと後悔を覚えているが、ネーデルの姿は勿論、
その他の何者かの姿すら何も見えはしなかった。
いつまで太い樹が連続する道が続くのだろうか。
直接口には出さなくても、心の奥のそのまた奥できっと呟いているだろう。
今は、ネーデルを見つけ、助けるなり、共に戦うなりしなければいけないのだ。
『マイルティピス……ザルディキャーバロイ……』
――空から響く、異次元の声……――
本来ならば、その解読不能な声を気にする事無く走り続けていたかっただろう。
実際にシヴァは足を止めるような真似はしていないが、無視をしたくても出来なかったのだ。
まるで、避けられない警告のように、身体にしつこく付き纏っていたのだから……
序に、その声の主が近くにいる様子は無かったが、あまりにも近くで聞こえていたのだ……
βκ すぐ隣にいたかのように…… κβ
(なんだこの声……? まさか、ネーデルに……)
一体何を喋っていたのかまるで分からなかったシヴァだが、何故かその声の主がネーデルに何かしたのだと、
半ば勝手に思い込んでしまうが、それが事実だとはまだ本人はハッキリと分かっていないのだ。
だが、今までずっと、何故かやけに無音であり、静かだったのだが……
―ザザッ……
「!!」
上空から不思議な気配を察知したシヴァは、何も考えず、行動変化に気を注ぐ。
口を動かすよりも先に、足を先に動かしたのだ。
―≫≫左通路へと飛び込んだ!!
―ビュヴァババビババババァ!!!
飛び込むと言うよりは、左側へ高速で滑り込むと言った方が良かっただろう。
体勢を殆ど崩さず、氷の上を滑るように左通路へと入り込んだのだ。
そして、シヴァの元いた場所には、緑色をした、帯が絡み合ったような奇妙な形の光線が落とされたのだ。
それに狙われれば、確実にシヴァはあの世へと飛び立っていただろう。
(なんだ!?)
回避はしたシヴァであるし、ある程度の危機も察知はしていた。
だが、人工的なその光線を見て黙っている事は出来なかったようである。
油断をする余裕はもうそこには無かった。第2の攻撃が1秒の隙も無しにシヴァの元へと送り付けられる。
―ヴュヴィヴァバァァアババァ!!
シヴァは真上へと跳躍し、傍らに伸びていた樹に真横から放たれた謎の光線を確認する事も無く、
普通ならば登るのに数分はかかるであろう高さにまで移動してしまう。
まだ相手の姿を直接確認する事が出来ず、的確な状況判断も出来ない高台の地点にも、
第3の攻撃が飛ばされる事となる。
―ビュババァアアアァア!!!
シヴァは気も力も抜く事はしなかった。頂上部に近いその場から一気にやや下寄りに横へと飛び移る。
そして反動が残り、重力によって下に落下する前に、地面に向かって自分から脚に力を込め、飛び降りる。
その一連の動きを外から見ると、まるで直角三角形を描いているようにも見えただろう。
―ザザッ!!
斜めに向かって地面に降り立ち、シヴァはそのまま立ち止まるなり、人間と比較して六角形の鉱石のような耳を澄ませる為に、
その場でさっと周囲全体を見渡した。
(誰だ……。どこにいる……?)
普通であれば、立ち止まれば忽ちあの謎の光線にやられてしまうと考えてしまうかもしれない。
しかし、シヴァは立ち止まり、流れる風から1つだけに限定した音を掴もうとしていたのだ。
相手はもしかしたら、シヴァに用があるのかもしれないし、この光線はほんの挨拶なのかもしれないのだから。
但し、立ち止まれば相手も攻撃を止めてくれるという保障はどこにも無い。
――挨拶はすぐそこに!!――
『ガィアザァピ!!』
すぐ真正面から迫ってきたその異変をシヴァは見逃さず、聞き逃さなかった。
その声色はとてもこの星の者の声とは思えないものであり、先程聞いたものと全く同じだ。
無言で、シヴァは後方へと飛び退く。
そして、地面から突き破って現れたのは、シヴァを確実に鷲掴みに出来る程の
3本の指から構成される骨の手だったのだ。
その右手はやがて、徐々に縮小されていったが、その右手に引っ張られるように、とうとう頭部、胴体も姿を見せたのだ。
(こいつって……まさか……)
後方へと降り立ちながら、地中から現れる人間のような骨格を持った龍を見てシヴァは心中で呟いた。
『ルメイサーヴァレィ……』
遂に全身を露にしたその人型の龍であるが、その身長はシヴァを遥かに凌いでいた。
シヴァが小さいのではなく、龍の姿をした生命体があまりにも大きすぎているのだ。
ψβ これぞ、冥界の面会だ…… / SWEET RUIN!! βψ
2mは平然と超えてしまう体躯を持つ、その龍の姿を持った人型生命体の両手には何も持っていない。
しかし、その骨の両手を胸の前に持ち上げ、その両手の間に小さな火花を弾けさせている。
シヴァに歩み寄っている所を見ると、絶対に油断をしてはいけない予兆にも見える。
『チルァフェイコン……ルジティアフィー……』
