「てめぇ!!」
太った男はミレイの言葉に腹が立ったのだろう、まるで自分の身の程を弁えないような台詞を平然と飛ばしてくる少女の胸倉を乱暴に掴み、賊の顔と、少女の顔がぶつかるくらいの距離まで近づけ、そして怒鳴る。
賊の丁度両端の席にいた乗客がその威圧的な光景に思わず恐れ、窓際へと身を寄せる。
「煩いわよ。ってか唾飛ばさないでくれる? 凄い汚いんだけど」
至近距離から大声を出されたのだから、直接的な音量が耳には響くものの、ミレイはそれ以外の恐怖の感情を抱く事は無かった。ただ、顔にまるで水のような物がぶつかった感じを覚え、それが決して雨漏りでも無く、その他別の液体でも無く、賊の太った外見に相応しいような大きな口から放たれた唾液の粒だと言う事を理解し、言い捨てる。
「はぁ? お前そんなにぶっとばされてぇのか? あぁ?」
太った賊は自分の行いにはまるで見向きもせず、今置かれている状況に
「そんな事より、あたしの事捕まえて何しようってんの? 実はさあ、最近妙な事件多くてさあ、なんかこの前も変な武装身に着けた男二人組とか出てきたり、喋る龍が出てき――!!」
やはり、ミレイは目の前の太った賊及びその他の賊達とただ普通に言い合うのでは無く、自分を付け狙う目的を知りたかった。即座に知った上でそれなりの対処をしたいつもりである。
だが、それを強引に静止したのは、
――太った賊の右手の拳。それがミレイの顔を横殴りに……――
全く身動きの取れない状態で殴られたミレイは身体はまるで動かず、顔だけを賊の拳の反動に合わせて右に向けさせられる。声をあげる余裕すら無かった。
身体は固定されてしまっている為、その重たい一撃を上手く流せず、ほぼ丸ごとその重みがミレイの頬へと伝わる。思わず意識が飛びそうになるが、それだけではミレイはやられる事は無かった。
「お前さっきから生意気なんだよ、女の分際でなぁ!」
太った賊はミレイの態度が相当気に入らなかったのだろう。わざわざ暴力を浴びせると言う警告まで渡したと言うのに、ミレイは自分のペースを崩さず、最近起きている妙な事件の話まで始める始末だ。
賊は殴られて痛がるミレイを見下すような視線で怒鳴り声を浴びせる。
「……った……。いきなり何すんのよ……。ってか何がどう生意気なのよ……。ちゃんと分かるよう説明してくれる?」
しばらくしてからまるで染み込むように広がってきた痛みに思わず表情を歪めるが、ただ純粋に突然殴ってきた事に対する理由が分からず、今賊が怒鳴ってきたその中身の真の意味を求める。
「お前自分の立場分かってんのか? 抵抗も出来ねぇ、まるで俺らん事馬鹿にするような事ばっかほざく。お前がやってる事はなぁ、相手ただ怒らせる、そんだけだぞ。大人しく捕まってりゃあいいもんを」
太った賊は立ち上がり、靴でミレイの頭部を踏みつける。と言うよりは乗せると言った方が正しいのかもしれない。まるで小ばかにするかのように足首を左右に捻る。
「へぇ、そうですかぁ、すいませんねぇ。あたしあんたらのような変態集団に対しては凄い態度悪くなるんで」
ミレイはその返答を聞き、一瞬だけ言葉を崩し、敬語なんかを使いながら謝罪をかけるが、その理由が今の敬意が心の底からのものでは無い事を証明している。
「つっ……。お前本気で腹立つ野郎だなぁ。まあいい、この際だからなんで俺らがお前狙ってたか教えてやるよ。お前の事消してくれって頼まれたんだよ。ブラックリストにお前の事乗ってたからなぁ、後アビスって奴も乗ってたけど、あいつはいつでも消せそうだからまずはお前からって事だな」
太った賊は突然何を考え始めたのだろうか。ミレイの態度に再び怒りが込み上げてくるも、まるで諦めたような、そしてその裏側には何か卑劣な策でもあるかのような、そんな心境を見せつけながら賊達がミレイを付け狙っていた理由を述べる。
標的の対象はアビスも含まれていたが、男よりも社会的地位の低いと認識されている女の方が始末しやすいと考えていた為に最初はミレイを狙っていたが、その常識破りな戦闘力に驚かされた、と言った所だろうか。
「ご親切にありがとう。んで誰に命令されたのよ?」
ミレイは大体内容は理解出来たが、『誰に』と言う部分は説明されておらず、やはりそこも気になる所だろう。
「んな事どうでもいいだろう。言った所でお前に関係ねぇ事だし。俺らの計画じゃあここでお前は俺らにボコられてくたばって後は適当な場所に売り飛ばしてやらぁ」
