ゴンドラの先頭を確保した五人の後ろには徐々に他の客も集まり始め、そして崖の上から戻ってきた無人と化したゴンドラの中へと、係員らしき男に合図される。
まるで分厚い板の周辺に落下防止用の柵を張り付けたような、やや簡素な造りでありながら、普通に二十人近い人間を乗せれるほど、なかなかの巨大な構成となっており、目的地となっている崖の上へは、斜めにと言った感じの軌道で分厚いワイヤーで運ばれていく。
引っ張られている最中のゴンドラの下には、いくつも並んだ民家が映り、そして民家に挟まれた街路には人々で溢れており、まるで静まる事を感じさせないような活気を覚えさせてくれる。
そんな光景がもうすぐ乗客、そして五人の目の前に広がるであろう、ゴンドラが動き出したその時である。
――ゴンドラの出発地点付近から、女の子の声が響いたのは……――
「あ! すいません! わたしも乗ります!」
少女らしく、トーンが高いが、やや落ち着いた印象を与える声色がゴンドラにぶつけられるが、既に動き出したゴンドラはその要求を聞いてはくれなかった。
「あぁ? なんだ?」
フローリックは突然自分の右側から響いた声に、軽く眉を顰めるが、そんな事はお構い無しに、自分の話題に引き返す。
――今のアビス達の
フローリックは、ゴンドラの進行方向に対し、ゴンドラの左部に立ちながら、柵に寄りかかっている。
ミレイとクリスは、フローリックと向かい合うように、右部に立っている。
左部の柵との距離が遠い為、殆ど支え無しで立っている状態だ。
そして、アビスとスキッドは、ゴンドラの最前方の柵に寄り掛かりながら、話を聞いている。
地味に、声を発した女の子の姿が一番見やすい場所……
「まいいや、兎に角だ、そのジェイソンって奴がなぁ、やっと衛兵カナブンっつうなっかなか見つかんねぇ虫が見つかってな、それでやっと自分の武器のレベルアップ出来たんだってよ」
ゴンドラに走り寄ってくる女の子の事等まるで気にせず、これから出会う仲間が強化の為に必要な素材を苦労の末に発見し、そして念願の強化が出来たと言う事を話した。
「そうなんですか? それで、どんな武器に強化されたんですか?」
ミレイとしては、衛兵カナブンと言う珍しい昆虫の力でジェイソンと呼ばれる男の持つ武器が強くなったと言う事は理解出来た。だが、一体どんな武器、名称になったのだろうか。
――少女は、徐々に高度を上げていくゴンドラに向かって跳躍する……――
頂点ギリギリで少女はゴンドラの縁に掴まり、そして、反動によってゴンドラが揺れる。
「きゃっ!」
「うわっとっと!?」
ゴンドラの震動で柵と言う支えの無いミレイとクリス、特にクリスは周囲に捉まる物が無かった為、バランスを崩しかけるも、咄嗟に隣にいたミレイが左腕で腰を抱えるように支えてくれた為に
他の
「なんだおい……。随分物騒だなぁ。んとだ、あいつインセクトエッジって武器にしたんだってよ。なんか
フローリックも震動の被害者となるが、柵が後ろにあった為に、転ぶような真似は見せなかった。恐らく震動の原因は最後方であるだろうと、そっちに一瞬だけ目をやるも、そこを凝視する事無く、質問相手であるミレイを向き直す。
「翅ですか……。あれって結構鋭いんですよね」
ミレイはゆっくりと支えていたクリスから左腕を解放させ、昆虫型のモンスターの持つ翅の斬れ味に納得を覚える。昆虫の翅と言う脆いイメージとはかけ離れたあの斬れ味の鋭さは、武器の素材としても非常に優秀なのだ。
――縁に掴まった少女は、体を宙にぶら下げたまま、柵の天辺に両手を登らせ……――
そして、腕の先端を軸に、床の役目を果たしている板の部分を蹴り、
まるで柵の上でハンドスプリングをするかのように、豪快なアクションで締め括り、
ようやくゴンドラの中へと到着する。
既にそのスペースを確保すべく、乗客は場所を空けてくれており、
そこに降りたのである。
「ああ、たかが虫だからって侮んじゃねぇってこったな。ってうっせぇなぁ……」