果たして、その龍の宇宙生命体は、シヴァを過去に見た事があったのだろうか。
まるで知人でもあるかのように、笑顔でも浮かべているような目つきを作りながら、見下ろしている。
深青の両眼が全てを語っているようだ。
「お前が……ゼーランディアか……。直接見るのは始めてだな……」
シヴァは、全身に緊張感を走らせ、身体に力を入れたような状態でゆっくりと後退している。
管理局の存在であるとは言え、実際に幹部の姿を眼中に入れるのは今回が初だった様子だ。
仮面のような顔の裏では、きっと怖がっているのかもしれない。
人間だって怖がるのだから、亜人だって怖がっても良いだろう。
そして、生命体の言語を理解しているとは思えない。
――言語を脳内で解読している暇は、無いに等しかったのだ――
『ピースグロゥサチュライロアァド……』
ゼーランディアはシヴァに何を聞き取って欲しかったのだろうか。
両手の間に走る火花は常に相手を警戒させ、異様な空気で圧迫し続ける。
シヴァの神経が集中するのは、異世界の言語なのか、それとも火花なのか。
だが、シヴァにはこの夜中の森林の中で絶対に見つけ出さなければいけない少女がいるのだ。
ここで、意味不明な言語を相手にやり取りをしているのは、ただの時間の浪費だ。
「悪いが……ネーデルと会うのが先だから、お前と戦う気は……!!」
シヴァは確かに人間よりは高い身体能力を持っているが、超能力者では無い。
だから、今のネーデルの状況、特に体力面でどうなっているかを把握する事は出来ないだろう。
嫌な予感ばかりが染み付いてくる今は、本人に出会うのが最も手っ取り早いのだが……
κκ ― 爆裂豪波で亜人を焼き尽くせ!! / STRANGLE WRAPPER!! ― υυ
両手の間に溜め込んでいた
ゼーランディア自身も雷撃爆破に巻き込まれ、自分さえも犠牲にしながら、シヴァをも巻き込もうとする。
炎と雷を
シヴァの1つの
真上に向かって飛び上がる
あの時の感情の硬直は、ここに答が隠されていたのかもしれない。
―ββ 跳躍しても、いちいち地面に降りる真似はしない
折角跳躍し、頂点に位置した場所のすぐ隣には樹木が立っているのだ。
きっと跳んだ時にやや角度があったから、爆破に巻き込まれなかった樹木に到達出来たのかもしれない。
それならば、隣に立っていた樹木を踏み台にし、真横に向かって跳び去ってしまうのもいいだろう。
(遅れてたら……アウトか……)
遥か下に移る地面の上を高速に、そして華麗に進んでいくシヴァは、
もしあの跳躍が少しでも遅れていれば、あの爆発に巻き込まれていたであろうと悟る。
忍者のように素早く木々に跳び移りながら、徐々にゼーランディアから距離を取っていく。
ゼーランディアに会ってから、シヴァは一度も自身の武器であり、身体の一部でもある爪を使っていないが、
置いていかれてしまったあの龍の生命体がこのまま黙っているとは考えにくい。
もし黙っていなかったとすれば、それは相手が攻撃体勢を捨てていない事も意味する事になるが……。
――下から突き出てくるものが1つ……――
―ビュヴァヴァヴァヴァァアア!!
赤い帯がいくつも絡み合ったような光線が地面の方から放たれ、シヴァのすぐ横を通り過ぎていく。
バネが撥ねるような独特の音とは対照的に、その光線には危険な色が詰め込まれている。
どう考えてもゼーランディアから放たれたものとしか考える事が出来ない。
(予想通りだな……。だけど、当たって溜まるか……)
暗闇の中で激しく光る光線が3本、4本と連続で下から放たれるが、
全てを回避していく。
1発でも触れてしまえばそこまでだ。
外皮を全て焼き尽くされ、熱によって変色した骸骨だけにされてしまうのだ。
数秒後には、羽を生やした姿で追いかけてくる事を分かっていたのか。
それでもシヴァは、光線を回避しながら、ネーデルの元へと辿り着く事しか考えていないのだ。
敵対者のおぞましい姿が偶然その黄色い眼に入った時、またゼーランディアの本性を知る事になるのだ。
◆◆ AERIAL COMBAT!! ◆◆
突然ですが、シヴァの視点から、ネーデルの視点へと移動させて頂きます。
ネーデルはまだ問題に直面している最中です。
このまま放置してしまえば、あの時の背後から迫っていた影の謎が解明されなくなる。
だからこそ、ここで明確に、ネーデルの状況を説明すべきなのだ。
実は今、ネーデルの背後には、鳥類を思わせる頭部を持った岩の身体の生命体がいるのだ。
身長はネーデルの凡そ2倍で、岩のような硬質な皮膚で護られた身体の色は茶色を帯びている。
体色のせいで非常に目立ち難いが、真っ黒な眼が、実際の鳥類と同じような場所に埋め込まれている。
無論、両腕両脚は
外見的なスタイルよりも、重量と破壊力に特化させている姿として見る事が出来る生命体だ。
聴覚は平均以上であるが、嗅覚は人間の数億倍、数兆倍とも言われているが……