質問に答える事はしなかった。太った男は簡単にそれを振り払い、賊達の頭の中で思い描かれていた妄想のような計画を教え、そして最終的にはミレイを『人』としてでは無く、『物』として扱ってやろうと言う企みも報告する。
「そぉ……。あたしはシナリオ上じゃあやられるって設定なのぉ……。しかも人身売買だなんて暗くて下品なイメージねぇ」
内容は聞けば恐ろしいものではあるが、ミレイのその暗くなった口調は文字通りの恐怖を表しているものとは思えない。まるでそのストーリーの構成に関心でもするかのような素振りを見せ付ける。人間を商品として扱うその反道徳的な行為もミレイを悪い意味で関心させる一つの要因となっている。
「ああ、お前だったらかなり高く売れんじゃねぇか? おい、ちょっと立たせろ」
太った賊はうつ伏せにさせられているミレイを無理矢理立たせるよう、賊三人に伝える。その口調からはどこかリーダーのような印象を受け取れる。
「おっしゃあ」
「いいぜ」
「分かったぜ」
賊達は次々と返事をしながら、それぞれの部位を決して自由にしないように、ゆっくりと、そして強引に立ち上がらせる。
ミレイも抵抗しても無駄だと思い、半ば素直にその賊達の動きに従った。
「っつうかお前の彼氏は何やってんだろうなぁ。彼女がここまで遊ばれてるっつうのに……なぁ?」
太った賊は立ち上がった事によって改めて知らされた身長差の著しいミレイを見るなり、突然もう一人の標的を思い出す。
それはアビスだ。アビスは喧嘩が始まった途端に臆病風に吹かれてしまい、今ミレイ達がいる車両の前にある車両へと逃げ込んでしまっていたのだ。ハンターではあるが、喧嘩は出来ない現われだろう。
だが、それより、太った賊は言い切る際に非常に憎らしく、下品な笑みを浮かべ出したのだ。その理由は明白だ。
――なんと、ミレイの殆ど発達していない胸に両手を伸ばしたからだ……――
「なっ! ちょ、何すんのよ……!」
自分の貧乳とも称される胸に手を伸ばされ、ミレイは突然感じた羞恥心、そして異性で尚且つ友情関係等皆無に等しい下卑た男から触られると言う本能的に現れる怒り、その二つが交じり合い、声が詰まるも、その言葉に含まれる
ただ、友情関係にある相手からでも触られれば、確実に殴り飛ばすのは目に見えてはいるが。
「折角お前は売り飛ばされんだよ。今のうちに楽しんだって悪くないだろ? 残念な事っつうたらちょっと小さ過ぎってとこぐらいか? でもお前よくよく見たら可愛いし、これぐらいさせてもらわんとこっちも満足出来ねぇってもんだからなぁ」
太った男は嫌らしく両手の指を動かしながら、今のこの楽しい時間を満喫しようとする。貧乳である事を素直に残念がるも、それでも少女らしい雰囲気の失われていないミレイは、賊達の性欲を刺激してくれるのだろう。
――そして次は、背後からは長髪の賊の舌が迫り、ガーゼの貼られていない部分の頬を舐められる……――
「!!」
ミレイは思わず寒気が走るのを覚える。自分の右頬に触り心地の極めて悪い物体が触れたのだ。僅かに感じる湿り気が非常に気持ち悪い事だろう。今のミレイは何をされても抵抗出来ないただの人形に等しいのだ。
「もうお前おしまいだなぁ。いい加減諦めろよ。諦めて素直に売り飛ばされちまえよ。そっちの方が楽だぜ?」
太った男は未だにミレイの胸を撫で回しながら下品な口調、そして下品な笑みを浮かべた表情で強がるミレイに催促する。
「あんたらこんな事して、後でどうなっても知らな――」
――太った賊を睨みつけるミレイの腹部に太った賊の渾身の一撃が加えられる――
「うっ!」
突然入れられた一撃に、ミレイは息が一気に詰まり、思わず口から唾が飛ぶ。痛みと苦しみに前屈みになりかけるが、賊達が後ろで押さえている為、完全にその体勢になるのは無理だ。顔だけが一気に下を向く。
因みに腹を殴る際、腹部を押さえている坊主頭の賊の手は太った賊の手によって下へとずり下げられていた。直接仲間の手を殴っては悪いからだろう。
「てめぇがどう強がったってもう無駄なんだよ。にしても痛がる顔も可愛いねぇ。なんか俺のペットにしたくなっちまったぜ。あぁあ〜、こんなかわいこちゃんも消さなきゃなんないってこの世の中ホント残酷だよなぁ」
無理矢理ミレイの顔をあげさせる。緑色の髪を乱暴に掴んで。
