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 馬車の荷台から降りたクリスは、馬主の元へと、そう距離の離れていない場所へ足を運んでいる。既に外の天気は晴れており、先ほどの豪雨が嘘のようにも見える。しかし、地面にはいくつもの泥濘が出来ており、足を地面に接触させる度にびちゃびちゃと音が鳴る。

 馬車は動き続けているが、それでも置いて行かれるほどの速度では無い。軽々と馬主の座る前部へと到着し、そして馬主の許可も待たずに取っ手に手をかけ、登ろうと体を持ち上げる。

「あの、すいません! 馬主さん、ちょっと聞きたいこ……」



――体を持ち上げ、そしてようやく馬主と顔を合わせられるはずが……――



 クリスの声を詰まらせた原因は、馬主では無い別の男が顔面間近にあったからである。



――映ったのは、金色の短髪で、橙色の目つきの悪い目を携えた、馬主に比べると随分若いが、
確実に馬車の荷台にいる者達よりはずっと年上の……――



「……」

 金髪の男は、左から聞こえる幼さを携えた独特な声色に、顔をその方向へと向けるが、目の前に映ったのは、とても荒々しい世界を生き延びるハンターとは思えないような、文字通りの少女と言う概念にあまりにも執着し過ぎた顔だった。水色の透き通った瞳に、厳つさを全く見せつけない子供のような表情。

 それに対してただ声を詰まらせているのだろうか、男は全く口を開く事をしなかった。少女の方も多少の驚きに声を中断させていたが、その後男はその態度の悪そうな雰囲気とは裏腹に、とんでもない事をしてしまう。



――一体何があったのだろうか、男は突然大声をあげだしたのだ……――



「うわぁあああ!!」

「きゃっ!!」

 男は少女と顔を合わせた状態で、鼓膜に強く響くような、情けなくも、痛ましい大声で、少女を音圧だけで突き飛ばす。

 取っ手に手を引っ掛け、掴まっている状態のクリスは、その突然の大音声だいおんじょうに驚き、うっかり手を放してしまい、そのまま軽くぬかるんだ地面へと背中から落下する。



「痛っ!」

 先ほどの痛みがまだ残っていると言うのに、大した高さでは無いにしろ、背中に走る痛みにクリスは軽い悲鳴を上げながら、両目を強く瞑る。



「あ……やっべぇなぁ……、おいわりぃ、馬車止めてくんねぇか?」

「任せときな。今止めるから」

 少女を声だけで突き落としてしまった男は、罪悪感を感じながら、馬主に対して敬意を見せないような態度で頼むと言うよりは、強制的に止めさせると言った感じで停車させ、そしてやや面倒そうに、停車した馬車の操縦部から飛び降り、何とか上半身を起こしている少女の元へと近寄った。



「おい! 大丈夫か? さっきは悪かった」

 軽く自分の体を抱きしめるようにして痛がっている少女に近寄り、少女の目線に合わせるつもりなのだろうか、金髪の男もしゃがみ込んで少女の無事を確認する。

「いったぁ……。あ、一応大丈夫ですが……」

 クリスも落下した際に僅かにきつい痛みが走ったとは言え、自分も相手を驚かせてしまったのは事実だと思い、痛みに堪えながらも、何とか相手に自分が無事だと言う事を伝える。



「悪かったなぁ、たったさっきあんな奴に襲われたばっかだってんのにまたひでぇ目に遭わせちまって。ん? なんだあいつら」



――馬車の後部から姿を見せた三人。その存在が、男の目に入る――



「クリス、どうしたんだよ? いきなり『きゃ〜』だなんて」

 少女の叫び声は馬車内部にもしっかりと伝わっていたらしく、その異様な外の様子に何か只ならぬ雰囲気を感じた三人は、それぞれの痛みも忘れ、馬車から下りたのである。

 最初にクリスの座り込む様子を見つけたスキッドは、先ほど聞こえたであろう悲鳴を再現しながら、クリスに近寄る。だが、その視線の先の対象は、少女から、別の物へと変わった。