フローリックはすぐ右側で湧き上がる拍手にも目も向けず、モンスターとして扱われる虫、紺角蟲と黄甲蜂の強靭さを思い浮かべる。多少、拍手を煩がってはいるが。
――何故か、アビスとスキッドは目を丸くさせているが……――
着地に成功した少女は、軽く息を吐きながら、拍手に塗れるその空間の中で、自分がやった過ちに軽い詫びを乗客に払った。
「あ、あの、ご迷惑かけてすいませんでした……」
少女は頭を下げるが、何故か乗客、特に男性陣はどこか笑顔、嫌らしさを含めたような表情を浮かべており、そして口々に少女に言葉を浴びせていく。
「おお、なかなか元気な嬢ちゃんじゃんか!」
「活き活きしてんなぁ!」
――そこまでは良かった……――
――だが、次の男の台詞が……――
――フローリックの台詞と
「後最近なぁ、この街でハンターが行方不明になるって事件あってなぁ、その話も兼ねて鍛冶屋行くって感じなんだけどな」
「パンツは水色かぁ! なかなかいい趣味持ってんじゃねえかぁ!」
――フローリックには分からない……。一体どんな状況になってしまっているのか――
喋ってる本人は、他人の声等まともに聞きとる事は難しい。
恐らくは男が口走った事にすら気づいていないだろう。
「え……えぇ!?」
被害者の少女は、驚いて短いスカートを押さえながら、乗客の中に混じったにやけた男達から距離を取ろうとしているのだろうか、柵に背中を押しつけながら、赤面させた。
どうやら、男達はハンドスプリングのように柵の上で体を一度上下逆にし、そしてその逆の状態から元の状態に戻る少女の動きを見逃さなかったらしい。何とも悲惨かつ微笑ましい風景だ。
そして……
――ゴンドラ内で、一気に爆笑の嵐が吹き荒れた……――
「実はだ、ジェイソンもなんかその事件の事妙に思ってるらしくてだ、なんか知ってる事ある……ってうっせぇなおい!!」
少女の身に降りかかっている災難の事も知らず、自分の用事だけにしか興味の無いフローリックは、何かの事件の話を淡々と続けるが、あまりにも笑い声が煩く、徐々に自分の声がその笑い声に負けていってる事に気付き、遂に乗客達に怒鳴り散らす。
しかし、その怒鳴り声でも何十人もの乗客の重なった笑い声には敵わず、フローリックがどうして怒鳴り出したのか気になったミレイも自分の左側、事が起こっている場所を見ながら、隣にいるクリスに喋りかける。
「なんで笑ってんの? この人達。クリス、分かる?」
突然質問されたクリスも、今一状況が読めない為に、返答に困る事になる。
「え? いや、いきなり聞かれても……ちょっと……」
困るのも無理は無い。ミレイもそうであるが、クリスもその爆笑の嵐が生まれる原因を直接は見ていなかったのだから。
「あ、そうよね、じゃああんたらなら分か……って何やらしい顔してんのよ……」
――ミレイは目を細めながら男二人を見つめた。この二人だけ、唯一現場の真正面に立っていたのだから……もしや……――
「随分うっせぇな。おい、何あったんだよ、ちょっ教えてくんねぇか」
フローリックは一体何事かと、最短距離に立っている初老ではあるが、身長はフローリックとほぼ同程度のその男の背中を叩き、事を聞こうとする。
「ん? お前見てなかったのかぁ、残念な奴だなぁ」
その男は、文字通り、何か素晴らしい物でも見たかのような満身の笑みを浮かべながら、まるで嫌みのように、フローリックの肩に片手を置いた。
「何だよ、意味分かんねぇよ。ちゃんと教えろ」
「いいぜ、ちょっと耳貸せよ」
「あぁ?」
男の言う通り、ピアスが三つ付けられた右耳を出し、男はひそひそと、事の経緯を喋り始める。
「アビス、何あったの? 見てたんでしょ?」
フローリックが耳を貸している間、ミレイはアビスに質問をするが、
「いや〜、別に大した事じゃ、無いと思う、な?」
アビスは僅かに顔を赤らめながら、知らん振りしようとしながら、答える役割をスキッドに譲り渡す。
「ああ、全然知らない。マジで」