そのミレイの魅力を身体全体で受け止めながら、太った賊は自分の傍らに置いた時の事を想像するが、それは後に計画している人身売買によって
「うっさいわね……誰があんたのペットになんのよ……。もしなるとしたら相当な物好きなんだろうねぇ」
腹部の苦しみから解放されたミレイは太った男の妄想を言葉で払い除ける。ただ乱暴で威張り散らすような男に女等寄って来るはずが無い。ミレイはそう言いたかったに違いない。
「
ミレイの台詞が太った男を侮辱する内容としては充分に相応しいものだったのだろう。それに逆上した賊は再び怒鳴り散らしながら拳を暴れさせ始める。
それは無抵抗なミレイの顔や胴体を乱暴に狙う。
押さえている賊達に狙いを外した太った賊の攻撃が飛んでくる事は無かったが、その心配等まるでせず、殴られ続けるミレイに対して勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
その他居合わせている乗客達はとばっちりを受けぬよう、黙っているが、その様子を非常に痛々しい表情を浮かべながら静かに、そして賊達からはっきりと見ていると認識されぬよう、ひっそりと見ている。
「いっ……たいわねぇ……」
いつまでも負けている訳にはいかない。何度も殴ろうと言うその意識の為に、一撃一撃に込められる力がどうしても弱くなってしまっているのが救いとなり、先ほどの顔に入った横殴りに比べれば意識が飛ぶまでの威力とは言い難い程度のものと化している。
ただ純粋に痛いだけなら、抵抗するだけの心が崩れ去る事はまず無いのだろう。
――ミレイは殴られていく中で心の奥に蓄積されていた意趣の感情が徐々に表へと突き破ってくるのを覚え……――
「どうした? なんも言ってこないのか? 所詮は弱いって奴だな?」
未だに太った賊の手は止まらない。
「さっきから……」
ミレイの動きに変化が訪れる。ただ黙って束縛されているのでは無く、賊の腕と言う名の縄から解放されようとしているのだろうか、身体を震わせているのである。
「あぁ? なんだよ」
ミレイの小さく呟いた声に太った賊は反応し、殴っていた腕を止める。
――打撃の動作が止まった……。この際を上手く使い、ミレイは両腕に全神経を込め、長髪の男の束縛を一気に引き剥がす!――
「結局!!」
まずそれだけを叫びながらミレイは、
――渾身の右ストレートを太った賊の顔面向けて飛ばす!――
「あんたらは!!」
続いて両足に力を込め、整髪剤の賊の腕からまるで引き抜くように脱出し、そして未だ腹部だけは押さえつけられている状態で強引に身体を捻り、腹部を掴んでいる坊主頭の賊には、
――やや細い足から繰り出される右膝蹴りを賊の腹にお見舞いする!――
「一人じゃあ!!」
完全に自由の身となったミレイは目の前でどう反撃すれば良いのか迷っている長髪の賊には、
――膝蹴りで未だ地面に付かせないまま、その右足で顔面目掛けて横蹴りをプレゼントする!――
「ロクに喧嘩すら出来ない!!」
一人残された整髪剤の賊は立ち上がり、ミレイに右ストレートを飛ばすも、簡単にしゃがんで躱され、ミレイから強力な右手の一撃を腹に受ける。それだけでは終わらない。
――そのまま身体を持ち上げ、頭上で円を描くように地面へと叩きつける!――
「ただの……」
ここまで来てミレイも疲れを覚え始めたのだろうか、先ほどまでは一つ一つ怒鳴るような音量で発していた声を一気に低い位置にまで落とすも、まだ立っている太った賊へと向きなおすと、再び声を先ほどのように荒げ始める。太った賊へと走り寄りながら。
「臆病集団ってやつよ!!」
そう叫びながら勢いよく飛び上がり、
――右に向かって身体を捻り、そして一回転と共に槍のように鋭い右足蹴りの一撃を顔面へと発射させる!――
見事なまでの
着地と同時に軽く呼吸を整え、乱れた暗い赤のジャケットを軽く正す。
――そして鼻血を出して倒れている太った賊に近づき、勝利の一言を浴びせる――
前髪によって目元が暗くなったような印象を与えながら、ミレイは上から見下ろし、口を開いた。
「そんなに女の子のデリケートゾーン弄くり回したり、顔舐めったり、サンドバッグみたいに好き放題殴りたいんだったら、もっとマゾい女でも探してみたらどうなのよ……。まあそんな奴まず見つかんないとは思うけど」
ズボンの両端のポケットにそれぞれ手を入れながら、一瞬だけ動いた賊の虚ろな目を見つめる。