そして味覚の方も、人間の数億倍は敏感だと言われているが……
ψρ
土でしかない地面に両手を突き刺し、立っていた女の子も巻き込みながら、地面を無理矢理抉ってしまう。
岩で作られた巨大な手が刺された周辺も大きく抉れ上がり、実際の手のサイズ以上の地面が掘り返されたのだ。
土が激しく宙を舞い、木屑や枯葉も土に混ざりながら舞い上がっている。
しかし、宙に舞い上がらせる対象はその土や木屑、枯葉なんかでは無いのだ。
ゼーランディアから命令を受けている、あの少女ただ1人だ。
――◇ 宙を飛び交う土の欠片……
――◇ 風の邪魔に負けて不規則に飛び回る古色の枯葉……
――◇ 空中でそのまま砕け散りそうなくらい脆弱な木屑……
▲▲ ネーデルも今、巻き込まれていたが……
「くっ!!」
まだあの劇薬の後味が口の中に残っており、苦しんでいる最中だったのに、
その時に宙に巻き上げられてしまったのだ。
ネーデルの2倍は平然とある相手の頭部よりも、高い位置に舞い上げられている。
青い髪も風の影響を受け、揺れている。
空中で考えていた事は何だったのだろうか。
――咄嗟にネーデルの赤い瞳が左を向く――
そこには、左腕を伸ばせば届く距離に枝が伸びていたのだ。
一度そこに移動すれば、相手への対策も思い付くかもしれない。
力でぶつかっても、絶対に負けてしまう。
――左手に実行指令を受け渡す!――
やがて上昇から落下に切り替わる。
きっと計算されていた上での距離だったのだろうが、左手を伸ばし、
まだ落下速度が上がらない段階で、枝に掴みかかる事に成功したのだ。
掴んで終わりではない。
反動を上手く使い、枝を軸に身体を回転させ、そして両足から枝の上に着地する。
乱れを気にしている余裕も暇も覚えていなかった。
――当然、岩鳥型生命体にはしっかりと確認されており……――
『カァイビィ……ビィトゥ……』
外見通り、まるで地震をそのまま声に変換させたような太い声を響かせながら、
その確実に重たいであろう両足で地響きを響かせ、一直線にネーデルへと向かっていく。
しかし、ネーデルはこの生命体より高い位置にいるし、直接ネーデルを狙うとすれば、意外と手間がかかりそうだ。
そもそも、ネーデルの立っている場所を考えれば、直接狙わなくても、別の場所を狙えば案外済むのかもしれないだろう。
χχ その樹木を破壊してしまえば…… σσ
「ふん……。誰があんたみたいな奴に……捕まるのよ……」
枝の上に移動する為に僅かながら無駄な体力を浪費させてしまったからか、ネーデルは枝の上で呼吸を乱す。
その証拠に、少しでも身体の負担を減らす為に両膝を曲げてしゃがみ込んでいる。
高さ的には右膝の方が少し高くなっているが、どちらにしても直立という表現を使う事は出来ない。
一歩一歩、重さを見せ付けてくる音を響かせながら近寄ってくる生命体を直視しながら、
ネーデルは青い上着の裏からあの時使った、劇薬が入った
左手に持ったケースから、右手に緑色をした一粒の劇薬を落とす。
それは、体内の毒を取り除くものだが、どうするつもりなのだろうか。
――僅かに口元が釣り上がった所でしか、ネーデルの感情を窺い知る事は出来ないが……――
「ふっ!」
どんどん接近してくる生命体に向かって、ネーデルは身軽に飛び降りたのだ。
前方に対して助走をしなくても、相手の上に降りられる距離だったからだ。
その降りる場所が、非常に特徴的であるのだが……
――真上を向いていた生命体の顔面に着地したのである――
質量的にも強固な耐久力を誇るその岩のような身体であれば、
人間が1人顔面に乗ってきた所で、どうと言う事は無いのだろう。
しかし、左右の状況を、もしネーデルが理解していなければただの愚かな少女という事になり兼ねない。
γγ▼ まるで頭上の蠅を叩き潰すが如く…… / ROCK FLAPPER!! ▼δδ
両手を叩き合わせる事で、その間に巻き込まれた蠅を潰す事が出来るだろう。
ここで例えれば、ネーデルが
しかし、鳥岩生命体の動作は遅い。
この生命体の視界には、いくらかのバランスを取る為に、
立ち膝でやや大きめに開かれたネーデルのあられもない下半身ばかりが捉えられているものの、
生命体が強く認識するのは、どちらかと言えば驚異的に発達している嗅覚面なのかもしれない。
汗の匂いとかはどうでもいいから、早く捕縛してしまいたいと考えるのが幹部の手下というものだ。
――ネーデルの動作は、決して遅くは無かった――
「あんたに……プレゼントがあるのよ!!」
ネーデルが今持っている物を考えると、その台詞の意味が分かるのかもしれない。
単純に物品を引き渡すのか、攻撃手段をそのように例えているのか。
誰が見ても
ネーデルは右腕を突っ込んだのだ。
α 人間が飲んでも涙が激流の如く溢れ出す程苦いあの成分……