 ハンター業を営んでいるかどうかは不明だが、金色の短髪、前方の開いた白い網模様の入った水色の半袖シャツ、そして、赤い長ズボン。両耳に三つずつ付けられた銀色の振り子のように揺れる長方形の細長いピアスがやや悪そうな外見的な人柄に更に拍車をかけている人物である。

 ピアスと言う点ならば、ミレイも同じように一つずつ両耳には付けているが、女の子の着用は単なるお洒落として、特に威圧感は感じないのに対し、男性が付けていると、やや乱暴で近寄りがたい印象を受けてしまう。

 その男は、スキッドにとっては見覚えのある人物であり、尚且つ男にとっても、スキッドは既知の人物であった。



「あれ? お前って、スキッドじゃねぇか!」

 金髪の男はスキッドを見るなり、突然のように声をあげだし、そしてスキッドもそれに当たり前のように反応する。



「そう言うお前も、ぜってぇ……」
「スキッド! さっきの悲鳴なんだったか分かった?」

 男の名前を呼ぼうとしたその時だった。遅れて現れた二人の仲間の内の女の方、即ちミレイがスキッドに悲鳴の正体を聞こうとしたのは。



「ん? ああ、なんかクリスねぇ、この男になんか苛められたみたいだぜ。だから絶叫あげ……」
「んな訳ねぇだろ! こんハゲが!」
「ってぇ!」

 スキッドはミレイの方を向きながら、そして金髪の男を平然と指差しながらクリスが被虐された事を想像し、男の評価が著しく下がるような事を普通に説明する。

 だが、男はそれで黙っているはずは無かった。元々態度は粗暴な部類に入る男だ。スキッドの背後からヘルムのつけられていない頭を叩き付ける。無論、スキッドは禿はげでは無いが。



「ああ、違うの! この人はちょっと、えっと、私がいきなり目の前に現れたからちょっと吃驚びっくりしただけなの! 別に苛めとかそんな事無いよ! そんなに痛がらないで……」

 スキッドは金髪の男から頭部に攻撃を受け、その痛がる姿を見て彼が可哀想だと思ったのだろうか、クリスは自分自身が痛い事も忘れてすっと立ち上がり、スキッドに近寄って痛がる頭を見ながら、非常に悲しそうな表情と声色に変貌する。

「ごめんな……。あんな乱暴男のせいでお前の事困らせて……」

 クリスの悲しい顔を見るなり、スキッドは自分の痛がる姿が目の前の少女に不愉快な気分を与えているのかと思い、自分の頭を押さえている両手を解放させ、金髪の男に指を差しながらクリスのように声を弱まらせる。





「おい……。なんか真面目にオレだけ悪もん扱いみてぇじゃねぇかよ……」

 二人で悲しみ合う姿を目の前で見せられている金髪の男は、半ば強制的に罪を着せられたような気になり、一人だけ完全無欠な極悪人に仕立てられた事によって二人に介入するに介入出来ない気まずい空気が生まれてしまう。

「スキッド……お前何やってんだよ。ってかそこの人って……あれ? フローリックじゃん!」

 アビスはスキッドとクリスの妙な様子に呆れながら、スキッドにだけ標的を定める。元々スキッドは煩くて、そして女の子に対しては加減を弁えない振る舞いを見せるだらしない性格であるのに対し、クリスは外見は兎も角、性格は真面目であり、しっかりしている為に今目の前で起こっている事もどうせスキッドのせいだろうと、クリスを責める事はしなかった。

 それよりも、この妙な空気を作り出した事にされているであろう、金髪の男は、アビスにとっては確実に面識のある男であり、そして思わずその男の名前を呼んだ。



「お前、アビスじゃねぇか。なんかあそこの親父が倒れてるハンターども馬車に運んだとか言ってたから、どんな連中かって思ってたら、お前らだったのか」

 フローリックはポケットに両手を突っ込みながら、スキッドとクリスの横を通り、アビスへと近づく。

「あ、あの〜、あたし達の事助けて下さったのって、貴方ですか?」

 アビスの後ろから現れたミレイは、初めて目にする金髪の男を見て、その男が自分達四人を馬車まで運んでくれた人物なのかと考え、初対面と言う事もあってやや関わりにくそうな事を表すような、一歩引いたような口調で男に尋ねる。