「っつうかそれ以前にまずハンターの事
ハンターに対する注意力を賊に植え付けると、ミレイはポケットから両手を解放し、堂々と賊に背中を向けて去っていく。
「あんたら邪魔よ。どいて」
ミレイはその足を全く止める事無く、そして緩める事も無く横二人分くらいのスペースのある道の中央を堂々と歩きながら、その道の障害となっている賊三人に向かって見下したような態度でそう言いながら、右手を払う。
賊達はミレイの強さにもう何も打つ手が無いと学んだのだろうか、無言で道を開ける。道がある程度狭い為、ミレイは賊達のすぐ目の前を通る事になるが、まるで怖がった様子も見せず、平気な顔をして目の前を通り過ぎていく。
(そうだ、アビス。アビスどうしてんのかしら)
賊達をあしらった後はアビスの確認だ。前方の車両にいるのなら、まずはもう安全である事を伝える必要があるだろう。だからミレイは前方の車両へと続く木造の扉に近づく。
――ミレイが開く前に扉が開き、ミレイの堅くなっていた表情が緩くなる――
「アビス、もうOKよ。あいつら以外とよわ――」
――突然飛んできた靴の裏側……――
「なっ!!」
ミレイは咄嗟に顔面を守る為に両腕を盾にし、その一撃を何とか耐え抜くが、その力は非常に強く、身体が後ろに押し出される。
何とか転ばないよう、足でバランスを保つ。そして、ゆっくりと両腕を顔面から離す。
――目の前に映っていたのは、先ほどのミレイよりずっと背の高かった賊達よりも更に背の高い、
巨漢とも、肥満とも言える体型の上半身裸の男……――
蹴りを仕掛けてきた犯人は間違い無くこの男である。恐らくは賊達の仲間だろうが、外見的な雰囲気や、同じく外見的に見て取れる中年に近い年齢から見るに、賊達より上に立つ者であるにまず違いないだろう。
「こいつ、誰……!」
だが、ミレイはその肥満体型の男に驚くよりも前に、別のものに対して驚きを見せる事となる。
――男の右手にまるで引き摺るように持っているもの……――
――頭部をこちらに向けており、紫色の髪が見えるが……――
――と言うより、この持たれている者の正体は……――
「アビス!」
男の右手に青いジャケットの首筋を掴まれた人物。今は完全に下を向いている為、表情を知る事は出来ないが、男の人相の悪さを表す外見的な特徴、及びアビスの力の抜けたような、男の手が離れれば即座に地面に崩れ落ちてしまう体勢を見る限り、アビスが何かされたと言うのはまず間違い無い。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
「あれ? ここは?」
クリスは目を覚ますが、何も見えなかった。目は勿論開いてはいるのだが、何も見えない。一体何があったのだろうか。それすらも考え付かない。
先ほどまではスキッドと共に歩いていたが、今はこのような暗闇が支配する世界に立っている。
だが、逃げたくてもクリスは逃げられなかった。まるで何かに押さえ付けられているような感触が身体のあちらこちらから伝わってくる。
――力を入れた所で、解放させてくれるほど束縛と言う言葉は甘くは無い――
そして、ようやくクリスは今自分が置かれている状況を理解する事になる。
――木材が
古い木材から作られたであろう扉が開き、ランプの光が部屋一面を明るく照らす。クリスの目の前に広がったのは、部屋と表現するにはあまりにも広い空間、そして中央に置かれた皮製の束縛ベルトが設置された巨大な台、そして至る所に置かれた鞭や鎖等の冷たくも、冷酷さを象徴するような器具が目立つ、まるで拷問室のような重苦しい場所だった。
入ってきた男達はいずれも覆面を被り、上半身裸でそして肥満体質である。胴体に生える細かな体毛が非常に汚らしい雰囲気を与え、その視覚的な印象だけでは無く、男達の生臭い体臭もクリスの表情を歪ませる充分な要因となっている。
クリスは逃げたくても、引き下がりたくても、それは叶えられない。何故なら、両腕は広げられ、それぞれが縄で縛られ、足は閉じられ、一本の縄で両足を縛っており、腰にも縄が巻かれており、そしてまるで壁に貼り付けられるかのように、束縛されているからだ。
覆面の男達の中で唯一、木製の棒を持った男が自分の手を叩きながら、ゆっくりと覆面に隠れた口を開いた。
「ようこそ、ハンター撲滅委員会の世界へ」