β 鳥岩生命体の味覚は、人間の数億倍を平気で超えるのだが……
γ もしあの劇薬を口に入れられたならば……
◆▽ 相手の口に入れた瞬間に、地獄が始まると意識するのが正しい選択肢だ ▽◆
ネーデルは相手の口の中であの緑色の劇薬を手放した瞬間、危機を察知してすぐに飛び降りる。
自分の真下に位置していた口から離れなければ、もしかしたら噛み付かれていたかもしれない。
他にもその強烈な苦味によって暴れ狂い、巻き込まれる危険もあるのだから、離れる行為は正解だっただろう。
『グァオアゥアィアアァアゥ!!』
だが、ネーデルに直接危害が加わるような要素とは、前述の内容と一致せず、そして汚らしいものであったのだ。
嘴から出てきたのは、恐らくは
野太さしか伝わらない悲鳴のような声を上げながら、流し続けている。
(やっぱり……効果は有った訳ね……)
生命体の顔面から退避し、そしてまだ地面に到達しない僅かな間にネーデルが感じたのは、これである。
相手が凶悪な苦味に苦しんでいるのはネーデルにとっては好都合であったが、
きっとネーデルは相手の嗅覚や味覚のレベルを把握していないだろう。
―スタッ……
スカートの乱れなんかに着目せずにようやく地面へと降りたネーデルは、しばらくであるが、相手の姿を見つめていた。
口から撒き散らされている吐瀉物らしき物体は、生命体の身体を除く周辺の物体を焼いている。
土の地面からも炎が立ち上がり、周辺の樹木も燃え上がっている。
きっと、あの生命体の顔面から去るのが遅れていれば、ネーデルの何も纏っていない両脚が焼かれていたに違いない。
ブーツの部分やスカートの部分は何とか耐え切れたとしても、肌の露出している脚は確実に傷が付く。
苦しみ続けている鳥の頭を持った巨人に
相手を仕留める事が今やるべき事ではないのである。
兎に角、逃げる事だけがネーデルの使命である。
βμ 再度、逃亡が始まった!! / GO TO FINAL? μβ
きっと、さっきの巨大な生命体が最後の刺客だっただろう。
そう信じ込みながら、ネーデルはまた森の中を駆け抜けていく。
しかし、もう体力は残り少ない。
それでもあのあまりにも味の強すぎた薬だって飲んだのである。
いくらか身体の方も楽になったと思っているし、ただ疲れているだけであれば、気力で何とかする事も出来る。
一旦頬を流れている汗の事も忘れ、走る事だけに集中した方がいいだろうと、前を見続けている。
前を見なければ、樹木に激突する可能性だってあるのだから。
――しかし、薬は決して特効性がある訳ではなく……――
「う゛ぅ゛っ!!」
走っている最中、突然意識が大きく揺らぎ、両脚の動きを止めざるを得なくなってしまう。
気分も悪くなると同時に、再び激しい頭痛にも襲われ、両手で額を押さえ込む。
まるで頭部から流れた血を止める為に力を込めているようにも見える。
止血の為ではないのだが、頭痛にやられてしまえば、全力を出すのが厳しくなってしまうのだ。
だが、流石にあの死ぬ程の苦さを持った劇薬を再び飲み込むのも厳しい。
それでも疲労に混ざり合って込み上がってくる頭痛はまた地獄の苦痛そのものだ。
――それを真上から見ていた者がいたらしい……――
『リィバメェットパァシアショッペルフォーサイ……』
再発した頭痛に苦しんでいても、ネーデルの耳にははっきりと聞こえていたのがこの声だ。
先程の岩の巨人と全く同じでその言語を常人が解読するのは不可能である。
凄みのある低い声が徐々に近づいてくるが、それは、上から迫ってきている事を明確に意味していたのだ。
―ρ 深夜の中に上手く溶け込む、黒と紫の体色がそこに…… ρ―
жж 細い漆黒の腹部の横に生えているのは、6本の脚である ◆◇
жж 反り返って上に伸びた胴体の両端に備わっているのは、2本の腕であるが…… ◇◆
жж まるで
жж 棘が1本飛び出したような口部と、3角形状に奇妙に並んだ3つの円形の眼球も特徴だ ◆◇◆
そいつは今、その6本もある細い脚を器用に動かしながら、木々の間を伝い、ネーデルの真上へと近寄っていた。
色が暗い為に、その声色と合わさり、陰湿で凶悪な印象さえそこに存在する。
(あんたらに……捕まる方が……ずっと苦痛よ……)
恐らく、ネーデルはこの蟲のような外見を持った生命体の言葉も理解しているのだろう。
まるで選択肢でも出されたかのような返答であるが、それはネーデルに聞いてみなければ内容は不明である。
痛む頭の中で、必死になりながら顔を持ち上げる。
上にいるのであれば、まずは確認し、状況を判断しなければいけないのだ。
「あんたなんかに……!!」
凝視はしていないが、そこに蟲型生命体の姿がある事を理解はしていたのだ。
今いる場所に立っていては危険であると、本能が煩く教え込んでくれる。
―◆◆ 持ち前の瞬発力で逃げられれば、どれだけ幸福であるか…… ◆◆―
―ザザッ!!
―ガサガサッ!!