スキッドもどこか声を強張らせながら、見たと言う表情を完全に表現しながらも、バレバレな嘘を吐く。
耳を貸しているフローリックに、徐々に事件の成り行きが入り込んでくる。
「んでな、あの
「あぁ」
男はゴンドラの後部で恥ずかしそうにきょろきょろしている少女を親指で差しながら、事の成り行きを話す。
「そしてだ、見えたんだよ……」
「はぁ? 何がだよ」
その見えた物を話そうとした途端、突然男の声がにやけによって歪みだし、フローリックは嫌らしく横目で男を見ながら、続きを説明させる。
「いいぜ、あのな、水色のパン……」
「変態じゃねぇかおめぇら!!」
――フローリックは咄嗟に判断したのだ。男が何を考えているのかを……――
フローリックの怒鳴り声がゴンドラ中に響き渡り、その瞬間、笑い声や、少女の豪快なアクションについて隣同士で喋っていた者達の声がぴたりと止んでしまい、静粛がこの空間を包み込んだ。
怒鳴ったフローリックは、被害者であるだろう、青いロングヘアーをした少女を見るなり、スカートを押さえている様子から、即座に男達の嫌らしい目の餌食に遭ってしまったんだと、僅かながら、同情を覚える。
少女の方は、助けてもらっているのか、それとも自分のせいで人を怒らせてしまったのか、と言う複雑な心境に陥れられている。
「っておい、なんだよいきなり。ちょっとぐれぇ空気読めよなぁ、お前よぉ」
フローリックに事を説明した男は、折角気分の良い空気が生まれていたと言うのに、それをぶち壊しにされてしまい、不満そうにフローリックを指差す。
「空気もなんもねぇだろ。ただの変態じゃねぇか」
指を差されても尚男から引き下がる様子を見せず、今指を差している男及び、その他の乗客を見渡しながら、フローリック本人は男性陣にのみ標的にしているであろう、睨み廻しながら舌打ちをする。
「あの、フローリックさん! 一体何あったんですか?」
怒鳴り声に機敏に反応したミレイは、ここで起きた事実を聞こうと、威厳を放っているフローリックに怯みもせず、近寄って訊ねる。
「あぁいや、お前は知らんでいい。下らねぇ事だから」
内容が破廉恥なものである為に、フローリックが内容を教える事は無かった。左手を払いながら、拒否する。
「変態って、お前から聞いてきたんだろ? そんな事言うんじゃねぇよ」
質問をされた初老の男は、突然不機嫌になりだしたフローリックに、眉を潜め、どこか対抗意識でも持ちながら、溜息を吐いた。
「変態に変態っつって何わりぃんだよ。ってかやめろって、女一人そうやって集中狙いすんの」
フローリックは自分の意思を決して曲げず、男達が浴びせているであろうその
「いいじゃねぇかよ。気にすんなって」
それでもその初老の男は態度を改める様子を見せなかった。それ所か、やや調子に乗ったような印象を受ける。
男に続いて、他の老若の男達も次々と口を開き出す。まるフローリックだけが敵であるかのように、男一人を追い詰めていく。
「そうだぜ。お前もこっちに乗ってこいよな」
「ムードぶち壊しの最低男だ」
「折角もう一生見れないかもしれん光景だったのにな」
「勿体無い男だな」
その台詞を聞いたフローリックの心の内には、徐々に怒気が蓄積されていく。未だフローリックを除く男達は、あのある意味での絶景を忘れられないようである。
――そして……――
――遂に……――
「ああ、太腿がプリプ……」
「ブチ殺す!!!!!!!!!!!」
――老人の男、文字通りの頭の天辺が禿げたエロ親父の発言が、フローリックを、キレさせた……――
背中に背負った鞘を左手に持ち、飛竜の咆哮とも錯覚させるような大音量で怒鳴り散らし、そして右手で太刀の柄を引き、刃を鞘から覗かせる。
――目の前で刃を見せつけるフローリック。とてもこの男には近寄りがたく、そして恐ろしい……――
「うわぁ!!」
「きゃあ!!」
乗り合わせていた老若男女は、その太刀で斬り殺されてしまうのでは無いかと感じ取り、反射的に恥ずかしい思いをしたであろう少女の場所へと、引き下がっていく。