「いいや、オレは別になんもしてねぇよ。ってかお前誰だ?」

 フローリックはポケットに手を入れたまま、一度質問してきた少女から橙色の死んだ魚のような目を他方へと向けた後、再び少女の方へ向き直し、名を聞く。

「あ、はい、あたし、ミレイって言います。アビスの友達です」

 ミレイは男のやや威圧的な雰囲気を思わせる態度に一瞬話し難さを覚えるが、初対面であるからにはしっかりと自己紹介はしないといけないと、頭を下げながら、アビスとの関係を言った。



「うん、そうそう。俺の友達」

 アビスも、ミレイに続いてそう言うが、特にこの台詞の必要性は感じられない。ただ何となく続いてみたかったのだろうか。

「なるほど、ちょっと見ねぇ内に随分賑やかになったんじゃねぇか。それと、お前はなんて名前だ?」

 アビスと離れてから数日が経ったが、その間に既に新しい仲間を作り上げていると言う事実が表には笑顔としては出なかったが、心の内では関心を覚えるフローリックだった。そして、その四人の内、まだ一人だけ名前を聞いていない者がいた。それは、さっき顔面に突然現れた赤い防具、赤殻蟹の防具を纏った少女だ。

 フローリックは後ろを振り向き、既に悲しみ合う状態を解除している赤殻蟹防具の少女に目をやりながら、名前を聞く。



「あ、私ですか? 私はクリスティーナって言います。でも呼ぶ時はクリスって呼んで貰えれば結構ですので、これから宜しくお願いします!」

 クリスは自分の本名を名乗った後に愛称で呼んでもらうように頭を下げながら頼み、そして最後の挨拶の際に左目でウィンクを飛ばす。

「クリスな、分かったわ。ってかウィンクはちょいやめろ……。気まずくなるっつうの」

 とりあえずフローリックは初めて出会う少女二人の名前を知ったのはいいとして、ウィンクを飛ばされたのは相当きつかったらしい。軽い苦笑を浮かべながら、ウィンクを否定する。



「あ、すいません……」

 クリスは挨拶気分でさり気無くおこなったウィンクであったが、それによって意図せずに相手を傷つけてしまったのかと思いこみ、さっきまで元気であった挨拶の時の声を低くしながら、謝った。



「おいおいクリス、いいんだぜ、お前なぁに謝ってんだよ? お前からウィンク貰えるって幸せな事なん……」
「お前は一回ずつうっせんだって! なんでもかんでも話題に持ってくんじゃねぇよ。っせぇ野郎だなぁ……」

 再び始まろうとしていたスキッドのその些細な事柄から話題を発展させると言う良くも悪い癖を感じ取ったフローリックは、照れ臭そうに外方そっぽを向きながら、舌打ちをする。



「あ、あの! すいません! そんな事より、どうしてあたし達が助かったのか、もし宜しかったら教えて頂けませんか? ここにフローリックさんもいらっしゃったって事は何かご存知なんですよね?」

 スキッドのどうでもいい対応を無視するかのように、ミレイはフローリックに近寄り、絶対に聞きたいと言う事を思わせるような、僅かに焦ったようにも見えるその態度で、四人が生還出来た理由を聞こうとする。

「それかぁ、別にオレが助けたって訳じゃねぇけど、まあそこんとこは馬車ん中でゆっくり話してやっから、一回乗れ」

 話せば長くなるのだろうか。フローリックは馬車の荷台をやや乱暴に指差しながら、四人を再び馬車の中へと戻し、そして、フローリック本人も、馬車内部へと入っていく。

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