ネーデルの俊速が始まった1秒も満たない僅かな時間に、生命体の方も動き出したのだ。
食してはいけない獲物を逃がさない為に、6本もある脚を動かし、耳障りな音を放ったのである。
逃げる相手の目の前へと飛び込み、逃げ道を塞いだ上で相手の首を押さえ付ける。
これが、今ネーデルにすべき粛清である。
ιι 動作は、すぐに始まらなければ意味が無い ιι
蟲型生命体は、ネーデルの真上を飛び越え、その黒と紫の身体を顔面に置く。
少女の目の前に降りた生命体は、3つある異様な眼で、動揺するネーデルを捉えている。
『ロィド……』
εε
短い言葉を放ち、まるで隙も与えずに右腕をネーデル目掛けて突き出したのである。
僅かに引いていた右腕の先に備わっている鎌がネーデルへと伸ばされる。
χ―χ 目的は、刺殺では無く、締め上げだ χ―χ
―― 鎌が中心から2つに開き……
―― まるで2本の細いアームのように、巧みにネーデルを掴み……
―― 力を失いかけた少女を持ち上げてしまう……
「うっ!! うあっ……!」
首を掴まれている訳ではなく、胸倉を掴まれ、持ち上げられたのである。
ネーデルは直接な息苦しさに襲われなかったものの、やはり持ち上げられる行為に対してはそれ相応の感情を抱く。
足が地面から完全に離れ、そして両手に力を入れても、相手の元は鎌だったアームを振り解く事は出来なかった。
『キャアオンベアラット……』
低い声色は、どの惑星でも人相の悪い者の証であると相場が決まっているのだろうか。
2本のアームと化した右腕でネーデルを掴み続け、そして6本もある脚を徐々に伸ばしていく。
普段はやや下ろしている腹部もどんどん持ち上がり、ネーデルの倍近い高さにまで上がっていく。
――左腕は、まだ鎌のままであるが……――
まるで脅しでもかけるかのように、ゆっくりと鋭い鎌状の左手をネーデルの顔面へと接近させていく。
先程の言葉は、ネーデルに深い意味でも提供していたと考えるのはどうだろうか。
「そんなもので……脅されたって……私は……」
汗が顔に流れているのは、鎌による冷や汗ではないのだが、両手は今塞がってしまっている。
アーム状になっている蟲型生命体の腕を必死で引き離そうとしているからだ。
――持ち上げられている中で、思考を巡らせた結果として……――
ネーデルは汗で酷く濡れている両手を突然蟲型生命体の顔に持っていく。
それは、相手の顔を両側から掴む事を意味するが、まるで金属のような滑らかさを持っている事に驚く事は無い。
相手に打撃を与え、一撃離脱をしなければもう未来が無いのだ。
痛覚は人間であっても、異星人であっても、殆ど変わらないはずだ。
「ふっ!!」
ネーデルは、殆ど前後移動に対する自由の利かない頭を、相手の顔面目掛け……
εμ 頭突きをお見舞いする!! / HEAD ATTACK!! με
ネーデルの額が、生命体の三角形上に設置された3つの目玉の中心に向かって攻撃を開始する。
唐突に思い浮かべたかのような気合が放たれ、そしてその額が相手の顔面へと食い込む。
―ドスッ……
『グアゥアァガァア!!』
目玉の神経が敏感だったからか、それとも普通に痛覚が敏感に反応したからか、
ネーデルを落とし、鎌状の両手で顔面を強く押さえ込む。
因みに右手はネーデルを離した時点で既に鎌状に戻っていた。
高い場所に位置していたネーデルも、脚から土の地面へと落とされる。
危うく尻餅を付く所であったが、両脚を上手く曲げ、何とか転ばずに着地をする。
(はぁ……はぁ……)
ネーデルは頭部及び、胴体をやや前に倒しながら顔面を押さえている蟲型生命体の姿をしばらく見ていたが、
その相手の姿を確認し、まさに今逃げるべきであるとすぐに気付き、一気に走り出す。
―■ 果たして、痛がっておしまいなのだろうか? ■―
しばらく、蟲の姿を持った生命体は顔面を押さえ込んでいたが、
付近から少女の気配が消えた事を視覚以外の何らかの要素によって察知したのかもしれない。
左手はそのままに、右手でまるで顔面を抉るように捩じ込み、そして何かを取り出した……。
ιι 緑色に光る
それを見ると、数秒前にネーデルを見ていたあの目玉と酷似しているようも見える。
球体の中心には、違う色の小さな円形状の何かが映り込んでいるが、人間で言う瞳のようなものなのだろうか?
しかし、その人間の拳よりやや小さいサイズの球体は、この生命体の目玉とサイズが一致していたのだ。
それを再びアーム状に変形させた右手でしっかりと掴み、そしてそれを横に向かって速度を付けて突き出す。
それだけでは終わらず、ネーデルの走り去っている場所へと角度を調整していく。
β◆◆ どこにいる……? 探し出せ……
鋭く、素早く動かし、素早く腕を止める。
止めたと思えば、1秒と間を置かず、再度素早く動かし始める。
軌道ラインに、一瞬でも目標の姿が入り込めば、そこからまた追い込みが始まる。
υ△ 左へと…… 右へと…… △υ
――≪
人間の目とは完全に作りが異なっているのか、人間にとっての不可視光線すらも見る事が出来るのだ。
立ち並ぶ木々の間から、
少女が転びそうになった際に、反動で異性の人間が喜ぶようなものが一瞬見えてしまっていたが、
価値観の違いから、この生命体が反応らしい反応を見せる事は一切無い。
δδ しかし、相手の姿だけは鮮明と捉え続けている
木々が邪魔であるならば…… ▼▼ 木々が透けるように調整すれば良いのだ
後姿を見せながら走り去っていく少女は…… ▼▼ 掴みかかるべきか、或いは……
β▼ しかし、まだ顔面が痛いのだ……動けないのだ…… ▽β
ネーデルから受けた頭突きの痛みがまだ抜けてくれない。
生命体とは言え、いや、その種族であるからこそ敏感な場所だってあるのかもしれない。
鎌状であった左手をアーム状に変形させ、まだ顔面を強く押さえ続けている。
人間であれば、顔面を押さえ込んでいる間は視覚に頼る事が出来ないのだが、こいつは別である。
目玉を取り外せば、いかなる状況であっても、周囲を見渡す事が出来るのだ。
◆◆ 目玉を外せるという事は、視界を自由に操作出来る事でもあるのだ ◆◆
だが、いつまでネーデルの後姿を眺めているのか。
再度追いかけるならまだしも、それすらしていない。
いや、追いかける計画ではなく、別の計画を考えているようである。
まさにその目玉をネーデル目掛けて投げ付けようとしている。
――ηη
生命体の正面、頭部から見て2時の方向に、抜き取られた目玉が向けられていた。
手に反動を加え、投げ飛ばそうとする。
ρ
そもそも何故投げられたのかが気になる所である
視覚情報を得る為の器官を投げて何をしたいのか
――γγ 1人歩きの如く、投擲された目玉は突き進む…… / FUTURE DISRUPTION γγ――
走り去っている少女の地点へと球体は近づいていく。
球体自体に自己移動操作の力は備わっていないとは思われるが、それを思わせる程に正確だ。
目的地は、どうやら
それも、ネーデルの至近距離の。
◆◇◆ 地面へ落とされた時、奴は周囲に驚愕を与える…… / INVOLVE THE DIRT ◆◇◆
―ジュッ!!
地面に落下し、埋まると同時に、まるで炎を水中に入れた時のような音が鳴り響く。
効果音は、余興の挨拶として役目を瞬時に終わらせてしまった。
地面に突き刺さった目玉は、きっと少女の未来に
ξξ 真っ赤に染まり、いや、熱されていくその目玉は、やがて周囲を高熱に変えていくのだ
ψψ◆ 周囲に誰かがいれば、傷付けてやるくらいは出来るのだ! / LITTLE ERUPTION!! ◆ψψ
真っ赤に染まり上がった球体は、振動まで発動させ、1つの限界地点を越えた瞬間に、牙を剥き出しにする。
炎が消滅する音が少女に聞かれていた事が幸いであり、そして不幸でもあったのかもしれない。
(!!)
ネーデルは背後に落ちた何かを直接見ずに、今までの戦闘経験から強制的に脳内に指令が送られたのだろうか、
隣に生えていた逞しい樹木に身体を移し、身を隠す。
―ドゥウァアアァアン!!
▲▲
炎で周囲を埋め尽くすのではなく、爆風によって地面の残骸を吹き飛ばし、周囲の生物を傷付けるのが目的だ。
炎上規模は極めて小さく、残った炎は殆ど焚火にしか見えない程の低い迫力だ。
しかし、爆風を
その証拠に、ネーデルの隠れていた樹木の両端を、
切れ味は悪いだろうが、それが束になって襲い掛かってきたら無傷では済ましてもらえない。
爆風による風のみ、ネーデルに影響を与え、スカートと上着を真前へ揺らさせていた。
(小細工……だらけ……ね……)
熱の加わった風に気持ち悪さと恐ろしさを覚えながら、敵対者のある意味で豊富な攻撃手段に尚更不安を覚えてしまう。
爆風の足跡として残された炎は未だに燃え上がり、周囲を怪しく照らし続けているが、
相手の性格を考えれば、隠れ続けていても決して安全ではないと意識するのが普通なのかもしれない。
最も、ネーデル自身はその投げられた物体の正体をまだ直接目で確認していないのだが……
ネーデルは背中をべったりと樹木に押し付けていたが、そろそろ進もうと、樹木に両手を付け、身体を前へ押し出そうとした。
その時に感じた
確かに樹木は熱かったのだ。先程までは夜風に蝕まれ、冷えていたのに、今はそのまるで逆なのだ。
その熱さは、他人事ではなかったのだ……!
――樹木から距離を取ったと同時に……――
β■ 樹木は一瞬で炎に包まれ、強烈な熱気を周囲に飛ばす / FIRE FIELD!! ■β
天にまで届く……とまではいかないものの、それでもかなりの高さを誇っていた樹木が、
今は
原理を深く追求しようとは考えず、ネーデルはただ一時的に呆然と炎を見つめた後に、
残る力を振り絞るかのようにまた走り出す。
――蟲型生命体はまだ動きを封じられているはずなのだから……――
絶対に信じたい……
あれ以上、追っ手が来ない事を信じたい……
予測の難しい追撃が来ない事を信じたい……
自分の力だけを信じたい……
走り続ければ助かる事を信じたい……
もし何かあったとしても……
煙幕も、爪も、苦味の劇薬も持ち合わせてる……
病魔に侵されてても……私は戦えるんだから!!
精神力は、気合という名の栄養を注ぎ込む事で、弱る力を強める事が出来る。
この世界の栄養源には、必ず限界があり、それ以上は人間の力で制御する事が非常に難しい。
時間の経過と共に、復元されるものがあるのは確かであるが、その為には、安全な場所が必要不可欠だ。
休養は、傷付いた身体をゆっくりと癒してくれるが、戦場ではそれを一切許さない。
ギリギリまで残った気合を、搾り出さなければ、戦場で生きる事は許されない。
―αζ 頭痛が再度、また再度、迫ってくる…… ζα―
(うぐっ……)
遂に、立っている事すら不可能になり、しばらく走り続けていた身体をしゃがみ込ませてしまう。
確かに劇薬は飲んだはずだというのに、まだ効果が現れてくれなかったのだろうか。
それとも、解毒の為に体力を更に消耗させてしまっているのだろうか。
しかし、今度こそ、もう立つ事が出来なかったのだ。
――身体中が震えている……
――頭の中もグルグルと回っているような錯覚に襲われ……
――目も激しく回っているような錯覚に……
――身体中に纏わり付く脂汗が非常に気持ち悪い……
――次、襲われたらどうすべきなのだろうか……
「はぁ……はぁ……」
今度こそ、精神力や気合、少女という障害を破壊した根性を出した所で、もうネーデルの身体は受け付けてくれないだろう。
今まで酷使した精神力はもう消えかけており、それが尽きる事は、行動の束縛を意味するに等しい。
激しく震え上がる右手で顔を押さえているが、それで流れ落ちていく精神力を食い止める事も出来ていない。
呼吸すらも息苦しく、まるで死ぬ直前に来ているかのような気持ちにすらなる。
付近で聞こえる、風で草木が揺れ、それらがぶつかり合う音すらも幻聴に見えてくる。
環境に変化が起ころうが、もう少女は動く事が出来なかったのだ。
立ち膝で、ぐったりと腹部を、立てている右膝に預ける事しか出来ず、脚に力が入らなかった。
少しバランスを崩せば、そのまま土の地面に転がり混んでも不思議ではない。
後は、追っ手に捕まり、連行されるのを待つだけなのだ。
動けない身体は、
獲物を喰らう猛獣達が接近してきた時に、対抗する事が出来るのだろうか。
―スタッ……
目を強く閉じていたネーデルにこの音の意味が理解出来たのだろうか。
やや遅めにその赤い瞳を開いたが、この地で響く効果音全てが負の力に思えてしまう。
今はただ、追っ手がまたやってきたとしか考える事が出来ない。
直接見ずとも、過去に4度、即ち4体の相手に襲われていたのだから、疑っても
敵対者に情けを与える必要も無いのだ。
――何か相手が喋ってきた様だが、上手く聞こえず……――
背後から来ているらしい。
出来る事なら、体力が万全の状態で懇親の一撃を喰らわしてやりたかった。
だが、ここで攻撃を繰り出せば、それで体力が尽きてしまいそうだ。
今度こそ……尽きてしまう……
本当に……尽きるのは目に見える……
だが、人間でも無いような生命体に捕らえられるのは御免である。
どのような形でもいいから、今接近している誰かにきつい一撃でも喰らわしたかったのだ。
どちらにしても捕まるなら、一撃を与えてから意識を失った方がマシかもしれないのだから。
ζζ 最期の一撃に全てを…… / PERIL CHANCE!! ζζ
背後にいるのは分かっている。
確実に誰かが近づいている。
確実にそこにいる。
本当に一撃が通用するかは分からないが、自分の右脚は体術の為に相当鍛えられている。
体力を使い果たせば、脚力が持つその重たい一撃を相手に注ぎ込む事が出来るのだ。
汗で周囲が激しく濡れている赤い瞳が背後を睨みつける。
本当に誰かがいる。
――もう迷う必要は無い!!――
「来るなぁ!!!」
命の限界とも思える世界で、ネーデルは死ぬ気持ちで声を張り上げる。
そして、背後にいる誰かの顔面を狙い、後ろ蹴りを繰り出す。
■■ これで相手が倒れてくれれば…… !!
―バン!!
そこに歯応えは確かに存在したが、ネーデルの右脚は伸ばされたままであった。
まるで押さえ付けられたかのように、引き戻す事が出来ない。
ネーデルの表情には悔しさと悲しさが徐々に浮かぶが、相手をよく見る事も大切だったのかもしれない。
「ネーデル待て!」
ネーデルの耳に届くのは、落ち着いた印象のある若い男性の声だった。
攻撃を繰り出す前に聞こえていた声色も、この種類に間違いは無い。
――茶色の仮面のような頭部に見覚えさえあれば……――
ネーデルの赤い瞳は、徐々にその蹴りを左手だけで受け止めた者の姿を鮮明にしていく。
周囲が暗くても、仮面の間から除く、光る両眼が徐々にその全体像を作り出していく。
見覚えのある相手であれば、身体的な特徴を1つ見るだけで、勝手にその姿がイメージされていくものだろう。
そして、その何者かは再びネーデルに声を浴びせる。
「もう心配はするな」
その者はきっと、ネーデルの今の状況、特に体力的な事情を素早く察知したのだろう。
息を切らした様子や、顔の傷及び、汗から、ネーデルの心情さえも理解し、攻撃をされた事に対する憎悪は一切見せていない。
ただ、この者は顔の作りの都合上、人間のように柔軟な感情を直接表す事が出来ない事情もあるのだが。
――事実上の助けがそこに来たのだ……――
「シヴァ……さ……」
まだ数日すら経っていないが、それでも1つの
ネーデルはまるで安心し切ったかのように、何もかもが身体から抜け切った錯覚を覚え始めた。
――緊張感も抜け……
――身体の力も抜け……
しかし、身体の力が抜けてしまえば、ネーデルは地面に倒れこんでしまう計算になる。
シヴァはそれを見逃す事はしなかった。
恐らく、ネーデルの姿から見られる体力的な部分も既に分かっていたのだろう。
「ネーデル!!」
シヴァは、背中から倒れ始めたネーデルの背後に神速で回りこみ、両腕でその青い服で覆われた身体を包み込む。
本来であれば、その場でネーデルから、今の身体的な状況を聞き出したかったのかもしれないが、
シヴァの光る両眼はすぐに背後に向けられた。
―― どんな場面でも、油断をしないのがこの亜人である ψψ
シヴァはすぐに両脚の
家一軒くらいならば軽々と飛び越えられるであろうその跳躍の真下に通るものは……
―ビュヴァバババババババァア!!!
θθ 緑に光る
シヴァはまだゼーランディアの追跡から逃れられていなかったのだ。
きっと、何かの気配に気付いていなければ、餌食になっていたのは確かである。
高い高いその樹木群の太い枝を飛び移りながら、シヴァは心中で考えていたのだ。
(一旦逃げてからだな……。話は)
顔面から風を浴びながら、シヴァは両腕で抱き抱えているネーデルを見ずに、
正面だけを捉え続けながら森林を跳躍移動し続けていった。
ββ どんどんシヴァの距離が離れていき、やがて見えなくなり…… ββ
土の地面の上に、乱暴に降りてきた者が1人、いや、1体と言うべきか、骨の両足を持った生命体が降りてきたのだ。
周囲は木々に覆われ、逃げていくシヴァ、そしてそのシヴァに抱き抱えられているネーデルの姿はよく見えずとも、
逃亡という事実だけはすぐに把握する事が出来るだろう。
『グレンディファーノ……』
ゼーランディアである。
深青の魔眼を龍の頭部を思わせる
――もう1人、ゼーランディアの横に現れ……――
次のは、地面に降りてくるのではなく、直接歩いて現れた。
濃い緑の服を纏った、誰がどう見ても分かるような人間の女の子である。
「あいつらには退去命令出しときました。ワタシ達も戻らないと危ないんじゃないんですか? バリア解除されたらゼーランディア様は死にますよ?」
顔をほぼ真上にあげなければ目を合わせる事も出来ない相手に向かって、
メイファはそう言っている。
思えば、太陽もうっすらと地平線の奥から見えており、徐々に朝が近づいている事を知らしめている。
『マーディアペイム……ピシュリンゲルト』
胴体及び、そこから下の身体は殆ど動かさず、眼だけを動かしながらゼーランディアは返答し、
そしてやや明るくなっていた空を見上げながら左腕で仰ぐように合図を一度する。
――その左腕からは、焼けたような煙がゆったりと出ていたのだが……――
「結局あいつ……母親の元に戻る気は無かったみたいね。そんなにナディア様が嫌いだったのかしら?」
メイファはまるで飽きたかのように、両腕を伸ばしながら樹木に寄りかかり始める。
あの時のネーデルに対する罵声はどうなってしまったのだろうか。
それとも、睡眠欲が押し寄せてきたからか、あまりしつこく追いかける気にもならなかったのかもしれない。
その
ネーデルにとっては、母親は愛情をくれる存在ではなかったのだろうか。
――2人、いや、1人と1体の頭上から、柱状の光が降りてくる……――
――光の中で、1人と1体の身体が透けていく……――
――夜空には、葉巻型を思わせる巨大な飛行物体が浮かんでおり……――
徐々に身体が透けて見えなくなるその時に、メイファはあの少女を思い浮かべ、
心中であの逃亡行為を後悔させるような小言を呟いていた。
(今逃げなかったらまだ良かった方なのにね。フレイア達が動き出したらもう拷問確定だってのに、損したわねぇネーデルは)
組織は、ネーデルを諦めた訳ではないようである。
しかし、この名前は今回の話には一切出てきてない人物……と断定しても良いかは分からないが、出てきていないのは事実。
荒らされた森林は、朝方には何事も無かったかのように復元されていたらしい。
アビス達が気付くのにそうは時間はかからないだろう。
ネーデルの失踪に気付くのには……